警察の食堂と「アズマヤ」と「南地食堂」
- 昭和20年~30年頃の高松の丸の内の食べ物情報を教えてください。
- 私が若い頃(昭和20年代)は、うどんはあんまり人気がない食べもので、若い女の子に人気あるのはお好み焼きだった。三越の南側の今の片原町の駐輪場があるあたりに、バラックのお好み焼きのお店があって人気だったわ。メーカーの人がよくおごってくれたけど、うどんは食べに行くことはなかったと思う。うどんは人におごってもらうような食べ物ではなかった。三越の向かいに警察があってそこに食堂があったけど、警官は肉体労働者だったんで、味が濃い目だったのよ。三越の女の子も忙しくて疲れると、スタミナを付けに警察の食堂へ行ってたわ。
- アズマヤのうどんは人気でしたか?
- そりゃもう、アズマヤのうどんは別格で美味しかった。材料が全然他と違う高級品を使っていて、兄弟で経営されてたけど研究熱心だったわ。最初は「たぬき小屋」という名前のぜんざいのお店だったけど、その頃からよく行ってたわ。
- 他にうどん屋の思い出は?
- うどんは、瓦町の路地のところの南地食堂が、出汁が美味しかったのを覚えている。常磐街のダイエーがあったあたりに映画館が何軒かあって、その北側にも美味しいうどん屋があったけど、名前は忘れたわ。
戦後の高松三越は、かりんとうと鯛の浜焼きが大人気
- 当時はどんな食べ物が人気でしたか?
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終戦後は食べ物が不自由だったけど、私が勤めていた三越デパートでは、何でも飛ぶように売れたのよ。レジが間に合わないから、100円札を一斗缶にぎゅうぎゅう押し込んで手で押さえながらレジ代わりにしていたぐらい。甘い物に飢えてたから、特にかりんとうが人気があって、100メートルぐらい行列ができていた。盆暮れの進物はハムとか瓶物とか缶詰めが人気で、当時はうどんは贈答品ではなかった。
県外の人に贈るのは「鯛の浜焼き」が人気で、大平さんが吉田茂に贈った時も私が担当したんよ。『二十四の瞳』の撮影の時には、高峰秀子や田村高廣も鯛の浜焼きを買いに来たわ。