讃岐うどん業界に大きな話題はなく、バブル崩壊の影響がじわり…
平成4年の讃岐うどん界は特に大きな話題もなかったようで、四国新聞には業界の動きに関する記事が見当たりませんでした。わずかに朝日新聞と日本経済新聞にいくつか企業名の出てくる記事がありましたので、まずはそれらから見てみましょう。
冷凍うどんの雄「ピギー食品」が日清食品傘下に
マニアの間で「県下最高峰の冷凍うどん」と称されていた詫間町の「ピギー食品」に関する、こんな記事が見つかりました。
うどんで免許皆伝?
冷凍食品や食肉加工を手がけるピギー食品(本社香川県詫間町)の玉木進社長は最近、5日間の讃岐うどんの製造研修を体験した。「麺の打ち方からダシの取り方、具材の作り方までみっちりと教わった」。玉木さんは同社が日清食品の傘下に入ったのに伴い香川県に赴任してきたが、「わが社も冷凍うどんを売っている。実際に作ったことがあるのとないのとでは大きな違いがあるから」と研修にのぞんだ。…(以下略)
「ピギー食品」はこの頃、日清食品の傘下に入ったようです。その後、同社は何度か社名が変わって現在は「四国日清食品」となっていますが、冷凍うどんの技術は引き続き一級品です。
続いて、「加ト吉」の冷凍うどんの話題がありました。
コラム「決算トーク」…本場の味、うたえず
「本場の味とうたえないのが残念です」と語るのは、加ト吉の松田芳夫社長。業務提携している愛知県のゼリー菓子メーカー、光陽製菓の工場内にうどん生産ラインを新設、秋口から生産を始める。「同じ味の讃岐うどんでも、香川県内で作ってないと、本場の味という宣伝文句が使えない」そうだ。
愛知県で生産を始めるのは、物流費節減のため。5月中間期も物流費は前年同期比8%増加、利益の足カセになった。「冷凍うどんは付加価値が低い割には量が多く、物流費がかさむ。香川県以外の生産拠点を拡充して負担を削減していく方針」だ。採算を考えれば、宣伝文句にこだわっていられないというところ。
「香川県内で製造されたうどん以外は『名産、特産、本場、名物』等の表示ができない」という規制がかかったのは昭和50年代初頭のことですが(「昭和51年」参照)、「讃岐うどん」だけならOKということで、ビジネス上は大きな障害にはなっていなかったはず。おそらくこの記事を書いた記者がご存じなかったため、ここでコラムに取り上げたのだと思います。
バブル崩壊の影響がうどん業界にも…
続いて香川県外の話題ですが、「一六タルト」でおなじみの松山の「一六」社がうどんチェーン店を始めるというニュースがありました。
菓子の一六、うどん店を展開 来年、松山市内に1号店
四国の大手菓子メーカー、一六(本社松山市)は来年から松山市内や近郊中心にうどん店のチェーン展開を始める。同社は和洋菓子の製造販売の他、経営の多角化策として和食やステーキハウスなどレストラン部門の拡充を図ってきた。こうした中、うどん店を開設しようと考えたのは、うどんの本場香川県内に比べ、チェーン展開している店は愛媛県内に少なく、しかもうどんは昼夜の食事時間に気軽に食べられることなどが理由。店舗内容については現在検討中だが、来年中に1号店を松山市内に開店、3~4年内に5店舗ぐらい開設させる予定である。同社のレストラン部門は和食を中心とした店が5店、ステーキを主とした洋食店が3店、喫茶店が1店となっている。これに新たにうどん店が加わる。
バブル経済の崩壊から始まった不況による個人消費の伸び悩みをきっかけに、同社は経営を全般的に見直している。その中でレストラン部門の拡大は、他県域への進出より、むしろ本拠地の愛媛県、特に最大の商圏がある松山地域での拡大の余地が十分あると見ている。松山地域の掘り下げとともに、レストランの内容も多様化していく方針で、うどん店の展開も、こうした考え方から打ち出した。
「一六」のうどんチェーン店がその後どうなったのかはわかりませんが、少なくとも香川には進出してきていないようです。記事に「バブル経済の崩壊から始まった不況による個人消費の伸び悩み」という記述が出てきました。不動産と株の暴落から始まったバブル崩壊から2年、その影響がいよいよ個人消費にまで降りてきているようです。そして、うどん業界にも…
コラム「こだま」…不況風、うどんにも
「うどんの売れ行きにここまで影響が出ている不況は今回が初めて」と言うのは、四国最大のうどん店チェーンを展開する「うどんの庄かな泉」の泉川賢社長。うどんは値段も安いため「不況になっても、これまでは売れ行きにそれほど影響はなかった」という。事実、第一次オイルショックの直前にオープンした店も、「スタート当初は不振どころか、結構調子が良かった」そうだ。こうした経験を持つ泉川さんだけに、今回の不況はこれまでとはちょっと違うと感じている様子だ。
讃岐うどん界の王者「かな泉」の社長も、「ここまで影響の出た不況は初めて」とのこと。バブル崩壊は明らかにうどん業界にも波及してきているようです。
「さぬきうどん研究会」の活動記事が2本
続いて、「さぬきうどん研究会」の活動が四国新聞と朝日新聞に2本載っていました。
女子大生が見た讃岐うどんは? 明善短大食品科学研究室生、県下99店を踏査 来年1月、例会で報告
全国区の知名度を持つ讃岐うどんに、地元女子大生が下した採点は? 明善短大食品科学研究室で学ぶ学生たちが県下のうどん店99店を踏査。…(中略)…調査したのは、多田稔明善短大教授(食品学)が指導する食品科学研究室の学生、大河原理恵さん(20)ら5人。卒業論文の研究を兼ねて、自分たちの足と味覚で讃岐うどんの実情に迫った。
