さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.13 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和31年(1956)> 

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 13
  • 2019.08.19

うどん産業は依然として乾麺文化、県内では「うどん」はまだまだ庶民の食べ物扱い

 昭和30年と同じような見出しになりましたが、昭和31年も「讃岐うどん」はまだまだ、今日のような「全国~世界に誇る香川の食文化」的な存在にはなりません。けれど、いろんな記事に「うどん」の話題や文字が出てくるように、庶民の食べ物としては紛う事なき香川のソウルフードであったことは間違いありません。改めて言うまでもなく、本稿は「新聞に載ったうどん」だけで紡いでいく企画なので、新聞に載らない“生活うどん”のシーンは「昭和の証言」や「開業ヒストリー」から読み取っていただければと思います。では、小ネタがかなり増えてきた昭和31年の「新聞で見る讃岐うどん」を、どうぞお楽しみください。

東京の即売会で「手打ちうどん実演販売」が初登場

 前年の物産展、見本市ラッシュから明けた昭和31年も年度当初の4月から香川県主催の「香川の有名食料品展示即売会」が東京新宿三越地下食料品売場で開催されましたが、そこに「手打ちうどんの実演」が出てきました。

(4月8日)

有名食料品の展示即売会好評

 香川県主催の有名食料品の展示即売会は3日から15日まで東京新宿三越地下の食料品売場で催されているが、総出品60余点で、煮干、干えび、手打うどん、みそなどは特に好評を得ている。

(4月10日)

人気呼ぶ手打ちうどん 東京で開催の県食料品展示即売会好評

 全国知事会議に出席のため上京中の大野香川県出納長は、東京新宿三越の「香川の食料品展示即売会」と三越本店の「全国物産展」を視察したが、「成績は非常によい」と次のように語った。「1日の平均売上げは新宿で4万円、本店で1万円、どちらも品がすれの好評ぶりだ。とくに新宿では手打ちうどんの実演が大変な人気を呼び、飛ぶような売行きを示している。これを機会に讃岐特産の手打ちうどん、手打ちそうめんの東京進出を本格的に取り上げるべきだ。このほか、瓦せんべい、しょう油のもろみなどもよく売れ、即売会は大成功だと思う」

 新宿三越で開催された展示即売会は「地下食料品売場で60点あまりの香川の有名食料品を展示即売」ということなので、「催し物会場で北海道展」みたいな規模ではないと思いますが、そこで手打ちうどんの実演が大変な人気を呼び、飛ぶような売れ行きを示したそうです。ただし、飛ぶように売れたのが「乾麺」なのか「生うどん」なのか「半生うどん」なのか「ゆで麺」なのか、あるいはそこで「かけうどん」とかを出したのか、肝心のそこが記事からは全然わかりません。「当たり前のことは記されない」というのは歴史上の文献の法則ですが、新聞記者の方、そこは書いておいてくれないと(笑)。いずれにしろ、新聞記事に「手打ちうどん実演販売」が載ったのはこれが初めてです。

 次は、「ビタミン入りのうどん」が普及してきたというニュース。

(6月29日)

ビタミン入りのうどんお目見得

 食生活改善の新しい方法として登場したビタミン入りの強化食品は、県下でも強化米の配給をはじめ、味噌、豆腐、うどんなどもすでに売り出されているが、殊にうどんは試食期も終わって、最近、職場の食堂や学校の給食用として広く普及してきた。もともと讃岐うどんは全国の元祖で千年の歴史を持ち、主食として広く一般にも好まれているが、今までは栄養に欠ける欠点があった。この欠点を補うために、もと県議の旅田彦市氏が世界的に専売特許をとった「ゆでても溶解しないビタミンを使って強化した”旅田の栄養玉うどん”」を初めて製造したのがそのきっかけで、従来の玉うどんよりおいしく、10倍の栄養があり、価格も安くして食生活改善に奉仕しようと東浜にある綾川産業でどんどん製造中で、「とかくビタミン不足になる盛夏にかけて、2玉で1日の必要量をとる手頃なビタミン剤として大いに普及させたい」と言っている。

 昭和31年は庶民の食生活において栄養不足が話題になった年(後述)で、それを補うためにビタミン入りの味噌や豆腐、うどんといった強化食品が売り出されていたようですが、その「ビタミン入りのうどん」のきっかけとなったのが、元県議の旅田彦市氏が“茹でても溶解しないビタミン”を使って開発した「旅田の栄養玉うどん」うどんだったそうです。「旅田の栄養玉うどん」は「世界的に専売特許を取った」そうですが、新聞では開発が成功して特許を取った時の記事は見つかりませんでした。

 ちなみに、記事中に「もともと讃岐うどんは…」という記述がありますが、実はこれまで新聞記事に「うどん」や「乾麺(干めん、カンメン等々)」の文字は何度も何度も出てきたけれど、「讃岐うどん」と書かれたのはたぶんこれが初めてです。

三木武吉先生、ご逝去

 さて、昭和31年の大きなニュースは、香川が生んだ大物政治家・三木武吉先生のご逝去(7月4日没)です。三木先生の偉大な功績はあちこちの資料文献に残されていますのでここでは書きませんが、追悼記事でコメントを寄せていた同窓生のお二人が、いずれも「うどん」の話を持ち出していたのが印象的でした。

(7月5日)

三木武吉追悼記事

●うどん食い逃げに責任とる(高中時代の同級生 十河嘉吉氏)

 三木君とは家も近く、ガキ大将時代ずっと一緒だった。家は刀剣などを扱う武具屋で、貧しいようであった。子供のときから責任観念というか、犠牲心が強く、たしか中学3年であったか、「学校からの帰途、数人がウドンの食い逃げをした」というのが学校に知れ、三木君ひとりで責任を背負って出て、これが原因で放校されたことはよく言われている通りだ。

 彼は一時小豆島あたりで小学校の代用教員を勤め、その後東京へ遊学した。金銭に対してもきわめて淡白な逸話は政界に入ってもよくあり、金に困って奥さんまで里に一時帰らしたということを聞いている。たまたま金が手に入って家に持って帰っても、中身は全然言わずにポンと投げ出して「仕末をつけておけ」といった調子だった。帰郷のたびに必ず会っているが、今年の春が最後になってしまった。とにかく大人物を失い、友人の一人を亡くしたことは淋しい。もっと仕事をしてもらいたかった。

●非凡、放れ業も!(東京専門=早大=の同窓 笠井宗一氏)

 明治30年高松中学に三木氏と一緒に入学、以来交際を続けていますが、若いときはよく遊んだものだ。中学時代、三木さんや私らで7人組というものをつくり、市内のある街角でウドンを食ったとき、借金を催促されたのに腹を立て屋台をひっくり返すという乱暴を働き、あまり遊んだので三木さんは3年で、私は4年で退学させられた。

 明治34年、東京専門学校に入ったのも一緒であり、同じ法科で机を並べて学んだこともあるので、戦時中の昭和19年には一時私の家に疎開をして来ていました。とにかく突飛なことをする人であったので、非凡な人であると思っていたが、そのとおり政界でも放れ業をやってのけた。三木さんの死は香川県はもちろん、日本としても大きいマイナスである。

 当時の香川県人が三木武吉先生を語る時に必ずと言っていいほど出てくるのが、かの有名な「うどん食い逃げ事件」です。今日、「香川の政治家とうどん」というテーマで特集するなら、
(1)「うどん食い逃げ事件」と「屋台ひっくり返し事件」を起こした三木武吉先生。
(2)「ざるうどん」を命名したと言われる大平正芳先生。
(3)県外出張にお土産うどんを持って行くなど積極的に讃岐うどんを全国にPRしたと言われる金子正則知事。
がトップ3だと思いますが、いかがでしょう。三木先生のエピソードだけ「武勇伝」ばかりで、讃岐うどんの歴史に貢献したという話ではありませんが(笑)。

(10月13日)

故三木武吉老をしのぶ会

▽保守政界の大立物、故三木武吉老が死んで100カ日にあたる11日、生前の”三白眼”をしのぶ追悼の催しが東京都台東区上野桜木町の旧三木邸で行われた。庭内の一隅に故人の肉筆「淡如雲」(あわきことくものごとし)を刻んだ犬余の石碑が建てられたので、その除幕式かたがた、故人のニックネーム”狸おやじ”に因んで参会者に”たぬきうどん”をフンダンに振舞った。集まったのは砂田重政、松村謙三、船田中、中村梅吉、安井誠一郎など政界のお歴々をはじめ500人。たぬきうどんのサービスに、道行くおかみさんや子供たちもうれしそうに故人の”余恵”に浴した。

 続いて10月13日に東京上野の旧三木邸で追悼会が行われましたが、そこでも列席者にうどんが振る舞われました。さらに「道行く人」にまでサービスされたという話は、これぞまさに「おもてなしの讃岐うどん」の真骨頂(笑)。ちなみに「たぬきうどん(たぶんうどんに揚げ玉が乗ったものだと思われます)」は、今日の香川では全く定着しておりませんが、何ででしょう。名前が「讃岐うどん」と紛らわしいから…ではないと思いますが。天カスなんかタダだったからですかね。

給食とうどん

 次に、給食関係の記事に出てきた「うどん」をいくつか。

(1月20日)

昼食に温いとうふ汁 羽床上のお母さん達 学童へ奉仕の炊事

 子供達に”温い昼食を”と、香川県綾歌郡綾上村羽床婦人会では会長竹内花子さんらが中心となり、去る10日から同地区27部落が毎日交代で朝早くから羽床上公民館の炊事場を利用して持ち寄った小麦粉、大豆、野菜などでうどんとうふ汁などをつくり、昼食時には小、中学校生徒、幼稚園幼児ら約600余名に与えており、2月末まで毎日続けるが、子供達は「お母さん達のおかげで毎日温い昼食が食べられる」と喜んでいる。

(2月3日)

温くてうまいよ! 岡田村でもPTAが給食奉仕

 香川県綾歌郡岡田小学校と同保育所のPTAでは、去る9日から毎日部落毎に婦人たちが交代で朝早くから学校炊事場に大豆、小麦、野菜などを持ち寄ってうどん汁、とうふ汁などをつくり、子供達920余名に給食しているが、お母さんたちの努力で子供達は寒い冬でも暖い昼食が食べられるので大喜び。

 どちらも綾歌郡の話題。上の記事には「うどんとうふ汁」、下の記事には「うどん汁、とうふ汁」とありますが、どっちも大豆、野菜、小麦粉を持ち寄って作っているようなので同じようなものかもしれません。野菜の入ったうどんだから「しっぽくうどん」のような印象がありますが、しっぽくうどんではなくて「うどん汁」と呼ばれていたようです。

 続いて、(高松)市内の学校給食の献立調査結果が載っていましたので、年配の方は懐かしみながらご覧ください。

(2月5日)

市内学校給食献立調べ お母さん デザートもついてます

 市教委では市内の学校給食実施献立調査を行っていたが、このほどまとまった。これによると、献立料理種類別では汁物料理が全体の23.8%で最高を示し、加工パンではバター付きパンが全体の42.1%、脱脂粉乳(液体乳)ではその利用状況はミルクが最も多く、1327回に上っている。調査対象は17校、調査期間は昨年1月から同年11月末まで。

