昭和29年は、食文化としての「讃岐うどん」の記事はほとんど見えず
昭和29年はいわゆる「昭和の大合併」が始まった年で、全国的に新しい市町村がたくさんでき始めました。香川県でこの年に新しくできた市町村は、以下の1市5町1村です。
<4月1日>
・善通寺市……………(仲多度郡善通寺町、吉原村、与北村、竜川村、筆岡村が合併)
・大川郡大内町………(大川郡譽水村、丹生村が合併)
・綾歌郡綾南町………(綾歌郡陶村、滝宮村、昭和村、羽床村が合併)
・綾歌郡綾上村………(綾歌郡山田村、羽床上村、西分村、枌所村が合併)
・仲多度郡多度津町…(仲多度郡旧多度津町、四箇村、白方村が合併)
<10月1日>
・小豆郡池田町………(小豆郡旧池田町、二生村、三都村が合併)
・木田郡三木町………(木田郡平井町、氷上村、田中村、神山村、下高岡村が合併)
昭和29年はこの7市町村だけですが、香川県内の“昭和の大合併ラッシュ”は翌昭和30年がピークで新しく22市町村が誕生。さらに昭和31年にも6町村が誕生しました…と書くと載せないわけにはいかないので(笑)、全部書き出してみましょう。
【昭和30年(1955)にできた新しい市町村=1市15町6村】
<1月1日>
・観音寺市……………(三豊郡観音寺町、常磐村、高室村、柞田村が合併)
・大川郡志度町………(大川郡旧志度町、鴨庄村、小田村が合併)
<2月11日>
・三豊郡大野原町……(三豊郡大野原村、萩原村、五郷村が合併)
<3月15日>
・大川郡大内町………(大川郡旧大内町、三本松町が合併)
<3月20日>
・綾歌郡国分寺町……(綾歌郡山内村、端岡村が合併)
<3月31日>
・三豊郡高瀬町………(三豊郡比地二村、二ノ宮村、麻村、勝間村、上高瀬村が合併)
・三豊郡豊中村………(三豊郡本山村、上高野村、笠田村、比地大村、桑山村が合併)
<4月1日>
・小豆郡土庄町………(小豆郡旧土庄町、北浦村、四海村、豊島村、大鐸村、淵崎村が合併)
・大川郡引田町………(大川郡旧引田町、相生村、小海村が合併)
・大川郡長尾町………(大川郡旧長尾町、多和村が合併)
・木田郡山田町………(木田郡川島町、西植田村、東植田村、十河村が合併)
・香川郡香川町………(香川郡大野村、川東村、浅野村が合併)
・仲多度郡琴平町……(仲多度郡旧琴平町、榎井村が合併)
・仲多度郡満濃町……(仲多度郡吉野村、神野村、四条村が合併)
・仲多度郡仲南村……(仲多度郡十郷村、七箇村が合併)
・三豊郡詫間町………(三豊郡旧詫間町、粟島村、荘内村が合併)
・三豊郡三野村………(三豊郡大見村、下高瀬村、吉津村が合併)
・三豊郡山本村………(三豊郡辻村、河内村、神田村、財田大野村が合併)
・三豊郡豊浜町………(三豊郡旧豊浜町、和田村が合併)
<4月15日>
・大川郡大川村………(大川郡富田村、松尾村が合併)
<7月1日>
・大川郡白鳥町………(大川郡白鳥本町、白鳥村、五名村、福栄村が合併)
・大川郡寒川村………(大川郡神前村、石田村が合併)
【昭和31年(1956)にできた新しい市町村=5町1村】
<8月1日>
・綾歌郡飯山町………(綾歌郡坂本村、法勲寺村が合併)
<9月8日>
・大川郡津田町………(大川郡旧津田町、鶴羽村が合併)
<9月16日>
・大川郡長尾町………(大川郡旧長尾町、造田村が合併)
<9月29日>
・綾歌郡琴南村………(綾歌郡造田村、美合村が合併)
<9月30日>
・香川郡香南町………(香川郡由佐村、池西村が合併)
・香川郡塩江町………(香川郡塩江村、上西村、安原村が合併)
あと、ちょっと遅れて昭和34年に綾歌郡綾歌町(綾歌郡久万玉村と岡田村が合併)ができて、「昭和の大合併・香川版」は終了しました(この間、近隣の市町に編入されて消滅した村が他にもたくさんあります)。その合併ラッシュのスタートの年が、昭和29年です。
一方、経済的には、前年7月に朝鮮戦争が休戦となっていわゆる「朝鮮特需(朝鮮戦争に従軍していた在日米軍、在朝鮮米軍から日本へ大量の物資の発注が続いて、日本の景気がよくなったという事象)」が終わったこともあり、活気のある大きなニュースは見当たりませんでした。朝鮮特需に関しては、香川県内の中堅某社の社史に「朝鮮特需で会社が一気に成長路線に乗った」という内容の記述がありますから(その社史を取材執筆したのは筆者なので間違いない・笑)香川県にも少なからず特需効果が及んでいたことは間違いありませんが、米軍から大量のうどん(乾麺)の発注があったという話は今のところどこからも発掘されておらず、新聞を見る限り、香川のうどん業界には特に盛衰の動きは見られません。
というわけで、昭和29年の四国新聞から無理やり見つけたうどん関連記事を1つ。
うどん見習工が傷害
高松市署では2日夕刻、高松市塩上町うどん見習工○○○○(26)を傷害容疑で逮捕取り調べ中。同人は同日午後1時半ごろ、同町香川製めん工場で市内八坂町菓子卸商○○○○君(23)とさ細なことから口論を始め、こぶしで腹、肩などに全治20日間の打撲およびねん座傷を負わした疑い。
例によってこれが「うどん関連記事」であるかどうかはあなたの感じたままですが(笑)、一応「昭和29年に高松市の塩上町に製麺工場があった」という情報が入っているということで。「なぜ製麺工場にお菓子の卸しの子がいたのか?」あたりから妄想していけば、安物のドラマが作れるかもしれませんが(笑)。あと、「我が家の味自慢」という連載コラムに、地元の院長夫人が「ホワイトソースとケチャップ仕立ての煮込みうどん」を紹介されていました。
我が家の味自慢/酸とアルカリの調和を考慮 喜ばれるうどん、お惣菜
毎日の家庭の食事については、なるべく片寄らないようにすること、変化をつけ嗜好も考えること、季節の食品で安価な材料を選ぶこと、酸性食品(魚肉、穀類)とアルカリ性食品(野菜、果物、牛乳、海藻類)とを考えることなどに留意した献立を定め、いただいてみて自分もおいしいと思い家族にも喜んでもらえるものを作るようにしております。お米の少ないこの頃、一日一食は粉食にしますので、うどんのいただき方一つとパン食にふさわしいお惣菜を二つ、これは子供達や病院の患者さんにも喜ばれております。
【煮込うどん】
▽材料(1人前)=うどん小玉1個(60匁)バター5匁、新玉ねぎ5匁、牛乳5勺、さやえんどう3匁
▽つくり方=ホワイトソースを作り、ケチャップを入れ、炒めたかしわと玉ねぎを入れて塩、こしょうで足を整えて、うどんを入れ、熱いうちにお皿に盛り、しばらく塩ゆがきにしたさやえんどうを添えます。かしわの代りにハムやちくわにしても結構です。
この他に「あさりのチャウダー」と「蚕豆(そらまめ)スープ」が紹介されていましたが、さすが院長夫人、どれも昭和29年にしては“ハイカラ”でおしゃれなメニューです。しかし、うどんネタは以上です。ほんとにこの年は新聞にうどんの話が載っていませんでした。そこで仕方なく、以下は関連業界の記事を拾いながら昭和29年の様子を窺うことにします。
善通寺と庵治で農協が製麺工場の生産設備を増強
まず製麺業界では、農協の製麺・製粉工場増設の記事が2本見つかりました。
近く製粉機増設 善通寺町農協
香川県仲多度郡善通寺町農業協同組合ではこのほど製メン工場を拡張したが、製粉機10台を今月末までに増設する。この増設により、同工場は大型製メン機1台と製粉機15台を備えた工場となり、従来の生産量の2倍、約4万箱(1箱18キロ詰)が生産される。
冒頭で列挙した通り、仲多度郡善通寺町は4月1日付けで「善通寺市」になりましたが、3月18日の記事なのでまだ「善通寺町農業協同組合」です。ちなみに、9月のコラムで当時の善通寺の様子が紹介されていました。
躍進する善通寺③ 名実備う田園都市 遺跡にみる讃岐文化の発祥地
躍進する善通寺は讃岐穀倉地帯の中心地帯に位する田園都市である。とくに農業の盛衰は市の経済体系を左右するほど重大なる産業と言われている。水田面積4812反、米産1万1161石、麦作田畑面積4616反、1万675石の裸麦、小麦を産し、市の重要産物であり、また400頭に近い乳牛の飼育で1日約10石の牛乳が生産され酪農都市としても全国屈指である。工業部門には恵まれぬ市としても、自然、工場誘致もその特殊性を生かし、豊富な農産物の加工場に目が注がれるのも当然で、製粉、製メン工場が繁栄し、また折箱製造、こけし人形、織物工業、ワラ工品、兎毛製品工業など、農家の家内工業として発達しているが、最近、森永乳業工場の誘致が決定したことは、特筆されるところである。
