週に2~3日は家で作ったうどんが晩御飯
- 子どもの頃(昭和30年頃)に、うどんを食べることはありましたか?
- 週に2日か3日は晩御飯がうどんやったで。うどんと白い御飯、それに漬け物がセットというパターンが多かった。 うどんは家で作っとったよ。手が込んだことはしていなかったけどな。小麦粉を水で溶いて、塩を入れて、手で捏ねて、それを包丁で切るぐらいや。足踏みまではしとらんかった。麺の長さや太さは不揃いで、どちらかと言えばずんぐりむっくりした形が多かったけど、綿棒や麺を打つ台なんかのうどんを作る道具は一通り揃っとった。その道具を使って、年末は餅も作っとったで。
- 小麦粉はどこで手に入れていましたか?
- 家が農家で、田んぼで作った小麦を持って行ったら小麦粉と交換してくれる店が近所にあって、そこを利用しとった。
- 作ったうどんはどのようにして食べていましたか?
- 麺を作ったその日はかけうどんで、明くる日以降は煮込みうどんにして食べた。煮込みうどんにしたら、時間が経ったベチャベチャの麺でも食べられるからな。団子汁のような感じで。
用水路で獲ったドジョウをうどんに入れたり唐揚げにしたり
- どんな具が入りましたか?
- かけうどんはネギとカマボコだけ。打ち込みうどんには家で作っていた野菜や、春には山で採ってきたハチク(タケノコ)を入れた。それに、ドジョウや! 昔はドジョウが面白いほどよく獲れたんや。放課後、友達とよく獲りに行ったで。
- どこでドジョウを獲っていたのですか?
- 田んぼの用水路に4~5センチのドジョウがおった。昔の用水路は底がセメントじゃなくで粘土のような柔らかい土やったから、そこにドジョウが生息しとったんや。網なんか使わんでも手掴みでいけて、多いときはバケツの3分の1ほど獲れた。動力線を用水路に突っ込んで、ドジョウを感電させてから一気に獲る悪い奴もおったな(笑)。 獲ったドジョウは、鍋の中に入れる前に砂を吐かせた。ドジョウが泳いどるバケツの中に茄子の切ったやつを入れたら、口をパカパカさせながら浮いてくるんや(笑)。中には鍋にすると骨が鬱陶しくなりそうな少し大きめのドジョウもおったけど、そういうやつは唐揚げにして食べた。ゴボウと一緒にくるんでな。旨かったで。
- 身近にドジョウが生息していたのですね。
- ドジョウだけやない。昔の池や川にはウナギやナマズ、アカマツ(カワムツ)、アユもおって、よく釣りに行った。今はすっかりおらんようになったけど。
- うどんの話に戻りますが、何かの節目の日に食べることはありましたか?
- それはあんまりなかったな。法事のときぐらいや。葬式のときは食べたらアカンかったけど。
- 近所にうどんが食べられる店はありましたか?
- 三木町の井戸にはなかったんとちゃう? ただ、店の中では食べられなんだけど製麺所はあった。ただ、自分とこで麺を作っとったから、製麺所に行ったことはない。周りも農家で、うちと同じように家で麺を作っとったから、利用する人は少なかったはずや。麺を売り歩いとったようやけどな。