大河原さんらは、昨年の夏休みなどに県下のうどん店99店を訪問。サンプルを高松市、東讃岐、西讃岐に分け、ダシの色、材料、塩辛さ、手打ちの真偽、値段、店の雰囲気など数項目にわたって調査した。塩分の度合いを専用機器で測定したり、ダシを持ち出して調査分析した結果、西讃のうどんは高松市のものより比較的辛いことなどが判明。指導に当たった多田教授は「女子大生が素直な目で見たうどん店の評価を聞いてもらえれば」と話している。…(以下略)
讃岐うどんの小冊子刊行 製法など紹介
香川県の特産「讃岐うどん」の文化や製法をまとめた小冊子「讃岐うどん入門」が刊行された。県内の大学関係者や製麺業者などで組織する「讃岐うどん研究会」(会長・真部正敏香川大学教授)が発刊したもので、うどんのルーツ、麺の打ち方、よく食べられるメニューなどを絵や写真を交えながら紹介している。
この入門書はB5判、27ページ。「うどんの誕生は室町時代」「県民の9割以上がうどん好き」「うどんの生産量は香川が全国一」など、歴史、現状も掲載している。香川県では30年ほど前までは各家庭でうどんが打たれ、そのうどんを囲んでの団らん風景が見られたが、今では外食が中心になっている。入門書は若い人にうどんについてよく知ってもらい、うどん文化を後世にまで残したいと考えて作った。書店などで販売する他、同研究会に直接申し込んでもよい。1部400円で、現在約3000部を用意しているという。
讃岐うどんの文化、歴史、技術を学術的に見る「さぬきうどん研究会」らしい活動が続いていますが、ここに突然、「うどんの誕生は室町時代」という記述が出てきました。果たして小冊子にどんな根拠が書かれているのでしょう。
田村神社の日曜市
「うどんの出る神社」でおなじみの田村神社の日曜市の、短い解説が載っていました。
高松・田村神社の五楽日曜市
日曜午前6時。田村神社(高松市一宮町)の境内に、朝採れたばかりの野菜や花がずらりと並ぶ。露天商による日用雑貨やたこ焼き屋、社務所での「百円うどん」の接待もあり、早朝からにぎやかだ。雨天に関係なく毎週必ず立つ「五楽日曜市」。もう15年になる。「五楽」の意味は「売る」「見る」「買う」「ふれあう」「参る」と5つの楽しみがあることからついた。…(中略)…県下には他に善通寺日曜市(毎月第2・市役所玄関前)、丸亀日曜市(毎週・市民広場)、多度津日曜市(毎月第2、4・町役場前)などがある。
田村神社の日曜市は「五楽日曜市」という名前で、「もう15年になる」とありますから昭和52年から始まっていたそうです。「百円うどんの接待」は前年の平成3年から始まりました(「平成3年」参照)。
久しぶりに「源平なべ」の紹介記事が
続いて、朝日新聞に郷土料理の「まいまい亭」のご主人の取材記事が載っていましたが、そこに「源平なべ」のルーツに関する記述がありました。
讃岐の源平なべ
…(前略)…根に近い部分だけを使った白菜の飾り切り。青々した寸切りの春菊。ゆがいた大根とニンジンの短冊。彩り良く盛られ、その横ではエビが動いていた。食べ頃の大きさに切った細身の蒸しアナゴがふっくらと白い。だしに流れたうまみが、汁の味を次第に複雑にしていく。そして最後は、こしの強い生地を太く切った自家製のうどんである。讃岐の「源平なべ」人気が、納得できたような気がした。
だが、郷土料理研究家でもある松岡さんはちょっと複雑な表情だった。「これは、本当は観光料理です」と言う。讃岐に「打ち込み汁」なる郷土料理がある。農家の主婦が急な来客に野良からとって返し、ありあわせの野菜や魚肉を煮て、団子をちぎり入れたなべ料理である。このうち込み汁が源平なべの元、という。
「瀬戸内は魚、野菜の宝庫。地の利をいかし、屋島など源平合戦にゆかりの深い土地柄にあやかって名前をつけた。素材がいいから、うまい。しかしどんどん伝統を離れていく気がしてならない」。最近、地場産であるかどうかを問わず、旬も無視、高級魚を多用、カニもキノコも、と目に華やかなばかりの源平なべのことを憂えている。…(以下略)
戦後の四国新聞に「源平なべ」が初めて出てきたのは昭和39年のことですが(「昭和39年」参照)、その記事には「わが讃岐に『源平なべ』のあることはあまり知られていない」と書かれていましたので、実際はもっと古くから存在していたようです。また、翌昭和40年にはコラムの一日一言子が実際に食べた「源平なべ」を詳細に紹介していました。再掲すると、
コラム「一日一言」
鍋物、特にカキ船やフグの宿の灯の恋しい季節であるが、戦後、讃岐路の観光料理として売り出されてきた「源平なべ」というものに初めて接した。大ざらに盛られた山海の珍味は土佐の伝統料理“さわち”を思わせるが、“さわち”のようにそのまま食べるのではなく、一度目を楽しませてから鍋に入れて煮ながら食べるところに特色がある。魚や野菜の材料の下に、波に見立てて讃岐の手打ちうどんが敷いてあり、最後にこれを食べる。ちょうど “うどんすき”と“沖すき”(いずれも大阪名物)を一緒にしたようなところがこの鍋の狙いで、いかにも観光客が飛びつきそうな趣向だ。
海の幸からは源平合戦にゆかりの平家ガニはもちろん、瀬戸内名物の車エビやイイダコ、ハマグリをはじめ、タイ、ヒラメ、オコゼなど白身の魚が登場。ギンナン、クワイなど季節の山菜や野菜が目を楽しませた。アクセサリーとして、扇の的を立てた平家の船と、それを射止めようとする那須与一の作りものが飾ってあるのも、料理の名前にふさわしい興味をそそり、「特に外人客に喜ばれる」という板場さんの話もうなずけた。外人の中にはこの扇を欲しがる客もいるらしいが、これはお子様ランチに飾られた日の丸の旗を子供が喜ぶのと同じ心理だろう。すき焼きや天ぷらに続く日本の味として「源平なべ」が外人客を喜ばすとすれば、観光香川としては大出来である。
