世界が激動する中、讃岐うどん界は“平和”な日々です
平成3年(1991)は、1月17日に湾岸戦争が勃発、12月にソ連が崩壊という世界が激動した年。しかし、讃岐うどん界は、バブル崩壊の影響が少しずつ波及してきたのか広告出稿に陰りが少し見えてきたものの、それなりに“平和”な日々が続いています。
一方、数年後に勃発する「讃岐うどん巡りブーム」の胎動は、『月刊タウン情報かがわ』の“怪しい製麺所探訪記”「ゲリラうどん通ごっこ」の連載が2年目に入り、県内の若者の間で週末の「製麺所巡り」が少しずつ活発になってきました。しかし、若者のサブカルチャーの世界の動きですから、まだマスコミや行政は“ブームの胎動”にほとんど気がついていないという状況です。そんな中、香川県産小麦について、ちょっと波風が立ちそうな話が出てきましたので、まずはこの年に掲載された小麦関連の記事を見てみましょう。
「香川県産小麦は国産小麦の中で最低の食味」という指摘が…
この年から四国新聞で始まった香川大学の北川博敏教授の「グルメの哲学」という連載コラムで、北川先生が讃岐の小麦への“ダメ出し”をされていました。
連載「グルメの哲学」/讃岐うどん…食べる度に豪州に感謝(香川大学教授・北川博敏)
(前略)…ところで、讃岐にうどんが発達したのは小麦の品質が良かったためだと思われる。しかし、現在の讃岐うどんには、ほとんどがオーストラリア産の小麦が使われている。製粉会社に聞くと、讃岐の小麦を1割混ぜるとうどん屋から文句が出るそうである。国産小麦はパンには向かない。日本は雨が多いので、タンパク質を多く含む硬質小麦の生産には適さない。これは仕方がないことである。しかし、うどん用の軟質小麦の生産には適していたはずである。ところが、日本に小麦の輸出を始めたオーストラリアは日本人がうどんにして食べることを知り、約20年前、讃岐に来てうどんを徹底的に調査した。そして10年間の研究の結果、うどん用として輸出してきたのがASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)という小麦である。
一方、「うどんに適している」とあぐらをかいていた讃岐の小麦は悲惨な結果となってしまった。全日本製粉協同組合の食味テストによると、平成元年度産の讃岐の小麦から作ったうどんは、ASWはおろか国産小麦の中でも最低であった。讃岐の小麦は、うどんの色と肌のほか、粘弾性でも劣るようである。讃岐うどんのうまさはコシにあるといわれているが、粘弾性で劣るのでは話にならない。どうやら讃岐うどんを食べる度に、オーストラリアに感謝しなければならないのが現実のようである。
「讃岐の小麦を1割混ぜるとうどん屋から文句が出る」という製粉会社の話から、「全日本製粉協同組合の食味テストで、平成元年度産の讃岐の小麦から作ったうどんは国産小麦の中でも最低だった」という衝撃の事実が紹介されました。そして、「讃岐にうどんが発達したのは小麦の品質が良かったためだと思われる」が、その後、「うどんに適していると言ってあぐらをかいていた讃岐の小麦が悲惨な状態になってしまった」との指摘。
これまで新聞紙上では、同じ香川大学の真部先生の話を中心に「ASWは風味がない、県産小麦で作るうどんが讃岐うどんのあるべき姿だ」等々の論調が主流でしたが、そこに一石、というか雷のような一撃です。果たしてこの論争がこれからどこへ向かうのか注目ですが、少なくとも“両論”が出てきて、議論が少し健全になってくることは期待できそうです。
加えて、ASWは「オーストラリアが約20年前(昭和46年頃)に香川に来て讃岐うどんを徹底的に調査し、10年間の研究を経て讃岐うどん用小麦として開発した小麦だ」という話が出てきました。香川の小麦栽培は昭和38年の天候不順で大打撃を受け、昭和45年の再びの長雨被害で壊滅状態になったのですが、まさにその時からASWの開発が始まり、満を持して「ASW」が登場したという話です。ちなみに、後に「讃岐うどん巡りブーム」が起こった頃、「オーストラリアのASW開発に香川県のうどん関係者が協力した」という話が巷に流れたこともありました。
しかし、いずれにしろ、今日まで讃岐うどん用小麦として圧倒的なシェアを占める「ASW」の開発は、讃岐うどんの歴史において最大級のトピックであることは間違いありません。2004年にNHKの『プロジェクトX』で「さぬきの夢2000」の開発物語が放送されましたが、もし「オーストラリアのASW開発に香川県のうどん関係者が協力した」という話が事実であれば、「ASWの開発」こそが、讃岐うどんの歴史に残すべきテーマだったかもしれません。
「ダイチノミノリ」に続く新品種開発に着手
続いて、県産小麦の改良も進み始めました。
うまい讃岐うどんづくりへ 新年度から品種開発 バイオ駆使し高品質小麦 県が5年メド
「うまい讃岐うどんは、うまい県産小麦で」。県は新年度からバイオテクノロジーなど新技術を駆使して、讃岐うどんの原料に適した県独自の小麦品種の開発に乗り出す。さて、のどごしはどうか。
平成元年の県下の製麺用小麦の消費量は4万3000トン。このうち8割強の3万6000トンが、オーストラリアなどの外国産。県内産はわずか6000トンにすぎない。従来、県下では「セトコムギ」が生産されていたが、製麺に適さないため、昨年から「ダイチノミノリ」に転換。今夏に初収穫する。試作では、セトコムギに比べ製粉歩留まりはいいものの、オーストラリア産とは格差がありそう。そこで、県は新年度から7000万円を投入し、県独自の小麦品種の開発に乗り出すことにした。計画では、県内産小麦に県外産の小麦などをかけ合わせる新遺伝子の導入やバイオを利用し、高品質小麦の育成を図る。とりあえず、特性検定用温室の設置など環境制御施設を整備するほか、新品種の試験研究に当たる。
高品質小麦の育成事業は6日開かれた2月県議会経済委員会でも取り上げられ、川口農林部長は「県独自の小麦開発は、讃岐うどんの生産振興にも意義がある。通常、米麦の品種開発には10年かかるが、バイオなどの新技術を取り入れ、5年をメドに開発したい。品質もオーストラリア産に負けないものにしたい」と意欲を見せている。
これまで何度か紹介しましたが、昭和50年代以降の香川県産小麦(奨励品種)の推移を再掲すると、
●昭和52年(1977)~平成13年(2001)…「セトコムギ」
●平成元年 (1989)~平成13年(2001)…「ダイチノミノリ」
●平成9年 (1997)~平成21年(2009)…「チクゴイズミ」
●平成13年(2001)~…………………………「さぬきの夢2000」
●平成21年(2009)~…………………………「さぬきの夢2009」
となっていますので(年はいずれも奨励品種の採用が決定した年度)、記事にある「新年度(平成4年度)から7000万円を投入し、県独自の小麦品種の開発に乗り出すことにした」というのは、後に命名される「チクゴイズミ」の開発ですね。そして、記事に「セトコムギは製麺に適さない」とか「ダイチノミノリもオーストラリア産とは格差がありそう」とあるように、既存の県産小麦に対する“ダメ出し”表現もはっきりと出てくるようになりました。
続いて7月に、北川先生が再び連載コラムで香川県産小麦の話をしていました。
連載「グルメの哲学」/梅雨と麦…赤かび対策目標に(香川大学教授・北川博敏)
(前略)…最近の新聞報道によると、香川県はオーストラリア産に負けないうどん用小麦の品種改良に取り組む計画だそうである。その際は、赤かび病の対策も目標に入れる必要がある。米、麦などの品種改良は必要な研究であるが、非常に難しい。幸い農水省もオーストラリアに負けない、うどん用小麦の品種改良に着手した。その全面的な協力を得、加えて県内の研究者を総動員すべきである。また、同じ悩みは四国4県に共通している。米、麦の品種改良という大事業は他の3県に呼びかけて共同で行うのが得策であろう。…(以下略)
現状の県産小麦にダメ出しをした北川先生も、県産小麦の改良には双手を挙げて賛成です。「現状を正しく認識し、対策を打つ」という、マネジメントのセオリーに則ったご意見です。何だか、黒船(ASW)の襲来で目が覚めた江戸時代~明治維新の日本みたいな話になってきました(笑)。
「讃岐うどん研究会」は「ダイチノミノリ」に高評価
さて、こうした意見の流れの中で、讃岐うどん研究会が例会で「ダイチノミノリ」を使ったうどんの試食を行い、その結果が記事になっていました。
県産小麦「ダイチノミノリ」使い、”純血”讃岐うどん 外国産より甘み 試食会で及第点
さぬきうどん研究会(真部正敏会長)は9日、高松市の明善短大で開いた例会で、今年から本格出荷の県産小麦「ダイチノミノリ」を使ったうどんを試食した。市販小麦粉のうどんに比べ黒っぽかったが、味覚面はまずまず。「外国産小麦より甘みがある」と味覚に鋭い会員が及第点を与えた。