【実施献立料理種類別比率】
汁物料理23.8%、メン類料理9.7%、揚物料理9.3%、サラダ類料理8.5%などとなっており、このほか煮豆、炒煮、焼き物などがある。

【加工パンの利用状況】
パター付きパンが42.1%、ジャムパン20.2%、豆パン13.6%、あんパン10.6%、ミルクパン7.8%、カナッペ3.9%で、その他クリームパン、サンドウイッチ、ホットドッグなどとなっている。

【脱脂粉乳の利用状況】
液体乳で、ミルク1327回、ココア入りミルク11回、コーヒミルク9回、ピーナツミルク6回など。

【給食実施献立種類別による実施比率】
汁物料理は698回で、このうち最も多いのは味噌汁(含白玉汁)で133回、ついでシチュー127回、カレー汁85回、うち込汁60回、さつま汁59回、豆腐汁46回、吉野汁43回、清汁30回などが主なもので、このほか、かきたま汁(親子汁を含む)、けんちん汁、呉汁、クラムチャウダー、村雲汁、ネギま汁など季節に応じた盛沢山な料理汁が織込まれている。

▽煮物料理では655回給食しており、このうち最も多いのはおでん関東煮137回、ついで牛肉野菜煮込、すき焼風煮などが86回、野菜煮込67回、魚と野菜煮付42回、カレー煮37回などで、このほか品目では五目煮、中華煮、支那風煮、厚揚、油揚の煮付、八宝菜などが主なもの。

▽メン類料理は286回で、内訳は五目うどん、かやくうどん、肉うどん、きつねうどん、親子うどん、カレーうどん、天ぷらうどん、焼そばなど。

▽揚物料理は273回で、内訳は魚フライ、精進揚、コロッケ、野菜空揚、大学芋甘藷、ドーナツ、魚空揚、いかなごかき揚など。

▽サラダの和え物料理は250回で、内訳はサラダ類、酢の物ピーナツ和え、味噌和え、ゴマ和え、にしき和えなど。

となっている。このほか、煮豆料理192回、炒煮料理138回、ユデ物料理128回、焼物料理28回などとなっており、その他、食後の果物が99回、するめデンブ、だんご、せんべい、アメ湯などが特異なものとしてあげられる。

 脱脂粉乳の時代ですが、汁物、煮物の献立がかなり充実している様子。昭和31年の学校給食に、すでにクラムチャウダーやサンドイッチ、ホットドッグからカナッペなどというハイカラ(笑)な名前が見られます。うどんメニューも五目うどん、かやくうどん、肉うどん、きつねうどん、親子うどん、カレーうどん、天ぷらうどんなどが給食の献立で出ていたとのこと。筆者は昭和30年代後半に西讃郡部の小学校で給食を食べていましたが、そんなバラエティーなうどんメニューなんか出た記憶がないので、「やっぱ、高松は違ってたんだなあ」というのがこれを見た第一印象(笑)。

うどんを「ロング」と言ってた人がいたのか!

 その他のうどん関連記事を拾っていると、こんなのが見つかりました。

(1月31日)

連載/うちのパパ② うどんと碁が好き 浅酌深酔 あとはグウグウ

 「パパは昔からおうどんが大好き。三度が四度でもロング(おうどん)で結構というほどロング好き。だのに一向に太らず骨皮筋衛門で、おまけに背が低い。でも、この背の低いおかげで、戦時中、パパには赤紙が来ませんでした。そのころのパパは肩身のせまい思いをしたらしいけれど、今から考えると幸いでした」。○○郵便局の○○次長さんの茶の間へまかり通った記者に、末っ子の○子さん(19)は無邪気にパパ談義をしてくれるのだった。(以下略)

 「うちのパパ」という連載で、某郵便局の次長さんの娘さんが「パパ」を紹介した記事ですが、うどんを「ロング」と呼んでいます! うどんを「ロング」と呼ぶのは古今東西、筆者は寡聞にして見たことも聞いたこともありません。この娘さん、昭和31年に19才ということは戦前生まれですが、この時代にお父さんのことを「パパ」と呼ぶようなお嬢様なので、このおうちだけうどんを「ロング」と言っていたのか? それとも、当時はそこいら中でみんなうどんを「ロング」と呼んでいたのか? 食堂のメニューにも「かやくロング」とか「きつねロング」とか書いていたのか? 絶対書いてないわ!(笑)

 じゃ、気を取り直して庶民のうどん事件を一つ。

(3月23日)

窃盗現行犯で逮捕

 高松署では21日夜、高松市南紺屋町、うどん製造配達A(18)を窃盗現行犯で逮捕した。Aは同日午後8時半ごろ、主人の同うどん製造業○○○○○(43)所有の現金6万800円、額面3万1700余円の小切手、書類在中のズック製手提袋を8畳間奥座敷の茶ダンスの中から盗んでいたもの。

 毎年の職安の求人欄に「住込」というのがたくさん出てきますが、おそらくその「住み込み」で働いていると思われる従業員が住み込み先で起こした窃盗事件。ちなみに、こいつは絶対うどんを「ロング」などと言ってないと思います(笑)。というわけで、この年の「うどん」関連記事は以上。

やはり香川のうどん産業の主流は「乾麺」

 続いて、製麺関連の記事です。

(6月17日)

製麺業界に朗報 坂出市の西川氏 オートメーション化に成功

 雨の日にも晴天の日と同じようにめん類の製造ができるようになった。これは業者にとって長い間の念願で、坂出市内の熱心な一業者の新工夫によって果され、梅雨期をよそにどしどしと生産をあげている。

 坂出市明神町の製めん業、西川春夫氏(45)が考案者で、同氏は早大理工科出身。毎年最盛期前の梅雨に対する悩みを解決するため、昨年来研究を重ね、めん類の室内移行乾燥装置、スクリュー・コンベアーによる原料運搬装置を完成。小麦から製粉、めん類製造を年中無休で続けられるオートメーション化に成功、めん類製造業改革のテストケースとして効果をおさめている。新工夫された同装置は次の通り。

 原料だめからミックスされた材料が45度の傾斜したスクリュー・コンベアー(従来水平装置のみで傾斜装置は不可能とされていたものを同氏が改革)によって製麺機に運ばれ、同機から出てくるめん類は自動的に適当の長さに切断されると共に棒にかけられ、直ちに一定間隔をおいて室内移行機に乗せられる。そこから75尺の南面した廊下を徐々に乾燥室に移され、その間、晴天の日は太陽熱を利用する。

 乾燥室は20坪。天井に4筒、中間に10筒のファン(送風機)があり、絶え間なく送られる乾燥した熱風で室内温度を平均30度に保っている。移行機に吊るされためん類は室内を6回往復して約4時間後には乾燥したものとなって出て来る。製品までの所要時間4時間、毎時間の生産量は18キロ入り15箱、1日10時間運転で150箱という。雨天でも夜中でも平均生産が可能なので、1日24時間、360箱生産も不可能ではない。これだけの装置の製作費は30万円程度。なお、同氏は移行機を晴天の場合は屋外で完全に太陽熱を利用するよう切り替え装置を計画している。

 乾麺製造用の乾燥機ですね。業務用の大型製麺機は戦後すぐに登場していましたが(「昭和21年」「昭和24年」参照)、香川のうどん産業の中核だったと思われる「乾麺」は、記事に「雨の日にも晴天の日と同じようにめん類の製造ができるようになった」とあるように、それまでは全て天日干しだったようです。それを、屋内で熱風を当てながらぐるぐる回して乾燥させる装置が開発されたとのこと。いずれにしろ、昭和31年もやはり、産業としての讃岐うどんは乾麺が主流です。

 次は、香川の押麦(裸麦を押しつぶしたやつ)と乾麺の批判会のアンケート結果。

(9月1日)

”押麦、もう少し白く” 愛知など精麦卸業者のアンケートまとまる

 香川県では去る7月4日、名古屋市で開いた県産麦製品展示批判会で出席の愛知、岐阜、山梨、長野、石川、福井各県精麦卸売業者に対してアンケートを出し、県産麦製品に対する批判を求めていたが、約60名から解答があったのでまとめていたが、31日まとまった。これによると、押し麦の搗精度はもっと白いものを希望するのが多かった。なお、県では従来あまり進出していない中京地区を中心とする山静、北陸あたりの好みがわかったので、これを参考に産麦製品の改善をはかることになった。なお、この批判会の結果、手延べそうめんが15トン取引されたほか、乾めん類の引合いが数件あった。アンケートによる批判の主なるものは次の通り。

【押麦】
▽搗精度はもっと白いものを希望するが、ひしぎ具合は現在くらいでよい。
▽製品はもっと乾燥してほしい。
▽規格の統一については「現在のままでよい」とするものと「統一した検査を行うべきだ」との意見が半々である。
▽内容量や包装はだいたい正確である。
▽取引方法については愛知、東京ものとくらべて30円ないし50円高なので、この点、運賃などを考え競争取引するほか、原麦は全国的に一流品なので製品も一流品を出してほしい。

【乾めん類】
▽製品の白さは「現在でよい」というものと「もっと白くせよ」という意見が半々であった。
▽乾燥は現状でよい。
▽製品の規格は現在程度でよく、扁平なものが好まれる。
▽包装、荷造りは木箱18キロ入で一束100匁くらいがよい。
▽よく売れる時期は7、8月であり、次いで3月から6月にかけてである。

 なお、同地方における初展示会でもあったので評判がよく、「消費地の声を聞く会を時々には開いてほしい」との希望が圧倒的であった。

 乾麺は「平べったいものが好まれる」と。夏場は特に稲庭うどんとかきしめんとか、ああいったスルスルと食べられるのが世のお好みということなのでしょうが、乾麺はどうしても形状や食感が均一化してしまうため、「競合商品との差別化」という点では少々弱いところがあります。従って、当時の「讃岐の乾麺(うどん)」は、その立ち位置が今日の差別化された付加価値のある「讃岐うどん」とはかなり違っていると思われます。

大阪の精麦、製麺、コナモンの小売と米事情

 ではもう一つ、これはおそらく大阪の主食事情を紹介した記事だと思いますが、当時の米や麦、パン、うどん等の様子がよくわかるので、少し長いですが小分けにしながら全文を紹介しておきましょう。

(10月24日)

米に恨みが数々ござる 豊作貧乏を打診する パン屋に米屋、製粉業 倒産を前にあがくだけ

 今年はどうやら2年続きの豊作。農林省の発表によると、水陸稲の収穫予想高は7098万石(9月15日現在)で、台風の被害や秋落ちなどを見込んでもまず7000万石突破は固いという。ところが、この明るい喜びのカゲで”豊作貧乏”に悩む人たちもいる。パン屋、米屋、精麦、製粉業者たちだ。わが世の春を謳った統制時代を忘れかねて、”米攻勢”に深刻な表情だ。以下、この豊作の谷間にあえぐ人々を探って見た。

倒産続きの精麦業

 精麦業界はもう死に死に、空前の豊作だった昨年から今年にかけて、全国で約2割5分の300軒、大阪では約2割の7軒が倒産した。”米1俵に麦3俵”と昔から言われているように、麦価は米価の6割というのが昔からの常識だ。ところが、最近では押麦は1キロあたり外麦50円、内地麦60円が小売相場だから、ヤミ米1キロ83~84円に対して7割5分と相当の割高になっている。これでは、「麦を食え」と言われた貧乏人も大手を振って安い”米”にカムバックするのが当り前だ。