また21年8月に農林省四国農業試験場が設立され、松木五楼博士が着任、地方中堅農民の指導に尽くされたことは市の農業発展に大きな力となり、全国有数の農業都市として米作り日本一の大川義則氏を初め多数の篤農家を生み育てていった。同市の農産物は質量ともに最優秀の誉れが高く、阪神方面でも好評、まさに面目躍如たるものがある。
同市赤門筋、京町など商店街も広大なる農村部落によって繁昌しているあたり、名実共に新市建設のスローガンそのままに「田園都市」善通寺が形成されている。また、同市が打ち出した新市のスローガンには前記農村を中心にした「文化都市」がある。「いろは四十七文字」を案出した学僧、弘法大師出身の霊地としてこれは当然の歴史的事実であって、付近には石器時代から発展したことを証する遺跡が発見されていることは、さらにそれ以前に上って讃岐文化の発祥地だったとも推測し得るところであり、終戦直後、市当局が文化都市の再現を願ったのはあながち偶然の一致とも言い得ない。
農村文化の発展はかくて着々と実を結び、立派に教育都市の面目を一新した現在、教育施設として大学1、高校4、中学6、小学8、幼稚園8を数え、そのほか図書館、体育館らも完備し、なお将来学校の増設計画が樹てられるなど、人口3万5000の同市の教育は水準以上の高さを示しており、市民待望の共電式電話もいよいよ開通、産業、文化の発展に益するなど、その充実ぶりはまさに田園都市文化を誇るに当るものがある。
当時の善通寺市の人口は約3万5000人で、主要産業は農業。昭和21年にできた農業試験場を核に善通寺の農産物は品質が優秀で、「酪農都市」と呼ばれるほどの牛乳の生産地でもあったそうです。一方、「工業部門には恵まれぬ市」とあるように第二次、第三次産業は盛んではなかったようですが、新市「善通寺市」はスローガンに「田園都市」「文化都市」を掲げているように、経済発展を目指す方向には向かわなかったようです(経済発展戦略のない自治体は、たいてい「田園都市」や「文化都市」をスローガンに掲げます・笑)。
結果的に見れば、善通寺市の人口は昭和60年(1985)の3万8630人をピークにどんどん減り始めて、令和元年(2019年)には3万2000人になってしまいました。ちなみに、こんな所と比較してはどうかと思いますが、同じ昭和29年時点で善通寺市より少ない人口3万人前後だったラスベガスは今、人口65万人になって、毎年世界中から3000万人以上の来訪者を集めています。とりあえず「なんて差だ!」と叫んでおきますが(笑)。
続いて、庵治の農協でも製麺の生産能力が増強されていました。
需要増え製メンに本腰 庵治農協、火力乾燥機を設置
香川県木田郡庵治村農協組では製メン部の生産能力を高めるため、このほど火力乾燥機を購入し、約20坪の同乾燥室を改築、大々的な製メン加工に乗り出した。同工場には自動製メン機、同製粉機などが取付けられ、郡内唯一の農協製メン部として最盛期には1日200箱(4貫800匁入)のメン類を生産し、高松方面に送出しているが、同組合では近年の需要激増により、今までの天日乾燥だけでは需要に応じられなくなったため、火力乾燥機を増設したものである。
天日乾燥では追いつかなくなって火力乾燥で生産能力を増強するということは、需要が増えたのは明らかに「乾麺」で、そうめんではないだろうから乾麺のうどん、あるいは冷や麦の類だと思われます。それが高松方面で需要激増になったということですが、そもそも香川でそんな大量の乾麺のうどんが一体どうやって消費されていたのか、そのあたりが今ひとつ明らかになりません。「開業ヒストリー」を読む限り、食堂等のお店はたいてい製麺所からゆで麺を仕入れていたようですから、乾麺のうどんはその大半が個人消費だとしか思えないのですが…。「昭和の証言」の中にも「家で食べるうどんはほとんど乾麺だった」とか「製麺所に麦を持って行って乾麺をもらって帰った」等の話が出ていましたし。
ちなみに、上記記事に併載されていた写真は「工場の庭一面に干された干しうどん」でした。やはり、昭和20年代の讃岐うどんはかなり「乾麺文化」の度合いが大きかったようで、今日の讃岐うどん巡りブーム下の状況とはずいぶん風景が違っていたのだと思います。
輸出力アップに向けて保税工場を拡大
続いて、この年の乾麺業界は、輸出力をアップさせるために「保税工場」が一気に増えました。そのきっかけは、小豆島のそうめん業界が動いたことにあるようです。
保税工場認可を申請 小豆島のそうめん 輸出価格の引下げへ
そうめんの産地、香川県小豆島では沖縄その他への輸出に力を注いでおり、昨年は約20万ドル近い外貨を獲得しているが、神戸船側渡しで小豆島産(島の光)1箱2ドル60セントに対し、他産地ものの中に2ドル20セントと40セントも安く、しかも品質のよいものがあり、この対策を研究していたところ、これは外貨獲得のため保税工場の認可を受け免税によって2割安く原料小麦を手に入れていることが判ったので、香川県製めん製粉協同組合として保税工場の認可を受けることに決定、申請を行っているが、このため10日、金岡坂出税関支署長が小豆島12工場を皮切りに県下43工場の視察を始めた。なお、金岡署長は「香川県では製めん業の保税工場認可は初めてであり、外貨獲得のためぜひ育てあげるべきで、認可は今月末までに行われることになるだろう」と語っている。
当時の小豆島産そうめん「島の光」は沖縄等への輸出にも力を入れていたのですが(念のため、沖縄は1972年に日本に返還されるまでは「外国」です)、他県産のそうめんが「保税工場」の認可を受けて免税の安い原料小麦を使って安価で売り出したため、「こっちも保税工場の認可を受けたい」ということで組合ぐるみで税関支署に申請を申し出たという話。すると、実に迅速に認可が下りたようです。
製メンの輸出振興へ 協組に初の保税制 坂出税関、43工場に特許
坂出税関支署ではこのほど、香川県製粉製メン協同組合の43工場に対して保税工場の特許を行った。これは輸出貿易振興策により実施されたもので、保税倉庫制度は原材料を輸入し、これを加工して再び海外に輸出される工場に対して特許する制度で、輸入税がかからないため生産コストが安く、海外の市場で競争できる特典がある代りに、原料製品とも絶対国内に流さぬよう税関の監督を受けることになっている。
従来、会社の工場に対しては特許されていたが、組合の工場に対して特許になったのは今回が初めてで、組合工場は特別に特許料月3万3000円が免除されることになっており、今後沖縄向け製メンの輸出が期待されるわけである。今回特許になった工場は43工場(90工場中)で、今後は外麦を食糧庁から払下げを受けることなく直接輸入が認められ、しかも輸入して加工輸出するまでは加工貿易原材料に対する外貨資金の特別融資を受けることができることになっている。
<特許になった工場>
▽小豆郡=12(池田7、淵崎3、内海、四海各1)
▽三豊郡=11(豊浜5、大野原4、和田、粟井各1)
▽坂出市=7
▽綾歌郡=4(山内2、府中、滝宮各1)
▽香川郡=3(円座、由佐、浅野各1)
▽仲多度郡=2(善通寺、多度津各1)
▽大川郡=2(志度、三本松各1)
▽高松市=1
▽木田郡=1
農協の製粉製麺工場は香川県下に90もあったそうですが、そのうち半分近い43工場が一気に保税工場になりました。ちなみに、2月の記事には「香川県製めん製粉協同組合」とありますが、4月の記事では「香川県製粉製メン協同組合」と書かれています。「めん」がカタカナになった上に「製麺」と「製粉」の順番が入れ替わっているという、アバウトな表記です(笑)。
では併せて、1月、2月に立て続けに載っていたそうめんに関する記事を4本。
名代なる島そうめん
香川県小豆郡では、麦まきが終わり農閑期に入ると手延そうめんの製造にかかる農家が池田町を中心に150~160軒ある。そして3月末までに約4万箱を生産、6月の梅雨明けを待って主として九州方面へ出荷されるが、最近は阪神への出荷にも努力が払われている。昨年で1箱平均1200~1300円といわれ、冬の農閑期の副業として昔からこの地方の名産となっている。
小豆島 手延そうめん開業者に資金あっせん
冬季農閑期の副業である手延そうめん製造は戦前に比べると業者が激減しているので、小豆郡興農協議会では新規開業希望者に設備資金などをあっせんすることになり、2月末まで申し込みを受け付ける。