試食会では、本年産ダイチノミノリを100%使用したうどんの他、「農林26号」や市販小麦粉などを使った5種類を丸岡光男さぬき麺業工場長(41)が製造。外観、食感、香味の3点について会員ら約60人が採点した。会員らはダイチノミノリ100%のうどんについて「味は素晴らしい」「小麦の甘みを感じる」などと評価する一方、口当たりに難点があるとの声も目立った。全般的には、ダイチノミノリと農林26号の小麦粉を50%ずつ使用したうどんの評価が高かった。従来、県は「セトコムギ」の栽培を奨励していたが、製粉歩留まりの改善などを目指して元年度からダイチノミノリに奨励品種を変更。本年産は約1000ヘクタールで本格栽培した。ただ、収穫量は天候不順などから7000トン程度にとどまっている。
先の記事で県から「試作では、セトコムギに比べ製粉歩留まりはいいものの、オーストラリア産とは格差がありそう」とされた「ダイチノミノリ」ですが、讃岐うどん研究会の試食では「味は素晴らしい」「小麦の甘みを感じる」と高評価。マイナス評価としては「口当たりに難がある」という、ちょっとボヤッとした表現のみが載っていました。味や香りといった情緒的なものは絶対評価が困難なので、いろんな感想が出てくるのは当然ですが、讃岐うどん研究会はこれまで「オーストラリア産小麦で作ったうどんより県産小麦で作ったうどんの方が優れている」という論陣を張ってきたので、どうしても県産小麦を持ち上げないといけなかったのかもしれません。
ちなみに、「ダイチノミノリと農林26号の小麦粉を50%ずつ使用したうどんの評価が高かった」とありますが、「農林26号」は昭和15年から平成10年まで奨励品種とされていた県産小麦の“最年長品種”で、この年もまだ収穫されていました。「農林26号」から「セトコムギ」までの間には「農林51号」「農林67号」「ジュンレイコムギ」「ウシオコムギ」「オマセコムギ」の5品種が奨励品種に採用されては削除されてきたので、讃岐うどん用小麦の歴史において「農林26号」はぶっちぎりの“重鎮”だったと言えるかもしれません。
「めりけんや」が事業を開始
では次に、讃岐うどん関連のビジネスニュースを2本。まず、前年末にJR四国が設立した「めりけんや」が、本格稼働を開始しました。
東京、大阪に照準 四国車輌整備と四国キヨスク、来月から生麺の製造販売
列車の車両整備会社とキヨスクが共同出資、東京と大阪にターゲットを絞った生麺の製造会社が、近く高松市浜ノ町で本格稼働する。JR四国の100%出資会社・四国車輌整備と四国キヨスクが計1400万円を出資、昨年末設立した。名称は「めりけんや」。県内業者との競合を避け、東京や上野、渋谷、池袋、大阪、新大阪駅のキヨスクを中心に2月から販売を始める。従業員は営業、製造部門を合わせ10人。初年度は300グラム詰め商品換算で日産1000袋、年商1億円が目標。商品は、つゆ付きで300グラム(3人前)500円から1.2キロ2000円まで4種。工場の生産能力は300グラム商品で日産2000袋。
「めりけんや」が、お土産うどんの県外販売で事業をスタートしました。当初はJR四国関連会社の「四国車輌整備」と「キヨスク」の共同出資で設立されましたが、日本経済新聞によると同年にJR四国が追加出資し、四国車輌整備40%、キヨスク30%、JR四国30%という株式構成になったようです。
「かな泉」が焼き肉のチェーン店事業に進出
“讃岐うどん王者”の「かな泉」、何と、焼肉のチェーン展開に乗り出すという記事がありました。
焼き肉事業にも進出 来年6月、高松に1号店(かな泉)
うどん製造・販売の大手、「うどんの庄 かな泉」(本社高松市、泉川隆亮社長)は、来年から県内で焼き肉店のチェーン店展開に乗り出す。まず来年6月をめどに高松市に1号店をオープンし、さらに数年の間に同市周辺などで5~6店の出店を計画している。同社は、大衆向けでしかも高級感のある焼き肉レストランとして本業のうどんに続く事業の第二の柱に育てたい考えだ。
計画によると、焼き肉店の経営はかな泉の100%出資の子会社が担当する。社名などは未定。第1号店は高松市一宮町の県道三木国分寺線沿いに出店する。すでに約1320平方メートルの用地を確保しており、来年2月中旬に着工、6月のオープンを目指す。客席数は92席予定。駐車場を備えたロードサイドショップとして、家族連れやヤング層を主なターゲットにする。価格帯は手頃なレベルに設定するが、内装をイタリア風にするなど高級なイメージを持たせる。
焼き肉店事業進出の背景には、うどん事業が順調に売り上げを伸ばしていることに加え、県内に他地域と比較して焼き肉店の数が少なく、有望な市場であるなどの判断が働いている。昨年3月から高松市紺屋町店でしゃぶしゃぶのメニューを始めて好感触を得ていることも後押しとなったようだ。かな泉の中西宏達副社長・外食事業本部長は「個性のある味とサービスで、従来にないイメージの焼き肉店にしたい。第2号店は高松市の中心部に出す方針だ。年商は軌道に乗れば1店1億円を目標にしたい」と話している。
ちなみに、当時地元でタウン情報誌を発行していた筆者は、この「かな泉の焼き肉チェーン」の記憶がどうもありません。また、先走りますが翌年の新聞記事にも「かな泉の焼き肉チェーン」のオープン記事や広告が見当たりませんでした。時はまさにバブル崩壊の影響が巷に表面化してきた時期ですが、単に大きなPR展開をしなかったのか、それとも何かあったのか、そのあたりはよくわかりません。
「ふるさと小包」の扱いで「讃岐うどん」が首位転落、「小豆島そうめん」が首位に
四国の「ふるさと小包」の取扱量が発表され、「小豆島そうめん」が大きく伸び、「讃岐うどん」が順位を落としていました。まずは平成2年度の集計結果です。
四国の「ふるさと小包」快調 小豆島そうめん1位、3位にはさぬきうどん
郵政省による特産品の産地直送便「ふるさと小包」の四国での取り扱いが、平成2年度に初めて年間100万個を突破した。四国郵政局のまとめによると、2年度の取り扱い個数は100万1000個(前年度比22.4%増)。県別では、愛媛の41万4000個がトップで、香川は28万8000個と2位。前年度伸び率は香川が34.0%と最も高かった。
「ふるさと小包」は小包郵便の利用拡大を目指し、地域に密着した郵便局のイメージを打ち出そうと昭和58年9月にスタート。年々順調に売り上げを伸ばし、宅配業者の台頭に押されて落ち込んでいた小包郵便の利用が、同年を底に上向きに転じる一つの要因となった。現在、四国では454種類の品目を取り扱っている。発売8年目で100万個を突破したことについて、同郵政局は「現在のグルメ志向、ふるさと志向とマッチしてここ2、3年急激に伸びた」と話している。
品目別の取り扱い個数をみると、1位は小豆島そうめん(香川)の16万1350個。2位はハウスミカン(愛媛)で、以下さぬきうどん(香川)、スダチ製品(徳島)、イヨカン(愛媛)の順。県下では、小豆島そうめん、さぬきうどんに続いて、お好み焼き、しょうゆ豆、ナシが上位に入った。
続いて、年末に出た平成3年上半期の集計結果。
4~9月で4.3%増(前年同期比) ふるさと小包 四国の取り扱い 冷凍うどん3倍に
郵政省による特産品の産地直送便「ふるさと小包」の四国での取り扱いが、3年度上期(4~9月)には59万7500個と前年同期比4.3%増だったことが四国郵政局のまとめで分かった。取り扱い個数は順調な増加を示しているが、伸び率は前年(25.4%)よりも鈍化した。品目では、冷凍うどん(香川)が前年の約3倍に伸びたのが目立っている。
県別の取り扱い個数は、愛媛が21万9000個とトップで、香川は19万8000個で2位。品目別の上位は、①小豆島そうめん(香川・15万1500個)、②ハウスミカン(愛媛ほか)、③すだち類(徳島)、④メロン(高知ほか)、⑤さぬきうどん(香川・3万4200個)。県下では小豆島そうめん、さぬきうどんに続いて、冷凍うどん、漬物、オリーブ製品の順となっている。
平成2年度の香川は、取り扱い28万8000個のうち半分以上の16万1350個が「小豆島そうめん」、さらに平成3年度上半期は全体で19万8000個のうち、何と4分の3の76.5%が「小豆島そうめん」という結果。そのあおりを食ってかどうか、「讃岐うどん」は順位をどんどん下げています。以前紹介した昭和60年度の品目別取扱個数ランキング(「昭和61年」参照)と合わせてみると、
<昭和60年度>
1位…讃岐うどん(香川)
2位…ハウスミカン(愛媛)
3位…イヨカン(愛媛)
4位…スダチ(徳島)
5位…クリ(愛媛)
<平成2年度>
1位…小豆島そうめん(香川)
2位…ハウスミカン(愛媛)
3位…讃岐うどん(香川)
4位…スダチ製品(徳島)
5位…イヨカン(愛媛)
<平成3年後上半期>
1位…小豆島そうめん(香川)
2位…ハウスミカン(愛媛)
3位…スダチ類(愛媛)
4位…メロン(高知)
5位…讃岐うどん(香川)