 それも現在の政府の払い下げ価格は内麦1俵標準型で約2300円というから、「いまでも1俵あたり200円の赤字だ。一応採算が取れる外麦とフスマなどの副産物をやりくりしてきたが、それももうお手上げ。これ以上の値上げは倒産を意味する」と精麦協同組合の幹部は殺気立っている。麦ご飯の効能を宣伝しても効果は知れたもの。残された道は政府の払い下げ価格を引下げてもらうほかないという。

 しかし、麦は27年以来、間接統制方式で平均1俵2000円見当で政府が農家から買い上げるのだから、豊作といって簡単に買上げ価格を引下げるわけにはいかないだろうから、「せめて米なみに、政府の財政負担で支払い価格を200円くらい下げてほしい」と業界では運動している。このため、この夏以来麦価引下げ緊急対策本部を東京につくり、政府への働きかけに力を入れ、9月25日、東京産経会館で開かれた決起集会には全国から3000人が集まり、「戦中戦後のありがた味を忘れたか」と都心をデモって気勢を上げたりした。

 どういうことかというと、まず、政府が農家から1俵約2000円で麦を買い上げ、それを1俵約2300円で精麦業者に払い下げるわけですが、そもそも政府の農家からの買い上げ価格(2000円)が高いため(おそらく農家の収入確保のため)、玉突き方式で精麦業者への払い下げ価格(2300円)も高くなる。その結果、精麦業者からユーザーへの販売価格も高くなってヤミ米の値段に迫ってきたため、ユーザーが「麦がそんなに高いのならヤミ米を買って食う」となって、麦が売れなくなって精麦会社の倒産が相次いでいるという話です。

更に苦しい製粉業

 大阪では小麦粉の需要は昨年の秋から3割方減っているという(大阪製粉協会調べ)。かつての月平均60万袋が、最近では45~55万袋というところ。精麦と同じく「政府払下げ価格が高い」と音を上げ、この10月、1トン当り4000円の引下げを政府に要望している。「結局、日本にはまだ粉食の地盤が出来ていない。植民地、植民地と騒ぐが、米を食う天孫民族はいまだ健在ですよ」と製粉業者はふてくされている。

 小資本の業者で固めた精麦業界と違って、大手4社で生産量の8割を押え、副業の倉庫収入に赤字をおんぶさせている大資本に対抗せねばならない中、小工場は地盤をとられて平均操業率10%というみじめな状態だ。「今年も豊作が続けば、ほとんど大資本に吸収されてしまうだろう」という声すら業界の一部には出ている。

 さらに小麦粉も、政府の払い下げ価格が高いことから需要が3割減になって、中小の製粉業者は平均操業率が10%という悲惨な状況。「製粉業界は大手4社に集約されてしまうだろう」と予測されています。精麦、製粉とも非常に厳しい状況を迎えているようですが、記事によると、製粉業者はその原因が「日本に粉食が定着していないことにある」と言って「ふてくされている」という話(笑)。で、末端の小売店では「パン屋さんも減る一方だ」という記事が続きます。

珍種続出のパン パン屋は味の競争

 パン屋さんも減る一方だ。28年ごろの最盛期には兼業も入れて全国で1万6000軒を数えたのが、最近では1万3000軒、大阪府下でも昨年の秋から20軒余りが廃、転業している。そのトバッチリでバター製造会社も、大手筋はともかく群小のマーガリン会社は大打撃を受けている。戦前からの大手筋日本油脂でさえマーガリン専門の兵庫工場を閉鎖、484人の大量首切りでもめているなど波紋は大きい。

 パンの需要が減れば、業者は”量より質”で腕を競うのが当然。自分の工場で粉を挽き直して”白いパン”を売りものにするところ、堅味で渋いフレンチ・スタイルを宣伝するところ、砂糖や油をふんだんに使って一見菓子と区別のつかないパン、果ては味の素やミルクを入れた食パンと、新案、珍案が続出。いまではパンの種類は40数種、3年前の約2倍となっている。この競争に莫大な設備費をつぎ込んだあげく倒産するものもあるというから深刻だ。

 草深全大阪協組事務局長は「安い、うまい庶民のパンをつくらなければ業界に未来はない。それには粉の値下げと同時に一般的な製パン技術の向上が必要だ」という。そこで、この10月から全国製パン協組連合会の音頭とりで、MSAの市場開拓費の一部11万ドルをもらって全国のパン屋さん1万人を再教育するため、アメリカのアドミ製法(粉乳をタネ仕込みに混ぜる経済的なパン焼き法)の普及に乗り出すそうだ。

 しかし、一方で大阪のうどん屋さん(うどん玉製造業)は余裕を見せています。

うどん屋揺がず

 そこへゆくと、歴史を持つうどん屋さんは落ち着いたもの。「需要は決して落ちていない。主食に代わってオヤツに進出。会社、工場などの食堂向きが最近グーンと増えてきた。1玉6円のレートをみんなで守って、ムダな競争はしない」(大阪府製めん連合会の話)と、うどん玉製造業者の鼻息は荒い。それでも最近、「認めなければ1玉当り1円値下げ運動を始める」と主婦連に脅されて、全製品をヴィタミンB1入りの”強化うどん”にすることに決めたという。「素うどんでも栄養満点でなければ、という主婦連のご意見はごもっともで」と組合は如才ないが、街のうどん屋からは「薬品が入るなんて」の声も出ているとか。これもダブつく米を目の前にしての苦肉の策と見て差し支えないだろう。

 ふーむ、さっきの「政府が麦を買い上げる農家」と「みんなで価格を守って無駄な競争はしない製麺連合会」が余裕を見せているということは、個人戦じゃなくて「団体戦」をやっているところが比較的安泰なのか。製麺連合会を「脅して」いる(笑)主婦連も団体だし。

米屋は辞退米の山

 豊作貧乏は、昔から米屋につきもの。「現在の配給制度の下では貧乏を通り越して豊作は命取りだ」と業者は嘆く。この10月1日から実施された新配給制度では、配給日数は基本配給10日(消費県内地米8日、準内地米2日、生産県内地米10日)、希望配給10日、計20日で全国一律。この希望配給に甲地120円、乙地112円、丙地で112円、丁地110円と、4つの地域差がついている。ところが、この外米と希望配給が米屋にとって頭痛の種だという。ほとんどが配給辞退で売れないからだ。最近の米のヤミ値は全国を平均して生産県で108円、消費県で117円前後。これは希望配給丁地(生産地)、甲地(消費地)にくらべて少し安い勘定だ。とくに京阪神三都のように滋賀、奈良、淡路、香川などの米どころからつきたてのヤミの新米が流れてきては、1、2年も政府の倉庫に眠っていた古米ではまず絶対に立ちうちできないはずだ。

 その上、早くもこの希望配給の地域差をねらい、だぶつく生産地の希望配給米を大量に買い占め、トラックで堂々都会地に持ち込む新手のヤミが横行しはじめたというから、希望配給制度はいよいよピンチに追い込まれた格好だ。「普通、米屋は500世帯ぐらいの登録人数で、基本配給を5日分売っても8000円くらいの収入だ。頼みの希望配給は1月平均して4、5日分しか売れない上、外米はゼロとあっては、現在米屋が食っているのがおかしいくらいだ」と、さる8日米屋共通の悩みを解決するために新発足したばかりの大阪食糧小売組合の片山組合長は言う。

 このため、”配給所”時代の威厳をかなぐり捨てて炭屋や酒屋を兼業する米屋さんも現れている。一方、ヤミ米取締りの実情を大鉄局では「こう米がダブついてくると、もう食管法違反では取り締まりできないと警察も手を上げている。だから鉄道公安官もいまでは車内持ち込み過大品(20キロ以上)として取り締まるのが関の山だ」と言っている。「撤廃ともつかず、統制ともつかず、中途半端な現在の配給制度食管法の下では米屋は半殺しで動きがとれない。主婦連のように安い基本配給を増やすか、基本配給以外を自由販売にするか、どちらにしてもはっきりしてもらいたい」というのが業者側の要望だが、統制が撤廃されて自由競争ともなれば、これまでのサービスの実績がものをいう。その時には炭屋や酒屋からの転業者も出てくるだろう。「いざ統制撤廃の暁に、お得意がみんなヒモつきだったら…」と、苦しい昨今のやりくりの中にも愛想を忘れず、身も心も落着かないのが街の米屋の偽わらぬ表情かもしれない。

 で、米も「ヤミ米」にやられて配給制度がガタついているという。先の政府による麦の買い取り・払い下げしかり、どうも行政絡みの「団体戦」はビジネス的観点ではスキだらけなのか…というより、大局的にはまだまだ復興期の混乱の余波が続いているということでしょうか。

では、「製麺」の話題の最後に、製麺組合の若者が起こした騒動のニュースを一つ(笑)。

(8月5日)

闇夜、高松~鬼ヶ島 騒ぎをシリ目に単身泳ぎ渡る ”賭け”に誘われ店員さん

 3日午後10時過ぎ、心配顔の二青年が高松署を訪れ、「友人の○○○○君(18)が行方不明になったから探してほしい」と願い出た。事情を聞くと、いずれも市内塩上町、香川製麺協同組合の従業員で、○○君もその一人。同夜7時ごろ、作業中にひょっとしたことから泳ぎの話が出て、○○君が「大的場から女木島まで泳げる」と言ったので他の連中が「もし泳いだら1万5000円をやる」と話した。それからしばらくして、○○君の姿が見えないので心配になつた他の従業員たちが手分けして方々捜したところ、浜ノ丁、大的場ヨットハーバーの八軒波止に同君のズボン、シャツなどが脱ぎ捨ててあるのを発見、大あわてで同署に駆け込んだものとわかった。

 内海とはいえ潮流の激しいところで、しかも4キロの海上を夜間に泳ぎ切ることは困難なことであり、途中で溺れていては大変と同署では海上保安部に依頼して巡視艇で捜査に当たったが、明方になっても○○君の姿はとうとう見当たらず、潮流に流されたものと思い捜査を打ち切った。ところが4日朝8時ごろ、死んだと思った○○君が水泳パンツ一つの元気な姿でひょっこり女木島駐在所に現われた。同君は前夜8時ごろ大的場を出発、約2時間かかって女木島南端の白灯台にたどり着き、同所で一泊したのち、帰りの船賃を貸りに駐在所へ立ち寄ったもの。

 心配で一晩中眠れなかった他の従業員たちは知らせを聞いて夢かと喜んだが、元気で帰って来た○○君の姿を見て喜ぶばかりもならず、「無茶な奴だ」と小言の連発。しかし、○○君はまるで鬼ヶ島の鬼の首でも取って来たように英雄気取りで元気に高松に帰って来た。賞金の1万5000円を受け取ったかどうかは聞きもらしたが、他人の賭け事に一晩中走り回された高松署や海上保安部の宿直員はプリプリ。

(○○君の話)最初500メートルぐらいが一番苦しかったが、あとは何でもなかった。途中、漁船に見つからないよう注意しながら一生懸命に最後までガン張った。=写真は得意顔の○○君(市内塩上町、香川製麺所にて)

