さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.8 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和26年(1951)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 8
  • 2019.05.20

讃岐うどんは「讃岐の名産」として扱われてなかったのか?!

 昭和26年は、サンフランシスコ講和条約が締結された年。この年の9月8日に署名され、翌昭和27年4月28日に発効することになるこの条約によって、「第二次世界大戦後の連合諸国と日本との戦争状態が正式に終結した」とされる節目の年ですが、まずはこんな記事から紹介しましょう。

(9月25日)

1位はしょう油 “讃岐名産十傑”決まる

 香川県は昔から名産を数多く生んでいるが、終戦後の経済変動で相当の盛衰を見せているので、本社広告部では講和調印記念行事の一つとして先に「讃岐名産十傑選定」を懸賞発表以来、推薦投票が続々集まり、大詰に近づいてからは香川ハムの集団投票、丸金醤油の大口消費者からの支援など息づまるような接戦を演じつつ、20日投票を締切ったが、投票総数28771票に上り、集計の結果、次の通り十傑が決定した。

◇1位(5144票) しょう油(丸金醤油株式会社)
◇2位(3765票) はかり(鎌長製衡株式会社)
◇3位(3531票) ハム・ソーセージ (香川ハム株式会社)
◇4位(2294票) 団扇(丸亀団扇商工業協同組合)
◇5位(1872票) メリヤス手袋(日本縫手袋協会)
◇6位(1826票) 瓦煎餅(くつわ堂)
◇7位(1650票) オリーブ(小豆島園芸協同組合)
◇8位(1218票) 銘菓かまど(荒木屋)
◇9位(1202票) 足袋(天馬足袋株式会社)
◇10位( 937票) エタニットパイプ(日本エタニット四国工場)

 なお、塩、砂糖などの投票も多数あったが、これは規定違反につき無効とした。入選団体、商社に対する賞状ならびに記念品の贈呈は追って通知する。

 四国新聞が県民から「讃岐の名産」の投票を募り、そのトップ10を発表していました。記事によると「しょう油」と「ハム・ソーセージ」にかなり組織票が入っているみたいですが(笑)、注目は1位の「しょう油」でも2位の「はかり」でもなく、トップ10に「うどん」が入っていないことです。さらに、日本三大そうめんの一つを標榜する小豆島の手延べそうめんも入っていません。しかも、記事は「讃岐名産10傑」に「うどん」や「そうめん」が入っていないことに言及すらしていない。昭和20年からの新聞記事の中にはうどんもそうめんも当たり前のように出てきますし、摘発されるヤミ物資には必ず「乾麺」が出てきますから、うどんもそうめんも盛んに作られていたはずなのにどうしたことか?

 一つ考えられるのは、記事の最後に「入選団体、商社に対する賞状ならびに記念品の贈呈」とあり、塩、砂糖が「投票の規定違反」とされていることからも、このランキングは「名産品ランキング」というより「香川の特産品を扱う企業の集票力対決」なのかもしれない、ということです。加えて、「四国新聞本社広告部」の企画ですから、「広告スポンサー」のニオイもします(笑)。もしそうなら、当時の香川のうどん業界とそうめん業界にはランキングのトップ10に入ってくるような集票力のある、あるいは広告出稿実績のある大きな企業がなかったのではないか? また、組合としても票をまとめるほどの結束力がなかったのではないか? という推測もできます。あるいは、まさかとは思うけど、県民も新聞社もこの頃は「うどん」を香川の名産品だと思っていなかったのではないか? とか、いろんな想像の余地を含んだランキングでした(笑)。

 では、昭和26年の「うどん」と「そうめん」が出てきた記事を拾ってみましょう。

(1月21日)

生産量は3万箱へ 小豆島の手延そうめん

 香川県の名産手延そうめんは冬の農閑期の副業として小豆島池田町を中心に目下盛んに製造されており、原料小麦の割当は1万俵であるが、近く1600俵が増配されることになり、これで生産量は3万箱に増加する。

(2月22日)