となっていて、「讃岐うどん」の後退は一目瞭然です。ただし、香川全体の取扱高は昭和60年に「3万5600個」とありましたから(「昭和61年」参照)、あれから全体が8倍近くに増えているということは、「讃岐うどん」の取り扱い数自体もかなり増えているはず。ということは、これは「小豆島そうめんが特に激増した」ということでしょう。
ちなみに、前年に急成長ぶりが何度も記事になっていた「冷凍うどん」は、ここでも「冷凍うどんが前年の約3倍に伸びたのが目立っている」と特筆されています。やはりこの頃は、冷凍うどんの急成長時代だったと言えそうです。
坂出に「天狗うどん」が登場
続いて、これも平成に入って目立ち始めた“変わり種うどん”の紹介記事(「平成元年」等参照)が、この年もいくつか載っていました。
まず、坂出の「天狗うどん」が登場しました。
「天狗汁をおいしく召し上がれ」 精魂込め茶碗作り 来月、第1回まつりで接待(坂出の香大付属養護学校高等部)
「天狗汁を私たちの作った茶碗で召し上がれ」。坂出市府中町の香大付属養護学校高等部の19人が、2月16、17日に市内大屋富町の相模坊などで開かれる「第1回天狗まつり」(四国新聞社後援)のメーンイベント「天狗汁接待」に向け、茶碗作りに精を出している。…(以下略)
観光客らも舌鼓 天狗うどん、天狗ずし、浜街道沿いに登場(坂出)
「日本八大天狗の一つ白峰相模坊を売り出し、街おこしを」と、坂出・松山地区で2月、第1回天狗まつりが行われたが、今度は地区内の浜海道沿いに天狗うどん、天狗ずしが登場、話題になっている。
天狗うどんを売り出したのは、市内青海町のうどん屋さん。主催者の松山地区活性化委員会が編み出した天狗汁をヒントに、お年寄り向きにみそ仕立て、若者向きにはしょうゆ味の2種類を考案、売り出した。天狗ずしは林田町片山のすし屋さんで、押しずしの上に真っ赤なエビなどを乗せて10(テン)の具(グ)をそろえている。いずれも瀬戸大橋に直結する浜海道沿いにあり、立ち寄った観光客らも「ここは天狗の里ですか」と感心しながら注文、好評を得ている。地元の人たちは、早くも出現した天狗商品の商魂ぶりにびっくりしながらも「来年の第2回まつりへの励みになります」と大歓迎。天狗売り出しの仕掛け役、市観光商工課も民間サイドの天狗熱の広がりにニンマリ。
記事にあるように、坂出でPRネタとして「天狗」が取り上げられた背景は、五色台中腹にある四国霊場第81番札所白峯寺の境内に日本八大天狗の一つ「白峰相模坊」がいらっしゃること。「相模坊」は白峯寺で悲運の死を遂げて日本三大怨霊の中の“キングオブ怨霊”となった崇徳上皇を鎮魂するためにいらっしゃる天狗様ですから、日本八大天狗の中でも超一級の天狗ですが、平成の時代になってようやく地元がシンボルの一つとして「天狗まつり」を開催して、大々的に「白峯相模坊」を打ち出したというわけです。
で、最初は「天狗汁」が登場し、続いて「天狗うどん」や「天狗ずし」が登場したわけですが、何を以て「天狗メニュー」の根拠にするのかと思ったら、「10(テン)の具(グ)を揃えて“天狗”」という、まさかのダジャレメニューでした(笑)。ちなみに、「天狗うどん」を出している「市内青海町のうどん屋さん」は「町川」で、「天狗うどん」に乗ってくる具材のニンジンが微妙に天狗の顔の形に型抜きされています。
高瀬は「抹茶うどん」
続いて、高瀬町の「むらおこし事業委員会」が「抹茶うどん」を作りました。
4月から販売開始 抹茶うどんなど特産品の試食会(高瀬むらおこし委)
高瀬町むらおこし事業委員会は1日、町公民館で同委員会メンバーがつくった抹茶うどん、五目ずしなど特産品の試食会を行った。試食会に出席したのは、町や商工会、観光協会関係者ら約30人。試食した特産品は、町特産の高瀬茶を打ち込んだ手打ちうどん、タケノコとカンピョウなど地元で採れる農産物をふんだんに使った五目ずし、菓子など5品目。同委員会は今後、商標、パッケージ、販路などについて協議、4月から販売を開始したい考え。
高瀬のお茶を練り込んだうどんといえば、この2年前の平成元年に高瀬茶業組合と高瀬銘茶販売会社が高瀬茶で作った抹茶を混ぜ込んだ「茶茶うどん」を開発して商標登録をし、国道11号沿いに「茶茶うどん店」までオープンしていたはずですが「平成元年」参照)、それとの関連は記事では全く触れられていません。「高瀬町むらおこし事業委員会」がどういうメンバーで構成されているのかも書かれていませんが、同じ「抹茶を使ったうどん」を巡って、狭い町内でいろんなものが交錯しているようです(笑)。
「豆腐うどん」が記事で紹介される
平成元年の広告に登場した高松市瓦町「豆腐料理・玉川」の「豆腐うどん」(「平成元年」参照)が、街ネタのコラムで紹介されていました。
女性通信員のページ「おりーぶ」/こし強くおいしい豆腐うどんが好評(高松)
高松市瓦町、豆腐料理専門店の開発した「豆腐うどん」が、ヘルシーうどんとして好評です。絹ごし豆腐が7割も含まれるこのうどんは、普通のうどんに比べると熱量が3割少なく、タンパク質は1.7倍になります。コレステロール値を下げる効果のあるリノール酸も加わっており、働き盛りのサラリーマンや成人病が気になる人たちに歓迎されています。県民のうどん好きはよく知られていますが、塩分の取りすぎが気にかかるところです。豆腐うどんは、小麦粉を膨らませるために使う塩水がほとんどいらず、ごくわずかしか含まれていません。玉川さんは、8年かかって自慢のうどんに仕上げました。
同じく平成元年に販売開始された前述の「茶茶うどん」は行方が不明ですが、「豆腐うどん」はまだ健在のようです。
「牛乳・乳製品利用料理コンクール」全国大会に綾南町発の「モーモーうどんのミルク蒸し」が入賞
全国牛乳普及協会が主催する「牛乳・乳製品利用料理コンクール」の全国大会で、綾南町の主婦が考案した「モーモーうどんのミルク蒸し」が入賞しました。まずは、県大会の記事から。
佐藤さん全国大会へ 牛乳・乳製品利用料理「モーモーうどんのミルク蒸し」、地方色の豊かさ評価
「牛乳や乳製品を使って豊かな食生活を」と、「牛乳・乳製品利用料理コンクール県大会」(県牛乳普及協会主催)が1日、高松市内の料理学校で開かれた。書類審査を通過した男性2人を含む計10人がアイデアと日頃の腕を競い合った結果、最優秀賞に綾南町の主婦佐藤裕子さん(32)の「モーモーうどんのミルク蒸し」が選ばれた。佐藤さんは23日に東京で開かれる全国大会に出場する。
このコンクールは「牛乳などを料理の材料としても手軽に用い、健康増進を図ってほしい」と毎年開かれ、今年で11回目。応募は過去最高の79人、88点の料理が寄せられた。この日の県大会に出場した10人は高校生から60歳の男性まで幅広い層。出場者は「牛乳入りの五目ずし」、「お好み焼き」、「チーズのクリームコロッケ」などアイデア料理を次々と手際よく仕上げた。…(以下略)
「モーモーうどんのミルク蒸し(4人前)」の作り方
【材料】
牛乳うどん(小麦粉250グラム=中力粉7、強力粉3、打ち粉25グラム、牛乳125cc、塩13グラム)、卵3個、牛乳2カップ半、塩小さじ3分の5、ササミ2本、エビ4匹、干しシイタケ4枚、アボガド2分の1個
【作り方】
①牛乳うどんの材料を合わせてこねる。ビニールに包み、足踏み。こねた生地を麺棒でのばす。3ミリ厚にのばし、端から5ミリ幅に切る。沸騰したたっぷりの湯の中にほぐしながら入れ、10~13分ゆでる。
②ボウルに卵、牛乳、塩を混ぜる。
③エビはカラを取って酒をふり、ササミも一口大に切って酒をふる。
④シイタケはもどして煮出し汁、しょうゆ、砂糖で味付け。
⑤アボガドは皮をむいて切る。
⑥器に牛乳うどんを入れてササミ、シイタケを入れて②の汁を注ぎ、10~15分くらい蒸す。途中、10分くらいのところでエビ、アボガドを入れて蒸しあげる。…(以下略)
作り方のレシピの中に、いきなり「牛乳うどん」が出てきました。「牛乳うどん」は昭和55年に石田高校の畜産担当の有馬先生の研究を元に大川農協酪農婦人部が作り出したもので(「昭和55年」参照)、昭和57年までは新聞に試食会の記事が載っていましたが、その後紙上ではパッタリと見られなくなったので消えていったのかと思っていたのですが、しかるべきところでちゃんと残っていたようです。
そして1カ月後、全国大会入賞の吉報が。
郷土の味と洋風調和 「モーモーうどんのミルク蒸し」見事入賞(牛乳・乳製品利用料理全国コンクール)
今年の「牛乳・乳製品利用料理コンクール」全国大会(全国牛乳普及協会主催)がこのほど東京・服部栄養専門学校で開かれ、香川県代表の佐藤裕子さん(32)が見事、全国牛乳普及協会長賞に輝いた。全国大会は今年12回目を迎え、県人が入賞したのは初めて。…(以下略)
ちなみに今日、「牛乳うどん」も「モーモーうどんのミルク蒸し」もうどん店のメニューとしては定着していませんが、少なくとも昭和55年から平成3年あたりまでの10年くらいの間、県内に「牛乳うどん」が確実に存在していたことは歴史に残しておきましょう。
うどんに関するアンケート結果が2本
