「さぬきうどんの日」と「さぬきうどんラリー」と「さぬきうどんまつり」の“三位一体”プロモーションが始まる
昭和57年7月2日、「さぬきうどんの日」に合わせて四国新聞社と香川県製麺組合連合会の共同主催で「さぬきうどんまつり」という催し物が開催されました。主なプログラムは、高松市の中野天満宮で行われる「献麺式」と「さぬきうどん品評会表彰式」と県内各地で行われる「さぬきうどん無料接待」の3本立て。これに前年から始まった「さぬきうどんラリー」が協賛行事的に併催されていて、言わば、これまでバラバラに行われていたうどん関連の各種催しを一堂に集めたみたいなイベントです。ということで、この年から、
●「さぬきうどんの日」……昭和53年/香川県・香川県観光協会が発表
●「さぬきうどんラリー」…昭和55年/四国新聞社主催
●「さぬきうどんまつり」…昭和56年/四国新聞社・香川県製麺組合連合会主催
の3つが一体となったプロモーションが始まったとしておきましょう。
ちなみに、「さぬきうどんの日(7月2日)」は今、公式情報としてネット内等の各所で「昭和55年に香川県製麺組合(現本場さぬきうどん協同組合)が制定した」と書かれていますが、以前にも触れた通り、昭和53年にすでに県と県観光協会が新聞紙上で大きく「うどんの日」と表記していますので(「昭和53年」参照)、新聞にはこちらの方が2年早く出ています。
さらに、昭和54年の第2回「うどんの日」全ページ広告でも「七月二日・うどんの日」と明記されています(「昭和54年」参照)。
そして、昭和54年の広告内のリード文中には「いつごろからこの日を“うどんの日”と呼ばれたかは、はっきりしない」と書かれているため、「新聞ファクト」をベースとする本稿ではとりあえず、「7月2日が“さぬきうどんの日”とされたのは昭和53年以前で、誰が決めたのかはわからない」としておきます(笑)。ちなみに、昭和55年の四国新聞には「香川県製麺組合が“さぬきうどんの日”を制定した」という記事は見当たりませんでした。
「第1回さぬきうどんまつり」開催
では、「さぬきうどんまつり」の詳細を見てみましょう。まずは、新聞記事と告知広告をご覧ください。
讃岐の味売り込む 初の「うどんの日」 献麺式や無料接待、千食分たちまちペロリ(高松)
2日を「うどんの日」として売り込む「第1回さぬきうどんまつり」(四国新聞社、県製麺組合連合会主催)が2日、高松市内で催され、献麺式やうどんの無料接待などでまつりを盛り上げた。
この催しは、田植えの終わる時期となる半夏生の2日、西讃地区を中心にうどんを食べ合って田休みをした風習(はんげのはげうどん)に習って企画した。まず午前10時半から、同市番町五丁目、中野天満宮で献麺式。関係者約20人が出席し、かみしも姿の同連合会役員らが祭壇にうどん、コンブ、ネギなどを供え、業界の発展を祈願した。また、正午前には三越高松支店前でうどんの無料接待。市内のうどん屋さんや四国新聞社が選んだフレッシュレディーらが通行人にうどんを振る舞った。昼食時と重なってサラリーマン、OLらに大もて、2時間足らずで1000食分が”売り切れ”とPR効果満点。
全国的に名高い”さぬきうどん”だが、県内でのうどんの消費はここ数年横ばい状態。このため同連合会は「うどんの日」の設定で消費拡大を図ろうと意気高らか。今年は6月20日から7月11日まで、うどんを食べて参加券を集めると信州への招待旅行などの賞が当たる「さぬきうどんラリー」も企画されている。
「献麺式」と「さぬきうどん品評会表彰式」は7月2日に開催。「さぬきうどん無料接待」は高松だけが7月2日に行われ、琴平・綾南はこれに先立って6月21日に開催、坂出、丸亀、善通寺・多度津、大川・三木は7月4日以降に順次行われました。「さぬきうどんまつり」と聞くと、歌や踊りや飲食や物販が大集合したフェスティバルのイメージを持ってしまいますが、どうも「組合の催事」みたいなテイストの「まつり」のようです。
ちなみに、告知広告のリード文には「さぬきうどんの発祥は空海が遣唐使に従って中国に渡り、その製法を郷土に伝授したといわれ…」と書かれています。これまで何度か指摘してきた通り、さぬきうどんの発祥については、昭和47年までは「奈良時代に中国から渡来した唐菓子が起源らしい」という話しか出ていませんでしたが、昭和48年に四国新聞が突然「讃岐の手打ちうどんの始まりは弘法大師が唐から秘法を持ち帰り教えたものと伝えられている」という話を持ち出し(「昭和48年」参照)、その後、なし崩しに「空海持ち帰り説」が幅を利かすようになって、昭和53年についに「奈良時代渡来説」がほぼ滅亡(笑)したのですが(「昭和53年」参照)、敵が滅亡したらこの通り、書き方にも一切迷いがありません(笑)。
では、「さぬきうどんまつり」で行われた各地の「さぬきうどん無料接待」の様子が随時記事になっていましたので並べておきます。
細く長くゆとりの運転 交通安全願いうどんの接待 県下6会場のトップ切り琴平でキャンペーン