という内容で、「魚や野菜の材料の下に、波に見立てて讃岐の手打ちうどんが敷いてあり…」というあたりに観光客を意識した演出も感じられ、確かに「観光料理」として作られたものでした。ご主人は「どんどん伝統を離れていく気がしてならない」とお嘆きですが、伝統の「打ち込み汁」と「源平なべ」はもう別物として扱ってもよろしいのではないかと思います。
歌舞伎俳優の市川染五郎さんは飯山の「中村」がお好き
朝日新聞のコラムで、歌舞伎俳優の市川染五郎さんが飯山町の「中村」のうどんを「ここが一番」とおっしゃっていました。
コラム「郷土料理あじな店」…讃岐うどん「中村」(歌舞伎俳優・市川染五郎)
この4月、金毘羅さんで有名な琴平町に行ってきました。…(中略)…この時、知り合いに連れて行ってもらったのが「中村」です。四国といえば讃岐うどんだし、もともと和食や麺類が好きなので、約2週間の公演中、何軒か回ってみたのですが、ここが一番でした。
外見は普通の民家で、おやじさんと息子さんだけの飾り気のない店。1日に打つ量が決まっていて(300玉程度)、なくなったら閉店なんだそうです。われわれは芝居との兼ね合いもあって、午前9時頃に駆けつけて朝ご飯にしました。すうどん、釜あげといろいろある中で、お勧めはしょうゆうどん。その名の通り、しょうゆを垂らしただけというシンプルなものですが、艶とコシがあって、うどんそのものがおいしいから他に何もいらないんでしょうね。東京にはちょっとない味です。…(以下略)
市川染五郎さんが「四国こんぴら歌舞伎大芝居」(1985年に始まり、この年は第8回)の公演に出演された時の体験談。公演前の朝ご飯に「中村でうどん」とは、関係者の方もなかなかのチョイスです(笑)。
「うどんは飲むもの」談義
郷土作家の帰来広三さんが、この年亡くなられた香川の俳人・合田丁字路(ごうだちょうじろう)さんを偲んで、合田さんのうどんにまつわるエピソードを紹介していました。
「月曜随想」…合田丁字路氏と俳句(短歌俳句協会会員・帰来広三)
秋風に誘われるように10月29日、県下俳壇の重鎮・合田丁字路氏が86歳の天寿をまっとうされた。…(中略)…通人としても有名であったが、讃岐人としてうどんには一家言を持っておられた。「うどんは噛むもんじゃない。すすり込むもんじゃ、口から胃袋まで続いとらないかん」。私もうどん好きであるが、こうは上手く食べられない。
ある時、テレビ番組で氏が大いにうどん談義を披露した後、釜あげうどんの食べ方を実演している姿が映っていた。さすが見事なすすり方であった。後日、その場面を私が褒めると、「いやあ、あれには参った!! リハーサルがあって三釜もすすったんじゃ、無理やりに腹に呑み込んだもんじゃけん、腹こわしてもうて2日も寝込んだが。あっははは」と大笑いをした。稚気はなはだ愛すべし。書きながらその言葉が耳底に蘇り、あの時の温顔が目に浮かんでくる。…(以下略)
合田丁字路さんは「うどんは嚙まずに飲み込む」論者の中でも「(麺が)口から胃袋まで続いとらないかん」という“過激派”(笑)だったようです。そう言えば「讃岐うどん巡りブーム」真っ只中の2000年代のある時、全国ネットのテレビ番組に出演された讃岐うどん界の重鎮の某氏が、「讃岐うどんは嚙まずに飲み込むのが本当の食べ方なんです」と言って、うどんを口に入れて「モグモグ」とやって飲み込んで、一緒に出てた芸人さんに「今、嚙みましたよね!」と突っ込まれ、「いや、嚙んでないですよ」と言ってもう一度麺を口に入れて「モグ…」とやって飲み込んで「嚙んでますやん!」と突っ込まれたまま次のコーナーに行ったのを目撃したことがあります(笑)。お歳を召すと何かと意固地になる方がいらっしゃるようですが、ま、無理せずに嚙んで食べましょう。
「うどん早食い」に「国分寺まつり」も参戦
地域の祭りの中で行われる「うどん関連イベント」は、以下の項目が新聞に載っていました。
(5月17日)第43回「丸亀お城まつり」・第9回「うどん早ぐい競争」
(7月周辺)第11回「さぬきうどんまつり」
(7月2日)中野天満宮・献麺式
(7月1~15日)第12回「さぬきうどんラリー」
(8月13日)第28回高松まつり・「さぬきうどん早ぐい選手権」
(8月15日)第7回おじょもまつり・「輝け!どぜう汁日本一大賞」
(8月22日)国分寺町まつり「うどん早食い大会」
まず、「うどん早食い(大食い)大会」は、東西の「二大うどん早食いイベント」となった「丸亀お城まつり・うどん早ぐい競争」と「高松まつり・さぬきうどん早ぐい選手権」に加えて、新たに「国分寺まつり」でも「うどん早食い大会」が記事になっていました。これで、これまでに新聞に出てきた地域の祭りの中の「うどん早食い(大食い)大会」は、「丸亀お城まつり」「高松まつり」「詫間港まつり」「みろく自然公園納涼まつり」「宇多津サマーフェスティバル」に「国分寺まつり」の7本になりましたが、おそらく新聞に載っていないものや民間イベント等で行われていたものも合わせると、県下で年間10本以上は行われていたと思われます。
坂出天狗まつりに「天狗うどん」が出てこない
続いて、協賛メニューとして「天狗うどん」が出てきた「坂出天狗まつり」が2年目を迎えましたが…
相模坊もにこやかに 坂出天狗まつりをPR
坂出市松山地区で8、9の両日開かれる「第2回坂出天狗まつり」を盛り上げようと6日、主人公の相模坊(さがんぼう)を中心とした松山天狗が同市元町の商店街に繰り出し、買い物客らにまつりへの参加を呼びかけた。市内のアマ劇団「テアトルローマン」会員が扮する天狗は、相模坊、赤峰天狗、白峰天狗とカラス天狗4人の計7人。ホラ貝を吹き、太鼓を鳴らして景気づけ。主人公の相模坊が「われらは、今日より松山天狗と称し、世直しに出る」と口上。天狗まつり実行委の三宅会長ら委員4人が、珍しそうに見守る通行人にチラシを渡してPRに務めた。