うどんに関するアンケート結果が2本載っていました。まずは、高松商工会議所が高松市民約500人から採った「うどん」に関するアンケート。
「うどん毎日食べます」男性16%、女性10% 高年齢ほど高比率 好み「かけ、釜揚げ、ざる」の順(高松商議所管内)
高松の男性の16.3%、女性の10.2%がほとんど毎日うどんを食べ、また、うどん好きほど釜揚げを好む。高松商工会議所がこのほど実施した「うどん製造販売業に対する消費者動向調査」で、屈指のうどん王国を裏付けるこんな特徴が明らかになった。調査は、うどんに対する消費者の考え方、消費の実態を知り、うどん製造販売業の経営改善を図ることを目的に実施。商議所管内の一般消費者530人を対象にアンケート方式で行い、496人から回答があった。
調査結果をまとめた記事を整理すると、
●うどんを食べる頻度は、男性では「週2、3回」が36.0%と最も多く、続いて「ほとんど毎日」「週1回」が16.3%、「週4、5回」が14.2%。女性は「週1回」(26.6%)がトップで、次いで「週2、3回」(22.7%)「ほとんど毎日」も10.2%いた。
●全般に、女性より男性の方がうどん好きが多く、また年齢が高くなるほどうどんをほとんど毎日食べる割合が高い。
●職業別では、自営業、パートタイマーの人がよく食べている。
●うどんの好みは、男女とも「かけ」「釜揚げ」「ざる」の順で、ほとんど差はなかった。
●しかし、うどんを毎日食べる人に限れば、1位は「釜揚げ」、以下「ざる」「かけ」と順位が入れ替わる。うどん好きほど麺とつけ汁のシンプルな食べ方を好む傾向があるようだ。
●麺の好みは「硬め」が78.8%、つけ汁の好みは「濃い口」が66.7%と圧倒的。
●食べる場所は「うどん製造販売店」が「家庭」を大きく上回った。
●うどん店を選ぶ基準は、男女とも「麺」、「だし汁」と味を重視する声が上位を占めたが、男性では「価格」、女性では「清潔さ」を挙げる人が目立った。
●よく食べに行くうどん店の評価としては、「できたての麺を提供してくれる」「入りやすい」が1、2位に入った。
とのこと。記事にはアンケート項目や結果の一覧が載っていませんでしたが、よくある質問を投げかけて「まあそうだろうなあ」という回答が返ってきた、というところでしょうか。「職業別では、自営業、パートタイマーの人がよく食べている」というところで「サラリーマンが昼食によく食べているのでは?」と思いますが、サンプルが500人ですから回答者の属性がちょっと偏るとすぐに結果が変わってくるので、まあ参考程度のアンケート結果だということで。
続いて今度は、「ミツカン酢」が高松をはじめ全国8都市で女性を対象に「あなたはそばとうどんのどちらが好き?」というアンケートを採ったという記事。
女性を対象にアンケート やはり讃岐は「うどん」派 好き嫌いは”理屈抜き” 食事時間以外でもOK 食べ慣れて口あたりいい
あなたは「うどん」派? それとも「そば」派? 高松市内の20~60代の女性90人に聞いたところ、うどんが53.4%に対し、そばは8.9%。讃岐の”うどん王国”ぶりを見せつけた。讃岐の人たちがうどんが好きな理由として、「食べ慣れている」(12.5%)「そばが嫌い」(8.3%)「口あたりがいい」(8.3%)の順で、県人の食習慣の中に「うどん」が根付いている。そして「うどんは別腹」などと、食事時間以外でも「うどん」を食べるケースも多い。
このまとめは、ミツカン酢が高松をはじめ東京、名古屋、大阪、岡山、広島、福岡、鹿児島の8都市で、60代までの女性を対象に「うどん・そば」アンケート(回答数682人)、その結果として、こんな讃岐人の麺食の実態が明らかになった。8都市の全体では、そば好きが28.3%、うどん好きが34.5%と、うどんが優勢。高松をはじめ西日本の岡山、広島、大阪はもとより、きしめんが名物の名古屋でも「うどん」派が多く、地域性を反映していることがわかる。年代別では、20代がそば8.6%、うどん48.6%。60代ではそば9.8%。うどん26.1%。年代が上がるにつれて「うどん」より細い「そば」が好まれるようだ。麺好きの理由のうち、そばが「体にいい」(23.3%)、「風味がいい」(9.8%)など”裏付け”的な理由があるのに対し、うどんは「口あたりがいい」(13.2%)、「食べ慣れている」(7.7%)、「そばが嫌い」(6.4%)など食感や”理屈抜き”の好き嫌いが挙げられている。
昼食時に麺類を食べるとしたら、高松ではやはり「うどん」がトップ(外食40%、家庭44.4%)。全体の、
<外食>…①そば(27.2%)②うどん(26.2%)③ラーメン(22.4%)
<家庭>…①うどん(34.5%)②そうめん(22.0%)③そば(15.4%)
を比べると、香川のうどん人気は相当高いレベルを物語っている。
(丸川精一・県生麺協同組合理事長の話)讃岐の手打ちうどんは、小麦を団子にして手打ちし、包丁切りをしている。これは量産できないが「うま味」となって食通から好まれている。原料の小麦にしても、”うどん好き”の味覚に合わせるよう、昔ながらの品種でなく、改良したものを栽培する施策がとられている。将来的には「うどん」を含めた香川の物産を一堂にお披露目できる大センターをつくり、讃岐うどんをもっと全国に広めたい。
これも全国8都市で682人の回答ですから、1都市平均80~90人程度のサンプル数。高松市もわずか90人のデータですから、これで何かの傾向を分析できるほどのものではありませんが、「なるほどそうですか」ぐらいの話題ではあります。
上原冨士夫さんが『さぬきうどん うまい店めぐり』を出版
西日本放送の上原ディレクターが、讃岐うどんの店を紹介する『さぬきうどん うまい店めぐり』を出版しました。
コラム「人つれづれ」…讃岐うどんと人間模様
西日本放送のディレクターとしてドキュメンタリーなどの制作を続けている上原冨士夫さん(48)がこのほど「さぬきうどん うまい店めぐり」と題する本を出版した。取材期間1年半、県内は言うに及ばず東京、大阪などへも足を延ばし、計55店を網羅している。もちろん、本業の番組制作とは無関係。「好きなゴルフも我慢して」休日にうどん店をまわった。本を書くことになったきっかけは、「瀬戸大橋が完成、四国が変わっていくだろうという転換期にあって、今、この時点での文化としての讃岐うどんの姿を記録しておきたかった」。
出版された「さぬきうどん うまい店めぐり」は、うどんの味とともに、つくる人の人間模様を描いている。「うまいうどんのつくり手は良い家庭を持ち、実直に生きていて、教えられるところが多かった。取材中に食べたうどんで3キロ太りましたが、それ以上のものが僕の中に蓄積されました」。ひと仕事終えた表情は満足そうだった。…(以下略)
香川県内の「うどん店紹介本」としては、昭和44年に発刊された山田竹系さんの『随筆うどんそば』以来、22年ぶりのことです。掲載されていたうどん店は以下の通り。
(高松市)一代、井筒、あわじ屋、源芳、羽島、かな泉、川福、五右衛門、久保製麺、うどん棒、讃岐家、竹清、さぬき路、めん、松屋、さぬき麺業三条店、枡うどん、おしん、秀、善や、天乃屋、うどん矢、馬渕、六平、大島、中西、王将、鶴々うどん、川鍋、川島ジャンボ、入谷、北山、なかやま、わら家
(長尾町)八十八庵
(牟礼町)山田家
(丸亀市)飯野屋、将八
(琴平町)宮武
(満濃町)小縣家
(仲南町)水車
(東京都)さぬき屋、杵屋、さぬきや、讃岐茶屋、おぴっぴ、長徳、折鶴
(愛知県)さぬき屋
(京都府)めん坊
(大阪府)いわ井、さぬき家、よど、どんどん亭
この2年後の平成5年に、讃岐うどん巡りブームの発端となる讃岐うどん・針の穴場探訪記『恐るべきさぬきうどん』が発刊されることになりますが、『恐るべきさぬきうどん』の第1巻に掲載された店は、
(高松市)久保、馬渕、松下、入谷、中西、さか枝、中浦、竹清、丸山
(坂出市)山下、蒲生、彦江
(飯山町)木村、中村
(綾南町)田村
(綾上町)山越
(仲南町)山内
(琴南町)谷川米穀店
(満濃町)長田、小縣家
(琴平町)宮武
というラインナップ。両方の本に載っているのは高松市の「久保」「馬渕」「入谷」「中西」「竹清」、琴平町の「宮武」、満濃町の「小縣家」の7軒ですが、上原さんの本は「かな泉」や「川福」「さぬき麺業」「源芳」といった王道の有名店を押さえ、『恐るべき…』の方は田舎の“怪しい”製麺所型うどん屋を数多く発掘探訪しているという、かなり方向性に違いがあることがわかります。合わせて当時、後に讃岐うどんの店を食べ歩いて独自採点をした画期的なゲリラ本を作り讃岐うどんマニア界の第一人者として名を馳せることになる“麺聖”森村氏も動き出しています。いよいよ、空前の「讃岐うどん巡りブーム」の“土台作り”が動き始めました。
高松市栗林町「上原製麺所」の上原実さんが、農林水産大臣表彰の「食の匠」に選出される