「うどんのように細く長くゆとりを持って」と、仲多度郡南部製麺組合(大西秀雄組合長)が、21日午前11時から琴平署前で通行ドライバーにうどんの無料接待を行った。このキャンペーンは、県製麺組合連合会、四国新聞社が7月2日から催す「第1回さぬきうどんまつり」を盛り上げるのと、交通安全を願って県下6会場で展開するもの。最初のキャンペーン地となった琴平会場ではこの日、大西組合長ら関係者30人が、大きな釜やどんぶり、手打ちうどん作り道具の一式を琴平署前の広場へ持ち込んだ。法被姿で手打ちうどんの実演を披露しながらカマ上げうどんをドライバーに接待し、「うどんのように細く長くゆとりを持って」と安全運転を呼び掛けた。うどん接待のキャンペーンにドライバーたちは大喜び。讃岐のうどんが無料で食べられるとあって、同組合が用意した300人分のうどんは1時間ほどで出てしまうというありさま。接待する組合員も手を休める暇もなく、汗びっしょりでうどんを作っていた。同キャンペーンは、このあと高松、坂出、丸亀、善通寺、大川・三木地区の順に繰り広げていく。
会場に釜を持ち込んでうどん作りから始めるという、「実演」のうどん接待です。近年は実演スタイルのうどん振る舞いがすっかりなくなってしまいました。
1100玉がアッという間 坂出でさぬきうどん無料接待 打ちたての味好評
「打ちたてのさぬきうどんをどうぞ」。「第1回さぬきうどんまつり」(四国新聞社、県製麺組合連合会主催)の一環行事として、3日午前11時半から坂出製麺組合(多田羅良一会長・23店加盟)のさぬきうどん無料接待が坂出市のニチイ坂出店前で行われた。今一つ伸び悩んでいるさぬきうどんの消費を伸ばすため、おいしいさぬきうどんを無料で賞味してもらおうと坂出製麺組合のうどん製造、販売店の経営者が味自慢の打ちたてのうどん1100玉を持ち寄って市民にサービス。ちょうど土曜日の昼食時とあって、開店と同時に買い物袋などを提げた主婦や子供連れの夫婦らがドッと詰めかけた。多田羅組合長らがうどん消費を呼びかけるタスキ掛けで、ネギとショウガがたっぷりときいたかけうどんをどんぶりで次々とサービス。おかわりをねだる坊やや、1人で4杯をたいらげる人もあって、みるみるうちに“売り切れ”。
坂出は「打ちたてのうどん1100玉を持ち込んで」とありますから、会場での手打ち実演ではないようです。
うどん踊りも披露 盛況の手打ち無料接待(丸亀)
「第1回うどんまつり」(四国新聞社、県製麺組合連合会主催)の協賛行事として4日昼、丸亀市城西町の百十四銀行城西支店前の駐車場で市内のうどん屋さんたちが、手打ちうどんの無料接待や「讃岐うどん音頭」を披露してまつりを盛り上げた。真夏の日差しがふりそそぐ中、手打ち実演しながら無料接待したのは丸亀製麺組合(中野喜之組合長、12店)の組合員たち。会場は旧国道11号沿いということもあって、接待を始めた午前11時半ごろから、押すな押すなの人垣が出来、用意した600玉はまたたく間にさばける盛況ぶり。その中で林繁信さん(葭町)ら8人が「さぬきうどん、どんとどんと召し上がれ」と軽快なリズムで珍しいうどん踊りを繰り広げ、家族連れらの盛大な拍手を浴びた。
丸亀は手打ち実演プラス「うどん踊り」です(笑)。
続いて、同時に発表された「さぬきうどん品評会」(おそらく第4回)の表彰者は以下の通り。
この朝、同市番町四丁目のさぬき荘で県、同連合会主催のさぬきうどん品評会表彰式が行われ、26の製麺所やうどん店が表彰された。品評会入賞者は次の通り。
【特別賞】
○農林水産大臣賞…………………香川食品(善通寺市)
○食糧庁長官賞……………………国方製麺所(高松市)
○農林水産省・中四国農政局賞…丸木製麺所(白鳥町)
【優秀賞】
○知事賞……………………………入谷製麺(長尾町)、さぬき麺業(高松市)
○全国製麺協組連合会長賞………屋島麺業(高松市)、吉本食品(大内町)
【優良賞】
○県農林部長賞……………………久保製麺所(高松市)、桑原製麺所(高松市)
○県食品産業協会長賞……………柳屋(坂出市)、野口常一(高松市)
○県食品加工技術研究会長賞……古川正則(高松市)、上原商店(坂出市)
○西日本放送賞……………………中村要商店(高松市)
○四国新聞社賞……………………日の出製麺(坂出市)
○県製麺組合連合会長賞…………ねんごや(三木町)、通(香川町)、宮西製麺所(高松市)
【優良賞】
○県製麺組合連合会長賞…………丸山製麺所(高松市)、田井晶日幸(高松市)、天霧(坂出市)、こんぴらうどん(琴平町)、藤野製麺所(香川町)、竹田製麺(内海町)、木下製麺所(寒川町)、水車うどん(満濃町)
昭和55年の新聞に載っていた第2回の品評会では製麺所と製麺職人だけが受賞していましたが(「昭和55年」参照)、第4回では坂出の「天霧」や満濃の「水車うどん」等、うどん店が表彰者に入っていました。「さぬきうどん品評会」はおそらく組合員だけが選考の対象になっていると思いますが、このあたりから「うどん店」も組合員に入ってきたのかもしれません。
第2回「さぬきうどんラリー」は参加店48店に急増!