うどんで捜査員を慰問 一家4人殺傷事件の川津村で

 香川県綾歌郡川津村で5日発生以来不眠不休で捜査に没頭している吉田さん一家4人殺傷事件捜査本部の捜査員を慰労するため、同村消防団ではこのほど高木徳太郎団長以下7名が捜査本部を訪れ、手打うどんを作って贈った。なお、20日には同村婦人会員が集まり、捜査本部でモチをついて旧正十五日を祝った。捜査員は村民の温い協力に感激、一日も早く凶悪犯人を検挙したいと懸命であるが、今のところ聞込みの範囲を出ず、何ら有力な手掛りをつかんでいない模様である。

(3月13日)

沖縄へ初の出荷 小豆郡のそうめん

 そうめんの産地香川県小豆郡池田町ではかねて沖縄向けそうめんを製造中であったが、1250箱をいよいよ15日、神戸出帆の十勝山丸に積み込むことになり、このため13日、池田港を積み出すが、沖縄向出荷は戦後日本で初めてで、戦前は年間20万箱が出荷されていたものである。池田町に続いて3月中には兵庫県からも1500箱が積み出される予定。価格はいずれも沖縄着で2ドル3セントである。

 以上、見つかったのは3つだけです。しかも、そのうち2つは「小豆島のそうめんが盛んに製造されている」という記事で、相変わらず「名物讃岐うどん」的な記事は皆無。うどん関連記事は「慰労にうどんが贈られた」という“小ネタ”が一本のみでした。小豆島のそうめんは生産量や出荷先がニュース記事になるのに、香川のうどんは「今年どれだけ製造された」、「どこへどれだけ出荷された」、あるいは「県内でどれだけ消費された」といった名産ならではの記事は全く出てきません。ということは、やはりこの頃の「讃岐うどん」は、今のような名物扱いをされていなかったのかもしれません。

香川県産小麦は一級品だった

 一方、うどんの原料である「小麦」に関する記事は、相変わらずたくさん見つかりました。しかも当時、「香川産の小麦は一級品」という評判が定着していたようです。

(4月28日)

香川産は一級品 麦の品種、産地格付復活

 食糧庁は近く麦類の統制撤廃が予想されるので、官僚統制以来姿を消していた麦類の品種別、産地別銘柄の格付を復活する。農産物検査法が公布され、これに基づく農産地の格付が19日告示されるが、米はまだ統制撤廃の段階にないので、近く自由販売を予想される麦類について裸麦、大麦、小麦ごとに品種、銘柄、産地銘柄を設けた。小麦では最も歩留まりのよいと言われる岡山、香川、兵庫のいわゆる「三県小麦」が昔通り一級品となっている。なお、雑穀、いも類は統制が外れているため、食管法の適用を受けないで現在無検査状態となっているが、新しい検査法によって適正な格付を行い、自由取引の基準を設けることになった。

 岡山、香川、兵庫の小麦が「三県小麦」と呼ばれて一級品の評価を得ていたそうです。ただし、日本のトップ3だったのか中四国エリアのトップ3だったのかは、記事からはわかりません。ちなみに、「三県小麦」は「最も歩留まりがよい」と言われていたそうですが、それを裏付けるような香川県の小麦の収穫量に関する記事も見つかりました。当時の小麦の品種も出てきましたので、合わせてご覧ください。

(10月10日)

小麦多収穫 全国一確実か 5石9升9斗の香川氏

 本年度香川県小麦、裸麦多収穫共進会は県農試場長を委員長とする審査委員会で、参加の小麦177名、裸麦394名の収穫を精密に審査した結果、9日、入賞者各18名を決定、高松市内医師会館で知事から表彰状を授与した。小麦は昨年一位で全国一となった善通寺街大川義則氏の5石8斗5合に対し、本年一位の香川氏は5石9斗9升と1斗8升5合多く、本年も全国一が確実視されている。裸麦の多収穫は本年はじめて全国的に行われるわけだが、これも上位を争うものとみられている。受賞者氏名は次の通り。