奄美大島へかんめん 池田町 有利条件で輸出再開
香川県小豆郡池田町のかんめんは奄美大島へ月5000箱ほど輸出されていたが、昨年の10月以来同島の日本復帰関係で注文が途絶えていたが、1月中旬、これが復活。すでに1500箱を出荷、今後復帰前をしのぐ出荷が期待されている。なお、従来は貿易商を通じていたのが、名瀬渡しで直接向こうの業者と取引ができるようになり、有利となっている。
生産、昨年より三割減 手延そうめん 天候不順たたる
香川県小豆郡の池田町を中心とする手延そうめんの生産量は、天候不順、品質の向上などから昨年の約3割減の2万6000箱程度と予想されており、価格は現在「島の光」で昨年の1箱1200円より80円ほど高くなっている。品質は粉の精白度を2%ほど高くし、太さを二番ほど細くしたほか、束を小さくしており、このため1箱で80束多くなっている。
奄美大島を中心とする奄美群島は、戦後、沖縄と同じくアメリカの統治下にありましたが、沖縄返還より20年近く早く、昭和28年12月25日に日本に返還されました。
さて、記事によると小豆島のそうめんは「冬の農閑期の副業」として名産になってきたとのことですが、昭和29年の概況では「戦前に比べると業者が激減している」そうです。ただ、主要業者が規模を拡大していけば零細業者が潰れていき、「業者数は減るけど生産量は上がって業界は活性化している」という状況が出現しますから、「業者の激減」はそのまま「業界の衰退」と連動しているわけではありません。また、「生産量が昨年より3割減」というのも「前年比」の話ですから、戦前に比べて生産量が減っているのかどうかはわかりませんが、とりあえず小豆島のそうめんは「名物」ではあるものの、まだ「どんどん伸びている」という時期ではないようです。
小麦の作付け面積が全国的に減少
続いて、小麦の生産に関する記事を拾ってみましょう。「うどん→製麺→小麦生産」とビジネスシステムの上流に遡って行きますが、何しろうどんに関する記事がほとんどないので仕方がありません(笑)。
社説/小麦作付の減少と新麦価
農林省が発表した麦の作況によると、昨秋まきつけられた小麦の作付面積が全国で3万余町歩、昨年より減っている。この減った分の一部は大麦と裸麦に転換されたことは統計でもはっきりわかっているが、残り4000町歩というものは麦以外の作物に転換したか、あるいは最近の土地値上りを反映して農地以外に転用されたかいずれかであろう。いずれにしても、戦時中はともかくとして、戦後の小麦作付面積が大体70万町歩台を維持してきたのにくらべ、この急激な減反は一挙に戦前の水準に落ちてしまったことになる。わが国は今、毎年100万からの人口が増え、年に二千数百万石からの不足食糧が国民経済上の大問題となっているときであるにもかかわらず、小麦の生産がこのように減ってきたということは由々しい問題と言わなければならない。保利農相をはじめ政府当局者でさえ恐れていた外麦による国内農業への影響が早くもあらわれてきたのである。
最近における世界の食糧事情をみると、アメリカをはじめカナダ、豪州、アルゼンチンなど主要小麦生産国は軒並みに昨年大豊作で、国際的にダブつき状態となり、どこも持て余して国外へ投売りしようとし、価格もだんだん下り気味となっている。この情勢の下にあって、食糧不足国の日本はこれから小麦過剰国にとって格好の輸出市場となっている。アメリカがMSA援助の一環として大量の小麦その他を対日輸出すれば、これに対抗してカナダはさきごろの日加通商協定で85万トンの小麦買付を日本に義務付けてしまったし、豪州もまた強硬に日本政府に対し買付を要求してきているようである。
昨秋MSA小麦が大量に入りはじめてからは、国内産の麦価と外麦との間にトン当り10ドル(3600円)からの開きができてしまった。これでは生産費の高くかかる日本の農業はとうてい対抗できないとみて、目先のきく農家はいち早く小麦よりも多少とも有利な大麦、裸麦、その他の作物に転換したり、地価高騰に便乗して土地を現金にかえたりするものが出てきた。これが小麦減反の理由である。(以下略)
全国的に小麦の作付け面積が減ってきたそうです。アメリカをはじめとする外国からの安い小麦が入ってくるようになった結果、国産小麦が商売的に分が悪くなったため、農家が小麦から大麦や裸麦や麦以外に作付け転換をしたり、農地を売って現金化したりているとのこと。農業は労働集約型産業の典型ですから「土地と人件費の高い日本の農業は、自由化されると海外の安い農作物とまともに戦えなくなる」というのは当たり前の理屈ですが、同時に消費者目線で見れば、外国産の安い小麦が入ってくれば小麦製品が今までより安く買えるようになるわけで、「全て国産小麦で、しかも安く(税金も投入せず)」というエブリワンハッピーな解がないのは昔も今も不変の原理です。
しかし一方では、「香川県で古麦が余って売りさばきに苦労している」という話が…。
古麦に頭を悩ます 県下のストック20万俵に
香川県の昨年産麦は相ついだ風水害のため品質低下を期したほか、悪条件が重なり、一時は約100万俵の県内ストックを抱え、その売りさばきに苦労して麦食励行運動などでその消費をはかったが、その後、端境期を中心に需要もどうやら増え、最近ではストックも約20万俵になっている。県経済農協連調べによると、現在の県下ストックは農協はじめ民間に2万1000俵。政府買い上げにより指定倉庫に納まっている物は裸麦14万1000俵、小麦約3万俵となっている。しかし、本年産麦の出回りを控えているので、古麦の処理については関係筋でも頭を悩ましているようだ。
一つ前の記事で「わが国は今、毎年100万からの人口が増え、年に二千数百万石からの不足食糧が国民経済上の大問題となっているときであるにもかかわらず、小麦の生産がこのように減ってきたということは由々しい問題と言わなければならない」とありますが、一方では県が麦のストックを抱えて困っているという、実態がよくわからなくなるような記事が並んでいました。
ちなみに、県の麦のストックは「裸麦14万1000俵、小麦約3万俵」とあり、比率で言えば小麦は麦全体の約17.5%。「新聞で見る讃岐うどん/昭和20年」で紹介した「昭和35年の麦作における小麦率」は推計で四国が21%(全国最下位)でしたが、この年のストックも大体似たような比率になっています。いずれにしろ、昭和の香川の麦畑は圧倒的に「裸麦」の畑です。讃岐うどんの歴史を美化して「かつて、讃岐平野には黄金色の小麦畑が広がっていた」みたいな記述を目にしたことがありますが、歴史が捏造される前になるべく「ファクト」を発掘しておかなければなりません(笑)。
続いて、県の農林統計調査によると、人間が食べるはずの麦の「飼料化」が進んでいるという報告も出てきました。
5割を自家消費 増加する麦の飼料化 生産した米と麦類を農家はどう使ったか 県農林統計協会調査
香川県下における28年度産麦に対する農家の消費量や販売状況について、県農林統計協会では県下の一畝以上の農家について各種階層に分け、3000農家について面接調査を行った結果によると、次の通りである。
<農家の米麦食糧消費>
県下の麦生産量62万5000石の約五割が食糧で、農家一人あたりでは小麦約2斗4升、裸麦が4斗6升となっている。これを各層について検討すると、山村漁村における作付の少ない地帯に消費が多く、経営規模別にみると耕地面積3反以下の農家は80% 以上が食糧として消費されている。
<一人当りの食糧>
普通、主食として1人年間1石要すると言われている米の消費量は、戦時、戦後の代用食から食糧事情の好転で粉食普及の声をよそに、やはり本県農家は1石を消費している。今後、全国年間110万人の人口自然増加が考えられると、2000万石の食糧不足は5年後600万石増え、年間3000万石不足となる。
<販売状況>
麦類の販売は農家経済の重要な地位を占めているが、裸麦についてみると主産地専業農家は41.5%、兼業31%、山林12%となっており、また小麦は主産地専業43%、兼業33.5%、山林6%、都市近郊4%の販売となっている。香川県の裸麦では、とくに「香川裸一号」が作付面積の7割を占め、品質価格とも全国的に優位に立っている。
<麦の飼料消費増加>
麦類の飼料としての消費は小麦8%、裸麦13%で、一般に飼料価の高騰と自給の関係から次第に増加の傾向にあり、酪農奨励と養鶏王国を目指す本県農家においては一層増加するものとみられている。