続いて、昨年始まった「さぬきうどんラリー」が2回目を迎えました。告知スペースは昨年の第1回から倍増の4ページ、参加店は第1回の28店(枠)から48店(枠)に増えました。
「さぬきうどんラリー」は、第1回は四国新聞社主催で後援に香川県観光協会と香川県製麺組合連合会と香川県食品衛生協会が付いていましたが、第2回は主催が四国新聞社と香川県製麺組合連合会の2つになり、後援には香川県観光協会と香川県食品衛生協会に加えて国鉄四国総局、NHK高松放送局、西日本放送、瀬戸内海放送が加わり、協賛に味の素、エスビー食品、キッコーマンが入って、だんだん規模が大きくなってきました。
ちなみに、この新聞4ページの上部欄外に「全面広告」とありますから、おそらくここに出ている店はお金(広告料)を出して「さぬきうどんラリー」に参加しているのではないかと思われます。その数が今回増加した一番の理由は「広告営業マンが頑張った」ということだと思いますが(笑)、同時にその背景として「それだけ広告を出せるうどん店が増えてきた」ことも間違いないでしょう。いずれにしろ、讃岐うどん業界はなかなか好調のようです。
では、協賛広告の中からいくつか小ネタを拾ってみましょう。
▼以前にも一度出てきましたが、四国霊場八十八番札所・大窪寺の向かいにある「八十八庵」が再び、ビックリマークを2つも付けて「香川の軽井沢」を打ち出しています(笑)。
▼丸亀の「にゅー浦島」は、「うどん」と「お好み焼き」の“マルチ”うどん店です。ちなみにこの年、トキワ街のダイエー地下にも「うどん・お好み焼き」の「味味」という店が出てきました。
▼「黒田屋」と「川福」は「うどんと割烹」のマルチ店です。ついでにこの年、「うどんと炉端焼き」の「ふるさと」も出てきました。うどんと何かを一緒に扱う店は他にもきっとあると思いますが、新聞で見る限り、昭和57年は“マルチ店”が目立って出てきた年です。
▼客が自分でダイコンをするというパフォーマンスでおなじみの「小縣家」ですが、ここには「すり大根入り」とあります。まだあのパフォーマンスはやっていなかったのでしょうか。
▼「うどん矢」が「細切りうどん」を特許出願していました。商標登録でなくて特許出願ですから、ネーミングではなくて何かの技術ではないかと思われますが、その後の経緯は不明です。
この「さぬきうどんラリー」の広告内に讃岐うどんについての短い文章がいくつか入っていましたので、抜き出してみましょう。
うどんのうまさは食べるタイミングにあるそうで、
(1)ゆであがった麺を釜から取ってすぐ食べる(要するに「釜あげ麺」ですね)。
(2)ゆであがりをすぐさま冷水で冷やして食べる(これは初耳)。
(3)ゆであがった麺を水で洗って、後でぬくめて食べる(要するに「水締め麺」ですね)。
の3つを挙げた後、「讃岐人は、ゆで上げたうどんを生じょうゆで食べるのを好む(釜あげ麺か水締め麺かわからない」という、なかなか曖昧な文章です(笑)。
続いては、こういう文章。
「お祭りや婚礼、葬式、寄り合い、句会などで“うどん打ちの競い合い”が盛んだった」と書かれています。これまで新聞にも竹系さんや佐々木先生の話にもそういう話は出てきませんでしたが、お祭りや婚礼や葬式や寄り合いの場でどんな「うどん打ちの競い合い」をしていたのかは書かれていません。また、「葬式にはうどんは縁起が悪いので食べない」というのが風習の大勢だったはずですが、ここには葬式の時にも「うどん打ちの競い合い」が盛んだったようなことが書かれています。
そして最後の「さぬきうどんラリー」の案内広告には、こういう見出しと文章が。
弘法大師が創始者といわれているさぬきうどんは、県内約3500軒のお店で食べさせてくれます。
その昔、7月2日の半夏にはうどんを食べていました。(以下略)
見出しも本文もちょっと文法が怪しい上に、「弘法大師がさぬきうどんの創始者」とか「県内約3500軒のお店で(うどんを)食べさせてくれる」とか、かなり乱暴でおざなりなまとめ方がされています。まあ、こういう広告企画物は広告枠を埋めることが第一義なので、文章部分は“素人さん”が適当に書いたりすることが昔はよくあったみたいですから、この一連のさぬきうどんに関する記述はちょっと流しておきましょう(笑)。以上、「さぬきうどんまつり」と「さぬきうどんラリー」の話題でした。
「うどん慰問」と「うどん打ち体験」は中西讃ばかりで行われていた?!