坂出天狗まつりは、8日午後2時からNTT大屋冨グラウンドで行われるたこ揚げ大会で幕開け。午後5時から大屋冨町の相模坊神社に場所を移して古里産品バザール、天狗汁の接待、寄席、歌謡ショー、カラオケ大会など夜半までイベントが続く。翌9日は午前9時半から松山小でオープニングセレモニーが行われた後、テアトルローマンの演劇「松山天狗」が上演され、古里産品バザールが開かれる。運動場では力石大会、11時には同小から青海町の白峯寺までを往復する10.9(てんく)ウォークが出発。白峯寺では天狗汁の接待もある。
前年に詳しい情報が載っていなかった「坂出天狗まつり」の概要が明らかになりました。イベントの2日前に7人の天狗が街を練り歩いてデモンストレーションを行い、「10種類の具(テン具)を入れた天狗汁」に続いて「10.9(てんく)ウォーク」(10.9キロのウォーキング?)も始まり、ダジャレも加速してなかなかのイレコミぶりを見せていますが(笑)、前年紹介された「天狗うどん」には全く触れられていませんでした。地域の天狗グルメの“推し”は「天狗汁」になっていて、うどん処讃岐にあって展開力も十分ありそうな「天狗うどん」は今でも「町川」の名物メニューとして続いているものの、まつりには取り込まれなかったようです。
「さぬきうどん品評会」は14回目
香川県と県生麺事業協同組合が共催する「さぬきうどん品評会」は、14回目を迎えました。
さぬきうどん品評会 本場の味 出来栄え競う 大臣賞に「さぬき麺業」
「さぬきうどん品評会」(県、県生麺事業協同組合共催)が7日、高松市中野町の讃岐会館であり、農林水産大臣賞など各賞を決めた。…(中略)…
県の調べでは、2年度にうどん製造のため使用した小麦粉は約3万トン。生産量は全国1位で、製造品出荷額は前年度を約20億円上回る約169億円にのぼった。しかし、使用小麦粉のうち、県産割合は推定15%しかなく、大半が豪州産。このため、県では名実ともに「うどん王国」を確立するため、3年度から「さぬきうどん原料高品質小麦品種育成事業」に着手し、5年計画で海外産小麦粉に見劣りしない県産小麦粉の育成を目指している。
【特別賞】
●農林水産大臣賞…………………………さぬき麺業(高松市)
●食糧庁長官賞……………………………牟礼製麺(志度町)
●中国四国農政局長賞……………………サヌキ食品(綾歌町)
●香川食糧事務所長賞……………………寒川食品(三木町)、三野製麺所(香川町)
【優秀賞】
●知事賞……………………………………宮川製麺所(善通寺市)、天下うどん本舗秀(高松市)
●全国製麺協同組合連合会長賞…………丸山製麺所(高松市)、日の出製麺所(坂出市)
●高松市全国乾麺協同組合連合会長賞…大喜多製粉所(宇多津町)
【優良賞】
●県農林部長賞……………………………宮西製麺所(高松市)、川田商店(香南町)
●県食品産業協議会長賞…………………桑原製麺所(高松市)、大山製粉製麺所(大川町)
●県食品加工技術研究会長賞……………上原製麺所(坂出市)、水車うどん(仲南町)
●さぬきうどん研究会長賞………………加ト吉(観音寺市)、日糧(詫間町)
●四国新聞社賞……………………………久保製麺(高松市)
●西日本放送賞……………………………うどんの庄かな泉(高松市)
●県製粉製麺協同組合理事長賞…………藤井製麺(三木町)、石丸製麺(香南町)
●県生麺事業協同組合理事長賞…………大島製麺(高松市)、丸亀製麺(丸亀市)、十河製麺所(三木町)、丸川製麺(高松市)、味呂(庵治町)、丸木製麺所(白鳥町)、カガワ食品(善通寺市)、坂枝製麺所(高松市)、浦島本店(丸亀市)、サンヨーフーズ(坂出市)、入谷製麺(長尾町)、あいめん屋(琴平町)、上原製麺所(高松市)
15の賞に35の事業所が表彰されていますが、毎年大半が同じ顔ぶれで、特定グループの品評会の様相です。
「もろみかす」を使ったヘルシーうどんが開発される
この年は新聞に“変わり種うどん”の名前がたくさん出てきました。まずは、「もろみの搾りかす」を使った「ヘルシーうどん」が開発されたという記事。
産業廃棄物がうどんに 「もろみかす」利用 減塩で食物繊維も豊富 白鳥の岩倉さん開発 ヒット商品へ膨らむ期待
香川特産のしょうゆの製造過程で、これまで産業廃棄物として処理されてきた「もろみ」の搾りかすに着目。同じ特産のうどんとドッキングさせたヘルシーうどんの開発に、白鳥町の民間食品管理会社の所長が成功した。減塩効果、食物繊維が豊富などの特徴があり、一石何鳥もの効果に期待が高まっている。開発に成功したのは、日本食品管理衛生センター(本社・徳島市)の岩倉泰一郎所長(42)。岩倉さんは医学博士、薬学博士号も持ち、京都薬大大学院の非常勤講師も務めている。
これまで小豆島を中心とした県下醤油業界は、その製造過程で産出されるもろみかすは塩分が6~8%残存するため、すべて産業廃棄物として処分してきた。その量は年間約4000トン。岩倉さんは、その主成分である小麦、大豆、塩分に着目。研究者たちが塩分を抜くことに主力を置くのとは反対に、塩分をそのまま活用する方法としてうどん製造を思いついた。
小豆島の丸島醤油、坂出市の上原製麺所とタイアップ。もろみの搾りかすを70度で殺菌、乾燥してパウダー化。1対9のもろみかすパウダー、小麦粉を生地に、あとは従来通りに練り、打ち上げれば、ヘルシーうどんが出来上がる。ただ、練りの過程で従来なら用いていた塩水を一切使わないのがミソ。この塩分を使わない製法が、塩分含有率を従来のうどんの約4分の1、0.7%にまで抑えることにつながった。塩分で引き出す讃岐うどん特有のコシの強さは損なわず、麺の表面はなめらか。食物繊維が従来の約12倍、食品添加物が不要などの特長がある。