 この騒動、本紙のニュース記事だけでなく、夕刊にも詳しく載り、コラムの「一日一言」でも丸々一本を使って経緯と“お小言”が書かれるほど話題になったようですが、関係者は押し並べてお怒りモードなのに、当のご本人は「得意顔」で新聞に写真が載っていました(笑)。○○君、ご存命なら2019年時点で80才くらいになられているはずです。

香川県産小麦は生産量の17%が家畜の飼料用だった

 続いて、昭和31年の小麦事情です。

(1月9日)

裸麦売り、小麦は自家消費 主要食糧の生産と処分状況まとまる

 香川農林省統計調査事務所では、29年度香川県農家の生産した米麦など主要食糧の生産と処分状況について調査中のところ、このほど明らかになった。
これは27年から29年まで3カ年の調査を平均したもので、米は平均生産量11石9升の中、4石8斗4升、43.6%が販売され、51.8%が家庭で消費されている。モミ種など農業経営面で使用しているのはわずか1%であった。

 一方、ハダカ麦は生産7石7斗9升の61.1%が販売、家計消費に25.2%。また、小麦は2石7斗7升の生産で35.4%が販売、43.7%は家計へ、17%は飼料ということになっている。この比率からみると、ハダカ麦は商品として売られ、小麦はうどんなど自家消費や家畜飼料として用いられる傾向があり、農家経済の果たす役割に特異性があることがみられる。

 まず生産量を比べてみると、昭和27年から29年までの3年間の平均で、

●米……11石9升
●裸麦…7石7斗9升
●小麦…2石7斗7升

 そして、その処分状況は、

●米……(販売)43.6% (家庭消費)51.8% (その他) 4.6%
●裸麦…(販売)61.1% (家庭消費)25.2% (その他)13.7%
●小麦…(販売)35.4% (家庭消費)43.7% (その他)20.9%

 とのこと。これを見ると、販売に回されているものの比率が最も低いのは小麦で、生産量の3分の1くらいしか市場に流通していない。43.7%とある「家庭消費」の大半は、「昭和の証言」や「開業ヒストリー」でよく出てくる「家で作った小麦をうどん屋(製麺屋)に持って行って、うどん玉や乾麺と交換していた」というあれだと思います。さらに、「小麦は生産量の17%が家畜飼料」という数字も初めて出てきました。「昭和27年」の記事で「昭和23年以降、換金作物への転作等で麦の作付け面積が減り続けている」という報告がありましたが、粉食用より安価な飼料用がこれほど多いと、香川の小麦作りは農家にとってもあまりおいしいビジネスではなかったのかもしれません。

(12月1日)

小麦新品種、固定化に成功 四国農試、栽培普及を期待

 農林省四国農試(生野町)=麦育種研究室、室長菅益次郎氏=ではこのほど、小麦の新品種固定に成功した。新品種は農林52号と同26号を交配固定化したもので、とりあえず「四国87号」と名付けられた。特色としては、6月3、4日ごろ収穫できる早成種で、従来の新中長、農林20号など同系統種に比べて反当たり2割の増収があり、また製粉歩止りもこれまでの早成小麦より約5%方よい成績を有し、すでに香川、佐賀、三重、大分などの各県から優良品種としての採用申込みが来ており、瀬戸内、東海地方への普及が期待されている。

 「農林52号」と「農林26号」をかけ合わせた小麦の新品種「四国87号」が出てきましたが、「昭和30年」の項で触れた通り、この後、県産小麦の主流になっていくのは「農林26号」です。

「米食一辺倒」から「粉食推奨」へ。でも「うどん」はあまり推奨されていない(笑)

 ではここで、当時の食生活の事情に触れた記事を3本紹介。いずれも、「米食は栄養に乏しいので、粉食を推進しよう」という内容です。

(9月3日)

コラム「一日一言」

 戦後あまり聞かれなかった脚気などという言葉が、近ごろまたボツボツ出はじめた。白米食をこととしていた戦前の日本では国民病といわれるほど脚気の罹患者が多かったが、戦後はトンと影をひそめてしまっていた脚気は、白米を主食とする人間に発生しやすい一種の栄養失調症であるといわれる。

 大体この病気は、食餌中にヴィタミンBが欠乏するために起るもので、この意味からするとヴィタミンB欠乏症の一種だともいえる。戦後罹患者が減ったのは、コメ不足に伴って好むと好まざるとにかかわらず日本人が雑食主義(?)に移行したためと思われる。ところが最近の食糧事情の好転につれて、またゾロこれが増えはじめた。いうまでもなく、白米食が増えたためである。もっとも、ヴィタミンBが不足したからといって必ず脚気になるというものではなく、個人の体質、環境、年齢等いろいろな要素が加わって初めて脚気症状を呈することになるそうだが、それにしてもお米と切り離した生活の出来ない日本人にとって、まことに因果な病というほかはない。

 厚生省ではこの対策として全国的に強化米の奨励を行っているが、香川県でもさる6月から高松、丸亀、坂出、観音寺、三本松の5地区で試験的に市販を始めた。この強化米は「白米に少量を混ぜただけでヴィタミンB1の必要量が簡単にとれる」とキャッチ・フレーズがついているが、まだ確実な効果判定は出ていないようだ。「政府が処置に困って払い下げた黄変米を化学処理したものだ」という説もあるが、他の薬品に比べてベラ棒に値段が安いのがミソ。さきの5地区では、6、7月両月で約20石が売りさばかれたそうだ。このうち高松だけで約半分を占め、インテリ層の多い地区でとくに人気を呼んでいるようだ。

 食生活の合理化が叫ばれ出してから調理面での工夫改善が相当進んで来たが、それでも県民栄養調査の結果を見ると、偏食による栄養障害は農村部の方が都市部よりずっと多い。昔はお百姓さんは米を食わずに麦を食うのが通り相場だったが、近ごろは農家の方にむしろ白米食が多い。戦時中は身体にいいからという理由で玄米食、七分搗きなどが奨励されたが、これもいつの間にか完全精米による“銀シャリ”を尊ぶ元の風習に返ってしまった。何のことはない、“米のカス”を食っているようなものだ。強化米が栄養補給に役立つものなら、むしろ粗食大食がくせになっている農村部にこそ重点を置くべきではないか。白米食の増加で栄養失調症が増えるとすれば、2年続きの豊作予想もとんだ文化病作りの原因になりかねない。

 要するに、米が相対的に安くなってきたために白米食が増え、その結果、ビタミンB1が不足して脚気などの栄養失調症になる者が出てきたと。その対策として政府がビタミンB1入りの強化米を推奨しているが、特に白米食が多い農村部に普及させるべきだという主張です。それが数週後には「強化米を食べよう」ではなく、「粉食(特にパン)をしよう」という論調になってきました。

(9月21日)

21日から栄養改善週間 一日一度は粉食 やめよう米食一辺倒

 9月21日から27日まで、厚生省主催の「栄養改善普及週間」が全国的に展開されます。今年はまた「東南アジア栄養会議」も25日から10月2日まで開かれて、健康を保つために必要な食生活のあり方や、均衡のとれた栄養問題などについて討議が重ねられることになっています。この週間、会議を通じて浮き上がっている問題の一つに「米食の習慣」がありますが、白米の常食は東南アジア民俗の共通性で、その生産量も世界の9割までをアジアが占めているほどです。白い米はたしかにおいしい、けれどもその半面、また栄養的には大きい欠点も持っています。2年続きの豊作で、折角慣れた粉食の良習を忘れてしまうのは残念。そこでもう一度、栄養を中心に米食と粉食を比べてみることにしましょう。

 白い炊きたてのごはんは、ちょっと塩をふりかけても、漬物一つ添えても、お茶漬けだけでもおいしく食べられます。そんな淡白なところがかえって魅力なのでしょう。副食に苦労がないばかりか調理もまた楽ですから、満腹するまで食べれば一応簡単に満足感が得られるわけです。こうした白米の魅力におぼれてつい白米偏重になる結果、いろいろの障害が起きてきます。穀類が多すぎるため、含水炭素ばかりに傾き、良質のタン白、ビタミン、脂肪が極度に少い、栄養的にみるとアンバランスの食事構成になってしまいます。特にビタミン、中でもB1の不足は脚気、神経痛、満腹感は消化器の負担を多くして胃腸障害、早老を招きます。第一、身体がだるくては精神を集中した仕事はできなくなりますし、それに満腹感が先にくると眠気がさして、頭を使う仕事は面倒くさい、ますます創造性は欠けてきます。白米多食→不健康→頭脳低下→貧乏、こんな悪循環では文化生活はおろか、優秀な民族はできません。

 それに比べると、粉食はどうでしょうか。ごはんとは全く反対に、パンにしろ、うどんにしろ、それだけではとてもノドを通りません。必ず何か副食が必要です。パンの場合を考えてみましょう。ごはんには65%の水分があるのにパンは39%、トーストにするともっと少くなります。それに、ごはんは口当りがよくて食べすぎるくらいですが、パンはよくかまないと食べられません。ですから一定量で満腹するためにはパンの他に魚とか野菜、飲みものの一皿がどうしても必要なのです。米食の習慣では副食をたくさん食べるのはぜいたくと考えられていますが、これが米食のガンであることは前述の通りです。バランスのとれた食事というのは、主食を少くしてその代り副食を十分に摂ることで、粉食の重要性が叫ばれている理由の大部分もこの辺にあるわけです。また、粉自体も相当精白してもB1は白米ほど不足することはありません。粉といってもパンに限らずに自由な食べ方を工夫すればよいのですから、冷害だからパン食というのではなく、豊作だからこそ一日一食は何かの形で粉食を摂るようにしたいものです。「粉食を十分に使いこなせる民族ほど多くの発展の可能性を持っている」という言葉は、何か考えさせられるものを含んでいるように思います。

 いかに粉食を推奨するとは言え、天下の新聞に「白米多食→不健康→頭脳低下→貧乏、こんな悪循環では文化生活はおろか、優秀な民族はできません」などという記事が載っちゃうとは。さらに最後も「粉食を十分に使いこなせる民族ほど多くの発展の可能性を持っている」という言葉自体もどうかしてますし、「何か考えさせられるものを含んでいるように思います」って、記事を書いた人が何か考えなくちゃいけないと思うんですが(笑)、こういうのが掲載OKだったという、笑っちゃうような時代だったんですね。そしてさらにそれを後押しするような翌日の社説。

(9月22日)

社説/粉食普及をはばむもの

 2年続きの豊作は食生活の前途に明るい希望を与えているが、米の出回りが豊富になりヤミ米の値段が安くなるにつれて、折角慣れてきた粉食から米食オンリイに逆もどりする傾向が見えてきている。粉食奨励が米の絶対量不足をカバーすることに重点を置き、粉食そのものの持つ美点を説くのに十分でなかったことが米の需給事情緩和とともに米食への逆行をもたらしたとしたら、大いに考えねばならぬところだ。

 厚生省では21日から1週間「栄養改善普及週間」を全国に展開しているが、その主眼は「一日に一度は粉食」ということに置かれている。ここで考えねばならないことは、粉食そのものが米食より栄養が多いのではないことだ。主食だけをとって考えれば白米の方がパンやウドンよりはるかに栄養がある。しかし、日本人のように白米を腹一杯食べていると、白米偏重によるいろいろの障害が起きてきて、栄養不足や胃腸障害を招くのである。