続いて、手打ちうどんの慰問や接待の記事が6本。
老人ホームへ手打ちそば慰問(満濃)
満濃町吉野の黒木保さん(40)=国鉄職員=と同藤井清さん(39)=農業=の二人は「お年寄りに手打ちのそばとうどんを食べてもらおう」と、そばとうどん粉を持って町内の特別養護老人ホーム「満濃荘」(篠原正美園長)をこのほど訪れ、手打ちのそばとうどんを作り、昼食時にお年寄りにプレゼントした。黒木さんと藤井さんは仕事と余暇を利用、「ホームのお年寄りに手打ちのそばとうどんをプレゼントしよう」と29日午前10時頃訪れ、さっそく持ってきたそば粉2キロとうどん粉10キロを練り合わせて踏み、麺棒でのばして手打ちのそば50玉とうどん150玉を作った。出来たてのそばとうどんは昼食時にホームのお年寄り90人余にプレゼント。「手打ちうどんは味がよくておいしい」と黒木さんらの善意に感謝しながら舌つづみを打っていた。
手打ちうどんでホーム慰問(高瀬町生活改善ク)
高瀬町生活改善クラブの大井文子副会長ら20余人が17日、満濃町長尾の特別養護老人ホーム「満濃荘」(篠原正美園長)を訪れ、手打ちうどんを作り、お年寄りにプレゼントしたり、自慢のかくし芸を披露して慰めた。同クラブは、婦人たちの生活改善の知識を求めての学習を推進するとともに、ボランティア活動を取り入れ老人ホームなどの慰問を続け、手づくりの味をプレゼントしている。大井さんらは、持参したうどん粉40キロで手打ちうどんを作り、昼食に95人のお年寄りにプレゼント。このあと、会員の大平清子さんらは大広間に集まったお年寄りの前で自慢の踊りや歌を披露し、「元気で長生きして」と励ましていた。
仲多度南部製麺組合に感謝状 うどん接待で琴平署
琴平署は交通安全キャンペーンでドライバーに手打ちうどんを無料で接待した仲多度南部製麺組合(大西秀雄会長)に、交通安全協力団体として7日、井上署長から感謝状を贈った。このキャンペーンは、県製麺組合連合会、四国新聞社が2日から始めた「第1回さぬきうどんまつり」を盛り上げようと、6月21日に琴平町五条の同署前の国道32号線沿いでキャンペーンを行い、組合員30人余が出てドライバーに「細く長くゆとりの運転で事故防止を」と手打ちうどんをプレゼントした。
お遍路さんにうどん接待(善通寺製麺組合)
善通寺製麺組合(大川優組合長、組合員7人)が、8日午前11時から四国霊場七十五番札所善通寺の茶堂でお遍路さんや参拝客約2000人にうどんの無料接待をした。接待を受けた人たちから「これはおいしい」とお代わりの声が出るなど大にぎわいだった。このうどんキャンペーンは県製麺組合連合会と四国新聞社が「第1回さぬきうどんまつり」として県下の琴平、高松、丸亀など6会場で開いているもの。この日の接待には、大川組合長ら15人が氷水で冷やしたうどんを用意、訪れる人たちに接待し「うどんのように長命してください」と呼び掛けていた。
手打ちうどんに大喜び 善通寺の市議団、老人ホームを慰問
お年寄りに手打ちうどんを味わってもらおうと善通寺市の議員さんが29日、市立老人ホーム五岳荘を訪れ、手打ちうどんを作って慰問した。昼食は出来たてのうどんでお年寄りたちは「手づくりのうどんはほんとにおいしい」と舌つづみを打ち大喜び。同市の議員さんは毎年9月に手打ちうどんで老人ホームを慰問しており、この日は伊達議長ら15人の議員有志が朝8時半ごろ同ホームを訪れ、持参したうどん粉50キロほどを塩水でねり、力いっぱい踏み、麺棒でのばして切り、ゆがいてうどん作り。議員さんたちはなれない手つきで3時間がかりで約400玉を仕上げた。
琴平警察署にうどん玉贈る(琴平LC)
琴平ライオンズクラブ(池田孝会長、会員45人)は7日午前、琴平警察署を訪れ、「交通事故防止110作戦を成功させてください」と署員に特製のうどん110玉を贈った。交通事故防止110作戦をもじって贈った特製のうどん110玉は、普通のうどん玉の3倍というジャンボうどん玉。1人1玉を食べるのももてあますほど。同署では早速、署員の昼食用にジャンボうどんをふるまった。同署では「これから訪れる年末年始がうどんのように白くありたいものだ。うどんは白が長いので、ことしの年末年始は縁起がよい」と喜んでいた。
続いて、うどんの手作り教室の話題が2本。
園児と一緒にふる里の味楽しむ お母さんが手打ちうどんつくる(善通寺南部幼稚園)
「園児にお母さんの手づくりの味を」と、善通寺南部幼稚園(堀家里美園長)は16日、手打ちうどんの実習と試食会を開き、出来たての手打ちうどんをお母さんと園児が一緒に食べ、ふる里の味に舌つづみを打った。