続いて、農林水産省がこの年から始めたらしい「食の匠」なる表彰制度の第1回で、四国から唯一、高松市栗林町の上原製麺所の上原さんが選出されました。
「食の匠」に上原さん(高松) 手打ちうどんづくり一筋35年 “讃岐の味” 全国普及が夢
伝統食品製造部門で卓越した技能を有する現代版「食の匠」として、高松市栗林町1丁目、製麺業上原実さん(66)が農林水産大臣表彰を受けることが27日明らかになった。手打ちうどんづくり一筋に35年、上原さんは「この表彰を励みに、伝統の味を全国に普及させたい」と一層の精進を誓っている。「食の匠」は、各地に伝わる伝統食品の普及・振興などを目的とする表彰制度。従来から実施している食品産業優良企業表彰に加え、本年度から創設した。初受賞に輝いたのは全国16人で、四国では上原さんただ1人。いずれも30年以上にわたってかまぼこや和菓子、みそなど伝統食品の味と技法を守り育てている。
上原さんは、船員生活などを経て昭和31年、うどん製造卸業へ転身した。「最初は失敗の連続。ゆでると、出来上がるのはぶつ切れのうどんばかり。そうめん製造業者としてキャリア十分の父親に尋ねても、まともな答えが返ってこなかった」という。試行錯誤の連続だったが、山積する課題を次々に克服した。昭和47年頃、現在地に移転し、製造卸に加えてセルフの店も始めた。この間、新規事業で挫折感を味わったこともある。「苦労の連続だったが、常連客のことを思うと投げ出すわけにはいかなかった」と当時を振り返った。
上原さんは毎日午前4時半に起床し、ひたすらうどんを打ち続けている。機械化が進んでいるが、それでも塩加減や小麦粉の練り具合がうどんの味を大きく左右するという。2年度の「県さぬきうどん品評会」では、最高賞の農林水産大臣賞に輝いた。…(以下略)
奇しくも出版の上原さんと「食の匠」の上原さん。平成3年の讃岐うどん界は、“上原イヤー”になりました(笑)。
定番うどんイベントの概況
では、恒例の讃岐うどん関連イベントの開催状況をまとめておきます。
●5月7日…第13回「讃岐うどん品評会」開催。
<特別賞>
▽農林水産大臣賞…………………「かな泉」(高松市)
▽食糧庁長官賞……………………「サヌキ食品」(綾歌町)
▽香川食糧事務所長賞……………「さぬき麺業」(高松市)
▽香川食糧事務所長賞……………「加ト吉」(観音寺市)、「上原製麺所」(坂出市)
<優秀賞>
▽知事賞……………………………「浦島本店」(丸亀市)、「日の出製麺所」(坂出市)
▽全国製麺協同組合連合会長賞…「サンヨーフーズ」(坂出市)、「吉本食品」(大内町)
▽全国乾麺協同組合連合会長賞…「大喜多製粉所」(宇多津町)
<優良賞>
▽県農林部長賞……………………「麺工房六車」(白鳥町)、「味呂」(庵治町)
▽県食品産業協議会長賞…………「丸亀製麺」(丸亀市)、「こんぴらうどん」(琴平町)
▽県食品加工技術研究会長賞……「丸山製麺所」(高松市)、「源芳」(高松市)
▽さぬきうどん研究会長賞………「日糧」(詫間町)、「豊国製粉所」(観音寺市)
▽四国新聞社賞……………………「カガワ食品」(善通寺市)
▽西日本放送賞……………………「久保製麺」(高松市)
▽県製粉製麺協同組合理事長賞…「藤井製麺」(三木町)、「川田商店」(香南町)
▽県生麺事業協同組合理事長賞…「大山製粉製麺所」(大川町)、「寒川食品」(三木町)、「十河製麺所」(三木町)、「古川製麺所」(高松市)、「宮川製麺所」(善通寺市)、「桑原製麺所」(高松市)、「国方製麺所」(高松市)、「牟礼製麺所」(志度町)、「坂枝製麺所」(高松市)、「入谷製麺」(長尾町)、「手打ちうどん番丁」(高松市)、「丸木製麺所」(白鳥町)
「県食品産業協議会長賞」に「丸亀製麺」の名前が見えますが、もちろん昔から丸亀市にある会社で、あの全国ネットの丸亀製麺ではありません。
●7月2日…第10回「さぬきうどんまつり」開催。
●6月20日~7月10日…第11回「さぬきうどんラリー」開催。
●9月15日…第6回「おじょもまつり・どぜう汁日本一大賞」開催。
「うどん大食い・早食い大会」もあちこちで開催
平成に入って、あちこちのイベントや祭りで「うどん大食い・早食い大会」が盛んに行われています。前年は「丸亀お城まつり」、「高松まつり」「みろく自然公園納涼まつり」、「詫間港まつり」、「RNCチャリティーボウリング大会」の5つの祭り(イベント)で「うどん大食い・早食い大会」が開催されましたが、この年は「宇多津サマーフェスティバル」でも「チーム対抗うどん大食い・早食い大会」が登場しました。
いずれも新聞紙上で確認されたものですから、実際は他にもまだあったと思われますが、いずれにしろ、この頃はちょっとした「うどん大食い・早食い」ブームの様相です。まあ、ブームと言っても「行政がらみのイベント」のコンテンツがほとんどなので、「あっちでやってるからうちもやろうか」という程度の企画の連鎖だけかもしれませんが(笑)。
滝宮天満宮でも「献麺式」
綾南町の滝宮天満宮で初めて「献麺式」が行われました。
さぬきうどんの隆盛を 滝宮天満宮で献麺式
「麺文化の向上とさぬきうどんの隆盛」を願って県生麺事業協同組合(鳥塚晴見理事長)、綾南町観光協会(藤井賢会長)などが24日、滝宮天満宮で献麺式を行った。地元の「綾南町さぬきうどん研究会」(十河利夫会長)の会員が拝殿で手打ちうどんを作り、ネギ、ショウガなどうどん材料一式を三宝に乗せ、はかま姿の代表が神前に運び、献納した。県観光協会が観光キャンペーンした際、国司菅原道真ゆかりの北野天満宮(京都府)、太宰府天満宮(福岡県)で、うどんPRの献麺式を行ってきた。県生麺事業協同組合では地元のうどんPRも菅公にあやかろうと「うそかえ神事」に併せて今年初めて献麺式をした。綾南町観光協会や同商工会は小麦粉250キロを使って、うどん玉2000食の接待をした。あいにくの雨もようで飛ぶように、とはいかなかったが、開運を求める参拝者が舌鼓を打っていた。
新聞に載った「献麺式」は、昭和50年頃に県観光協会の観光キャラバン隊が福岡の水鏡天満宮や太宰府天満宮、大阪天満宮で行ったのがおそらく“初出”。その後、昭和51年からは「こんぴらうどんの会」が東京の金刀比羅宮東京分社で、昭和56年から県観光協会や製麺組合も東京の亀戸天神で行うなど(「昭和50年」「昭和51年」参照)、当初は県外での献麺式の記事がほとんどでした。
県内の「献麺式」としては、昭和57年に始まった「さぬきうどんまつり」のプログラムとして高松市の中野天満宮で行われた「献麺式」が最初ですが、それ以外ではこの滝宮天満宮での「献麺式」が新聞に初めて出てきました。ちなみに、以前にも触れましたが、讃岐うどんのルーツには必ず「空海(弘法大師)」が付き物なのに、献麺式は真言宗のお寺ではなく、ここまで全て神社で行われています。
「さぬきうどん研究会」が中国からの交流団を招聘
前年に中国を訪問して“麺棒外交”を行った「さぬきうどん研究会」が、今度は中国の「麺食文化学術・技術交流団」を香川に招きました。
麺文化を通し日中交流の輪 「さぬきうどん研究会」招く あす西安から使節団来県 視察や本場の技披露
麺発祥の地の一つで、本県ともゆかりの深い中国・西安市の麺食文化学術・技術交流団の一行が15日来県する。昨年8月に訪中した「さぬきうどん研究会」(会長・真部正敏香川大農学部教授)の招きで訪れるもので、麺打ちの実演や県内うどん製造業者の視察などを通じて麺文化の交流を深める。
西安市はかつての唐の都・長安で、約1200年前に空海が留学生として学んだ地。讃岐うどんは、空海が中国から持ち帰った食文化の代表とされており、「さぬきうどん研究会」の一行が昨年8月、ゆかりの西安市などを訪問、約2週間にわたって積極的な麺棒外交を展開した。今回の訪日は、麺を中心とした日本の食文化を視察したいとする中国側の要望で実現した。空海が西安に学んでから約1200年ぶりの初の麺食文化使節で、西安市烹飪研究所の王子輝所長のほか同市市烹飪技術養成センターの一流コックら総勢5人が来県する。
一行は、20日までに県内に滞在する。この間、16日は平井知事らを表敬訪問するほか、午後には高松商工会議所で王所長らが「西安麺食文化の基本的特徴」「西安麺食の形状と技法」などをテーマに講演。引き続き、高松市内の中華料理レストランで本場の麺打ちを披露する。17日以降は、県内の製麺工場や手延べそうめん工場などを視察。19日には、空海の足跡をたたえるとともに、麺を通じた両国の一層の交流促進を願って総本山善通寺で献麺式を行う。
というわけで、訪日団は講演や麺打ち実演、視察などで5日間の滞在の予定ですが、ここで初めて、総本山善通寺で“仏式”(?)の献麺式が行われたようです。
中国の「うどん食」に関する風習が紹介されていました
続いて、総本山善通寺の蓮井法主が中国紀行文を寄せていましたが、その中に中国のうどん食に関する記述がいくつかありましたので、当該部分を抜粋して紹介しましょう。
「うどん」と法門寺 中国・宝鶏市などを行く(総本山善通寺法主・真言宗善通寺派管長/蓮井善隆)
