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vol.18 うどん巡り客数

「讃岐うどん巡り」にやって来る県外客の数はどれくらいいるのか?

(取材・文:  グラフ作成:篠原楠雄)

  • [nazo]
  • vol: 18
  • 2020.01.09
 1990年代中盤に勃発し、2000年代にピークを迎え、そのまま“高値安定”で今日に至る「讃岐うどん巡りブーム」ですが、「讃岐うどん巡り」にやって来る県外客の数は年間どれくらいいるのか? と問われると、おそらく誰も答えられないでしょう。なぜなら、今日まで誰も、その数字をカウントしていないからです。

 香川県では今、観光に関するいろんな調査をもとに、毎年「県外観光客入込数」や4大観光地(琴平、栗林公園、屋島、小豆島)別の入込数、交通機関別の入込数、月別の入込数、宿泊者数、消費金額の目的別割合…等々、かなり詳細な観光データを発表しています。また、「香川を訪れた外国人観光客数(いわゆる“インバウンド”)」も毎年発表されていますし、3年に1回開催している瀬戸内国際芸術祭に至っては、100日を超える開催期間において毎日数十カ所で来場者をカウントして詳細な人数を報告している(重複カウント方式で実数の数倍の数字を発表していますが・笑)。なのに、「うどん県」まで宣言している香川県が、「讃岐うどん巡りにやって来る県外客数」が年間数万人なのか、数十万人なのか、あるいは数百万人なのか…そんなアバウトな数字すら推計して発表したことがないとはいかがなものか?

 というわけで、とりあえず、県が毎年発表している「香川県の観光客入込数」の数字から「讃岐うどん巡りにやって来る県外客数」についてこんな推計をしてみました。

香川県の県外観光客入込数は「橋」で大きく動いてきた

 最初に、県が発表している観光客に関する基礎データを確認しておきましょう。「表1」は、県のホームページに載っている「香川県観光客動態調査報告」の中の「県外観光客入込数」と「主要観光地(琴平、栗林公園、屋島、小豆島)入込客数」の推移です。

表1

 この数字の算出方法は、以下の通りです。

 まず、「県外観光客入込数」は「JR、船舶、航空機および高速道路の利用者数をもとに香川県内への県外観光客入込数を推計」とありましたので、おそらく各交通機関の管理会社から「香川に入ってきた人の数」の報告を受け、その数字に何らかの係数を掛けて算出した推計数字だと思います。入込総数には観光客の他にビジネス客や通勤、通学客、帰省客等々が混在していて、それを分けてカウントすることは不可能なので、「入込総数の○%が観光客」みたいな計算をするしかないからです。従って、個々の数字は係数の設定一つで違う結果を出せることになりますし、また、一般道を使って香川に入ってきた観光客はカウントされていませんから、ここに報告されている「県外観光客入込数」はあくまで「推計」であって、数字自体にはあまり厳密性はありません。ただし、毎年同じ算出方法を使っているとすれば、その「推移」だけはある程度信用できると思います。

 次に、「主要観光地の入込客数」は「各施設からの報告」とありましたから、おそらく栗林公園は入園者データから、屋島はドライブウェイの利用者数(無料化後は山上駐車場利用者数)から、それぞれある程度実数に近い数字だと思われます。また、小豆島も船で行くしかありませんから、船の乗降客数に何らかの“観光客係数”を掛けたそれなりの推計だと言えます。しかし、琴平はアプローチがJR、琴電、車、バス等々多岐にわたり、その一つ一つがきちんとカウントされているとは思えないので、かなりアバウトな数字が報告されている可能性があります。ただし、こちらも毎年同じ算出方法を使っているとすれば、その推移はある程度信用できると思います。

 では、そういう数字の前提を踏まえて、入込数の「推移」がよくわかるようにグラフ化してみましょう。

グラフ1

 大きな動きに注目すると、まず「県外観光客入込数」が前年から50万人以上増えた年が過去4回あります。

(1)1988年…「瀬戸大橋開通」により、前年より545万人増。
(2)1991年…前年より58万人増。理由はよくわかりません。
(3)1998年…「明石海峡大橋開通」により、前年より98万人増。
(4)2009年…本四連絡橋(瀬戸大橋、明石海峡大橋、しまなみ海道)の通行料が土日上限1000円になったことにより、前年より58万人増。

 四国は島であるため、交通手段の利便性の向上が入込数の増加に即効で効いていることが如実にわかります。ちなみに、2010年から3年ごとに開催されている瀬戸内国際芸術祭は、第1回(2010年)の述べ来場者数が94万人、第2回(2013年)が107万人、第3回(2016年)が104万人と発表されていますが、グラフには「100万人増の突出した山」は一度も現れていませんので、ここでも「発表来場者数の重複カウント」があからさまにわかる結果になっています(笑)。