子供たちにふる里のよさを知ってもらおうと「ふる里運動」を推進している同園では、これまでふる里の探訪会や石うすを据えつけてお正月のもちつきなどをしてきた。昔の子供たちは、家庭でお母さんが手打ちうどんをつくるのを見ながら出来たてのうどんを食べるのに魅力を感じていたが、最近では市販のうどんを買う家庭がほとんど。そこで「子供たちにお母さんの手づくりの味を」と、実習と試食会を開いたもの。この日の実習には宮沢由美子さんらお母さんたち30人余が集まり、古老の宮本正雄さんの指導で10キロの手打ちうどんを作った。園児たちはお母さんの周囲を取り囲み、珍しそうにうどんづくりをながめていた。
手打ちうどん実演 豊中中でふるさと学習
「讃岐名物のうどんを自分たちの手で作って食べよう」。豊中町の豊中中(安藤高明校長、499人)で10日、ユニークな「ふるさと学習」が開かれ生徒たちの人気を集めた。同中生徒会(筒井洋一会長)の呼びかけによるうどんコーナーには約30人の生徒が参加、尾藤徹教諭の指導でうどん粉10キロを使い、練り、こね、きざみ、ゆがきの順で約1時間かがりで「豊中中うどん」を仕上げた。出来上がったうどんは参加生徒の他、一般生徒、教諭らにも振る舞われ、「湯だめ」「冷やし」「かけ」など、思い思いの味を楽しんだ。(以下略)
「手打ちうどんの慰問」や「うどん作り教室」の記事は昭和50年から増え始めましたが、これまでに載ったものを並べてみると、
(昭和50年)
●高松市……興正寺のお坊さん10人が、高松市宮脇町の「讃岐老人ホーム」をうどんで慰問。50キロの小麦粉で400人分のうどんを作って振る舞う。
(昭和52年)
●志度町……志度地区交通安全協会役員と志度署長が、管内4カ所で歳末特別警戒中の警察官を温かいうどんで慰問。
(昭和53年)
●高瀬町……高瀬町生活改善クラブ連絡協議会のメンバーが、豊中町の「老人ホーム七宝荘」をうどんで慰問。500玉のうどんを作って振る舞う。
●善通寺市…善通寺市のボランティアグループ「たけのこの会」が、「老人ホーム五岳荘」をうどんで慰問。小麦粉15キロで150玉のうどんを作って振る舞う。
●琴平町……「こんぴらうどんの会」が、年末取締中の琴平署へうどん玉200玉を持って慰問。
●綾南町……綾南町ボランティア協議会が、綾南警察署をドジョウ汁で慰問。
●観音寺市…観音寺市婦人団体連絡協議会が、観音寺一高の定時制生徒に150人分の肉うどんを作って振る舞う。
○大野原町…大野原町の子供を対象とした「ふるさと学級」で、約50人の学級生がうどん作りを体験。
○高瀬町……高瀬町の家庭教育学級生が「手打ちうどんの作り方教室」を開き、作ったうどんを二ノ宮幼稚園の園児60人に振る舞う。
(昭和55年)
●琴平町……琴平ロータリークラブが、「琴平老人の家」と「老人ホーム満濃荘」を手打ちうどんで慰問。
●善通寺市…善通寺市のボランティアグループ「たけのこの会」が、「老人ホーム五岳荘」を慰問し、手打ちうどんを作って振る舞う。
○琴南町……琴南町の「ふる里教室」が、西小学校の児童20人に手打ちうどん作りを指導。
(昭和56年)
●琴平町……仲南町の谷さんと満濃町の高畑さんがうどん玉とドジョウを持って琴平署を慰問。ドジョウうどんを作って振る舞う。
●琴平町……琴平町のうどん店有志が、交通安全キャンペーンで琴平署横の広場に釜を据え付けて、ドライバーにできたてのうどんを振る舞う。
(昭和57年)
●満濃町……満濃町の黒木さんと藤井さんが、「特別養護老人ホーム満濃荘」を慰問。そば50玉とうどん150玉を作って振る舞う。
●高瀬町……高瀬町生活改善クラブが、「特別養護老人ホーム満濃荘」を慰問。うどん粉40キロでうどんを作って振る舞う。
●琴平町……仲多度南部製麺組合が、交通安全キャンペーンでドライバーにうどんをプレゼントする。
●善通寺市…善通寺市の市議団が、「老人ホーム五岳荘」を慰問し、うどん粉50キロでうどん400玉を作って振る舞う。
●琴平町……琴平ライオンズクラブが、琴平署にうどん110玉を贈る。
○善通寺市…善通寺市南部幼稚園が、手打ちうどんの実習と試食会を開き、10キロの粉でうどんを作る。
○豊中町……豊中中の「ふるさと学習」で、うどん粉10キロを使ってうどんを作る。
…という具合。並べてみると、「うどん慰問」も「うどん教室」も昭和53年以降、記事になっているのは中西讃の主に郡部の話ばかりで、東讃から高松市、坂出市、丸亀市あたりの話は一切出てきません。新聞記事ですから「中西讃の記者がこの手の情報を熱心に拾い、高松や東讃担当の記者はあまり拾わなかった」ということも考えられますが、これだけ載っているのだから東讃担当の記者も東讃で「うどん慰問」や「うどん教室」があれば1回ぐらいは触れそうなもの。しかしそれが一切ないということは、やはり「うどんによる施設等への慰問や手打ちうどんを習う教室等は中西讃で多く行われ、高松や東讃ではあまり行われていなかった」のではないでしょうか。昭和40年代にはすでに「讃岐うどんは“西高東低”」と言われていたようですが、こんなところでもそれが裏付けられているような気がします。