【小麦】
(優等)農林6号 ・5石9斗9升  (多度津・香川武治)
(一等)農林6号 ・5石9斗3升6合(氷上・安部藤三郎)
    農林6号 ・5石5斗6升4合(多度津・中野幸治)
(二等)農林64号・4石7斗    (滝宮・丸山義信)
    埼玉27号・4石3斗2升2合(滝川・平原良雄)
    農林51号・4石2斗6升2合(坂出・坂東要)
    農林26号・4石1斗5升5合(平井・山下民太郎)
    農林26号・4石9升6合  (川島・新名茂内)
(三等)農林51号・4石1升8合  (川東・滝本栄)
    埼玉27号・3石8斗7升5合(庵治・黒川儀太郎)
    農林67号・3石8斗1升  (端岡・塩崎初)
    農林51号・3石7斗6合  (大野原・尾池元治郎)
    新中長  ・3石6斗9升4合(坂本・林幸太郎)
    農林26号・3石6斗4升1合(坂本・大林公道)
    神吉1号 ・3石6斗3升9合(松山・池田■一)
    農林26号・3石6斗    (坂出・八田正由)
    新中長  ・3石5斗9升2合(高松・鈴木信義)

【裸麦】
(優等)香川裸1号・6石7斗3升4合(垂水・宮武潔茂)
(一等)香川裸1号・5石2斗7升  (善通寺・山下静一)
    香川裸1号・5石1斗6升4合(竜川・塩田進)
(二等)三保珍子 ・4石4斗6升4合(象郷・森正雄)
    三保珍子 ・4石4斗2升4合(高松・宮宇地忠一)
    香川裸1号・4石3斗5升9合(小田・多田栄)
    香川裸1号・4石2斗7合  (法勲寺・竹田晴水)
(三等)香川裸1号・4石1斗3升3合(坂出・山西友一)
    香川裸1号・4石2斗2合  (高室・安藤義三)
    三保珍子 ・3石9斗6升8合(坂出・中村栄一)
    香川裸1号・3石9斗5升9合(法勲寺・畑政清)
    香川裸1号・3石9斗1升4合(吉原・尾崎重晴)
    三保珍子 ・3石8斗8升7合(高松・伏石佐一)
    香川裸1号・3石7斗1升5合(坂出・北村正行)
    三保珍子 ・3石6斗6升8合(川添・宮武春一)

 記事中にある「昨年香川一で全国一にもなった善通寺の大川氏」が今年のランキングのどこにもいないのが謎ですが(笑)、昭和26年時点での香川県産小麦と裸麦の品種がズラッと出てきました。これらは多収穫ランキングの上位にランクされている品種ですから、おそらく当時の香川の県産小麦の主力品種だと思いますが、小麦が8品種出ているのに対し裸麦は2品種だけで、しかも「裸1号」、「三保珍子」という、一瞬伏せ字にすべきか悩んでしまいそうな名前です(笑)。加えて、これの3日前の記事に、さらに新しい品種の名前が登場していました。

(10月7日)

3年目ごとに新品種 197町歩に知事指定採種圃

 香川県では27年度から知事指定の採種圃197町歩を決定、同一種子の連続栽培による品質低下を防止することになった。知事指定面積は県下麦作付面積の三分の一に必要な種子をまかなえるので、全麦耕作農地は3年目ごとに新品種に更新できることになる。今季配布種子は、裸麦で香川裸一号、三保玲子、赤神力、四国早生、小麦で新中長、農林51号、農林26号、江島玲子で、10日ごろから現地配給を行うが、県農試のストックが本年度は必要量の約半ばなので残りは本年度麦中から改良普及員が適性検査のうち採用することになっており、明年度からは全量を農試が確保する予定。

 採種圃から今季配布される麦の種子は、
【小麦】新中長、農林51号、農林26号、江島玲子
【裸麦】香川裸一号、三保玲子、赤神力、四国早生
です。小麦に「江島玲子」さんが登場し、裸麦は「三保珍子」さんから「三保玲子」さんに変わっています(笑)。