従来の讃岐うどんと違うのは麺の色。見た目は茶褐色で、生そばそのもの。岩倉さんは、この茶褐色の麺のイメージから「しょうゆうどん」として特許を申請中。大手食品メーカーと製品化の話も進んでいる。岩倉さんは「高血圧や腎臓病、大腸がんなど、成人病予防にもつながり、ヘルシー志向にマッチするはず」と、ヒット商品への手ごたえを話している。
白鳥の「日本食品管理衛生センター」と小豆島の「丸島醤油」と坂出市の「上原製麺所」がタイアップして完成した、ある意味“産学協同”の新商品です。茶褐色の麺で「しょうゆうどん」として特許を申請中(小縣家の「元祖しょうゆうどん」は特許ではなくて商標登録)とありますが、どうなったのでしょう。
「さぬき古式うどん」が登場
続いて、高松市で行われた「むらおこし特産品展示会」に「さぬき古式うどん」なるものが出品されました。
讃岐の特産品PR 旅館業者ら対象に展示会 高松で県商工会連
讃岐の村おこし特産品の販路拡大などを狙って県商工連合会(都村忠弘会長)は17日、高松市福岡町の香川厚生年金会館で「むらおこし特産品展示会」を開催、県内の旅館、ホテル、流通業界関係者に古里の味と技を売り込んだ。2年前の商談会に次ぐ2回目の開催で、特産品を土産物や流通商品として定着させるのが狙い。
会場には高瀬茶や「さぬき古式うどん」など33品目が展示され、一部では非公式の商談も行われた。…(中略)…同商工会連合会は、昨年11月に通産省や県の販路開拓補助事業としてカラー刷りのパンフ「讃岐からのふるさと便り・村おこし特産品」計2万5000部を作製するなど精力的なPRを展開。その結果、高瀬町の業者が作った「さぬき古式うどん」が大手スーパーの歳暮商品として扱われることも決まった。…(以下略)
「さぬき古式うどん」は高瀬の業者が作って大手スーパーの歳暮商品として扱われることも決まったそうですが、残念ながら記事からはどんなうどんなのかも、高瀬の何という業者が作ったのかもわかりません。
東四国国体で「すき焼きうどん」が振る舞われることに
香川と徳島の合同開催となる「東四国国体」がこの翌年の平成5年に開催されるのですが、その1年前から国体用の「標準献立」が発表され、その中に「すき焼きうどん」なるメニューが出てきました。
“国体の味”を試食 高松で標準献立発表会(県事務局)
県国体事務局は23日、高松市内のホテルで、東四国国体参加選手や役員に提供する標準献立の発表会を開き、関係者がひと足早く”国体の味”を確かめた。…(中略)…会場には、県栄養士会の原案をもとに過去3回の試作会で検討を重ねてきた夏・秋季大会用の献立6日分、18例を展示。「すき焼きうどん」や「さぬきばらずし」など17品目の試食が行われた。試食メニューは「おいしい」「少し辛いが運動選手にはいいのでは」と参加者の評価は高かったが、「朝食の品目が多く、朝が大変」という民泊家庭代表者の声も聞かれた。…(以下略)
メニューの内容は書かれていませんでしたが、おそらくうどんにすき焼きの具が乗ったようなものだと思われます。そもそもすき焼きの締めにうどんを入れたりするわけですから、うまいに決まってます(笑)。
「胚芽うどん」「カボチャうどん」「クロレラうどん」が登場
今度は「さぬきうどん研究会」の例会で、「胚芽うどん」「カボチャうどん」「クロレラうどん」なるメニューが出てきました。
さぬきうどん研究会 うまい打ち方を学ぶ(高瀬・瀬戸内短大)
さぬきうどん研究会(会長・真部正敏香大教授)は30日、高瀬町下勝間の瀬戸内短大で「さぬきうどん研究会例会」を開き、同短大さぬきうどん研究会員と同会員合わせて50人が出席、「胚芽うどん」「カボチャうどん」「クロレラうどん」の打ち方などを学んだ。綾南町でうどん店を経営している入谷澄雄さん(60)と大野原小学校でうどん作りを指導している久保田美代子教諭、さぬきうどん店アンケート調査をした渡辺浩康さん(香川大OB)が講師として出席、入谷さんが打ち方を指導したほか、久保田教諭が子供たちが喜んで作り、食べるうどんについて講演した。
これもメニューの内容の記述がないのでどんなうどんなのかわかりませんが、何となく想像がつく通り、たぶん練り込み系のそういううどんだと思います(笑)。
小豆島から「シルクうどん」が登場
当時「食べられる絹」がちょっと話題になりましたが、さっそく小豆島でシルクの粉末を練り込んだ「シルクそうめん」と「シルクうどん」が発売されました。
シルクそうめん、シルクうどん、一口いかが? 島の名産に絹の舌触り 肝機能回復などに効果(土庄の企業)
小豆島の名産・手延べそうめんと手延べうどんにシルクの粉末を混ぜた「シルクうどん」と「シルクそうめん」が話題になっている。この2製品を開発したのは、ユニークな経営方針で知られる高齢者雇用モデル企業のシルバアートレ会社(本社土庄町、中浦國夫社長)。絹の可食化に成功した京都府加悦(かや)町から「米の胚芽入りそうめんを販売しているそうだが、シルクのそうめんを製品化してはどうか」と持ちかけられたのがきっかけ。
加悦町は絹糸の産地。これまでの絹のくず糸は焼却していたが、もったいないということで、同町と東京農工大学工学部の平林教授が共同研究、絹蛋白加水分解「かやシルクパウダー21」(シルク粉末)を開発した。シルバアトーレでは、まず昨年4月に「シルクそうめん」の試作に入り、12月から本格生産。今年の7月から販売を開始した。昨年度に生産した「シルクそうめん」は1000箱(18キロ入り)で、現在在庫はほとんどないとか。「シルクうどん」は今年の6月から試作を始め、先ごろから新製品として発売している。
うどんとそうめんに含まれているシルクは2%。シルクには肝臓機能の働きを高めるアラニンや血中コレステロールを低下させるグリシン、痴呆症の改善に効果があるといわれるチロシンなどが含まれており、健康食品ブームもあって消費者の間で関心を集めている。販路は四国、中国、近畿地方が中心。小売価格は絹そうめんが1キロ(20束入り)2500円、絹うどんが1袋(300グラム)400円とレギュラー製品よりうどんで約10%、そうめんで約20%高。