(前略)…たまたま今春、随心院の西村洋一氏が西安人民政府副市長姜信真氏一行10名ほどを案内して、善通寺が空海和尚の誕生の地ということで来られた。お昼ごろのことで、「何もないが当地産のうどんを食べて下さい」と言って差し入れた。一行はトウガラシ粉を油で炒め、それに酢を入れ塩で味つけした調味料を持っていて、我々が七味トウガラシを使うように、うどんに入れて食べて「おいしいうどんだ」と喜んでもらった。
…(中略)…日本からの留学生が中国内で研修旅行に行った。くる日もくる日も朝昼晩うどんばかりなので、一度「ご飯が欲しい」と言ったところ、「ご飯を食べると副食物がいる。うどんであれば汁だけで良い。簡便安直だから辛抱してください」と言われた。
…(中略)…宝鶏市の外事公室主任で旅行局の局長・王嘉樹氏の案内で、お昼の食事をよばれた。うどんの産地といわれるから我々がうどんに深い関係があると思ったのか、コースの中でなるほどうどんが出された。周りの人たちは例のトウガラシの調味料でおいしそうに食べていた。…(以下略)
まず、「うどんはご飯と違っておかずがいらない」という話が出てきましたが、これは「なるほど」と膝を打つ視点。また、中国からの御一行にうどんを出したら、彼らが「トウガラシ粉を油で炒め、それに酢を入れ塩で味つけした調味料を持っていて、それをうどんに入れて食べていた」とのこと。讃岐うどん巡りに「マイ調味料」を持って回っているマニアがいるという話を聞いたことがありますが、中国では「マイ調味料持参」は普通にあるのでしょうか。ちなみに、谷川米穀店に名物のうどんに混ぜる「青唐辛子漬け」がありますが、「トウガラシ粉を油で炒め、それに酢を入れ塩で味つけした調味料」なるものも、日本風にアレンジすれば新しい“うどんのお供”になるかもしれません。
椎名誠さんが高松で講演、「讃岐うどん」を語る
作家の椎名誠さんが高松で講演され、その講演内容が四国新聞に抜粋で紹介されていました。その中から、「讃岐うどん」に触れた部分をご紹介。
「四国暮らしと健康セミナー」から
忘れられぬ生醤油の味 アルゼンチンで讃岐うどん発見(椎名誠)
高松に来たのは6年ぶりで3度目。僕は麺類が大好きで、6年前、週刊誌の仕事で「高松のうどんの実力を調べてみよう」と東京から4人でやって来て、2日間の「高松うどん馬鹿食いツアー」をやった。まだ宇高連絡船があったころだ。連絡船に乗って驚いたのは、岡山で乗ると、乗った人がみんな甲板を走って行く。何事が起こったのかと思ってたら、みんなうどん屋に入って行く。あれにはビックリ。走って行って食べるうどんというのは生まれて初めて見た。僕も「こうしてはいられない」と走って行った。さらに驚いたのは、船が高松に着くと、また、駅にあるうどん屋に走っていく人がいる。そこまでうどんに命を懸けている人がいることを知って感動した。
さすがに街を歩くとうどん屋が多い。いろんなうどんを食べた。一番おいしかったのは生醤油(生醤油)かけ。ショウガとネギとしょうゆ、かつおぶしで食べる。やはり、讃岐うどんはコシが違う。
世界中を動いていると、讃岐うどんの力がすごいことが分かる。アルゼンチンに行って驚いたことは、スパゲティを注文すると、麺は讃岐うどんだった。最初は「よく似ているな」と思ったのだが、高松出身の人がいたので聞くと、間違いなく「讃岐うどんだ」と言う。大昔に誰かが讃岐うどんの作り方を伝えたらしい。これは、案外知られていない。各店とも手打ちだが、コシの強さには差がある。味付けはミートソースが主だった。地球の反対側のアルゼンチンに讃岐うどんがあるということは、業界にとって大発見であろう。…(以下略)
世界を駆け巡っていろんなものを食べ歩いてこられた椎名誠さんの興味の尽きないエピソードの数々は、ぜひ著書をお読みください。
小さなコラムと投書から
小さな「割り箸」談義がありました。
コラム「一日一言」
(前略)…そういえば戦争中は割り箸が消えて、戦後も20年代いっぱいぐらいは町のうどん屋でみんな塗り箸を使わせていた。 何度も洗っては箸立てに戻ってきた。塗り箸で麺類を食うのは難しかった。異を立てるようだが、塗りばし食堂は敬遠したい。
かつては使い回しされる「塗り箸」の飲食店がちょっと敬遠されていた時代が長かったのですが、近年の“割り箸排斥ブーム”で、うどん屋さんにもプラスチック製の箸を置く店が増えてきました。でも確かに、うどんは割り箸の方が食べやすい(笑)…と思っていたら、今度は“プラスチック排斥ブーム”が起こっているようですね。しまいにうどん店に「鉄の箸」が置かれるようになったら、どうしましょう(笑)。
コラム「一日一言」
昼食時分になると、どこで何を食するかということが仕事仲間との相談になる。時間や財布とにらみ合わせて、「まあ、またうどんにするか」といったあたりに落ち着くのが毎度のことだ。讃岐に生まれ育った人間ではないのに、讃岐に住んでいるうちに根っからのうどん好きになったという人も多い。土地っ子以上のうどん通になり、「この店のだし汁であの店のうどん玉を食いたい」と言いだしたりする。うどんは、麺とだし汁さえうまければ、あと余分なものはなくてもそれで満足させる不思議な食べ物である。好きな人は、朝昼晩と食べ続けても「飽きた」とは言わない。”すうどん”が最も美味なのも困りものである。
知人の絵かきが、どうも近ごろ体に力が入らずふらふらすると感じて医者の診察を受けた。「こりゃ栄養失調だ。どんなものを食っている」と尋ねられ、「そういえばこのところ1カ月ぐらい、すうどんばかりだった」で大笑い。早めに栄養改善ができたので、この絵かきは助かったものの、うまさ天下一品の讃岐うどんも意外なところで危うい仕儀となるものだ。美女を「傾城(けいせい) 傾国」というなら、 讃岐うどんはさしずめ「傾命の美食」と言うべきか。 もちろん、無類のものぐさで他の食べ物に食指を動かさなかった絵かきの食事ぶりに第一の罪があったことは言うまでもない。 「うどんが命を縮めた」などと言ったら、それこそ当方の命が幾つあっても足りない。長生きしてうどんが食いたいもの。
先に「うどんはご飯と違っておかずがいらない」という話が出てきましたが、ここでも「うどんは麺とだし汁さえうまければ、あと余分なものはなくてもそれで満足させる不思議な食べ物である」という表現が出てきました(というより、記事はこっちの方が先ですが)。味のついたダシをかけただけの「ダシかけご飯」を想像してみると、確かに「ダシかけうどん」の方がアリかもしれませんね。
ちなみに、後段にある「傾城傾国」というのは「城を傾け、国を傾けるほどに溺れてしまうような絶世の美女」のこと。そこから「傾命の美食」、すなわち「命を傾けてしまうほどのおいしい食べ物」という例えですが、「素うどんばっかり食べていると、栄養失調になって命を縮める」という、まあ当たり前の話です(笑)。
田村神社で「100円うどん」の露店が登場
田村神社で地域の老人会が「100円うどん」の露店を出店する、というニュースが載っていました。
「四国の寺社ガイド」…老人会の「百円うどん」露店も(田村神社)
猿田彦命、吉備津彦命など五柱が祭神で、創設は和銅2年(709年)。猿田彦命は神武天皇降臨の道案内を務めたとされ、交通安全のお払いに訪れる人も多い。31日は午後7時から除夜祭、1日午前7時から歳旦祭が行われる。お守、お札や破魔矢、熊手などの縁起物はそれぞれ2000~3000個を用意。境内では1日から3日まで一宮地区老人会が「百円うどん」の露店を出店する。…(以下略)
今では「日曜市のうどん」がすっかり定着している田村神社ですが、境内でのうどん振る舞いが新聞に載ったのはこれが初めて。これが今日の「日曜市うどん」のルーツかどうかは不明ですが、“神社の境内のうどん店”は、やはり田村神社が「第一人“社”」です。ちなみに、“お寺の境内のうどん店”の「第一人“寺”」は、「竜雲うどん」を擁する高松市仏生山町の「法然寺」です。
瀬戸内短大に「讃岐うどん研究会」が誕生
瀬戸内短大に「さぬきうどん研究会」が誕生したという記事が載っていました。
うどんで讃岐を知るヮ 「研究会」が誕生、女子大生20人が初受講(瀬戸内短大)
高瀬町下勝間の瀬戸内短大に「さぬきうどん研究会」が誕生。18日、講師に香川政義さぬき麺業社長を迎え、初の講習会を開催。自分たちが作った手打ちうどんを試食するとともに、伝統の”麺食文化”探求を誓い合った。この日の講習会には、県内はもちろん、愛媛、高知、島根、広島、大阪など全国各地から入学している食物栄養学科と養護教育学科の530人の中から20人が参加。同大食品加工実習室で水と塩と小麦粉の調合、うどん粉のねり方、麺棒を使っての延ばし方についてのコツの講義と実技指導を受けた。会員たちは、卒業後、ふる里へ帰って家族や友達に手打ちうどんの本場の味を味わってもらおうと大張り切り。同会では今後、うどん作りの技を磨くとともにさまざまなイベントに参加、讃岐風土とうどんの関係などについても研究を深める。