ちょっとわかりにくい記事ですが、最後の「麦の飼料消費増加」のところを見ると、小麦は生産量の8%が家畜の飼料に回されていたようです。香川県では当時、県の政策として酪農と養鶏が奨励されていたようで(冒頭の善通寺の紹介記事にも「善通寺は酪農都市だ」という記述があり、「開業ヒストリー」では「なかむら」も当時かなりの規模の養鶏をやっていました)、そっちに飼料として回される小麦や裸麦が次第に増え始めたとのことです。
ちなみに、農作物は「人間が食べるものより家畜が食べるものの方が品質が劣る」というのも原理原則なので、生産現場では飼料用が増えてくると品質が低下しがちになるものですが、果たして香川の麦はそのクオリティをどこまで守れるのか。次の記事によると、とりあえず昭和29年時点では、まだまだ品質向上のための努力が続けられていたようですが…。
全国一を披露 販路の拡張へ 県産麦製品展示批判会
香川県では本年度産麦製品展示批判会を7月下旬ごろ大阪市で全国主要食糧即売業者を招いて開き、全国一の折紙付を披露、あわせて販路の拡張をはかる。作付3万3000余町歩、平均70万石の生産を示す県産裸麦、小麦はいずれも産地銘柄の第一類、とくに香川裸一号は品種名柄に指定され、品種、価格とも全国第一位を保証されている。また押麦、カンメン、小麦粉、手延べそうめんなどの製品は阪神を中心に遠く北海道、沖縄など全国に送り出され、年間麦換算20余万石にも上っている。しかし、統制撤廃になって品質、包装、市場の好みなどの点から自由商品として時代の要求も移っているので、展示批判会を開いて各地の声を聞き、販路の拡張、品質の向上をはかることになったもの。展示品目には原麦300俵(県俵装品評会に入賞したもの)、押麦1000袋、カンメン1000箱、手延べそうめん1000箱がそれぞれ予定されている。
香川県産の麦について、「批判会」という“厳しい名称”の「マーケットリサーチ」が行われました。当時は行政もマーケティングの基本を押さえて頑張っていたというか、まだ民間企業が発展途上だったので「地域の発展は行政手腕にかかっている」という危機感と責任感が強かったのかもしれません。そして「批判会」は7月23日に開催され、その結果が8月24日に発表されました。
県産麦製品展示批判会 業者の意見まとまる 押麦の製品が不統一 そうめんは宣伝が足らぬ
香川県経済部では自由販売市場に適合した県産麦および製品の県外市場進出と品質向上をはかる一策として、全国にさきがけて去る7月23日、大阪府商工会議所ホールで初の麦製品展示批判会を開き、宣伝をかね県外主要取引業者の意見を聞くため県産麦製品に対するアンケートを出したが、32業者の意見が23日まとまった。それによると、品質銘柄とも全国一の折紙つきだけに賛辞を受けているが、押麦については「製品が工場ごとにまちまちであるから速やかに統一すべきである」など痛いところを突く声も強くみられている。県産麦製品に対するアンケートの結果のうち、圧倒的な意見は次の通り。
【原麦】
▽県産麦は外皮が薄くて歩留りがよい。
▽他県産麦に比べて優れている。
▽とくに香川裸は大変よい。
▽乾燥、調整、俵装も大体よい。
【押麦】
▽もっと白いものがほしい。
▽圧扁は現在程度でよい。
▽もっと乾燥してほしい。
▽製品が工場ごとにまちまちであるから早急に統一する必要がある。
▽製品統一のため検査を実施すべきだ。
▽内容は正確で包装、荷造も良い。
なお、押麦の取引については「見本と同じものを送ってほしい」という意見が多く、この点、香川業者の商業道徳を望む声として注目される。
【乾めん類】
▽現在程度の白さでよい。
▽製品は細いものがよい。
▽断面の丸いものが消費者から好まれる。
▽包装、荷造りは木箱がよい。
▽木箱は18キロ入りが適当である。
▽1ワの重さは50匁程度がよい。
▽手のべそうめんは播州ものに劣らず良質である。
▽乾めん類、とくに手のべそうめんの宣伝がまだ不十分である。
なお、小麦粉については「現在のところ取引がないのでわからない」というものが殆どであった。
【展示会の開催】
▽時宜に適した計画で、県外主要消費者の声をときどき聞くように今後とも開いてほしい。
▽展示物に取引価格をつけた方が取引の参考上便宜がよい。
▽原麦の需要者である裸麦業者も招くのがよいと思う。
▽百貨店などで一般大衆を対象に宣伝に乗出すべきである。
概ね、原麦は高評価、原麦を加工した押麦は「香川の押麦加工業者の商業道徳の向上を望む」というやや厳しい評価、乾麺はまずまずの評価、といった感じですが、ここに「小麦」という項目はありません。また、「小麦粉は取引がない」という回答がほとんどだったとあります。一つ前の記事に「押麦、カンメン、小麦粉、手延べそうめんなどの製品は阪神を中心に遠く北海道、沖縄など全国に送り出され」とあるので、小麦粉の取引はあったけど取引業者がこの批判会に来ていなかったのかもしれませんが、この報告を見る限り、当時の香川県産小麦は「小麦の原麦」や「小麦粉」としてはそれほど販売されておらず、ほとんどがうどんや乾麺に加工して販売されていたのではないか…と推測しますが、どうでしょう。
麦刈りの出稼ぎ事情
続いて、「麦刈りの出稼ぎ」に関する記事がまた載っていました。
麦刈り315名の求人 県、岡山の農繁労務者で打合せ
香川県職安課では、麦およびイ草刈り田植労務者受入地の岡山県から山本職安課長らを招いて、16日午後1時から県庁で農繁労務者需給打合会を開いた。この会合では香川県側から賃金の値上げ、岡山県側から労務者の完全充足など双方から希望条件を述べ合い、情報の交換を行ったが、具体的な数字は麦刈労務者として315名(昨年280名)を求めているほか、まだ決定していないので、麦刈の労働条件その他は来る23日に岡山県庁で開かれる山陰、四国各県との打合会、またイ草労務者は6月中旬ごろ開く予定の打合会で最終的な取決めを行うことにして散会した。
香川は315名 岡山麦刈り割当
農繁をひかえ、岡山県公共職業安定課では24日、本年度麦刈労務者の需給調整会議を行った結果、農繁労務者需要数2340名うち県内595名、県外1745名、さらに県外の割当を次の通り決め、各県職業安定所に連絡した。賃金は昨年に比し1割~1割2分高の最高450円(4食付)日当で受入体制を進めている。
<四国各県の割当>
香川… 315
徳島…1120
高知… 210
「岡山県から香川県へ麦刈り労務者の要請があった」という記事は昭和26年の四国新聞で初めて見つかりましたが(26年の記事に「今年も岡山県から麦刈り労務者の申込みがあり」と書かれていたので、始まりはもっと前でしょう)、昭和29年も当たり前のように続いています。募集人員は前年より増え、賃金もアップしています(1日4食付きですか!)。あと、岡山県の麦刈り労務者受け入れ数を県別で見ると、徳島県からの出稼ぎが断然多いようです。それにしても、麦刈りの出稼ぎは県ぐるみで主導し、賃金交渉まで県同士でやっていたんですね。
「人造米」と「米粒精麦」
「うどん~製麺~小麦」に関する記事は以上です。ではここから、主食を中心とした食糧事情に関する記事を拾ってみましょう。まず、年頭の1月3日にさっそく載っていたのは、昨年登場して不評を買っていた「人造米」の話題です。
ナッパ服の農夫さん 人造米製造工場を見る
人造米生産の本格化は今年の話題の一つである。“米どころ”といわれる香川県でも人造米熱がなかなか盛んなのは、時代の姿であろうか。これは県下で製造第一号の名乗りをあげた三豊郡詫間町讃岐食糧工業でのぞいた人造米誕生――
同社では現在、金粉式人造米製造機一基を備え、日産は約4トン。本月末ごろにはさらに一基を増設して日産8トンとなる予定である。普通、人造米は小麦粉、デン粉、米粉をねり合わせたものをウドンのようにひき伸ばし、製粒機にかけ、出来上がったものを蒸気で蒸し、乾燥するという工程だが、最初のねり合わせと乾燥が各社の研究の焦点となっており、この二点が完全であれば優秀品ができるそうだ。土の香を離れた“米作り”。その近代的な表情のかげに、“食”の活路を求める民族の願いが潜んでいるとも言えよう。
お国の政策に従って「頑張って人造米を製造しています」という取材レポート。「今はまだマズイけど、あと2点改善できればおいしくなる」という希望をアピールしているようですが、人造米が普及する間もなく、またまた新たな“なんちゃって米”が現れました!