 白米がおいしいということが、つい限度以上に食べる結果となるし、極端な場合は副食なしですませるとすれば、われわれ日本人はミズホの国に生れたことを喜んでばかりいられないということになる。しかし、先祖代々長い期間にわたって慣れてきた米食には日本人としては忘れがたい味があるのだから、いざ栄養学に難点があるといっても一朝一夕には改めることはできないのである。学校給食のように「粉食でやるのだ」と決めてかかればその気になれるのだが、一般家庭では理想的な粉食に持ちこむにはかなり努力が必要となってこよう。

 栄養学的に見て粉食の方がバランスがとれているというのは、パンやウドンそのものが白米に勝っているというのではなく、粉食が必要とする副食物を考え合わせてのことである。つまり米食は副食物が少くても成立するが、粉食の方は飲みものか、野菜、魚などが同時にとられなければ腹一杯食べられないのである。主食としての価値ではなく、副食物を加え総合的な立場での優劣が問題なのである。

 従って、粉食の場合は、現在では普通米食より金がかかるのである。かつて米の不自由な時代には、粉食の方が安上りであったので粉食は意外に伸びたのであるが、いまでは口においしい米食の方が粉食よりふところにこたえないのだから、このまま野放図に放任しておくと粉食の習慣に見切りをつけるものが多くなることは火を見るより明かである。

 ここで、粉食奨励は栄養上だけでなく経済上の問題として考えられねばならなくなる。一食分の白米とパンとを比べ合せただけでパンの方が割高であり、その上、飲みものや副食物が必要となれば台所を預る主婦は一思案したくなるはずである。「もっと安くあがらなければ粉食もできない」というのが偽らない声であると思うが、それには麦の価格をいまより引下げねばならなくなる。

 農林省では麦の価格引下げを検討しているが、政治的、経済的な影響が大きくてなかなか実施に移せない。麦の価格を下げると国内の生産者が困るので、何らか別の救済策を考えなければ消費者の喜ぶ措置もとれないのである。しかし、粉食を奨励するからには麦の価格を下げて「パンやうどんを食べる方が経済的にも有利」という状態に早く持っていかねばなるまい。

 いまの価格を前提としても、もっとおいしいパンやうどんにすれば粉食は伸びるであろう。学校給食用のパンのまずいことは定評があるが、それでも家庭から弁当を持参するよりも安い費用で児童の喜ぶ昼食が給食でき、体位も向上している。この子供たちが大きくなれば粉食も日常化するものと思うが、それにしてもあのまずいパンはどうにかせねばなるまい。パンやうどんは家庭では加工できても、米食のように初めから主婦の手でつくるものでないことが、経済的な問題とともに普及の妨げとなっていることも考え、もっとおいしいものとするよう加工業者に希望しておきたい。米食か粉食かは栄養問題であるとともに、経済、味覚の問題であることも忘れてはなるまい。

 現代の米食やパン食の状況からすればツッコミどころ満載のロジックですが、とにかく昭和31年時点ではそういう食事情でした。ちなみに、粉食の推奨とは言いながら、よく見るとそのほとんどが「パン食」の応援団みたいな論調で、「もっとうどんを食べよう」というニュアンスはほとんど伝わってきません。今も香川では「野菜摂取量が少ないのはうどんのせいだ」、「香川に糖尿病患者が多いのはうどんのせいだ」といった主張が見られますが、どうも「うどん」は歴史的に「もっと食べよう」という追い風が吹いたことがなかったのではないかとさえ思えます。

そうめんの生産、出荷記事

 ではもう一度気を取り直して(笑)そうめんの話題を。そうめん関連記事は、上半期に4本見つかりました。

(1月7日)

連載/海を渡る讃岐の物産 <素めん>年間生産10万箱 遠く沖縄、台湾へも輸出

 香川県小豆島の名産手延素めんは池田町を主産地として130戸の家内工業として発達したもので、毎年12月から3月までの4ヵ月の農閑期に家族のみで人出をからず期間中に4万箱(1箱320束、4貫800匁入り)が生産され、毎年の生産量に大した差はない模様。価格は昨年1箱当り1300円であったが、今年もその程度らしく、主として九州、中国、県内、阪神へ移出される。一方、機械そうめんは1年中生産され、年間6万箱、やはり4貫800匁入り1箱900円程度で、これは干めん、中華そばと共に遠く沖縄、台湾へ輸出され、外貨をかせいでいる。

 小豆島のそうめんの生産規模が簡単に紹介されています。
●手延そうめん…4万箱(1箱約1300円)、12月~3月の農閑期に4ヵ月間生産。
●機械そうめん…6万箱(1箱約 900円)、1年中生産。
という感じです。さらに、そうめん業界にも新しい機械の開発が。

(4月29日)

二割程度の増産 土庄の佐伯氏、ソウメン掛巻機を発明

 発明好きの農村青年が手延べソウメンの機械を考案、過重労働で苦しむ製メン界の福音として話題となっている。香川県小豆郡土庄町肥土山の製粉製メン業、佐伯亀治氏(27)は、手延べソウメンの製造者が午前2時ごろから作業を始めねばならぬ特殊な工程なので、過労に悩む実状を自分で体験して、この労苦を救おうと簡便なソウメン製造機械の考案に寝食を忘れて没頭していたが、このほど手延ソウメン掛巻機(高速度動力機装置)を発明、特許を出願した。この機械を使用すると手延べソウメンの製造が楽にできて労力を軽減、2割程度増産が可能で、女子供でも簡単に使用できるのと、電気料金は1時間わずか1円50銭しかいらず、1台の価格が1万5000円というのがミソで、早くも池田町で2台の試用申込みがあり、好評を得ている。

 6月の乾麺製造用乾燥機に先立ってそうめん業界でも「手延そうめん掛巻機」が開発され、省力化が進んでいます。そして、6月になると小豆島そうめんは出荷の最盛期を迎えます。

(6月25日)

各地から注文殺到 小豆島の手延ソーメン

 手延ソーメンの本場、香川県小豆郡池田町、小豆島手延そうめん協同組合ではいま、本格的出荷に入っている。盆ごろには特に需要が激増するため、高松はじめ山口、長崎、佐賀、大分県などの各取引先から申し込みが殺到。現在、手延3万8000箱、機械ソーメン4万箱の約8割までがすでに契約済みで、うち約半分が出荷されている。手延ソウメンは昨年の生産高の約2割多い見込み。一方、価額は1箱(18キロ入り)手延で1400円、機械900円と去年に比べあまり大差はない。

 続いて、沖縄の那覇市長が高松を訪れて、香川の物産等についての感想を寄せていました。

(4月18日)

連載/讃岐路を語る (那覇市長 当間重剛氏)

 当間那覇市長が市議会議員の嘉数フミ子さんら婦人同伴で15日午後来高した。以下は同氏の語る春の讃岐路……。とき15日夜、場所常磐本館。

 讃岐の漆器「きんま」を見せてもらったが、特殊な生地が出ていてなるほど特産の名に恥じないものだと思った。沖縄には「ついきん」「ちんきん」と呼ばれる朱色の漆器があり、伝統も古いので好評だが、「きんま」にも独特の渋味があり、互いに交流を図りたい。小豆島のソウメンは今では兵庫、佐賀県よりも多く沖縄に入ってきている。沖縄ではソーメンは年中主食に代用する人が多い。ごちそうといえばソーメンと言われるほど貴重な食物だけに、今後もどしどし送ってもらいたい。この他、讃岐の紙、酒も品質は優れていると思った。

 こんど歩いてみて高松の復興振りには驚いたし、観光施設も充実している。この点、沖縄はまだ米軍の駐留下にあり、観光面はまだまだだが、那覇市へは本土から訪れる観光客も増えてきた。いわゆる「琉球焼き」が日本趣味に合うといって喜ばれているが、戦前盛んであった砂糖、あわもり、バナナジュース、織物は技術的には自信がついたものの、量的には不足がちだ。男手が軍関係の仕事で足りない現在、どうしても婦人の手でやれる家内工業に頼らねばならないので、各種工場を見せていただいたことは参考になった。婦人を代表して嘉数フミ子さんを連れて来て良かったと思っている。

 那覇市長が印象に残った香川の物産として挙げているのは「漆器」「そうめん」「紙」「酒」というラインナップで、ここに「うどん」は入っていません。那覇市長は高松で国東市長と会って香川の物産をいろいろ紹介され、おもてなしも受けたと思いますが、その「おもてなしメニュー」の中に「うどん」は入ってなかったのではないかと思います。「昭和28年」の記事中、天皇陛下ご来高の際に「陛下のお食事担当」の方の「郷土食はゲテモノになる恐れがあるので遠慮致しました」というコメントが載っていましたが、やはり「うどんは粗末な庶民の食べ物で、県外からの来賓にうどんを振る舞ったりうどん屋を案内したりするのは失礼だ」と思われていたのではないでしょうか。何だか、かわいそうなうどん(笑)。

物産事情

 続いて物産関連の記事。まず、高松で四国4県の特産品や観光写真を集めた「四国観光土産品即売会」なるものが開催されました。主催は県と高松市。後援の中にある「ラジオ香川」は西日本放送の前身です(この年の10月に「西日本放送」に改称し、昭和33年にテレビ放送開始)。

(3月17日)

第1回四国観光土産品即売会

 香川県、高松市両商工観光課主催、県商工会議所連合会、ラジオ香川、本社後援琴参電鉄協賛の「第1回四国観光土産品即売会」は、いよいよ18日から4月10日まで24日間、高松市寿町、琴参ビル2階で開かれる。これは四国4県の特産品約1万点で、うち食料品を筆頭に銘菓、民芸品、玩具、漆器などあらゆる土産品が出品され、各県の郷土色を競う。なお、会場には4県観光地写真約50点を展示し、観光案内に役立てることになっている。

(3月21日)

お国自慢をズラリ 四国観光土産品即売会賑う

 香川県、高松市両商工観光課主催、琴参電鉄共催、愛媛、高知、徳島各県商工観光課、香川県商議所連合会、ラジオ香川、本社後援「第1回四国観光土産品即売会」は、去る18日から高松市寿町、琴参ビル2階会場で開かれている。

 香川県の部では、小豆島名産のオリーブを加工した「オリーブサラダ油」「オリーブシロップ漬」「オリーブ化粧品」、讃岐、高松の各種銘菓、漆器、こけし人形らが出品され、なかでも八栗天狗にちなんだ鼻の高さ約三尺の大天狗の面などが特に人目を引いている。徳島県の部では徳島名産「徳島ハム」、鳴門名産「糸和布」など。高知県の部では土佐名産「刃物」をはじめ、銘菓「土佐路の香」ほか。愛媛県の部には伊予名産「花籠」、銘菓「タルト」などが郷土食を競い、会場は旅の観光客も交え、連日大賑いである。

 香川県の出品の中で特に人目を引いたのは「八栗の大天狗の面」だったそうです。香川では坂出市の白峰山の「相模坊」と琴平の象頭山の「金剛坊」と八栗五剣山の「中将坊」が「讃岐三大天狗」と言われる天狗だそうで、中でも坂出の白峰相模坊は「日本八大天狗」の一つだとされています。その八大天狗のラインナップは、

愛宕山太郎坊(京都)
鞍馬山僧正坊(京都)
比良山次郎坊(滋賀)
飯綱三郎(長野)
相模大山白耆坊(神奈川)
彦山豊前坊(福岡)
大峰山前鬼坊(奈良)
白峰相模坊(香川)