以上、この年の新聞に載った“変わり種うどん”でした。ではついでに、これまでに出てきた「○○うどん」等のネーミングされたうどんを列挙しておきましょう。
(昭和27年)「浜うどん」………………当時の乾麺処・豊浜町の乾麺の総称。
(昭和39年)「源平鍋」…………………昔からある打ち込みうどんに山海の食材とうどんを入れて観光使用に豪華に仕上げたうどん鍋料理。
(昭和39年)「どんとんうどん」………「大和屋パン」という会社の広告の中に唐突に出てきた「高松名物・どんとんうどん」という表記。詳細は全く謎。
(昭和46年)「五色打ち込み」…………綾南中学の生徒が五色台学習で考案した、「赤峰のニンジン、青峰のネギ、 白峰のとうふ、黄峰の油あげ、黒峰の焼きノリ」を使った打ち込みうどん。
(昭和52年)「盆栽うどん」……………「下河食品研究所」が広告の中で打ち出していたうどん。詳細は不明。
(昭和55年)「牛乳うどん」……………石田高校の有馬忠教諭(畜産担当)の研究をもとに大川農協酪農婦人部が作り出した、牛乳を使って練ったうどん。
(昭和55年)「夏まいり供養うどん」…香川町の勝光寺で檀家や参拝客に振る舞われたうどん。
(昭和56年)「ハトムギうどん」………三木町の「宝美人酒造」が開発したハトムギを練り込んだうどん。
(昭和56年)「大麦入りうどん」………「サンヨーフーズ」が開発した大麦入りの健康うどん。
(平成元年)「茶茶うどん」……………「高瀬茶業組合」が開発した、お茶を練り込んだうどん。
(平成元年)「杜仲茶うどん」…………「篠原商事」が開発した、杜仲茶入りのうどん。
(平成元年)「減塩うどん」……………「藤井製麺」が開発した、乳清ミネラル塩使用のうどん。
(平成元年)「豆腐うどん」……………豆富料理の「玉川」が開発した、豆腐を使って作ったうどん。
(平成元年)「モロヘイヤうどん」……綾歌町岡田農協婦人部が作り出した、モロヘイヤの粉末を使ったうどん。
(平成2年)「綾南鍋」…………………綾南町学校給食会が姉妹町の北海道秩父別町名物の「石狩鍋」をもじって作り出した、サケと白子入りの打ち込みうどん。
(平成2年)「天然ワカメうどん」……櫃石島の「春のつどい」という恒例行事で櫃石小の卒業生たちと作られる、地元のワカメを使ったうどん。
(平成3年)「天狗うどん」……………坂出天狗まつりにちなんで地元うどん店の「町川」が作り出した、10(テン)種類の具(グ)が入ったうどん。
(平成3年)「抹茶うどん」……………高瀬町の「むらおこし事業委員会」が作り出した、高瀬茶を練り込んだうどん。
今やうどん店に行けばオリジナルの「○○うどん」というメニューがあちこちで見られますが、ここに列挙したのは「讃岐うどん巡りブーム」以前の“新聞で紹介された、地域性のようなものも感じられる変わり種うどん。以前にも触れましたが、うまく再編してプロモーションすれば復活しそうな素材もありそうです。
うどんを使った体験や交流、お接待、慰問等の記事がいっぱい
この年も、うどんを使った体験や交流、お接待、慰問等の記事がたくさん載っていましたので、項目だけを列挙しておきます。
<うどん作り体験>
●1月29日…綾南町陶小学校のランチルームで6年生74人が「手打ちうどん」の実習をし、「綾南なべ」の給食作りを行った。
●2月1日…海外から来県して1年間滞在した海外技術研修員14人が、最後の交流会として、高松市の仏生山公民館でうどん作りを体験。講師は「さぬき麺業」の香川政義社長。
●2月5日…綾南町昭和小学校の「ふれあい活動」で、6年生90人と「昭和老人会」が同小ランチルームで手打ちうどんの実習を行う。指導は綾南町さぬきうどん研究会。
●2月8日…坂出市の南部保育所で、地元自治会の指導で園児140人が「うどんづくり」を体験。
●6月27日…高松市在住の外国人に市内の産業や施設を紹介する「高松タウンウオッチング」(高松市国際交流協会主催)で、9カ国24人の外国人が手打ちうどんに挑戦。会場は松並町の「さぬき麺業」で、香川政義社長の手ほどきで生地づくりから体験した。
●7月13日…善通寺市の筆岡公民館と同福祉協議会が、同公民館で男性料理教室を開催。30人の老人らが参加し、「手打ちうどん」と地区産のミニトマト入り「特製焼き肉タレ」を作った。
●8月1日…観音寺青年会議所(合田耕三理事長、会員112人)が、滋賀県草津市との姉妹都市縁組10周年を記念して両市の子供たちと父母合わせて105人を招待し、観音寺市室本町の有明浜ファミリーキャンプ場で3日間の合同サマースクールを開催。2日目に「将八うどん」の高橋正一さんの指導で手打ちうどんづくりに挑戦した。
●8月6日…「第19回日独スポーツ少年団同時交流事業」で来日しているドイツの若者たちと指導者合わせて122人のうち11人が小豆島を訪れ、うどん作りにチャレンジした。
●8月19日…海外技術研修員として県農業試験場などで研修を続けている外国人青年14人が、綾上町の会社役員仲西秀信さん宅で地元の人たちと一緒に「ドジョウうどんづくり」を体験。
<お接待>
●4月5日…土庄町の「松風庵」で、お遍路さんに「こびきうどん」やおむすび、甘酒などのお接待が行われた。
●4月19日…山本町の「大興寺」で、お遍路さん約700人に「ヒャッカうどん」のお接待が行われた。
●5月8日…仲南町の「恵光寺」で毎年行われる「花まつり」で、甘茶やばら寿司、「観音うどん」のお接待が行われた。
<慰問>
●4月12日…さぬきうどん交通キャンペーンで、三本松の「吉本食品」が馬篠の国道11号沿いでドライバーにうどん450食分を提供。