“米粒精麦”近く見参 押麦から作る主食 農家、消費者にも希望
見掛けが米とほとんど変わらない上、いやな麦臭のない“米粒精麦”が近く香川県でも量産される。米の絶対量不足を補う時代のホープとして、また売行きが芳しくない持て余し気味といわれる麦生産地の県下8万農家の収入増加のチャンピオンとして、県経済部では大きな希望をかけている。
この米粒精麦は押麦についている穀条(ハカマ)を取り除いたもので、いままでの押麦を作る工程でタテに半分に切断する工程を加えて作る。出来上がりは一粒の押麦が二つに分れるので、形は小粒の米ぐらいである。これは、粉食になじめない日本人にとって麦食普及の近道としてかねて研究されていたものの大量生産にまでは至らず、人造米に先を越されていたが、このほど大阪市在住の某氏によって日産5トン(80俵)および10トンの二種類の機械が考案され、さる23日、全国食料関係者を集め、説明、試食会が開かれ、県からは佐々木農務課主任が出席した。
この会から帰って来た佐々木氏は、「ハカマがないため見掛けが米飯と全然変わらず、また麦独特の臭みも全然なかった」と語っており、人造米とは比較にならない上出来の上に、生産費が安くつくのが特長である。この米粒精麦が一般に出回ると、粉食はもちろん、米麦混合に飽き足らないものを持つ一般消費者にとって主食入手難が大いに緩和されることになり、麦食運動を飛躍させるばかりでなく、全国的な麦生産地として知られている本県では現在売れ行き不振に悩んでいる麦の販売が約束され、農家の収入増加に寄与することは間違いなく、最近やや衰えかけているといわれる8万農家の麦生産意欲をかき立てるものとして県経済部では大きな期待をかけている。考案者は23日の発表会に続いて全国10カ所で発表会を開き、香川県では3月下旬の予定になっているが、それまでは県下にも生産設備一式が整えられることになっているので、4月早々には県下でも市販されるものとみられている。
「米粒精麦」なるものが登場しました。押麦(大麦を平べったく潰したやつ)を半分に割って、真ん中にある黒い筋を取って米粒みたいな外見にした“なんちゃって米”です。ちなみに、人造米はすぐに消えてしまいましたが、この米粒精麦は何と、今も「米粒麦(こめつぶむぎ)」という名前で販売されています。当時は米不足の代替品的な扱いでしたが、今の「米粒麦」は健康食品的なポジションで生き残っているようです。
さてしかし、この「米粒麦」と全く同じような「白麦」という名称の“なんちゃって米”が売り出されているという記事が見つかりました。
家庭特集/脚気予防に好適 栄養価の多い押麦ご飯
小麦粉の値段は精米よりも安い。ところが、パンにしたりめん類にしたりする手間は飯のそれよりも大分複雑なので、パンやめん類と飯とでは大体同じ値段になる。さらに副食を考えると、飯のときとパンのときでは好みの上から言ってかなり異らざるを得ないため、結局パン食は高くつくということになってくる。新聞などに時々パン食の方が安くつくような献立や記事が出るが、特殊な地方の場合であったり、米の価格をヤミ米で計算した場合だったりのことが多く、現在のところ上記した原則は否定できない。先頃来やかましく言われ、不良品の販売により声価を著しく落としてしまった人造米の構想も、この原則を破ろうとするところから生れたものであった。
押麦の食品的価値は米にかなり劣るものである。従って値段も安い。多少まずいのを我慢すれば、これを米に混ぜて使って副食を少しも変えなくてよいので、食膳全体は明らかに安くつく。これが押麦が愛用される大きな原因である。押麦がまずくかつ汚い一つの理由は、フンドシと通称する一條の外皮が残るからである。もし、これを除くことができたら、その価値は大分上がってくる。それで前からその除去法がいろいろ試みられていたが、近ごろになって丸麦を凹みに沿って二つに切断する機械ができ上り、さらに搗けばフンドシのほとんどない麦が作れるようになった。
「白麦」という名で売り出されてかなり好評を博しているのがこれである。しかし、白麦と言ってみても、なお米に比べれば黒い。これは本質的に両者の成分が異るためであるが、それを見たところだけでも近付けようというので、漂白ということも行われ始めている。漂白は小麦粉ではずっと前からどこでも行っていることであるが、同じ操作を押麦ででもやって表面を白くしようというわけである。このような白麦の製造とか漂白操作とかは確かに加工技術の進歩であるが、そのために値段が高くなったら押麦の第一の特長が失われるということも併せ考えなければならないということであろう。
押麦を混ぜたいわゆる麦飯を食べれば脚気にかからない。そういうことで麦飯は栄養的にも奨励されてきた。脚気はビタミンB1の欠乏に主因することは御承知の通りであるが、近頃はB1を十分とることは何も麦飯を食べなくとも容易に可能である。早い話が、新聞の広告欄を毎日賑わしているビタミンB1剤を飲めばよい。ビタミンBを化学合成によって工場で作り出すことはここ数年間に隔段の進歩をとげ、その1日必要量を10銭以内で供給できるようになっている。前記したB1剤がこれに比し非常に高いのは、包装費とか広告代とかがかかるからである。
それにまた栄養剤だと飲むのを忘れ勝ちでもあるので、予め米にB1を注入したものができている。「強化米」と称し米屋で売っているのがそれである。これを飯を炊く際に一握り入れれば十分にビタミンが供給される。もし配給前に強化米を混ぜてくれるようになったら、もっと手間もかからず、忘れもせずに便利であろう。また、人造米もビタミン類やカルシウムを添加して栄養価を高めてあるのが普通だから、これを使っても同じ目的を達することができる。梅雨から盛夏にかけては体内でのビタミンB1の消費が多くなるから、この時期には積極的にこれを補給するよう努めることが望ましい。(農学博士・桜井芳人)
ここにも「近ごろになって丸麦を凹みに沿って二つに切断する機械ができ上り…」とありますから、先の「米粒麦」とこの「白麦」は同じものではないかと思います。ちなみに、「米粒精麦」の記事中では押し麦の真ん中にある黒い筋のことを「ハカマ」と読んでいますが、「白麦」の記事中では「フンドシ」というお下品な呼び方になっています(笑)。いずれにしろ、この頃は「麦を米のような外見に装ってみんなに食べさせよう」という政策が盛んに進められていました。さらに、日付は前後しますが、2月1日付けの記事でも県の「麦食励行推進本部」なる部署が麦食の重要性をアピールしています。
麦飯、パン食普及へ 県麦食励行推進委員会
香川県が県経済農協連や関係業者に呼びかけて昨年10月末発足した麦食励行推進本部では、このほど推進要項がまとまったので、その審議会を30日午前11時から県農協別館で開催。大野県経済部長、宮脇経済農協連会長、精麦、製粉、製パンなど各業者代表が出席して綱目の修正や意見交換を行った。