記事からは誰がどういう経緯で研究会を立ち上げたのかがわかりませんが、名称が「さぬきうどん研究会」で、初めて開催した講習会にさぬき麺業の香川社長が講師として招かれていることから、本家の「さぬきうどん研究会」が関わっているのではないかと推測されます。今後の活動の続報を待ちましょう。
うどんを使った交流の記事が続々
この年も、うどんを使ったふれあいや交流の記事がたくさん乗っていました。まずは、保育園、幼稚園でのうどん作りから。
ピアノに合わせてうどん作りに挑戦(白鳥の松原保育園児)
白鳥町の松原保育園で13日、1歳から3歳までの園児たちがクッキング保育による2月の献立、手打ちうどん作りをしました。園児たちは、パンほどの大きさのだんごが入ったビニール袋を1人1袋ずつもらい、保母さんの弾くピアノの曲に合わせ、拍子を取りながら足でトントン踏んでのばしました。…(以下略)
ピアノの曲に合わせて「うどん踏み」です。うどん作り体験でおなじみの「中野うどん学校」でも音楽に合わせてうどん踏みをやらされますが、こうなると「音楽に合わせてうどん踏み」は盆踊りからブレイクダンスやランバダやパラパラや、ヒップホップやアイドル系のダンスまでバンバン取り入れて、讃岐うどん作り体験の名物の光景として育てていってはどうでしょう(笑)。
手づくりの味満喫(善通寺保育所)
善通寺保育所の園児らは15日、手打ちうどん作りに挑戦しました。昔は家で作ったうどんを思い出し、手作りの味とぬくもりを子供たちに伝えるため、手打ちうどんでボランティア活動している「たけのこ会」の協力で行ったものです。3歳児を中心に、みんなで踏んで一晩ねかせた材料をたけのこ会員らに手を添えてもらい、まっ白になってのばしたり切りそろえたりの作業でした。…(以下略)
観音寺東幼でも「うどんパーティー」
観音寺東幼稚園は19日、うどんパーティーを開きました。この日は11月のお誕生会と自由参観日にもなっていたため、たくさんのお母さんたちが訪れました。朝から年長児は、かまぼこ、肉、玉ネギを切ったりのお手伝い。お皿にうどん玉とかまぼこを入れ、園長先生にだし汁をかけてもらって肉うどんのできあがり。お母さんたちの前で少し照れくさそうにしながら、おいしそうに食べていました。
こちらもうどんを作って食べるという会のようですが、「うどんパーティー」という新しいネーミングは、うどんに関するいろんな出し物をどんどん加えていけばおもしろくなりそうな展開力を秘めています。誰か、仕掛ける人はいませんか?(笑)
続いて、小学校でのうどん作りと交流の記事が7本も見つかりました。
チビっ子も”奮戦” 親子うどんづくり教室(津田町教委)
津田町教委は26日、津田町の町中央公民館で親子うどんづくり教室を開き、町内20組の母と子がコシのきいた手打ちうどんをつくり上げた。…(中略)…地元で製麺業を営む冨田久仁さんを講師に招いてうどんづくりがスタート。小麦粉を塩水に混ぜ、チビっ子たちは、腕まくりでこねたり、足でふんだりして団子状に。麺棒で大きく伸ばしたあと、粉をたっぷりかけて包丁で細く切り、かま揚げうどんにして舌鼓を打った。
教育委員会が民間の職人を講師に招いて「親子うどん作り教室」を開くというパターンのうどん作りイベントです。
うどん作りに挑戦 羽床小の5、6年生
綾南町の羽床小学校5~6年生44人はこのほど、手打ちうどん作りに挑戦しました。同町では香川県の代表的な郷土料理を通じて地域とのふれあいを深めようと、「綾南町さぬきうどん研究会」の協力により、各校でうどん作りを実施しています。この日は3キロの小麦粉を使って140食のうち込みうどんを作り、全校生がランチルームで給食として食べました。…(中略)…北海道の姉妹町秩父別町にはサケを使った郷土料理「石狩なべ」があり、香川県の打ち込みうどんとドッキングして「綾南なべ」ができあがり、「双方で好評だ」という料理交流の報告がありました。
こちらは小学校が「さぬきうどん研究会」の協力で開催。「さぬきうどん研究会」の側が積極的に呼びかけているのかもしれません。前年に登場した「綾南なべ」は、まだ健在のようです。
手作りうどん味わって 島民とふれあいの集い(櫃石小6年生)
僕らの手作り島の味。架橋の島、坂出市櫃石島の櫃石小で4日、島の住民と学校のふれあいの場「春の集い」が開かれ、今春卒業予定の7人の6年生が手作りワカメうどんを接待するなど、約150人の住民と児童たちが楽しい1日を過ごした。「春の集い」は毎年、卒業シーズンに6年生を主役に島をあげて行っている恒例行事。池田慎也君ら7人の6年生が前日から母親らに手伝ってもらい、300食の手打ちうどんを準備。ワカメも島の南、歩渡島で採取した天然ワカメで、”櫃石の味”にお年寄りたちもにっこり。おいしそうにおかわりしていた。…(以下略)
櫃石小の「ワカメうどん」も、まだ続いています。その他の小学校で行われた「うどん作り」の記事は以下のラインナップ。
●4月29日…琴平町・象郷小学校の6年生34人が、「ふるさと学習」として町内老人会のお年寄りを招いてうどん作りに挑戦し、出来上がったうどんでうどんパーティーを楽しんだ。
●5月24日…高瀬町・勝間小2年のクラスで、瀬戸内短大のサークル「うどん研究会」の資料を参考に、生徒がPTAのお父さんたちと一緒に手打ちうどん作りを行った。
●9月30日…仁尾町・仁尾小学校の「ふれあい学習」で、生徒と地元のお年寄りがうどん作りを楽しんだ。
●10月3日…綾上町・枌所小で、全校児童が地元老人会のお年寄りと「ふれあいの会」を催し、ゲートボールと煮込みうどん作りを行った。
●11月23日…善通寺市・善通寺東部小の「親子の集い」で、子ども会育成連絡協議会の世話人10人と児童500人で打ち込みうどんを作った。
小学校の「うどん作り体験」は、「親子」と「お年寄り」が付き物です。ちなみに、この数年、小学校でのうどん作り体験の記事が16本載っていましたが、そのうちの14本が中讃の小学校で(善通寺市4本、丸亀市3本、坂出市2本、綾南町2本、綾歌町1本、綾上町1本)、あとは高瀬町と仁尾町が各1本。ニュースの拾い方によるのかもしれませんが、それにしてもやはり、香川随一の“うどん処”は中讃なのだと思います。
では、その他のうどんによる交流や接待、慰問等の記事を列挙しておきます。
うどん作りや史跡見学 北海道秩父別町から高校生が姉妹町交流(綾南)
綾南町と姉妹町交流をしている北海道の秩父別町から、このほど初めて高校生5人が来町。町内の教育施設見学やイチゴ団地の視察、農業経営高生と交流した。一行は秩父別高校の生徒会長鬼頭広君ら5人。3泊4日の滞在期間中、十一面観音立像や久保太郎右衛門記念碑などの史跡を見学したほか、温室イチゴの栽培を視察。手打ちうどん作りにも挑戦した。…(以下略)
あの「綾南なべ」が生まれた「綾南町と秩父別町の交流」です。
留学生4人うどん作り 外国人女性が挑戦(土庄)
土庄町の「郷土手打うどん愛好会」は12日、町総合福祉会館で手打ちうどんセミナー(町教委後援)を開きました。元小学校長の柳昭司さん(64)の呼びかけで、「うどんの作り方を身につけ、人の輪を広げよう」と開催し、50人が参加しました。指導は香川政義さぬき麺業社長。アミー・メタさんら米国からの留学生(関西外国語大学)4人も参加して、法被姿も勇ましくうどん作りに挑戦しました。…(以下略)
こちらは土庄町の「郷土手打うどん愛好会」主催で、アメリカからの留学生も参加した「手打ちうどんセミナー」。さぬき麺業の香川社長があちこちで大活躍されています。
豪の親子がうどん作り 綾歌で交流
オーストラリア人のイライザさん(神戸市カナディアンアカデミー中学1年)と父親のケリーさん(高校教師)が、「押し抜きずしとうどんの作り方を教えて」と、6月28日に綾歌町栗熊のうどん作りの奉仕グループ・碧空会を訪ねました。2人は6月20日から30日までの間、土庄町の柳昭司さんの山小屋に滞在していたそうで、碧空会員の指導のもと、押し抜きずし作りに挑戦しました。また、うどんの玉作りも上手にできるようになり、大喜びのイライザさんでした。
手打ちうどん プロのコツ学ぶ(木太公民館婦人学級)
高松市木太公民館の婦人学級(木太地区婦人会主催)で26日、手打ちうどんの作り方講習会がありました。…(中略)…申し込み受け付けの日は、2時間で定員いっぱいという盛況ぶりでした。当日は「さぬき麺業」の人が講師となって小麦粉のこね方の説明があり、1人4人前の材料で実習。おいしい手打ちうどんを作るコツを学びました。また、だしの取り方、めんのゆで方の説明もあり、最後に自分たちで作ったうどんを、プロの手でゆでてもらって試食。味覚の秋に郷土の食を満喫しました。
瀬戸大橋駅伝 アメ湯、うどん好評 裏方さんも大わらわ