またまた「牛乳うどん」の話題
3年連続、大川農協の「牛乳うどん」が記事になりました。
好評の牛乳うどん 試食会で新風味に舌鼓(長尾)
牛乳の消費を広げるため東讃で開発された牛乳うどんの試食会が11日、長尾町の大川農協長尾支所で開かれ、「食べる牛乳」に舌鼓を打っていた。催したのは同農協酪農長尾支部(佐々木清美支部長)、同婦人部(伊賀千恵子代表)らも協力し、この日朝に搾ったばかりの牛乳60リットルを用いて小麦粉170キロが練られ、牛乳うどんが作られた。昼食時までに招かれたサラリーマン、OLら約400人がたらいうどんで”ツルツル”と試食。「水に代え牛乳で練ったうどんは知らなかった」「牛乳の風味が増しうまい」「牛乳ぎらいでも喜んで食べるのでは…」など新しい味に満足そうだった。この牛乳うどんは県立石田高の有馬忠教諭(畜産科)が2年半前ごろに開発したもので、冷凍庫で保存も可能で、栄養的にも優れている。大川農協管内の農家で早くも普及が始まっている。
「牛乳うどんの試食会」に行ったのに「牛乳で練ったうどんとは知らなかった」という客がいたとは(笑)、まだまだ地元でも知名度が低いようです。
綾上町で「ドジョウ汁釜開き」が開かれる
続いて、綾上町で「ドジョウ汁釜開き」が開かれました。
ドジョウ汁で夏乗り切って 大鍋囲みフーフー(綾上)
綾上町山田俊則地区で、恒例の「ドジョウ汁釜開き」を行った。6年前から毎年田仕事が一段落するこの時期に行っており、同所、農業仲西秀信さん方に集まってドジョウ汁を作った。ジャガイモ、ゴボウ、ナスなどがほどよく煮えたところへドジョウを入れ、さらに手製の打ち込みうどんを入れると自慢のドジョウ汁が出来上がる。夕方になると、地区の子供会のチビっ子やお母さんたちが仲西さん宅に集まり、さっそく試食。日は落ち、涼風が吹き抜けてくるが、熱いドジョウ汁を口にするとたちまち汗が吹き出る。しかし、ドジョウ汁は「熱くなくてはうまくない」と、フーフーいいながら、古来のスタミナ源に舌つづみを打っていた。
「農業の仲西さん宅」で行われたということで、それほど大きな催しではなさそうですが、6年前から開催されているとのこと。うまくプロモーションすればちょっとした名物イベントにまで育てられそうな素材ですが、そこまでには至らなかったようです。誰か、うまく復活させませんか?
豊浜の「讃岐干しうどん」
これまでの新聞記事発掘から「昭和の“流通うどん”は乾麺が主流だった」ということがわかりましたが、その乾麺処の一つ、豊浜町の「讃岐干しうどん」の生産の様子が記事になっていました。
年末年始の需要期控えフル生産 豊浜特産の乾麺
豊浜町の伝統産業の一つ、乾麺作りが年末年始の需要期を控え、フル生産に入っている。広い乾燥場に運び込まれた干しうどんは、幾筋ものすだれ模様を描きながら送風機で一昼夜じっくりと乾燥、「讃岐干しうどん」として出荷されている。
同町の製めん産業は、明治の終わりごろから大正にかけて始まったもので、現在では4軒の業者が干しうどんや冷やむぎ、そうめんなどの生産を続けている。当初、乾麺などの需要期は主に夏場が中心だったが、最近では讃岐うどんの見直しとともに、贈答用として日持ちする干しうどんが脚光を浴び、生産ピークも中元用と歳暮用の年2回を数えるようになった。”伝統の味”を守り「生麺よりコシがある」と評判の乾麺は主として中・四国、京阪神地方に出荷。町内のある業者は、このところ1ケース7.5キロ詰めで1日約100~120ケースを出荷している。好不況に影響されることの少ない業界だが、ここ数年は小麦粉の値上がりや夏場の長雨、冷夏などで売れ行きが伸び悩んでいた。
「4軒の業者」や「1日100~200ケースの出荷」が多いのかどうかわかりませんが、豊浜町の乾麺生産は、この頃はまだ「町の伝統産業」として知られていたようです。
山田竹系さんが、少々“お怒りモード”のコラムを…
久しぶりに山田竹系さんがコラムに登場していましたが、何やら“ご機嫌ナナメ”のご様子です(笑)。
コラム「月曜随想」/うどんアラカルト(山田竹系)