だそうです。「白峰相模坊」がここに入っているのは、日本の“キングオブ怨霊”と言われる崇徳上皇の霊を護っている天狗だからでしょう。また、江戸時代の書物に書かれた「四十八天狗」の中には「象頭山金剛坊」も入っています。ということは、八栗の大天狗「中将坊」は讃岐三大天狗の中では一番格下(失礼)のようでもありますが、このたびの「四国観光土産品即売会」で一番に目を引いたということは、他の二天狗よりグッズ展開に先んじていたということでしょうか。

 ただし、2000年代に入ってからの「天狗」の商品やイベント展開は、坂出の「白峰相模坊」の独壇場です。「坂出天狗まつり」に「テングウォーク」、「相模坊まつり」、「坂出天狗マラソン」、さらに「天狗うどん」まであります。「天狗うどん」はマニアならすっかりご存じ、具が10種類入っていて「10(テン)具(グ)うどん」のダジャレです(笑)。どうですか、この際「金剛坊天狗うどん」と「中将坊天狗うどん」を作って「讃岐三大天狗うどん」でトリオデビューしませんか? といったところで、危うく「天狗情報コーナー」になるところだったけど、何とか「うどん」に持っていけました(笑)。

(9月13日)

意匠の盗用しきり 県、物産界対策に悩む

 香川県では物産界の発展を大きく阻害しているデザインの盗用防止に頭を悩ましているが、こんど他府県の実情を調べるとともに、12日、高田特許庁意匠課長を県庁に招いて説明を聞く。

 デザインの盗用防止については現在のところ名案もなく、新製作発表展などを開いてニューデザインを披露したとたんにこれが盗用され、このため業界ではデザインの公開を敬遠する空気もあり、とくに漆器を中心とする県物産デザインの改良向上に大きなガンとなっていた。一方、業界ではかねて条例制定による盗用防止を県あて要望しているが、事実上の問題として果して実行を伴うかどうか疑問視され、いまのところ全く手がつけられていない実情である。県商工観光課の調べでは、ある県では地方委員会を設置してデザインを登録させ、盗用防止をはかっているところもあるという。県としてもこのまま放置するわけにもいかず、高田同課長の来県を機に本格的にデザインの保護策研究に乗り出すことになった

 記事からは具体的に何がどう盗用されているのかがよくわかりませんが、新しい物を作ったらすぐに真似をされるのは今も昔も世の常。近年は“パクリ商品”に加えて理不尽な商標登録問題まで散見されますが、法律と税制は行政の専管事項ですから、問題の根本的解決には、まず行政に頑張ってもらうしかありません。

 続いて、「中四国各県の東京での物産販売の状況」が記事になっていましたので見てみましょう。まずは、記事のリード部分。

(9月23日)

特産物売込み総決算 中四国9県東京物産斡旋所調べ 群を抜く四国三県 商魂でも玄人顔負け

 地方経済はこのところ火の車、中四国各県とも御多聞にもれない赤字財政。立派な財源の特産物を持ちながら宝の持ち腐れはもったいないと、各県ともここ数年来、東京へ進出して自県の特産物の売込み宣伝に懸命だ。以下は各県東京物産斡旋所で聞いた今年の春夏売込み戦の総決算。

 中、四国9県ともなると、ご自慢の特産品もおびただしい数。なかには本家争いや、似たもの同士の激しい商売合戦も起きるという。早い話が、愛酒家の好物ウニをめぐる山口県と鳥取県の本家争いや、い草で作る畳表では高知県が葉緑素を利用、「いつまでも青いままの方法を発明した」と誇れば、広島県は「原料の良し悪しこそ大切、色染などいただけません」と反撃、本場の貫禄を示すといった具合。他ブロックとの競争ともなると批判は一段と辛ラツで、そのたくましい商魂にその道の玄人筋も顔負けするという。

 何やら県同士で本家争いやら中傷合戦みたいなことが起こっているようですが(笑)、各県の物産が「大当たり組」と「いま一歩組」に分けて解説されていました。

◯大当り組

 香川、愛媛、高知の四国勢がすごい鼻息。

 まず愛媛県はなんといっても伊予ミカンとタオル地が主流。ミカンは時季外れのため、もっぱら濃厚オレンジ・ジュースで活躍した。これは、温州ミカンを愛媛県青果連工場で処理し、日産10万本の割で生産。都内の業務用、中元用に送り込んだもの。ニッポンビールのリボンジュースには押されたが、来年は宝ビールが生れるのでこれとタイ・アップしてと大張り切り。一方、タオル地も夏ブトン、バスタオル、中元用印入りタオルが飛ぶように売れた。県東京物産斡旋所が1年がかりで交渉したタオル地の輸出が、このほどバンコックの2商社と月間4000ダース(1000万円)の契約に成功したことに気をよくし、今後は引き合いの多い東南アジアを中心に開拓するという。また、五色ソーメンの即売も中元時季でもあって予想外の売行き、これからも進出が期待できる。しかし、木炭、木材、水産加工品の東京進出は困難らしい。

 これと反対に、木材、木炭、水産加工品の進出で気をよくしているのが高知県。名代の林産県だけにスギ、ヒノキ、モミ、ツガなど建築用材は年間7~8億円売れる見込みがついたし、木炭も岩手ものより評判がよく、注文が殺到し、予定の10万俵もたちまち売り切れという。季節外れの促成、抑成栽培の野菜もキウリ、トマト、スイカ、ナスの順で数億円の荒稼ぎをした。「新品のようにいつまでも青い」と自慢の畳表も1億1000万円、カツオ節、シイタケ、打刃物、カマボコ、チクワなども好評だし、ビール箱、リンゴ箱など木箱は約2億円にのぼっている。輸出はヨーロッパ向けのタイプ原紙の典具帳紙とサンゴ。とくにサンゴは品薄から上物で貫あたり2万5000円にハネ上り、米国、ヨーロッパ、中共、ホンコン、シンガポールなどで珍重がられ、注文を断るほどだ。

 香川県となると、小県だけにスケールも小さくなる。しかし保多織は粋なところが江戸ッ子の好みにピッタリときて、中元用に60万円も売れた。アジロ盆も中元用に好評で80万円ほど売れたが、米国、シンガポール、グアム島PXなどから注文が多く、ことに8月初旬、イタリアのミラノ市のデパート、リナセンテとアジロ盆を中心におもちゃのダルマ、キンマなど大量に契約できたことも大きな収穫だ。また、4月新宿三越での県特産食料品展、8月初旬東横デパートの讃岐名物展も大入りの人気で、ソーメン、フ、ウドン、ミソ、イリコ、魚センベイなどはとくに好評で連日売り切れの盛況。同県の作戦は物産を観光と結びつける点に特色があり、この手で成果をあげている。

 愛媛は「ミカン」と「タオル」で鼻息が荒く、「五色そうめん」も売れているとのこと。高知は「木材」と「木炭」と「水産加工品」が好調で、広島県に「色染などいただけません」と非難されている「葉緑素入りの色落ちのしない畳表」も好評だとか。さらに、促成栽培の野菜からカツオ節、土佐刃物、サンゴ等々、記事で見る限り一番の多種類の物産が飛ぶように売れているそうですが、今日、四国で最も人口減が激しく県民所得も一番低いのが高知県であるのは残念というか皮肉というか…地域活性化の戦略に何かを示唆しているような気もしますね。

 一方、香川は「小さい県だけにスケールも小さい」そうですが、「保多織」や「ダルマ」が売れ筋商品に初めて出てきました。江戸っ子に保多織、ダルマやアジロ盆、キンマといった工芸品は海外から大量注文が来たとか(グアム島PXの「PX」はアメリカ軍の軍隊内の売店=post exchange=のこと)。香川県の作戦は「物産を観光と結びつける点に特色があり」と書かれていますが、具体的にどう結びつけて成果を挙げているのかについては、ここには書かれていません。

◯いま一歩組

 徳島、島根、鳥取、山口県など、いずれも京阪神に大きな地盤を持つが、東京ではまだこれからといったところ。

 徳島県は鏡台が特産。プリントを板に張り、合成樹脂を塗るという方法をごく最近始めたが、好みの生地できれいな鏡台ができると大変な評判。斡旋所でなら市価の3割ないし5割安で売るが、業者、デパートなどへの気がねから値札をつけない気弱さ。鳴門ワカメも人気はあるが、量が少すぎる。「東京にインチキワカメが大量に横行している」と残念そう。特産の少いところから観光と結びつけようと8月14、15日の東京深川八幡の夏祭に阿波踊りを繰り出したところ、意外にうけてテレビで紹介されるというおまけがついた。いま一番活気づいてるのは輸出人形。というのは、最近米国ではちょっとした日本人形ブーム。おかげで日に1件は引き合いがあって、阿波踊りなどの郷土人形がよく売れるという。

 鳥取県は古い歴史と伝説の国。したがって民芸的なものが多い。貝ガラ節、ゆかむり、皆生踊、因幡三人娘など13種類の人形があって好評。法勝寺焼、牛戸焼、神上焼などの陶器も引き合いが多いが、昔ながらの手工業生産のため注文に応じられない。ステッキ、イス、サンマー・ハンドバッグなど竹製品はかつて米国で好評だったが、デザインが古いため最近は急落、東南アジアに販路を求めている。ウインザーイスは米国から約1億円の引き合いがあったが、消極的な態度から進展しないという。しかし、本場の二十世紀は今年から本格的に進出させるし、山口産より品質がすぐれている。ウニ、味付ジャコなどももっと宣伝するという。

 島根県はお隣りの鳥取県よりは強気。この期間、引き合い206件のうち115件が成立した。木炭は毎月7000~8000俵(約240万円)、木材はマッチを中心に48件、毎月700石程度を建築用材として都内に送り込んでいる。フグ、カレイ、ワカメも25件で評判よく、湯町焼、袖師焼など5種類の陶器も民芸品として好評。とくに松江付近からとれる来待石で作った石灯籠は、ハワイ、米国、カナダで大変な人気。今年に入ってからの新傾向だが、高さ1尺ないし1尺5寸の小さな石灯籠をマントル・ピースの上などに置いて異国趣味を満たすらしい。有名なソロバン、メノウなどはメーカー直接取引で斡旋所が介入する余地はないという。

 山口県は一昨年開店、これから大いに力を入れるそうだ。お国がら海産物が主力で、名物ウニは年産6億円、うち東京へは毎月300万円ほど入れている。フグの茶づけも都内に毎月20~30万入れて、北海道、東北へも進出している。フグ正才(丸干し)も評判がよいし、干エビも中華料理の必需品とあって、中共、台湾、東南アジア、南米にまで進出し、内需相場は昨年1貫1000円がことしは2000円にハネ上っている。木製品も40~50万円で出ているが、これもフグの形の盆、米国へもサンプルを送ってある。さすがフグ特産地らしい。このほか、民芸品として萩焼、宇部焼があるが、特殊性を買われて評判もよいという。

 四国では徳島だけが「いま一歩組」と評されていました。以下、広島と岡山は「余裕をカマしている組」みたいな記事になっていましたが、物産PR戦略はどの県もまあ同じようなことをやっているんだなあ、という印象です。

 続いて10月に、8回目を数える「四国の観光と物産展」が東京三越本店で開催されました。

(10月23日)