 また、外国人観光客、いわゆる「インバウンド」が増え始めたのは2013年頃からで、観光庁のデータによると、香川県の外国人延べ宿泊人数は、
2013年…10万人
2014年…14万人
2015年…21万人
2016年…36万人
2017年…48万人
2018年…55万人
と着実に増えています。「宿泊人数(述べ)」ですから「入込数」は「述べ」を差し引いてももっと多いと思われますが、インバウンドの大半は中国、韓国、台湾からの来訪者ですから、その来県目的は一般的な「観光」や「爆買い」が中心で、インバウンドに限って言えば「讃岐うどん巡り」や単発イベントの「瀬戸内国際芸術祭」は付帯的な目的の要素が強いと思われます。

 しかし、グラフで最も目を引くのは、「香川の4大観光地」と呼ばれる琴平、栗林公園、屋島、小豆島の入込客数の減少ぶりです(ただし、ここにある「4大観光地の入込客数」には県内客も含まれています)。瀬戸大橋開通以降、「4大観光地」の入込客数はずーっと減り続けています。ところがその間、香川県全体の「県外観光客入込数」はジワジワと増え続けている。これはどういうことなのか? 

「香川に来たのに4大観光地に行かずに帰った人」がどんどん増えている?!

 象徴的に見るために、「4大観光地への入込客数(県内客含む)」を合計し、その推移を「県外観光客入込数」の推移と比べてみましょう。

表2

グラフ2

 まず、「4大観光地への入込客数の合計(県内客含む)」は、1987年から1991年までは「県外観光客入込数」を上回っています。これは、4大観光地への入込客数に県内客が含まれているからだけではなく、カウントの仕方にもその理由があります。例えば1人の県外観光客が琴平、栗林公園、屋島、小豆島の4カ所を回って帰ると、それぞれの観光地で「1」とカウントされるため「4大観光地への入込客数の合計」は「4」となりますが、県外から来た人は1人だけですから「県外観光客入込数」は「1」となる。つまり、もし県外から香川に来た観光客が全員4大観光地を全部回ったとすると「4大観光地への入込数の合計」が「県外観光客入込数」の4倍になるわけですから、4大観光地が香川観光の主流だった時代は当然、「4大観光地への入込客数の合計」が「県外観光客入込数」を上回ることになるわけです。

 ところが、グラフを見ると1992年にそれが逆転し、以後、その差はどんどん開きながら今日に至っていることがわかります。これを数字で見れば、1998年にその差は100万人を超え、2001年には200万人差、2009年には300万人差、そして2012年には400万人もの差に広がっているのです。しかも、前述したように「4大観光地への入込客数の合計」には県内客が含まれていますから、県外客だけとなると、その差はもっと大きくなります。

 ちなみに、4大観光地への入込客数のうち県内客と県外客の割合はデータがないのでよくわかりませんが、推測するなら、瀬戸大橋や明石海峡大橋開通時の急増やその後の減少は「県外客」の動きによるものが大きいと思われます。また、2010年代初頭以降は瀬戸内国際芸術祭や中国、韓国等からの県外観光客が増えているのに4大観光地の入込客数は増えていませんから、このあたりは「4大観光地に行く県外客は減っていないが、県内客が減ってきた」のかもしれません。

 しかしそれでも、大きく捉えれば、少なくとも1995年頃から2010年頃まではグラフ内の2本の折れ線の幅が大きく縮まるとは思えません。そして、この「2本の折れ線の幅」は、象徴的に言えば「県外からわざわざ香川に来たのに琴平も栗林公園も屋島も小豆島も行かずに帰った人」を示しているのです。では、その人たちは香川に来てどこを巡って帰ったのか?

県外から「讃岐うどん巡り」に来ている人は年間300万人以上か?!