わがさぬきうどんの興隆につれて、県内の各家庭でも昨今「土三寒六」という言葉が急速に一般にひろがった。それはよいとして、ここに一つ困ったこともふえて来た。この言葉は大体うどんの本家本元の中国から伝わった言葉で、手打ちうどん、あるいはラーメン作りの基本的なもので、うどんを作る時の金科玉条であるというのだが、第一それが困ったのである。「土三寒六常五杯」の中には、「土」や「寒」などという字が入っているから、これはその昔の麺王国から日本に入ったものだという誤り伝わっておるからだろう。
それにつけてもわが国のうどんやラーメンは、さぬきから向こうへ行った弘法大師が帰国する時のおみやげと簡単に片づけてしまう。それはどちらにしても、何でも知ったかぶりをした郷土史家あたりが、どこでも言いふらすので、ちょっと聞いた人がすぐ間違えてしまうのである。この言葉も、うどん作りの秘法もまたはっきりした根拠はどこにもない。さぬきうどんのプロたち、何代もうどんで食べている人はそうでもなかろうが、他の府県からさぬきに転入して来た人たちには、せっかくのうどん作りの基本的な常識を全くの反対に受け取ってしまう人が多いから大変なのである。あるプロの一人は「わたしは、そんなむずかしい言葉は初めから知りません。子どもの時から親父やおふくろに教えられた通りにやっているだけです」と一向に問題にしていない。
それに香川県下には、いわゆるうどん屋さんが大体三千七百四十軒ほどあり、乾めんその他の玉うどんなどの製造家も六百軒あまりあるというが「さあーそんなにあるんですか、玉も日にどのくらいできるのかそれも知りません。玉の製造量なんかどうやって調べるのか、おそらくどなたもその全体の総数量を知っている人はおりますまい」と言うが、それが真実だと思う。
現在のところ、食塩と水の分量を正確に見分ける塩の比重計という寒暖計みたいな器械が、さぬきにはよく普及していて、本職はもちろん一般家庭でもたくさん持っている。うどん作りの時は、それで食塩の濃度を見分けて、割合簡単に作れるのである。
前に戻るが、土三寒六というのは、うどんをこしらえる場合の大体の目安になる素人に便利な言葉である。水だけでも塩だけのものでもない。しかし大ざっぱに言って、夏は水に対して大体食塩はニ対一くらい使う。それは夏と冬では塩の目方が違うから一概に夏は冬の半分くらいしか塩はいらないと割り切ってしまうのは間違いのもとで、寒中には比較的塩を少なく、水を多くするのが常識であり、あるプロによると、同じく雨がたくさん降って気温が下がるとその人のその時の勘で塩を少なめに、冬でも暖かい日は水を多くして手加減する。その時々によって変えることが多いので、なかなかむずかしいのである。遠方に送ったりする時は、日持ちするようにうどんは堅めに、そして辛くするのが本当であろうし、それを忠実にやってるプロも多い。
一昨年、東京の公正取引所では、わがさぬきうどんに限って販売するうどんに対して(乾麺も同様であるが)商品の上に、「本場特産さぬきうどん」と明示することが正式に認められた。今まではイタリアのスパゲティが量質ともに世界第一とされて来たが、今ではこれに代わって、日本製の麺、いやわがさぬき麺が世界第一等であると公に証明できたことであり、それも伝わってわがさぬき麺はまずイギリス・ロンドンの食堂に進出、そのメニューにはただうどんとだけではなく、わざわざ”さぬきうどん”と書いているらしい。
せっかくこの時期にさぬきに住むようになった県外人(いやさぬき人もふくめてだが)この際、本当のさぬきうどんをこしらえて、大いに栄養のあるうどんを作ってもらいたいと思うのである。それには土三寒六の言葉を忘れることなく、それを参考にしてやってもらいたいと思うのである。なお夏の場合は、食塩の濃度は約8度(冬はそれより少なめ)であることも付け加えたい。うどん屋さん、あるいは食品店にしても「うどんの日」に決まったという毎年7月2、3日の半夏生にしか品がないというのはうそだから、これもご参考に。(日本文芸学協会員、四国郷土研究会会長)
お怒りモードのせいか(笑)、話があちこちに飛んでちょっとわかりにくいですが、大意は「“土三寒六常五杯”を杓子定規に捉える向きがあって困る」みたいな話でしょうか。そこから「土三寒六」や「うどんの弘法大師持ち帰り説」について「何でも知ったかぶりをした郷土史家あたりが、どこでも言いふらすのでちょっと聞いた人がすぐに間違えてしまう」と、当時の読者なら誰を指しているのかわかるような“個人攻撃”(笑)に飛び火。続いて「うどん屋の数も、3740軒ほどあるというが、誰も知らないというのが真実だろう」と述べ、最後には「うどん屋さんや食品店が毎年半夏生にしか品がないというのはうそだ」と、四方八方に苦言が止まりません(笑)。それにしても、昔の新聞はこういう文章が結構載ってて、読者にはなかなか刺激的でおもしろかったんですね。
広告を出したうどん店は、過去最高の61店!