●8月21日…綾南ボランティア協議会の10人が綾南署に大釜2基を持ち込み、地元名物のドジョウうどんで慰問。煮干しのだし汁にサトイモ、ゴボウ、厚揚げなどを入れ、煮立ったところへ生きたまま日本酒で洗ったドジョウ3キロと打ち立てのうどん10キロを投げ込み、みそで味付けして作った。
●11月30日…PKO(国連平和維持活動)でカンボジアに派遣されている自衛隊員に年末年始おいしいうどんを食べてもらおうと、宇多津町の「ゴールドタワー」が善通寺市の陸上自衛隊善通寺駐屯地を訪れ、うどん1300食を贈った。
●12月6日…豊中中学校の生徒会の役員とボランティア部のメンバーら45人が豊中町の養護老人ホーム「七宝荘」を訪れ、手作りのうどんをふるまった。同中生徒の同老人ホームへの慰問は「ふれあいうどん訪問」と名付けられ、十数年前から続けられている。
●12月18日…亀阜交通安全母の会の会員約30人が高松北署を訪れ、「盛り場クリーン作戦」を展開している同署員らに温かい打ち込みうどんを振る舞って激励した。会員は直径1メートルの大鍋2つを使い、約4時間をかけて約300人分の打ち込みうどんを作った。
●12月20日…東四国国体フェンシング競技のリハーサル大会を兼ねた第45回全国フェンシング選手権大会の会場(牟礼町総合体育館)周辺の接待コーナーで、食生活改善協などが手打ちうどん2000食を振る舞う。
●12月21日…観音寺交通安全協会婦人部の28人が観音寺署を訪れ、肉うどんなどを署員に振る舞った。
以上、この年はこれまでにない大量の「うどん交流」記事が掲載されていました。他の話題が少なかったからかもしれませんが、いずれにしろ、当時は県下各所でこの手の催しが盛んに行われていたことは間違いありません。ちなみに、ここに出てきたお接待のうどんに全て「こびきうどん」「ヒャッカうどん」「観音うどん」という名前が付いていました。県下のお寺のお接待うどんに全部名前を付けてグルーピングしたら、新しいプロモーションができるかもしれません。
うどん関連広告が急増!
うどん関連広告はこのところ年間200本前後(その大半が企業名や店名だけの「協賛広告」ですが)で推移していたのですが、この年はバブル崩壊の影響がうどん店にまで広がりつつあったというのに、突然「378本」も載っていました。さらに、前年に1本しか載っていなかったオープン広告も5本に増加。以前にも触れましたが、「協賛広告」は基本的に広告主から積極的に広告を出すものではなく、「広告代理店の営業マンが頼み込んで集める」という性格を持っているので、バブル崩壊の影響で大手スポンサーの広告が伸びなくなったため、小口を集める協賛広告が増えたのかもしれませんが、それ以外の何かの背景があったのかもしれません。
ではいつものように、広告を出していたうどん関連企業(店)をまとめておきます。
<県内うどん店>
【高松市】
「かな泉」(高松市大工町他)……… 33本
「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 20本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他) 15本 3月19日屋島店オープン
「川福」(高松市ライオン通)…………9本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………6本
「川島ジャンボうどん」(三谷町)……5本
「久保製麺」(高松市番町)……………5本
「松下製麺所」(高松市中野町)………5本
「すゑひろ」(高松市中野町)…………5本
「秀」(高松市八坂町)…………………5本
「大島製麺所」(高松市太田上町)……4本
「花ざかり」(高松市十川東町)………4本
「番丁」(高松市番町他)………………4本
「えびすや」(高松市番町)……………4本
「さか枝」(高松市番町)………………4本
「あわじ屋」(高松市丸の内)…………4本
「井筒製麺所」(高松市西の丸町)……4本
「枡うどん」(高松市福岡町)…………4本
「大圓」(高松市今里町)………………4本
「元」(高松市一宮町)…………………4本
「なかにし」(高松市鹿角町)…………4本
「中北」(高松市勅使町)………………4本
「田舎家」(高松市田村町)……………4本
「馬渕製麺所」(高松市太田下町)……4本
「イエロー&ホワイト」(高松市春日町)3本
「讃岐びっくりうどん」(高松市伏石町)3本
「源芳」(高松市番町)…………………2本
「桃太郎館」(高松市鬼無町)…………1本
「三福」(高松市兵庫町)………………1本
「金原」(高松市花ノ宮町)……………1本
「田中」(高松市木太町)………………1本
「北山うどん」(高松市鬼無町)………1本
「丸山製麺」(高松市宮脇町)…………1本
「黒田屋」(高松市田町他)……………1本 6月22日一宮店オープン
「バール」(高松市一宮町)……………1本 11月25日オープン
【東讃】
「郷屋敷」(牟礼町)……………………6本
「味路」(庵治町)………………………5本
「寒川」(三木町)………………………5本
「六車」(白鳥町)………………………4本
「吉本食品」(大内町)…………………4本
「雲海」(志度町)………………………4本
「亀城庵」(志度町)……………………4本
「十河製麺」(三木町)…………………4本
「山進」(香川町)………………………4本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「しど路」(志度町)……………………1本
「わかば」(寒川町)……………………1本
「いわせ」(長尾町)……………………1本