(前略)…「温かいうどんはいかが…」とスタート地点の坂出市役所では、うどん、おにぎり、コーヒー、アメ湯などの飲み物約2500食が選手らにふるまわれた。これらの接待は市体育指導員や市内のスポーツ団体の婦人たち約70人が担当。大会前日の19日午後から、うどん汁などの準備を開始、当日は午後3時から、飯たきなどに大わらわ。特にアメ湯、うどんは選手からも好評で、”温かい”手づくりのもてなしは大会を盛り上げた。…(以下略)
大規模農道でうどん玉配る(綾歌町の碧空会)
綾歌町のボランティアグループ・碧空(あおぞら)会は13日、大規模農道で交通安全キャンペーンを行い、ドライバーにうどん玉400玉を配った。また綾歌老人ホームのお年寄りも手づくりのマスコット人形150個を配り、交通安全を呼びかけた。大規模農道は最近、交通量が増加しており、うどん玉は約1時間でなくなった。
イライラ運転しないで! 讃岐うどんを接待 琴平署前でキャンペーン
「おいしい手打ちうどんを食べて、イライラ運転による交通事故をなくして下さい」と、琴平署と仲多度南部製麺組合はこのほど、琴平町五条の琴平署前でドライバーに打ちたてのうどんを接待、無事故運転を訴えた。毎年、梅雨時に行っている事故防止キャンペーンで、今年は成本組合長ら15人が参加。午前8時ごろから腕によりをかけて打ちあげたうどん800玉を用意。琴平署員の協力で通行車両に呼びかけ接待。県外ドライバーは「どこかでおいしいうどんを食べようと思っていたところ。さすが本場」と舌つづみを打っていた。
ドジョウうどん接待 住民ら署員の労ねぎらう(高松東署)
「ドジョウでスタミナつけ、寒さを乗り切ってください」。高松東署管内の交通安全関係者が9日、同署を慰問。署員ら約60人にドジョウうどんをごちそうした。慰問したのは、高松東交通安全協会川添支部と川添校区交通安全母の会の18人。午前9時すぎから約2時間かけて、直径1.3メートルの大鍋にうどん200玉とドジョウを仕込んだ。署員たちは温かいごちそうに大喜びで、1時間足らずでたいらげた。中には1人で8杯もお代わりした豪の者もいた。…(以下略)
このあたり、毎年同じような内容の記事が並びますが、「当時はこういう催しが県内各地で盛んに行われていた」ということがおわかりいただけたと思います。
広告本数もオープン広告も減少
では、最後に「うどん関連広告」の状況です。平成3年の広告本数は、前年の244本からさらに減って「205本」、オープン広告も前年の3本からさらに減って、ついに1本だけになりました。
<県内うどん店>
【高松市】
「かな泉」(高松市大工町他)……… 25本
「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 20本
「川福」(高松市ライオン通)…………5本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他)…5本
「川島ジャンボうどん」(三谷町)……4本
「久保製麺」(高松市番町)……………2本
「源芳」(高松市番町)…………………2本
「大島製麺」(高松市太田上町)………2本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………2本
「松下製麺所」(高松市中野町)………2本
「すゑひろ」(高松市中野町)…………2本
「秀」(高松市八坂町)…………………2本
「花ざかり」(高松市十川東町)………2本
「桃太郎館」(高松市鬼無町)…………2本
「三福」(高松市兵庫町)………………1本
「きみや」(高松市トキワ街)…………1本
「番丁」(高松市番町他)………………1本
「えびすや」(高松市番町)……………1本
「さか枝」(高松市番町)………………1本
「あわじ屋」(高松市丸の内)…………1本
「井筒製麺所」(高松市西の丸町)……1本
「上原製麺所」(高松市栗林町)………1本
「誠」(高松市亀岡町)…………………1本
「金原」(高松市花ノ宮町)……………1本
「讃岐っ子」(高松市松島町他)………1本
「枡うどん」(高松市福岡町)…………1本
「田中」(高松市木太町)………………1本
「善や」(高松市新田町)………………1本
「大圓」(高松市今里町)………………1本
「元」(高松市一宮町)…………………1本
「なかにし」(高松市鹿角町)…………1本
「げん禄」(高松市檀紙町)……………1本
「田中松月堂」(高松市御厩町)………1本
「中北」(高松市勅使町)………………1本
「北山うどん」(高松市鬼無町)………1本
【東讃】
「寒川」(三木町)………………………3本
「六車」(白鳥町)………………………1本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「吉本食品」(大内町)…………………1本
「雲海」(志度町)………………………1本
「亀城庵」(志度町)……………………1本
「しど路」(志度町)……………………1本
「八十八庵」(長尾町)…………………1本
「かみなりうどん」(三木町)…………1本
「十河製麺」(三木町)…………………1本
「郷屋敷」(牟礼町)……………………1本
「味路」(庵治町)………………………1本
「山進」(香川町)………………………1本
「かわたうどん」(香南町)……………1本
【中讃】
「小縣家」(満濃町)……………………8本
「こんぴら丸」(満濃町)………………4本
「こんぴらうどん」(琴平町)…………3本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………2本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………2本
「金山奉行」(坂出市)…………………1本
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……1本
「天霧」(坂出市文京町他)……………1本
「上原製麺所」(坂出市室町)…………1本
「てっちゃん」(坂出市西庄町)………1本
「吉田屋」(丸亀市今津町)……………1本 2月14日オープン
「さぬきや」(丸亀市土器町)…………1本
「たかや」(多度津町)…………………1本
「大川製麺所」(善通寺市)……………1本
「カガワ食品」(善通寺市文京町)……1本
【西讃】
「将八」(観音寺市)……………………5本
「うどん太郎」(観音寺市植田町)……1本
<県外うどん店>
「大阪川福」(大阪市南区)……………2本
「玉藻」(東京都新橋)…………………1本
「めん坊フーズ」(京都市上京区)……1本
「松野たらいうどん」(徳島県土成町)1本
<県内製麺会社>
「石丸製麺」(香南町)…………………4本
「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)… 3本
「藤井製麺」(三木町)…………………2本
「日糧」(詫間町)………………………1本
「大喜多製粉所」(宇多津町)…………1本
「合田平三商店」(豊浜町)……………1本
「民サ麵業」(高松市勅使町)…………1本
「だるま食品」(財田町)………………1本
<県内製粉会社>
「吉原食糧」(坂出市青葉町)…………1本
「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本
「日讃製粉」(多度津町)………………1本
「豊国製粉所」(観音寺市粟井町)……1本
「安田製粉」(内海町)…………………1本
<その他うどん業界>
「加ト吉」(観音寺市観音寺町)…… 21本
「マルヨシセンター」……………………4本
「さぬきうどん工房」(琴平町)………2本
「香川県生麺事業協同組合」……………1本
「福井製作所」(坂出市府中町)………1本
「鎌田醤油」(坂出市本町)……………1本
「ピギー食品」(詫間町)………………1本
「さぬき麺機」(高瀬町)………………1本
●「吉田屋」(丸亀市今津町)…2月14日オープン
●三木町の「いけのべ七夕まつり」に「讃岐うどんまつり」なるイベントが登場。
県内各地の夏祭りに「うどん大食い、早食い大会」が出てくる中、三木町の「いけのべ七夕まつり」に「讃岐うどんまつり」なるイベントが登場しましたが、残念ながら内容が全くわかりません。
●「マルヨシセンターのうどん」が広告に登場。
平成元年に「マルヨシセンターが1日に最大1万パックを製造するコンピューター制御の手打ちうどん生産ラインの『宇多津カミサリー』という食品製造施設を備えた」という記事が出て以来(「平成元年参照」)、その詳細や商品情報が新聞に全く出てきていませんでしたが、ついに広告でその様相が明らかになりました。
しかし、キャッチコピーに大きく打ち出されている「釜あげを急速冷凍」というのが謎です。冷凍うどんは基本的に釜から上がった「釜あげ麺」を一旦水で締めてから冷凍するのですが、釜あげ麺を水で締めずに急速冷凍しているのか? もしそうなら、果たしてそんなことをして「うまい冷凍うどん」になるのか? という根本的な疑問を抱えたまま、平成4年に続きます(笑)。