身内が田町商店街の近くで、戦前から製麺所を開いていた
- 子どもの頃(昭和20年代)、家でうどんを食べていましたか?
- めったに食べることはありませんでした。漁師の家だったので、魚介類が食生活の中心でしたから。朝から刺身を食べることもあったほどです(笑)。うどんを口にできたのは、製麺所をしているおじさんが庵治にやって来たときだけです。 おじさんは戦前から高松の田町で「綿谷(わたたに)」という製麺所をやっていて、あちこちにうどん玉を卸していました。かなり繁盛していたようで、庵治に別荘を持っているほどでした。その別荘へおじさんが行くとき、ついでに麺を持って来てくれたのです。それを、たいていはかけうどんで、暑いときにはつけうどんでも食べました。
- ダシの材料には何を使っていましたか?
- イリコと、当時はかなり高級だった昆布も使っていました。漁師の家でしたから、かなりいい素材を使っていましたよ。イリコは燧灘、昆布は北海道の利尻で獲れたものでした。 家は遠洋漁業の漁師だったので、日本のあちこちの港に出掛けることが多く、その先々でイリコや昆布などの高級素材を漁のついでに買い集めていました。もちろん、どれも当時の庵治では手に入らなかったものばかりです。当時、庵治で遠洋漁業をやっていたのはうちだけだったと思います。
- 庵治には当時、製麺所はありましたか?
- 庵治の旧商店街がある北の方に、「北(きた)さん」という方がしていた製麺所がありました。数年前まで、庵治の城岬(しろばな)公園の手前の峠に「味呂(あじろ)」さんといううどん屋さんがありましたが、そこのご主人が店をオープンする前にやっていた製麺所です。行ったことはなかったので、どんな製麺所だったかは分かりません。