ヒットは浜焼の実演 好評の「観光と物産」展

 去る16日から東京三越本店7階で開かれた「第8回四国の観光と物産展」は好評のうちに21日終わったが、販路の確立と観光宣伝に力コブを入れる香川県では金子知事、高橋経済部長らが上京し、視察と督励を行うなど非常な期待を寄せた。現在まとめている資料によっても、とくに物産面では四国一の成績をあげている。同展は連日2、3万人の来場者があり、出足は上々で、このうちにあっても本県の売上げ(出品は約400種、4000点)は10万円前後を連日記録し、ウナギ上りの成績であったという。

 県特産品のうち、最も好評を受けたのは食料品と郷土玩具。食料品のうちの王座は「タイの浜焼」で、とくに県からは高松市西浜町8商店の職人が出張し実演を披露したが、客足を集め、1日当り売上げも2万円平均をあげた。郷土の香りを多分に持った実演は三越側でも大乗気で、同展終了後も引き続いて同地階で実演する契約が交わされた。

 このほか、煮干、ワカサギ、魚せんべい、菓子類などがよく、郷土玩具ではシシ頭、鬼の面、コケシなどがすぐれていた。期待された漆器類は当初売上げ額がよくなかったが、後半はよく、2万円クラスのものが出た。観光地の紹介と宣伝では、那須与一の扇の的、森の石松などのパノラマや写真に人気が集まり、島バス、琴電から送られた4人のバス・ガイドが美声で宣伝に一役買った。

 県では物産の販路拡充をはかるため、18日、デザイナー剣持勇氏をはじめ三越、商社など関係者を招き批判会を開いたが、主だった意見は次の通り。

・タイの浜焼の実演はローカル色を盛り込んだヒット版であった。
・漆器のデザインはオーバー・デコレーションのきらいが見られるものがある。塗装を入念にし、材質を生かすようにすべきだ。とくに東京人は価格は高くても納得できるものには食指を動かす傾向があるが、手を抜いたものは極端に敬遠されるので、注意すべきだ。
・オリーブ製品はさらに工夫をすれば販路が拡張されるのではないか。

 なるほど、さっきの「物産を観光と結びつける」作戦は、「那須与一の扇の的、森の石松などのパノラマや写真の展示」や「島バス、琴電から送られた4人のバス・ガイドの美声による宣伝」みたいな話だったんですね(笑)。ちなみに、4月の東京新宿三越の「香川の食料品展示即売会」で「手打ちうどんの実演販売」が大好評で飛ぶような売れ行きを見せたという記事がありましたが、この10月の「四国の観光と物産展」では、実演販売は「タイの浜焼き」に取って代わられています。うどんの手打ち実演は設備か何かで制約があったのかもしれませんが、やはり「うどん」はなかなか物産PRの主流に乗せてくれませんね(笑)。

イワシ漁とイリコ製造の記事に観音寺も伊吹島も出てこない

 続いて、イワシ漁とイリコ製造の記事が4本。

(7月8日)

豊漁だが品わる 東讃海域のイワシ安値

 東讃海域で去る1日から一斉に操業を開始したイワシ巾着網漁業は、操業当初から各網ともすべり出し好調で、1日1統当り6000貫という近年にない豊漁も伝えられている。東讃地区の巾着網漁業の中心は大川郡引田町で、連日6統が出漁し、最近の水揚げは1日当り1統4000貫から6000貫に達し、各イリ場はイリコの加工に大童。しかし、今獲れているムクナイワシは体長5寸もあろうかという例年の大羽以上の大きさで、そのため市況も製品のイリコ1袋(800匁入)安値170円、高値250円止まりと昨年の2~3割方安値で、「豊漁だが値が安くて採算がむずかしい」と業者はコボしている。

(8月10日)

待てど千金の雨降らず 炎天続きが描く明暗二筋 イリコの山、乾燥上々 空仰いで溜息 線香水の騒ぎ

 打ち続く炎天はそこここに悲劇をまき起している。これは、香川県大川東部で拾った干天をめぐる明暗二重奏。

【明】
 東讃沿岸の巾着網漁業はいま最盛期に入り、加えて連日の日照りで生産面に大きくプラスし、大変好調。1日1統当り2000貫から多いので6000貫とれる生イワシは各イリ場で直ちに加工されているが、この加工工程で最も大切な乾燥が昨年、一昨年は乾燥が続き悪かった。しかし今年は炎天で乾燥も上々、イリコの品質も去年にくらべてグンと上質のものが生産され、業者はホクホク。農家の雨乞いはごもっともだが、ここだけは「雨など大鬼門」とばかり天気続きを祈り、内心ニタニタ。

【暗】
 「讃岐日照りに米買うな」という古い言い伝え通り、水のあるところは結構だが、引田町相生地区のような砂質地帯は誠に悲惨だ。各ため池はほとんどが空っぽ。よし残っていても「あと一回分だけ」という有様。「線香一本が燃える時間だけを給水する」といういわゆる”線香水”が昼夜厳重な監視のもとに続けられ、夜間ともなれば畔道を巡回する水番の提灯が左に右に行き交い、深刻な現状をよそにほのかな詩情をただよわせている。両地区とも各関係者が集り、干ばつ対策委員会を開いて協議を続けているが、農家は「話するよりもまず水を入れることが大切だ」と昼間こえ桶で水を運び、白割れした水田に柄杓で水をまくといった非常手段が出るやら、白鳥では昭和14年に掘って以来2回しか使ったことのないという白鳥神社境内の非常用井戸を13年ぶりに使うなど、野良一帯は焼けつくような太陽に向って雄々しく戦いを挑んでいる。

(9月4日)

浜も埋め尽して 東讃の煮干いわし 最盛期に入る

 東讃海域ではここ数日前から煮干いわしの豊漁が続き、活況を呈している。同海域では現在18統のいわし巾着網が操業しているが、各船とも1日600~700貫の漁獲をあげ、各町村漁協組の冷蔵庫は一杯で、加工するには釜が足らず、保存するには冷蔵庫が不足という嬉しい悲鳴をあげている。なお、魚価は豊漁のためか貫当り50円見当の割安となっている。

(12月4日)

にぼしイワシの好漁つづく えびす顔の福田港

 8月下旬から9月下旬にかけて悪天候が続き、せっかく獲れたにぼしイワシ数千貫(水揚げ)を腐らせた上、その後1カ月全くいわしが獲れず不況をかこっていた福田村漁業組合では、最近調子を取り戻し、1日約2000貫の水揚げがあり、浜で働く漁師はえびす顔。値段は1袋(800匁入)350円から上等で500円といったところ。

 讃岐うどん巡りブームの今や「イリコと言えば伊吹島」ですが、この年に4本見つかったイワシ漁とイリコの記事は東讃と小豆島の話題ばかりです。伊吹のイリコの資料を探してみると、「昭和37年に伊吹漁協が煮干の共同販売を開始」という記述が見つかりました。また、「漁協を通さないイリコ製造販売は昭和20年代から存在していた」という話もありましたが、昭和31年時点で、香川のイワシ漁とイリコ製造は東讃~小豆島が本場だったのかもしれません。

食用カエルの盛衰

 「昭和26年」の項で香川県が中四国随一の食用カエル生産県であったことを紹介したので、続報を1本。国分寺町で本格的に食用カエルの養殖が始まったようです。

(7月1日)

このままでは全滅 食用カエルの乱獲に夜間巡視

 香川県では乱獲により水揚げがガタ落ちになっている食用カエルの保護増殖をはかるため、綾歌郡国分寺町に種苗養殖場を設けるなど努力を続けてきたが、その半面乱獲は依然として後を絶たないので業を煮やし、ついに今日1日から県下の主要漁場に夜間巡視を行うほか、違反の摘発に乗出す。県下の食用カエルは戦前年間6万貫の水揚げがあったが、乱獲と農薬被害で現在6000貫程度に減り、このままでは外貨獲得に活躍どころか、県下の池沼から姿を消すのではないかと心配されている。このほど県が行った抜打ち調査によると、違反の捕獲を行っているものが非常に多いことがわかったので、今後は巡視の強化や集荷業者の違反監視を厳重に行い、取締りを徹底する。

(8月12日)

僕らは貿易大使 再び陽の目 食用カエル

 ドルを稼ぐ貿易品として、食用カエルが再び時代の脚光を浴びつつある。香川県における食用カエルの歴史は相当に古い。養殖をとり入れてからもう30年になる。グロテスクなシロモノだけに、食味しようという日本人は食通ぐらいに限られ、ほとんど輸出一本だった。ところが、長い戦争で輸出は止まり、養殖どころか無限に自然繁殖。ウォーンという異様な鳴き声が沼、池など至るところで聞かれた。それが戦後の貿易再開でジャンジャンはけ出し、乱獲につぐ乱獲。それに新農薬でここ2、3年以来種切れさえ心配されるようになった。そこで注文に応じ切れない食用カエルの種苗を作ろうと、地元、県、農林省の三者で今年の3月から着工(補助金70万円)したのが香川県食用カエル養殖場(綾歌郡国分寺町)である。

 県ではここで繁殖した「小カエル」を明年あたりから年間25万匹配布して、本格的な養殖にとりかかる計画である。大きな親カエルになると200匁以上もある。5~6月ごろから2万から4万粒を産卵する。やがてフ化すると、8月には2寸ぐらいの「おたまじゃくし」、後脚前脚の順序でカエルの形を整え、秋には15匁の子カエルになる。冬眠から覚めた翌春、水田など区画した養殖場(2~3坪ごと)で飼育して、2年目に一匹前(?)のカエルに成長、立派な商品(生きカエル/貫1000円)になるわけだ。

 今、県下には40人ばかりの飼育者がいるそうだが、国分寺町では末沢町長も自ら一役買って飼育し、「将来、町の新産業計画にとり入れたい」と意気込んでいる。だからこの町だけで約半数を占め、議会人も混え養殖組合を組織している。皮をはぎ、太モモに背肉を付けた(歩留り4~5割)うすい桜色の解体肉は、大洋漁業、日本水産などのメーカーの手で完全に冷凍され、輸出される。現在、この精肉が1ポンド(約100匁)1ドル30セント(450円)というから、牛肉やカシワの比でない。農林省も水稲早期の稲田養殖に大きな期待をかけているという。

 日付順に記事を並べると状況の時系列が混乱しそうですが、整理すると、

(昭和元年頃)……香川県で食用カエルの養殖が始まる。販路はほとんど海外への輸出。
(戦争中)…………輸出が止まり、食用カエルが大量に自然繁殖する。
(戦後)……………貿易再開で食用カエルがジャンジャン売れ出し、乱獲と農薬被害で“種切れ”の心配が出てくる。
(昭和31年3月)…国分寺町で「香川県食用カエル養殖場」の設置工事に着工。それでも後を絶たない乱獲を防止するため、監視、取り締まりを強化する。

という経緯です。国分寺町では「将来、町の新産業計画にとり入れたい」と意気込んでいたそうですが、2019年現在、国分寺町の特産に「食用カエル」の名は見当たりません。国分寺町の「食用カエルビジネス」に一体何があったのか? 続報はないかもしれませんが、待て、続報(笑)。

職安の求人から見る香川の産業状況

 高松公共職業安定所が、求人傾向から見た高松の産業動向の分析報告を出していました。

(10月13日)