「八十八庵」(長尾町)…………………1本
「かわたうどん」(香南町)……………1本
「宮西製麺所」(香南町)………………1本
【中讃】
「小縣家」(満濃町)……………………8本
「さぬきや」(綾歌町)…………………6本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………5本
「こんぴらうどん」(琴平町)…………5本
「上原製麺所」(坂出市室町)…………4本
「たちばな屋」(坂出市加茂町)………4本
「亀山」(丸亀市原田町)………………4本
「たかや」(多度津町)…………………4本
「大木屋」(多度津町)…………………4本
「木村うどん」(飯山町)………………4本
「香川亭」(善通寺市文京町)…………3本
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……2本
「こんぴら丸八十八亭」(満濃町)……2本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………2本
「天霧」(坂出市文京町他)……………1本 7月9日丸亀土器店オープン
「いきいきうどん」(坂出市京町)……1本
「おか泉」(坂出市元町)………………1本 7月23日オープン
「カガワ食品」(善通寺市文京町)……1本
「めんくい」(満濃町)…………………1本
【西讃】
「あれんじ亭」(高瀬町)………………6本
「将八」(観音寺市出作町)……………5本
「六ッ松亭」(高瀬町)…………………2本
「だるま食品」(財田町)………………1本
<県外うどん店>
「大阪川福」(大阪市南区)……………1本
「めん坊フーズ」(京都市上京区)……1本
<県内製麺会社>
「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)… 6本
「久保田麵業」(綾歌町)………………6本
「石丸製麺」(香南町)…………………5本
「藤井製麺」(三木町)…………………5本
「フジフーヅ」(琴平町)………………5本
「牟礼製麺」(志度町)…………………4本
「日糧」(詫間町)………………………4本
「さぬき麺一」(大野原町)……………2本
「大喜多製粉所」(宇多津町)…………1本
「合田平三商店」(豊浜町)……………1本
<県内製粉会社>
「吉原食糧」(坂出市青葉町)…………1本
「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本
「日讃製粉」(多度津町)………………1本
「豊国製粉所」(観音寺市粟井町)……1本
「安田製粉」(内海町)…………………1本
「日清製粉坂出工場」(坂出市入船町)1本
<その他うどん業界>
「加ト吉」(観音寺市観音寺町)…… 13本
「マルヨシセンター」……………………4本
「香川県生麺事業協同組合」……………3本
「ピギー食品」(詫間町)………………2本
「福井製作所」(坂出市府中町)………1本
「カトキチうどん工房めんこいむら」(琴平町)1本
「さぬき麺機」(高瀬町)………………1本
オープン広告は5本
うどん店のオープン広告は、以下の5本。「さぬきうどん」と「黒田屋」、「天霧」がそれぞれ支店をオープンさせ、「おか泉」も坂出駅前に登場しました。広告はもちろん、大将の顔写真入りです(笑)。
●「さぬきうどん・屋島店」(高松市栗林町他)…3月19日オープン
●「黒田屋・一宮店」(高松市田町他)…6月22日オープン
●「天霧・丸亀土器店」(坂出市文京町他)…7月9日オープン
●「おか泉」(坂出市元町)…7月23日オープン
●「バール」(高松市一宮町)…11月25日オープン
マルヨシセンターがうどん広告を連発
平成元年に「1日に最大1万パックを製造するコンピューター制御の手打ちうどん生産ライン」を備えてうどん業界に参入したスーパー業界のマルヨシセンターが、前年から新聞広告を連発しています。広告商品は全て冷凍うどん。前年の広告で「釜あげを急速冷凍」と謳ってハテナマークが浮かびましたが、この年も「ゆであがりを急速冷凍」とあります。「ゆであがりを水で締めていない“釜あげ麺”の冷凍うどん」という新技術なんでしょうか。
うどんギフトの広告も増加
さらに、製麺業界大手の「石丸製麺」と「久保田麵業」、そしてうどん店大手の「かな泉」「さぬき麺業」「川福」が競うように「うどんギフト」の広告を出していました。
●「石丸製麺」の広告商品は、「生うどん」のフレッシュ直送便。この頃の石丸製麺には「讃岐手打めん本舗」というキャッチが付いていたようです。
●「久保田麵業」は、なかなかインパクトのある商品広告を打ち出してきました。
●「さぬき麺業」のうどんギフトは、生麺と乾麺です。
●「川福」は丸亀町に「サンクスプラザ川福」というギフト専門店をオープンしました。
●そして王者「かな泉」のお歳暮広告。
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以上、新聞で見る平成4年(1992)の讃岐うどん界の様子でしたが、新聞に載らないところでは、後の「讃岐うどん巡りブーム」の発端である『月刊タウン情報かがわ』の連載企画「ゲリラうどん通ごっこ」は4年目に入り、香川県下ではすでに、連載を元に若者たちが週末に「怪しい製麺所型うどん店」を巡り始めていました。しかし、そうした動きは新聞やテレビといった県下マスコミにはほとんど知られていなかったようで、まだ小さいコラムにすら取り上げられていません。そしていよいよ翌平成5年(1993)の4月、「ゲリラうどん通ごっこ」を加筆再編した単行本『恐るべきさぬきうどん』が発行され、空前の「讃岐うどん巡りブーム」に火が付きます。