 ちなみに、香川県農政水産部のホームページにある「さぬきの夢物語」の中に掲載されている「県産小麦品種の変遷」には、小麦の奨励品種として
新中長  (昭和8年~昭和31年)
江島珍子 (昭和10年~昭和28年)
農林26号(昭和15年~平成10年)
農林51号(昭和17年~昭和34年)
農林67号(昭和28年~昭和40年)
とありました。四国新聞では小麦の「江島玲子」さんと裸麦の「三保珍子」さんと「三保玲子」さんが出てきますが、県のホームページは小麦の「江島珍子」さんです。別品種なのか、誤字なのか、何が何だか(笑)。

農作物は「麦」関連の記事ばかり出てきます

 では、その他の「麦」に関する記事をいくつか。

(5月28日)

麦刈りに手伝いを 岡山から香川へ日稼の求人

 麦秋が近づき、今年も岡山県から麦刈り労務者の申込みがあり、香川県の麦刈り戦士は31日、県を超えて出稼ぎする。長尾職安所への求人申込みは、213名に対し、今年は230円から280円という低賃金のため応募者は104名(うち女子22名)しかなく、同所では郡一円に「出稼者やーい」と呼びかけている。なお、今年の出稼地は主として上道、児島両郡である。

 香川県から岡山県へ毎年、麦刈りの出稼ぎが行われていたようです。出稼ぎというと、たいてい貧しい地域から豊かな地域に出かけていくものですが、昭和26年はまだ全国ほとんどの地域が貧しいという時代ですから、仕事があれば人が動いたのでしょう。先出の「三県小麦」のうちの2県である岡山と香川では、麦刈り要員の需要が多かったのだと思われます。でも、低賃金になるとたちまち応募者が半減したということは、麦刈り業界(?)では貧しいながらも売り手市場だったのでしょうか。ちなみに、新聞記事での呼びかけの表現は「やーい」です(笑)。日露戦争(明治37年~38年)の時の愛国美談「一太郎やあい」(多度津の桃陵公園に像があります)の「やーい」です。

(6月5日)

好かれてきた小麦 県農務課 配給用粉食の増量確保計る

 香川県下における主食配給混合率は米50%、麦類50%が基準となっているが、米超過供出の進展に伴い、4月末では米53%、麦類47%となっており、また麦類の配給内訳は本年3月では精麦の受配率70~75%で、残りがパン、ウドンとなっていたが、4月以降は粉食普及等の影響で精麦と麦製品の受配率は同数となっている。これにより裸麦より小麦の需要が増大しており、県農務課では配給用粉食の増量確保をはかっている。また、この傾向は麦作付状況にも影響。26年産麦では裸麦が1000町歩の減少であるのに対し、小麦は700町歩の増反という数字をみせている。

(10月19日)

お百姓さんそこのけ 米麦検査官の俵作り競技

 「米麦検査官の俵作り」という変わった競技会が18日、高松市天神前香川食糧事務所で行われた。これは、検査官としてお百姓さんの技術を指導するためにはまず立派な技術を身につけておかなければならぬという趣旨から、県下7支所から2名ずつ選抜、14名が参加して行われたもの。日頃はお百姓さんの作ったものを検査する人々が、鉢巻しめて汗だくで内俵、外俵、サン俵を作り、続いて米を入れて縄掛けを行い、約1時間半にわたり俵と取組んだ。一番早いのが1時間2分、遅いのが1時間35分という速さで、お百姓さんそこのけのスピードぶり。また、俵の出来上りの成績も上々で、さすがは検査官だと審査の人々を感服させた。

(11月5日)

はやくも麦播き

 緑から黄金に、黄金の波は刈り取られてまた元の黒土に…ポッカリ浮かんだ白雲の群、日毎に紅を増す阿讃の峰を背に、マスに入った麦種子はこの黒土に“再生”の喜びを投げかける。山から海辺に、讃岐路の麦播きははやくも開始されている。今年は稲が1週間も遅れたので、麦作りの秘訣適期播付けがちょっと難しそう。老いも若きも牛小屋の牛も秋田に立たされ、明るい秋場に映えていま黒土に挑んでいる。

(11月7日)