庵治の漁業は好況 高松職安 求人傾向から景気打診

 高松公共職業安定所では、一般経済情勢の好転が管内産業にどのような影響を及ぼしつつあるかを、求人の増減傾向から検討した。それによると、庵治を中心とした漁、水産業がすこぶる好況であり、石材業も海外からの注文もあり相当のブーム。高松特産の漆器はいささか生産過剰気味ということ。主な本県特有の産業に加えた同安定所の診断は次の通りである。

【農業】
 求人は昨年より43%減少しているが、岡山県からの農業労務の連絡求人があったため、臨時就職の増加をみた。平常月における求人者は5反以下の農業専業者でないものが多く、主として釈放者で充足している。

【漁、水産、養殖業】
 庵治を中心に漁期には漁業労務者の求人があり、管外からも労務者を移入しているという盛況。西浜の海老加工は時々求人がある程度。詰田川、郷東川川尻のノリ採取は家内工業的であまり振わない。淡水漁業にいたっては問題にならない。

【鉱業】
 有名な庵治石が採掘され、相当活発な動きを見せている。最近、米国で日本式庭園が高く評価され、灯籠、庭石などの受注が増加しているが、高松でもこの影響を受けて雑役の求人が相当増えてきている。

【建設業】
 全般に不振。労基局の調べによると、建設工事が一段落したことと、いくぶん淘汰されたとはいえ業者の乱立も影響し、賃金不払も特に多い。

【食料品製造業】
 菓子類はほとんど夏期には水氷製品に押され振わないが、9月からは大体平常にもどる。パン類は小麦が出始める6月が最高。これは、農家の現物引替えが多いのが原因。手打うどんは年間を通して求人はあるが、求職者がない。漬物はほとんど縁故採用。季節的なものとしての酒造労務者は県外からも若干入ってきている。カン詰は学生アルバイトなどの臨時で間に合わせている。

【紡績業】
 製糸は化繊に押されて振わず、対策としてビニール管製造をはじめ余剰労力の吸収に努めているところもあるくらい。綿織物は弱小企業があるのみで求人は期待できない。綿打関係は9、10月が多忙だが、これも求人は期待できない。

【その他の製造業】
 高松特産の漆器は最近家内工業から脱して近代化に努めているが、生産過剰気味。求人は多いが、低賃金の代表格。建具、家具類は様式の変化によりあまりうけない。とくに家具類は同じく生産過剰気味。

 注目は食料品製造業の中にある「手打うどんは年間を通して求人はあるが、求職者がない」という報告。なるほど、そういう側面があるのか。確かに職安のうどん関連の求人は件数が増えているだけでなく、1件あたりの求人掲載日数も増えている。ということは、「なかなか応募者が来ないから何度も求人をしている」ということですか。あと、高松の漆器は「低賃金の代表格」だそうです。

昭和31年の四国新聞に載ったうどん関連広告

一般広告

(民間企業)
●寿し・麺類・丼物/四五銭亭(高松県庁前)

(組合・団体)
●香川県精麦工業協同組合
●香川県製粉製麺協同組合

求人広告

●香川県製麺協同組合
(3/19,20,21)
▽ウドン製造見習/20才前後、住込
▽ウドン玉取女工/40才迄、住通可
(3/28,29)
▽男子ウドン製造見習/若干名、20才前後、住込出来ること
(6/29)
▽オガ運搬人/男女年齢不問、食付
▽ウドン見習工/男女年齢17~25才
(12/26,27)
▽うどん製造見習/若干名
▽女事務員/1名

●高松公共職業安定所
(1/20,21,22,23,24)
▽女子うどん玉取り工/17~25才、住月収3000円(市内某うどん製造所)
(6/29,30,7/2,3,4,5,7)
▽男子製麺下手間/15~20才、住込2500円(市内うどん製造所)
(7/7,16,19,20,28)
▽男子配達人/15~20才、通日収200円(市内製麺所)
(7/29,30,31,8/2)
▽女子給仕人/16~26才、通月収4000円、住月収三食付3000円(マアージャン倶楽部、うどんや)
(8/13,14,15,16,17,18)
▽女子うどん玉取り工/20~40才、通三食付日収100円、就業時間5時~18時(市内製麺組合)
(8/19,20,21,22,23,24)
▽女子女中兼雑役/16~20才、住月収2000~3000円(市内某うどん製造所)
(8/20,22,23,24,27,28)
▽男子うどん製造下手間工/16~20才、住2000~3000円(市内某製麺所)
(8/27,28)
▽玉うどん配達人/20才前後、住月収3000~4000円、日給200円の所もある(市内某製麺所)
(9/16,17,18)
▽男子配達人/20才前後、住月収3500~4000円(市内某うどん製造所)
(9/21,23)
▽男子製麺手伝/16~23才、住込月収3000円(市内某製麺所)
(9/27)
▽女子製麺手伝/16~20才、通月収4500円(市内某生うどん製造所)
(10/18,20)
▽女子うどん玉取り工/20~40才、通日収100円以上(市内某製麺所)
(11/24,25)
▽男子手打うどん製造見習兼配達/18~20才、住月3000円(市内某うどん製造所)
(12/31)
▽女子食品単労/17~23才、通月収4000~5000円(市内某うどん製造所)

●坂出公共職業安定所
(1/21,22,23,24,25,26,27,28,30,31)
▽男子配達夫/20才迄、住食付3000円(市内某製麺所)
(1/25,26,27,28,30,31)
▽男子配達夫/20才迄、義務了者、通勤日収150円(市内某うどん製造所)
(2/8,9,10,11,12,13,14)
▽男子生うどん見習工/20才迄、住食付3000円(市内某製麺所)
(2/22,23,25,26,27)
▽女子店員/16~20才、住食付1500~2000円(宇多津某うどん店)
(2/25,26,27,28)
▽男子配達夫/20才迄、通勤月収4000~4500円(宇多津某製麺所)
坂出公共職業安定所
(4/1819,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30)
▽男子配達夫/18才迄、義務了者、通勤月収2000円(市内某うどん製造所)
(5/1,2,5)
▽男子見習工/18~30才、通勤日収150~300円(市内某製麺工場)
(6/13,1516,17,18,21,22)
▽男子三輪運転手/22才迄、経免要、市内の人、通勤7000~8000円(某製麺所)
(6/13,1516,17,21,2223,24,25,26,27,28,29,30,7/2,3,4,5,7,8,11)
▽配達夫/20才迄、通勤住込どちらでも可、2500~3000円(宇多津某うどん店)
(7/10,11,12,1516,17)
▽女子下手間工/30才迄、日収100円、未亡人歓迎(市内某製麺工場)
(7/12,14,15,16,17)
▽男子配達夫/19才迄、住食付2500円(市内某うどん製造店)
(7/18,19,20,23,24,28)
▽男子製麺工/30才迄、通勤日収300~350円(市内某製麺所)
▽製麺見習工/25才迄、通勤日収100~150円(市内某製麺所)
(8/16,18,20,21,22,25,26,27)
▽男子配達夫/20才迄、通勤日収100円(市内某うどん店)
(9/12,13,14,15,16,17,20,22,23,25,26,27,28)
▽男子配達夫/19才迄、住月収2500~2800円(某うどん店)
(11/21,22,23,24,25,26,27,28,29,12/1,3,4)
▽男子配達夫/19才迄、住通可3500~6000円(市内某うどん店)
(12/12,14,17,20,25,26,27,28,29,30)
▽男子配達夫/20才迄、通勤住込可3000~4500円(市内某製麺所)

●丸亀公共職業安定所
(2/16,17,18,19,20,21)
▽男子配達夫/20才前後、通5000円(市内某うどん製造所)
(2/29,3/1,2,3,4,5,6)
▽男子乾めん工/16~22才、通日収180円(市内某乾めん工場)
(3/7,8,9,10,11,12,13,15,16,17,18,19)
▽男子乾めん工/16~22才、通日収180円(善通寺市某乾めん工場)
(5/26,27,28,29,30,6/1,3,4,5,6,7,9,10,12,14)
▽男子配達人/16~20才、住2000円(琴平町某うどん製造所)
(7/2,3,4,7,8)
▽女子雑役/16~20才、通月収3000~3500円(善通寺市某乾麺工場)
(7/30,31,8/2)
▽女子配達店員/16~20才、通住可、月収3000~4000円(善通寺市某製麺所)
(9/4,5)
▽男子配達人/16~23才、住月収3000円(琴平某製麺所)
(9/21,22,25)
▽男子配達人/20才まで、住月収3000円(琴平町某うどん店)
(10/1,2,3,4,7,9)
▽男子配達/20才まで、月収4000円~(市内某うどん店)
(10/10,12,14,15,18)
▽男子配達人/20才まで、住月3000円(市内某砿油店及びうどん店)
(10/10,12,14,15,16,19,20,21,22,23,25)
▽女子事務員/16~17才、通月収4000~4500円(市内某うどん店)

●観音寺公共職業安定所
(2/1,2,3,4,5,6,7)
▽女子店員/15~25才、住3000円(市内某ウドン店)
(2/1011,12,13,14,15)
▽男子配達夫/17~20才、住3000円(市内某製麺所)
(2/18,19,20,21)
▽女子製麺工/17~25才、通150円内外(市内某製麺所)
(2/22,24,25,26,27,28)
▽女子店員/15~25才、住3000円内外(市内某うどん屋)
(3/8,9,11,12,13)
▽女子炊事婦/16~20才、住2000円(市内某うどん店)
(3/2021,22,23,24,25)
▽女子女中/16~30才、住3000円(市内某ウドン所)
(4/2526,27,28,29,30)
▽男子製麺工/16~20才、通日収150円、住3000円(郡内某製麺所)
(4/2627,28,29,30)
▽板場兼出前持/18~25才、住3000~4000円(市内某ウドン店)
(5/29,30,6/1,4)
▽女子製麺手伝/18~40才、通日収150円(市内某製麺所)
(7/10,1324,25,26,17)
▽女子製麺手伝/18~40才、住3000~3500円(郡内某製麺所)
(8/19,20,21,24,26,28)
▽女子製麺及出前/16~30才、通日収100~150円(市内某うどん店)
▽店員/20才前後、住3000円(市内某うどん店)
(9/6,7,8,9)
▽男子うどん配達夫/17~20才、住月収3000円内外(市内某製麺所)
(11/19,20,22,23)
▽男子うどん配達夫/18~25才、住込月収3000円(市内うどん製造所)
▽女子製麺工/18~30才、通日収150円、住月収2500~3000円(市内某製麺所)
▽店員/18~30才、住込月収4000円(市内某うどん店)
(11/26,27,30,12/5)
▽女子製麺工/18~30才、住込2500円(市内某製麺所)
(12/12,14,17)
▽女子店員/15~35才、住込3000~4000円(市内某ウドン店)

 職安の求人情報はこういう状態がしばらく続きますので、以後はポイントだけ紹介しようと思います。ここまで、うどん店や製麺所からの職安を通じた求人の内容は、男子は主に製麺工と配達人、女子はうどんの玉取りや店員、雑役が中心です。給料は、職安の求人が掲載され始めた昭和27年に男子配達人の住み込み食事付き月収2000円あたりだったのが、昭和31年には同月収3000円以上が並んでいますから、全体的に4年で1.5倍くらいになっているような感じがします。

(昭和32年に続く)

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