まず推進対策については、①食糧事情の実態周知と麦食の重要性の再認識 ②麦食の栄養についての知識 ③合理的食生活 ④精麦、製粉技術 ⑤パン食栄養強化とコストなど、あらゆる面から検討を加え、発足当初に同本部が掲げた“裸麦利用による農家の供米促進”についても一般消費者や各業者も含め、さらに生活改善を盛った食料自給体制の確立のため、挙県運動として強力に展開することに意見が一致。従来の“麦食励行推進本部”という名称については、広い幅を持たせるため事務局で検討を加えて早急に改称することになり、今後県内関係機関、各種団体を通じて積極的に運動を展開し、官公署、学校、会社、工場の給食や昼食には麦飯、パン食を奨め、広く趣旨の徹底をはかる。
こうした一連の米や麦に関する記事を見ると、当時の日本は、
・麦の輸入が進んで、小麦を作らない農家が増えてきた。
・でも裸麦や小麦のストックが売れ残っている。
・国や県は「米の形をした麦」まで作り、「麦飯やパンももっと食べろ」と言って盛んに麦食を奨励している。
という、ちょっと迷走気味の状態になっていたのではないかと思われます。そのあたりをわかりやすく解説した社説がありましたので、ちょっと長いですが勉強のために全文を紹介します。
社説/自信のある食糧管理政策を
食糧対策協議会も回を重ねるつにれて、だんだん現行の管理体制を立て直すという常識的なところへ落ち着きそうである。進むに進めず退くに退けないというのが今の食糧情勢の姿であるとすれば、こうした結論が出るのは当然であろう。食糧管理制度が今のように満身創痍に近いまで崩れてきたのは、食糧情勢の推移もさることながら、現政府の食糧政策それ自体にも大いに関係がありそうに思える。
なるほど、昨年の大凶作は米の供出に大きな影響を与えた。しかしそれよりも、政府の食糧政策がこれまでの「米主麦従」から「麦主米従」とまではゆかないにしても、米に比べて麦の比重を相当重く見る政策に転換したことが、食糧管理態勢に決定的な影響を与えたと見てよいだろう。外貨節約を名として行われた外米輸入の外麦への切換えがその大きな転機をなすものであるが、この大量の輸入麦が間接統制の対象として重みを加えたため、利害の相反する生産者と消費者の板ばさみとなって、とかくやりにくい米の直接統制を軽く見るという傾向が生まれるに至った。いや、逆に米の直接統制が極めてやりにくいため、政府はこれをけん制するため大量の輸入麦に依存するに至ったものだともいえる。
いずれにしても、今の食糧政策は米を重点とするか、麦を重点とするかの岐路立っていると言ってよい。これを別の言葉で言えば、米重点主義をとって国内農業保護の立場をとるか、麦重点主義をとって外国食糧に依存するかという別れ路にあり、前者の立場をとる限り、相当の困難を覚悟しても現行の管理態勢を維持改善してゆかなければならないのである。そして良識ある食糧対策協議会の委員たちはこの途を選び、わが国の農業を無制限な外国食糧の蚕食によって破壊されるのを防衛しようと決意したのである。
むろん、今の食糧事情からいって、米重点主義とはいっても米だけで国民の食糧をまかなうわけにはゆかず、どうしても相当量安い外麦の厄介にならざるを得ないのである。ヤミ米だけで生活しているものは別として、普通の市民の食生活は今、祖先伝来の米食を1カ月のうち半分だけしか確保されていない。他の半カ月はおそらく大部分、パン、ウドンなどの麦加工品で補っているものとみなければならない。とすると、市民の食生活からみれば「米主麦従」でも「麦主米従」でもなく、まさに「米麦二本立」の食生活といわなければなるまい。それほど実質的には麦の比重が重くなってきているのである。いつかどなたかが言った「貧乏人は麦を食え」という政策が現実に現れてきているのである。
それでは麦を中心とした粉食政策がとられているかというと非常に不徹底なもので、今の態勢で粉食に切換えると、米食に比べてかえって高くつくのである。28年度の経済白書によると、1000カロリーをとるのに米食だと56円ですむのにパン食だと73円かかるということであり、このごろはパン食に欠くことのできない砂糖やバター、牛乳などが値上がりしているから、その開きはますます大きくなっているだろう。したがって、徹底した粉食政策をとろうとすれば、こうした点にもっと積極的な対策がとられなければならない。とくに牛乳や乳製品の増産にさらに一段の力をそそがなければならないだろう。
それにも拘らず、人造米などというおよそ粉食とは逆なものを推奨し、わざわざ麦をコストのかかるものに加工、形だけを米化するという矛盾した政策をとっている。こうしたコシの決まらない食料政策をとっているから、食糧管理制度についても背骨が入らず、だんだん不随化の一途をだどってきたのである。今度の管理態勢立て直しにあたって、国内の農業を今後どうもってゆくのかコシをすえてかかってもらいたいものである。
やはり、政府は「米食より麦食、粉食を推奨する」という方向の政策をとっていたようです。それに対し、社説は「政策が矛盾している」という厳しい批判をしています。「政治をチェックし、ロジカルに問題点を指摘する」というジャーナリズムの本領が発揮されていた時代です。
讃岐の物産の話題
ではここで、讃岐の物産の関する記事を3本。
香川は手袋など19品目 北海道の「四国観光と物産展」出品物
香川県商工観光課では6月29日から7月4日まで北海道(札幌市今井百貨店)で初めて開かれる「四国四県の観光と物産展」に備え、出品品目を整理していたが、このほど次の19品目に決まった。
<出品品目>手袋、桐ゲタ、漆器、アジロ盆、竹カゴ、日ガサ、経木帽子、オモチャ、保多織、飯ビツ、釣ザオ、模造真珠、ワカサギ香味、オリーブ食用油、ウチワ、カンメン、竹の一輪ざし、銘菓、魚センベイ
なお、距離の関係もあって宣伝の行き届かなかった観光面についても、この際名所旧跡を広く紹介しようと、映画、写真、絵ハガキ、パンフレットを持参するほか、会場には大観図、パノラマ、ジオラマも設ける。
前年に福岡で開催された「四国物産展」と「全国農村工業副業展」の出品ラインナップと比べてみると、
●連続出品されているもの………手袋、漆器、アジロ盆、竹カゴ、日ガサ、経木帽子、模造真珠、ウチワ、オリーブ食用油、銘菓
●この年新たに出品されたもの…桐ゲタ、オモチャ、保多織、飯ビツ、釣ザオ、ワカサギ香味、カンメン、竹の一輪ざし、魚センベイ
●前年から消えたもの……………角マット、缶詰類、ヘチマ、干えび、狸エリマキ、狸チョッキ、兎マフラー、少女セロハンブック
という感じ。現在「香川の伝統工芸品」に指定されている桐ゲタと保多織が登場し、乾麺も初めてラインナップに入ってきましたが、残念ながら謎の「狸エリマキ、狸チョッキ、兎マフラー、少女セロハンブック」が消えちゃいました(笑)。
連載・白黒対談/讃岐の陶芸
黒 陶浜が72才に作ったお多福の香合を松浦正一さんが持っている。
白 年齢の入ったのは面白いですナ。
黒 もう一つ、初代陶浜の作で変わったのを紹介しようか。
白 一体何でしょう。
黒 うどんのカヤク入れだヨ。
白 これはこれは。
黒 大きさは5寸に6寸位で、アワビと蛤とニシとの三種の貝をうまく継ぎ合わせて、手際がよくできている。
白 どなたの所蔵ですか?