ついに混合率切下げ 米3割、麦類は7割へ 底をつく配給米ストック

 香川県では配給米のストックが底をつき、端境期の乗切りができなくなったので、11月上旬分の主食配給率を米3割、麦7割に切り下げることになった。県下の年間配給米需要量は30万石で、平年作なら米6割配給が可能なところ、昨年度の供出量は27万9000石に止まり、米麦5割混合配給を行って来たが、本年早期供出割当2万800石は10月末日で49%という不振なので手持米がなくなり、配給率切下げを行うことになったもの。これは、昨年度からの持越米がないのと、本年作況が10日間遅れていること、10月下旬の降雨で供出が進まなかったことなどが原因となっているが、県では今後の供出が順調に進みストックができれば配給率の復元を行うとともに、米欠配分の補充を実施する。

(11月12日)

目標66万石 香川県 麦の増産計画

 香川県経済部では興農運動第2年目として27年度産麦増産運動を展開することになり、生産目標を66万1612石と決定。6万147石の増産をはかることになった。14、15日ごろ都市別協議会を開き、増産の徹底をはかり、面積、収量の確保を求める予定なので、今年の麦まき込みの最盛期は20日前後となる見込みである。

 こんな感じですが、麦はたいてい米の裏作で作られていたので、やはり農作業のメインは稲作です。では、当時の稲作と麦作の比率が窺える記事を一つ。

(8月24日)

講和はお台所にどう響く 粉食から米時代へ ビルマ米の輸入に期待

 さき頃発表された本年度の内地稲作予想は5935万7000石。平年作にくらべて336万8000石の減収となつている、8000万国民が1年1石を消費するとみて、もし米だけを常食とすると2000万石近いものが不足することになり、大麦、小麦でそれぞれ800万石、600万石を補うとしてもなお600万石が不足し、これだけはどうしても輸入に仰がなくてはならぬのがわが国の実情である。

 戦前から戦後にかけての食糧事情を顧みると、昭和12年度(シナ事変勃発の年)は供給高8722万6000石、需要高7971万4000石で、翌年への持越し高は707万石に達したが、17年以降は持越は200万石に激減していった。また、昭和15年から18年までは年々500万石から1000万石ものシャム、仏印米を輸入し、また朝鮮、台湾米の移入も1000万石を超し、これらの輸入米でどうにか国民の食生活は維持されていたのだった。戦争およびこれに続く終戦はこの事情を一変させ、国民の食生活の中に小麦粉が大きな部面を占めた。昭和25年度の輸入食糧は次の通りである。(単位千㌧)
【小麦】1500(アメリカ) 220(カナダ) 200(オーストラリア) 125(アルゼンチン) 計2045
【大麦】100(インド地域) 85(エジプトなど) 計185
【米】365(タイ) 250(朝鮮) 218(ビルマ) 100(エジプト) 計933

南方米の生産あがる

 第二次大戦中の日本侵略軍行為によって東洋各地の米産国の生産量は著しく低下し、国際連合の発表の1947年の統計によると、主産国ビルマは比較的好調子だがそれでも輸出可能量は戦前の約半分で160万トン(約1100万石)シャムは戦前の約87%、仏印は輸出見込4万トン(約9万石)といわれ、ブラジル、米、エジプトは戦後増大しているとみられるが、わが国が戦前において依存度の一番高かった朝鮮およびタイワンは前者は朝鮮動乱のため自国の需要を満たすのに手一杯であり、後者もまた自国消費を賄うだけでやっとの実情である。

 このように見てくると、講和後の日本の食生活は依然としてある程度の米、小麦粉の輸入は避けえないが、今後タイ、ビルマなどが急速に米の生産力を回復するにつれて、わが繊維、機械、雑貨品などの輸出見返りに戦前なみの米の輸入が実現せられるのも確実であり、11月に行われるFAO(国際連合農業機構)第6回総会において、わが国も正式にその一員として参加することも承認せられるので、日本国民の米に対するあこがれも大いに充たされるものとみられる。しかし、外米が自由に輸入せられることは、国民の三分の一を占める農民にとってはその価格維持の上では大問題であることも事実であり、一般消費者および農民の意向をどの程度に調整するかが、今後のわが国の食糧行政の重大問題になってこよう。