 その最も有力な仮説は、「讃岐うどん巡りをして帰ったのではないか?」でしょう(笑)。なぜなら、1990年代中盤から2010年にかけて「県内入込総数」と「4大観光地入込客数」の差が逆転して広がっていく間、香川の観光に関する大きな話題がこの「讃岐うどん巡りブーム」くらいしかなかったことに加え、その「差」がどんどん拡大していく経過が「讃岐うどん巡りブーム」の勃発からピークを迎えるまでの経緯と見事にシンクロしているからです。改めて「讃岐うどん巡りブーム」の勃発からピークまでの経緯を並べてみましょう。

*****

1989年…『月刊タウン情報かがわ』で怪しい製麺所型うどん店の穴場探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」の連載が始まる。
1993年…「ゲリラうどん通ごっこ」を加筆編集した単行本『恐るべきさぬきうどん』第1巻発刊。
1994年…『恐るべきさぬきうどん』第2巻発刊。RSK山陽放送の『VOCE21』が「穴場讃岐うどん巡り」の特番を始める。

(上記「差」が50万人を超える)

1995年…全国ネットの雑誌とテレビが「穴場製麺所型讃岐うどん店」の紹介を始める。
1996年…『恐るべきさぬきうどん』第3巻発刊。
1997年…全国ネットの雑誌で「穴場讃岐うどん特集」のラッシュが始まる。
1998年…全国ネットのテレビで「穴場讃岐うどん特集」のラッシュが始まる。

(上記「差」が100万人を超える)

1999~2001年…全国ネットの雑誌、テレビの「穴場讃岐うどん特集」の猛威の影響で、讃岐うどん巡りブームが第一次のピークを迎える。

(上記「差」が200万人を超える)

2002年…「はなまるうどん」「めりけんや」が讃岐うどん店の全国展開を始める。
2006年…映画『UDON』公開で、讃岐うどん巡りブームが第二次のピークを迎える。
2009年…本四架橋の通行料が土日上限1000円になり、讃岐うどん巡りブームが第三次のピークを迎える。

(上記「差」が300万人を超える)

2011年…「本四架橋上限1000円」が終了。香川県が「うどん県」宣言をする。

2012年…(上記「差」が400万人を超える)

*****

 では、これらを踏まえて本稿の本題、讃岐うどん巡りブームが最大のピークを迎えた2009年の数字から「県外から讃岐うどん巡りに来る人の数」を推測してみましょう。

(1)まず、2009年に県外から香川に観光目的で来たのは872万人。
(2)2009年に4大観光地に行った人は568万人ですが、そのうち仮に県外客が半分くらい(約280万人)いたとすると、「県外から香川に観光目的で来たのに4大観光地に行かなかった人」は872万人ー約280万人=約600万人。
(3)「県外から香川に観光目的で来たのに4大観光地に行かなかった人」約600万人のうち、「讃岐うどん巡り」以外の観光あるいはレジャー等の目的で来県した人が仮に半分くらいいたとすると、これを2で割って、県外から讃岐うどん巡りに来た人は年間約300万人。
(4)さらに、「讃岐うどん巡りに来たけれど、ついでに4大観光地のどこかにも行った」という人がいるはずですから、そのあたりをアバウトに加算すると約350~400万人。

 という試算になります。「いくら何でも300万人、400万人は多すぎるのではないか?」と思われるかもしれませんが、872万人のうちの300~400万人、すなわち県外観光客入込数の35%~45%が「讃岐うどん巡り客」だったという数字ですから、あのピーク時に香川県中で繰り広げられた殺人的な大行列を思い起こせば、かなりうなずける比率ではないでしょうか(冒頭に紹介したように、そもそもの「県外観光客入込数872万人」という数字自体があまり厳密な数字ではありませんが・笑)。そう考えると、「讃岐うどん巡りブームのピーク時における県外からの讃岐うどん巡り客」の数として、上記試算の「年間300万人以上」というのはかなりいい線ではないかと思います。

 ちなみに、上記(2)の4大観光地入込客数に占める県外客の割合の「仮に半分」のところを「半分以下」に仮定すると「県外から讃岐うどん巡りに来た人」は300万人を超え、逆に「半分以上」にすると300万人を割りますので、もしどこかに「4大観光地入込客数」の県外客比率のデータがあれば、それを当てはめて計算してみてください。

 ついでにもう一つ、直近の2018年の数字で上記と同様の計算をしてみると、

(1)県外観光客入込数、942万人。
(2)4大観光地の入込客数、454万人。そのうち県外客が半分くらいだとすると、「県外から香川に観光目的で来たのに4大観光地に行かなかった人」は942万人ー約230万人=約700万人。

…となり、「讃岐うどん巡り客」が300~400万人を維持しているとすると(あれからどんどん伸び続けているという印象はありませんので)、瀬戸芸効果やインバウンドブームや“インスタ映え”ブーム等々で、これも300~400万人の上乗せ効果が出ているのかもしれません。ただし、繰り返しますが、そもそもベースの数字となる「県外観光客入込数」と「4大観光地入込客数」がアバウトな推計ですので、これらは「推計の推計」だということでご容赦ください。いずれにしろ、「うどん県」たる当局が今後、何らかの方法で毎年「讃岐うどん巡り客」の数字を推計してくれることに期待しましょう。

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