昭和57年の「新聞広告を出したうどん店」の数は、過去最高の61店を数えました。ちなみに、この10年の推移を見ると、
昭和48年… 8店
昭和49年…19店
昭和50年…33店
昭和51年…31店
昭和52年…40店
昭和53年…34店
昭和54年…40店
昭和55年…29店
昭和56年…45店
昭和57年…61店
となっていますから、明らかにこの年は急増しています。ただし、その一番の要因は前述した「さぬきうどんラリー」の協賛広告ですから、やはり広告営業マンの頑張りが大きいことは間違いありません(笑)。では、いつものように広告掲載店を並べてみましょう。
<県内うどん店>
【高松市・中心部】
「かな泉」 (高松市大工町他)……18本
「さぬきうどん」(高松市春日町他)……9本
「さぬき麺業」 (高松市松並町)………6本
「川福」 (高松市ライオン通)…4本
「更科」 (高松市ライオン通)…3本
「黒田屋」 (高松市古馬場町)……4本
「鶴丸」 (高松市古馬場町)……3本
「久保製麺」 (高松市番町)…………6本
「番丁」 (高松市番町)…………4本
「源芳」 (高松市番町)…………3本
「めん」 (高松市番町)…………1本
「浅草亭」 (高松市片原町)………1本
「さぬき一番」 (高松市南新町)………3本
「味味」 (高松市・トキワ街)…1本
「井筒製麺所」 (高松市西の丸町)……3本
「一代」 (高松市西の丸町)……3本
「松下製麺所」 (高松市中野町)………4本
「すゑひろ」 (高松市中野町)………4本
「丸川製麺」 (高松市中新町)………5本
「トミタ」 (高松市観光通)………4本
「丸山製麺所」 (高松市宮脇町)………3本
【高松市・郊外】
「花車」 (高松市元山町)………4本
「うどん矢」 (高松市林町)…………4本
「なかむら」 (高松市太田上町)……4本
「源氏うどん」 (高松市上福岡町)……3本
「野口製麺」 (高松市上福岡町)……3本
「ふるかわ」 (高松市木太町)………3本
「ふるさと」 (高松市木太町)………1本(7/29オープン)
「善や」 (高松市新田町)………3本
「やしま」 (高松市高松町)………3本
「わら家」 (高松市屋島中町)……1本
「狸うどん大井」(高松市春日町)………1本(4/2オープン)
「徳兵衛」 (高松市松福町)………1本(4/23オープン)
「元禄」 (高松市檀紙町)………3本
「桃山うどん」 (高松市勅使町)………1本
「なみき」 (高松市香西東町)……1本
【東讃】
「権平うどん」 (白鳥町)…1本
「吉本食品」 (大内町)…3本
「しど路」 (志度町)…1本(9/9オープン)
「門家」 (志度町)…1本(11/12オープン)
「八十八庵」 (長尾町)…6本
「野田屋」 (長尾町)…2本
「入谷製麺」 (長尾町)…4本
「郷屋敷」 (牟礼町)…6本(6/27オープン)
「つゞみや」 (牟礼町)…4本
「山田家」 (牟礼町)…3本
「船岡」 (香川町)…3本
「吉本うどん通」(香川町)…3本
【中讃】
「さぬき富士」 (坂出市)…1本
「まごころ」 (丸亀市)…5本
「にゅー浦島」 (丸亀市)…3本
「こんぴらうどん小河」(琴平町)…3本
「小縣家」 (満濃町)…4本
【西讃】
「どん」 (観音寺市)…3本
【島嶼部】
「島一番」 (土庄町)…3本
「寒露うどん」 (土庄町)…1本
「すえ宏」 (内海町)…4本
<県外うどん店>
「松野たらいうどん」(徳島県土成町)…2本
「川福」 (大阪市南区)…………1本
「めん坊」 (京都市中京区)………1本
「玉藻」 (東京都港区新橋)……1本
<県内製麺会社>
「中村要商店」(高松市六条町)……3本
「古川食品」 (高松市川島東町)…3本
「国方製麺所」(高松市多肥上町)…3本
「藤井製麺」 (三木町)……………1本
「石丸製麺」 (香南町)……………1本
「柳屋」 (坂出市白金町)……3本
「香川食品」 (善通寺市)…………4本
「日糧」 (詫間町)……………1本
「武田製麺」 (内海町)……………3本
<県内製粉会社>
「日清製粉」 (坂出市)……………5本
「吉原食糧」 (坂出市)……………3本
「木下製粉」 (坂出市)……………3本
「日讃製粉」 (多度津町)…………4本
「豊国製粉所」(観音寺市)…………3本
「安田製粉」 (内海町)……………3本
<その他うどん業界>
「香川県製麺組合連合会」……………1本
「さぬき麺機」(高瀬町)……………2本
オープン広告は高松市郊外と東讃に6本
地域別に見てみると、この年のオープン広告は高松市郊外と東讃に集中していました。
●「狸うどん大井」(高松市春日町)…4月2日オープン
●「徳兵衛」(高松市松福町)…4月23日オープン
●「郷屋敷」(牟礼町)…6月27日オープン
●「ふるさと」(高松市木太町)…7月29日オープン(高松市木太町にオープンした「ホームセンター・デイリー」の広告内に掲載)
●「しど路」(志度町)…9月9日オープン(志度町にオープンした「シートピア・シド」の広告内に掲載)
●「門家」(志度町)…11月12日オープン
「かな泉」の広告に怪しいメッセージが(笑)
いつもちゃんとデザインされた広告を出す「かな泉」が、広告の冒頭にいきなり「森村さんも食べに来ませんか」という怪しいメッセージを出していました(笑)。誰だ、「森村さん」って。「うどん」で「森村」で「食べに来ませんか」となると、「麺製森村」しか思い浮かばんのやけど(笑)。いずれにしろ、さすが天下の「かな泉」ならではの斬新な広告アプローチ!(笑)
『月刊タウン情報かがわ』創刊
私事ですが、平成の「讃岐うどん巡りブーム」を起こした『月刊タウン情報かがわ』が4月25日に創刊し、さっそく求人広告を打っていました。筆者が初代編集長ですが、何しろ素人ばかりわずか4人でスタートしたので、人が足りません(笑)。ちなみに、ブームの発端となった「ゲリラうどん通ごっこ」の連載は創刊から7年後の1989年(平成元年)です。