 数字を整理しますと、昭和26年度の稲作は約6000万石、大麦が約800万石、小麦が約600万石が見込まれているので、稲作は麦作の約4倍の規模だったようです。ちなみに、一昔前、「米の輸入は一粒たりとも許さない!」と言って米自由化に対するすごい反対運動がありましたが、戦前から米を結構輸入してたんですね。では最後に、生産つながりでこんな記事も一つ。

(5月13日)

香川は5万9000貫 本年度食用カエル生産計画

 水産庁は本年度の食用カエル生産計画を全国合計43万1610貫と11日決定した。なお、昨年の生産実績は43万641貫で、84万ドルの外貨を獲得した。中国、四国の生産計画は次の通り。(単位貫)
鳥取  1570
岡山 20000
広島  1100
山口 33000
香川 59800
愛媛  4600

 中四国では香川が断トツの「食用カエル生産県」だったようです。「ドジョウうどん」はあっても「カエルうどん」は全く出てきませんが(笑)。

昭和26年の四国新聞に載ったうどん関連広告

 この年の四国新聞に載っていたうどん関連広告は、

●日讃製粉株式会社=2回
●香川県精麦工業協同組合(理事長 高畑勝)=1回
●高畑精麦所=1回
●日清製粉株式会社坂出工場=1回
●うどん一品料理「眞砂屋」=1回

の3社1団体1店だけ。眞砂屋さん以外はすべて精麦・製粉業で、麦の増産時代を背景に業界がなかなか活気づいていたようです。ちなみに、同年に「坂出税務署管内の高額納税者ランキング」が掲載されていました。個人名を伏せて再掲しますと、

①136万円(大黒町・呉服商)
②97万3245円(梅園町・医師)
③92万円(東通町・飲食業)
④86万5858円(港町・銀行市店長)
⑤83万900円(鉄砲町・酒造業)
⑥74万5200円(幸町・歯科医師)
⑦70万円(海岸町・精麦業)
⑧68万5601円(笠山通・会社員)
⑨68万円(坂出町・旅館料理業)
⑩67万1493円(大黒町・洋品雑貨商)

というラインナップで、ここでも7位に「精麦業」の方が入っています。

 あと、うどん関連の求人広告が一件見つかりました。

(9月28日)

求人広告

手打うどんの熟練工(仕事師)2名募集
年齢不問 住込 給1万円 順次昇給 来阪の旅費支給す 
当社創業65年 大阪市南区空堀街45 宝来有限会社

 大阪の会社がわざわざ香川に「うどん職人」を求めてきたということは、県外ではやはり「香川にはうどん職人がたくさんいる」という認識があったのかもしれません。

その他の関連出来事

●3月31日付けで、食糧配給公団香川県支局(支局長は日讃製粉の景山氏)が解散しました。「4月1日以降は民間の登録販売店に配給業務を移行する」とありましたから、要するに官業の民営化ということです。

●6月14日にロンドンで開かれた国際小麦理事会で、日本の「国際小麦協定」への加入が認められました。その結果、戦後の不自由な外麦買い付け(輸入先が限定され、日本の信用不足や朝鮮動乱等によって購入価格も高くなっていた)が解消され、安い値段で世界各国(協定加盟国)から小麦を輸入できるようになり、政府の外麦買い付け費用の負担が軽減されて年間約36億円の外貨が節約できることになったとのことです。また、「日本の消費者にとっては小麦価格が下がってパンやうどんの値段が下がることが予想されて朗報だが、麦作農家にとっては世界の小麦と競争することになって厳しい環境になる」という分析が新聞に掲載されていました。

 そして9月、サンフランシスコ講和条約が締結され、“敗戦国日本”が本格的に国際社会に復帰し始めることになります。そんな中、香川で「うどん」は日常に当たり前のように存在していたけど、まだ「讃岐名物・讃岐うどん」というアイデンティティは見えてこない…そういう感じの、「新聞で見る昭和26年」でした。

(昭和27年に続く)

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