黒 黒木勝一郎翁の愛蔵品だ。
白 どんなに使うのですか。
黒 今も言ったように、加役を入れるのだ。アワビの貝には、まずネギかナ。蛤にはショウガ、ニシには唐辛子ぐらいを入れて出せばちょっと面白いじゃないかナ。しかも裏に墨筆で「陶浜製」とある。初代の作にはよくこの墨書き署名がある。
「白黒対談」といういかにも時代を感じるコラムで、讃岐の陶芸に触れていました。「陶浜」というのは江戸時代後期の讃岐高松の陶工・赤松陶浜(あかまつ・とうひん)のことで、その作品は「陶浜焼」と呼ばれていたそうですが、香川の伝統工芸の世界では今やすっかり忘れ去られてしまっています。せめて地元では、きちんと再評価して歴史に残して差し上げるべきではないでしょうか。
新名所新名物④ 年100万貫を生産 小豆島のつくだ煮
しょう油産地、小豆郡内海町で戦後しょう油製造の副業として生まれた「つくだ煮」製造業が、最近のしょう油の不振をしり目に、いくら生産しても追っつかない好調をみせ、ぐんぐん伸びて、京阪神では「小豆島つくだ煮」として、ゆるがぬ地盤を築いている。
終戦後、統制のワクにしばられてしょう油の出荷が自由にできないため、しょう油を原料とする加工品として考えられたサツマ芋の茎やアラメの「つくだ煮」が始まりで、業者も30数軒に及んだが、その後次第に整理されて14~15軒となり、品質も向上し、コンブ、アサリ、ノリなどが多くなった。坂手港から関西汽船を利用して主として京阪神へ積み出されている。強味は関西第一のしょう油産地ということで、親会社のしょう油倉からパイプ一本で原料しょう油が引けるところも少なくない。
今年の出荷量は昨年の3、4割増という躍進ぶり。年産100万貫、3億7000~8000万円に達する見込みで、島ではしょう油業に次ぐ大産業に育っている。「つくだ煮」は風水害などがあると歓迎され、不景気になるとよく売れるといわれるが、昨今の売行きは「つくだ煮」の栄養価が再認識されてきた点もあり、まだまだ伸びると業者は強気だが、ここもデフレの影響は免れず、売行きが伸びても楽ではないと語っている。今春から小豆島つくだ煮協会では「小豆島つくだ煮」の同一証紙を作り、各メーカーとも製品に添付して、激化する販売戦に備えて宣伝に努めているが、ともかく従来のしょう油、オリーブ、そうめんなどの小豆島名物に「つくだ煮」を加えねばならないまでになっている。
小豆島名物の「佃煮」は、終戦後の統制で不自由を強いられていた醤油業者が考え出したのが始まりで、この頃急速に伸びてきて「揺るがぬ地盤」を築いたとのことです。民間企業が危機感を持って開発する商品は、近年の補助金頼みの町おこし事業で作る「ご当地ナントカ」みたいな商品とは真剣さが根本的に違います。
「カツギ屋」が横行するヤミ商売も健在?!
では最後に、昭和20年代前半の新聞紙上を賑わしていた「ヤミ商売」の記事を数本列挙しておきましょう。ここ数年はあまり載っていませんでしたが、この年は再びやり玉に上がっていましたので、当時の社会情勢を窺うネタとしてご確認ください。
連載/デフレともなれば②
デフレの風がどう吹こうと、相変わらず水の低きに流れるように流れ出し、流れ込むのがヤミ米である。食糧の中間端境期であるこの5、6月は、多少の値上りは常識であり、加えて政府の発表による米の配給割合の変更(生産県にも外米5日分を配給)のニュースは、米不足を見越し、“いくら耐乏生活と言ったってせめてお米くらいは”とようやくの思いで確保した食生活の中心を維持しようと願う市民達によって、ヤミ米の流動は再び活発になる。ところで、最近の高松におけるヤミ米の動き、カツギ屋の実態はどうなっているだろうか。
米どころさぬきの場合、カツギ屋の得意先は大阪が中心だが、一時のヤミ米がベラボウな高値を示した頃に比較すると、昨今は一般にヤミ値も落着き、高松市内との差額が20円程度であるため、少量を運んだのではマイナスになる。従って小口はほとんどなく、大口が殖え、平均して大体10俵クラスの専門的なブローカーのひとり舞台となっている。高松市署の調べによると、操作のアミにかかった4月中の合計は58件1万4111.9キロで174俵。これらを木箱やドラムカンに詰め込んで染料や油類を装ったり、かますに詰めて周囲に鉄屑をかぶせてカモフラージュしたりという手を用いている。また、小規模のオッサン、オバハン達のカツギ屋は鉄道や電車の定期券を使用して、高徳線は徳島~鳴門間を1日2往復、電車では琴平、長尾線をそれぞれ3、4回往復している。市内の米穀配給所でも自由米と称してヤミ米を公然と販売しており、これを認めてくれなければ配給所の登録もお断り、というのが店の言い分だそうだ。
何はともあれ、生産地である本県の場合はこの程度に止まるとしても、ぼう大な人口を抱えている消費都市の代表東京の例をひいてみると、東京では東北、信越、常磐の三線ルートを通じて1日平均4000人のカツギ屋が5000俵の米を運び込むという。その方法は、定期券を利用して数人のブローカーがリレー式に1日数往復する流れ作業型から、仕入れ、輸送、販売を一人で賄う小企業までいろいろ。一時300円の高値を示した前後には、赤羽駅ホームで堂々ヤミ米市が立ち、1日1000俵前後の米がセリ売りされたという話もある。運悪く取締りに引っかかり没収されるのは一種の税金だと彼らはあきらめ、「割に合わない商売ですよ」とぼやきながらもせっせと運んでいる。復員後、一時カツギ屋になっていた連中がどうやら就職して足を洗ったものの、会社がつぶれてまたカツギ屋へ逆もどりというのもあり、昨今の就職難の世相をかこっている。
取締りに対しても汽車や電車の中でウロウロするのはシロウトで、大手筋になると貨物列車やトラックで大量に消費地へ流し込む。また、一見合法的に見える手口に輸送証明書を利用するものがある。もちろん正式の量では商売にならないから、3年間の旅行用と称して15俵も持込むという常識では考えつかない離れ業もすれば、家族4人の転入に18俵分の輸送証明書をもらい、57俵も貨車に積みこむというごまかしもする。中には農村と都市の間を1カ月毎に転入したり転出して、その度に輸送証明書をもらうという念の入った手も用いられるという。この反面、国鉄に30年勤務していた模範的助役さんがたった一度米を買い出しに行き、取締りにかかって青くなったあげく、警官のスキを見て飛下り自殺をしたという哀話もあり、ヤミ米ルートも社会の縮図と言えるだろう。
引田でヤミ米プローカー捕わる
香川県三本松警察署では大川郡引田町精米業○○○○(25)を食管法違反容疑で逮捕取調中であるが、同人は去る7月24日午後10時ごろ、かねて買い集めていたヤミ米18石8斗を4斗入南京袋47袋に入れ、自宅から相生村坂本海岸までオート三輪で運び、機帆船で阪神方面に積み出していたもの。逮捕の動機は、前記オート三輪車で相生村まで運搬途中、積み降しの手伝に来ていた引田町安戸、農業○○○○(40)と同町塩屋、農業○○○○○(30)の両名が共謀で積荷の中から4斗を抜き、引田町青木精米所に6000円で売却していたのがその後判り、仲間割れが生じたことからこの逮捕となったもので、同署では前記○○○、○○両名を引続き窃盗容疑で逮捕取調中。
網の目を巧みに潜るヤミ米かつぎ屋 日に千円は稼ぐ 造田駅徳島間、定期で4往復も
米の端境期に入り、高徳線造田駅から徳島方面へ運ぶヤミ米ブローカーが活発となり、長尾警察署では取締りに手を焼いている。同駅を利用するヤミ屋はここ1カ月間に30数名と急激に増し、彼らは造田~徳島駅間の定期券を持ち、始発から最終電車までを上手に乗りわけ1日4往復し、1往復に2斗から3斗を輸送している。取締りの目をうまくごま化せば1日2俵ぐらいはたやすく、日収1000円以上を稼ぎ出している女のヤミ屋も相当ある様だ。ヤミ米の入手は同駅を中心とした石田、神前、長尾、造田村内の農家から買入れているが、旧盆のさしせまった関係から農家が現金欲しさにたやすく手放すため、1升140円の玄米がいたるところで飛ぶように売られ、これが徳島方面では160円から165円とはね上って、その間に差額金がヤミ屋のフトコロにころげ込んでいる。
だが、ヤミ屋とて厳重な取締りの網の目をくぐるためにはあらゆる策謀を考え、専門の見張人を配置したり、取締りの目が下り列車に向けられると上り列車で一たん志度、屋島まで逆輸送し、機を見て下り列車で目的の徳島まで運ぶといった用意周到さで、長尾署員が苦肉策として変装して取締りに当っても検挙皆無といった調子。たまに検挙しても、その場に限り手持ち米が1升か2升でわずかの罰金で釈放されている。これらヤミ屋の生活状況は一部を除いてほとんどが普通並で、中には戦後一時的に生活に困って仲間入りをしたが、その後外地から引揚げ帰って来た息子の世話で比較的豊かな余生が送れるにもかかわらず、今日までヤミ屋を続けて相当の貯金をしているという変った老人もあり、ヤミ屋の仕事がいかに儲けよく面白いかを如実に物語っている。
ここに出てくる「かつぎ屋」というのは、食糧などのヤミ物資を地方の生産地から都市部へ“担いで”売りに行く人たちのこと。いつの世も「儲かるもの」に対しては、法を犯してでも群がる輩が湧いてくるものです。
昭和29年の四国新聞に載ったうどん関連広告
●小豆島手延素麺製粉組合
<民間企業>
●日清製粉株式会社坂出工場
●日讃製粉株式会社
<求人広告>
●有限会社金泉食糧商会(高松市大工町)
(1月19日、23日、28日)
△製麺工(経験2年以上)、見習工数名(20才迄)、運搬人数名(年齢不問)、女子従業員一名(20才迄)
いずれも住込できること
●石田製麺所(神戸市生田区)
(3月5日)
△男女従業員募集/中卒男女若干名、地方出の者を望む、賄付月給2500円
●香川県製麺協同組合
(1月21日)
△製麺工見習若干名/男子、20才前後・自転車に乗れる人(住込み出来る人)
(4月6日~9日)
△うどん製造熟練工、見習工(事業拡張のため募集)/男女年齢20才前後
●長尾公共職業安定所
(7月16日~19日、21日、23日、26日~29日)
△男子製麺工/16~20才、通日収170円以上(某製麺所)
(10月11日、12日、15日、16日、18日、19日、22日、27日~11月2日)
△男子製麺工/16~20才、通日収100円(某製麺所)
(11月18日~22日)
△雑役/18~30才、女子可、通月5000~8000円(某製麺所)
●高松公共職業安定所
(1月9日、14日、15日)
△女子製麺工/16~20才、住月収3000円(某製麺会社)
(1月9日)
△配達人/18~22才、住月収2500円(某製麺会社)
(2月10日)
△男子配達人/17~20才、通日収180~200円(某製麺所)
(3月27日)
△男子製麺工見習/16~18才、住月収3000円(製麺所)
(3月28日)
△男子うどん製造工/18~40才、経験不問、住月収2500~5000円(うどん製造所)
(5月1日~3日)
△男子生うどん製造工見習/17~20才、住月収2500~3500円、寝具貸与(製麺所)
(5月9日~11日)
△男子配達人/17~20才、通日収200円(うどん製造所)
(5月15日、16日)
△男子生うどん製造工/17~20才、住月収2500~3000円、寝具貸与(製麺場)
(5月21日)
△男子うどん製造見習/17~20才、経験不要、住月収2500~3500円(市内製麺場)
(5月24日、25日)
△男子製粉製麺工見習/15~20才、通月収3000円(製粉所)
(6月9日、10日)
△男子生うどん製造工見習/15~20才、住月収2000円(市内製麺所)
(6月11日~13日)
△男子生うどん製造工/15~20才、経験不要、住月収2000円、寝具貸与(製麺所)
(6月18日)
△女子雑役/16~35才、経験不要、通日収130~150円(林村製粉所)
(7月8日)
△店員/15~20才、経験不要、住月収2000円、寝具貸与(市内製麺所)
(8月7日)
△男子生うどん製造見習/16~20才、経験不要、住月収2000円、寝具貸与(市内製麺所)
(8月13日)
△男子配達人/15~20才、経験不要、住月収1500円(製麺所)
(8月20日)
△女子ウドン玉取/18~40才、住月収3000円(市内製麺所)
(8月21日)
△女子うどん玉取り/18~45才、通住月収3000円、寝具貸与(市内製麺所)
△男子生うどん製造工見習/16~20才、経験不要、住月収2000円、寝具貸与(市内製麺所)
(8月22日)男子配達人/15~20才、住月収1500円(製麺所)
(8月27日、29日)
△男子うどん見習/20才前後、住月収2000円(製麺所)
△女子うどん玉取/18~40才、住月収3000円(製麺所)
(9月7日、9日、10日)
△男子うどん製造見習/20才前後、住月収2000円(製麺所)
(9月11日、12日)
△女子うどん玉取り/18~40才、住月収3000円(市内製麺所)
(9月27日、28日、10月3日、5日、6日、9日)
△男子製麺見習/16~20才、住月収2000円(製麺所)
(10月10日)
△男子製麺見習/20才前後、住月収2000円(製麺所)
(10月28日、29日)
△男子生うどん製造見習/15~20才、住月収3000円(製麺所)
(11月14日)
△男子生うどん配達人/16~20才、自転車に乗れればよい、住月収2000~3000円(製めん所)
(11月21日~23日、12月6日~8日)
△女子うどん玉取り/20~45才、通日収食事付100円(製めん組合)
(11月24日、25日)
△男子代用米販売外務員/25~50才、通月収固定給5000円に歩合(市内精麦加工会社)
(11月29日、30日)
△男子生うどん配達人/15~20才、住月収3000円(製めん組合)
(12月4日、5日)
△男子うどん製造工/20~45才、二年以上、月収5000~7000円(岡山市製めん所)
(12月12日、15日、16日)
△男子うどん配達人/16~23才、住月収3000~4000円(製めん組合)
(12月20日、21日)
△手打うどん製造職人/18~25才、二年以上、通月収歩合給(某製めん所)
●坂出公共職業安定所
(10月5日、9日~12日、15日、17日、18日、21日~23日)
△男子配達夫/18~20才、義務了者、通勤日収100~130円(市内某うどん店)
(12月12日~15日)
△男子製麺工/17~20才、経験不要、通勤日収200円(市内某製麺所)
(12月15日、16日、18日、21日~28日)
△男子製麺工/17~20才、経験不要、通勤日収200円(市内某製粉製麺工場)
●丸亀公共職業安定所
(2月13日、14日、17日、20日、23日、26日~3月3日)
△配達夫/16~20才、新中卒、通勤3500円(某うどん店)
(10月13日)
△製麺工/16~22才、新中卒、住込3500円(大阪市某食品工業所)
●観音寺公共職業安定所
(2月1日~3日、5日~8日)
△男子製麺工/18~20才、住込月収3000円(町内某製麺所)
(3月10日、12日、13日)
△女子店員/20~35才、住込1500円(郡内某うどん店)
(3月31日)
△男子店員/17~26才、住込3000円(町内某ウドン店)
(4月7日~9日、14日、17日、19日、21日)
△男子製麺工/15~18才、通150円、豊浜近辺の人(郡内某製麺所)
(5月27日、28日、30日~6月1日)
△女子店員/17~30才、住込2000円~2500円(郡内某うどん店)
(6月13日)
△女子製麺工/16~30才、住込3000円(郡内某精米所)
(6月14日~16日、18日~24日、26日、28日)
△男子製粉製麺工/20才前後、通150円、経験者優遇(郡内某製麺所)
△配達夫/17~25才、住込3000円(町内某うどん製造所)
(6月14日~16日、18日~21日)
△女子製麺工/18~30才、住込3000円(郡内某精米所)
(7月21日、22日、25日)
△男子精麦工/20~30才、経験不要、通日収200円(郡内某精麦所)
(8月27日~29日)
△男子製麺見習/16~18才、住3000円(郡内某商店)
(9月3日~6日)
△女子製麺工/16~20才、通90円(町内某商店)
(10月11日、12日、15日~17日)
△男子製麺工/18~23才、通150円(郡内某製麺所)
(10月12日、17日)
△女子製麺工/20~40才、通日収150~200円
(11月15日~18日~20日)
△男子製麺工/17~20才、住2000~3000円(郡内某製麺所)
(11月20日)
△男子汽缶士/25~35才、要二級免許、通日収220~250円(郡内某精麦工場)
(12月28日)
△男子生うどん製造工/20~30才、経験3年~5年、通住不問6000~10000円(某製パン所)
△女子製麺工/30才まで、通日収120~130円、詫間近郊の方(某落粉)
うどん業界の民間企業でこの年に初めて名前が登場したのは、求人広告に出てきた「金泉食糧商会」。言わずと知れた、昭和の讃岐うどん業界をリードしてきた「うどんの庄・かな泉」の前身社です。実は「金泉」はこの数年前の記事の中に一度登場しているのですが、不名誉なニュースにつき伏せ字にしてあるので、筆者と記事発掘担当の萬谷君の2人だけが知っています(笑)。
ところで、昭和27年に新聞に職安の求人が載り始めて以来ずっとなんですが、高松、坂出、観音寺に比べて丸亀の職安管轄のうどん関連の求人が極端に少ないのはなぜなんでしょう…と投げかけて、答えがわからないので投げっぱなしで昭和29年の新聞発掘を終わります。ここ2年連続うどんの記事が激減ですが、来年は果たしてどうなんでしょう。