うどん(乾麺)を含む主食のヤミ取引が横行!
食糧危機が続く戦後日本に、海外から支援物資が
昭和22年は、戦後の混乱冷めやらぬ食糧危機の真っ只中。そこに年が開けて1月29日、「坂出港に外麦を積んだ船が到着した」という記事が掲載されました。抜粋すると、「連合軍の好意により、6月に新麦が収穫されるまでの端境期に備える食料の輸入が許可され、四国にも9500トンの外麦を保管するよう指令されたが、27日、そのうちの一部1600トンを積み込んだ第三稲荷山丸が坂出港に姿を見せ、折からの強い季節風をものともせず直ちに日本通運によって強行荷揚げが始められ、食糧危機におののく県民に言い知れぬ力強さを与えた。この外麦は日清製粉坂出工場で製粉保管され、連合軍の臨機の放出許可があれば四国4県の一般家庭に配給される」という内容。文面から「外麦に頼らなければ国民の食がつなげない」という厳しい食糧事情が伝わってくると同時に、検閲が入っているのかどうか、連合軍に気遣った論調の表現も見え隠れしています。
続いて6月10日にも「海外から物資が届いた」というニュースが。
学童に嬉しいお知らせ 給食にマカロニーとスパゲツチ
うれしいララ(アジア救済団)贈物、マカロニー、スパゲツチが三市の学校給食に加えられる。現在までは肉、魚などのタンパク源が重点的に供給されていたが、夏季を控え「カロリー源の補充に」と、アジア救済団からの好意の放出により各校約200回分が配給され、一週2回の給食に一人20グラムずつが加えられることになる。これで、今までの肉汁ばかりの献立表にマカロニ・グラタンやケチヤツプスパゲツチなどの献立が学童を喜ばすわけだ。
「ララ=LARA・Licensed Agencies for Relief in Asia(アジア救援公認団体)」というのは、この年にアメリカで設置された日本救済のための援助団体(母体は日系人が設立した「日本難民救済会」)のことで、ララから昭和27年頃まで送られ続けた食糧を中心とする支援物資(いわゆる「ララ物資」)は、戦後日本の食糧危機に大きな支えとなりました。とりあえず、「ケチヤツプスパゲツチ」を食べてみたい(笑)。
うどんのヤミ取引が横行!
さて、この年の四国新聞の食生活関連記事には、戦後のどさくさの中で横行していた「ヤミ取引」の取り締まりに関するニュースがずいぶん目立ちました。市場の正常化を目指して行政が頑張って、大がかりなものからセコいものまで、いろんな輩が捕まっています。
まず、2月から3月にかけて、飲食店レベルの「うどんの違法取引」のニュースが3本発見されました。新聞には捕まった者の実名がビシバシと載っていましたが、何しろ時代が時代だけに今の価値観で断罪できないような事情もあるかもしれない…ということで、ここでは個人名は伏せておきます。
(2月24日)「7日から始まった経済取締りの網にかかった者のうち、悪質な者として、うどん一玉を3円50銭で買入れ10円で売っていた高松市西通町飲食店○○こと○○○○(49)他6軒の飲食店が、高松署から24日より2カ月間の営業停止処分を受けた」
(3月7日)「小豆郡池田町無職○○○○(33)は、一昨年10月頃から本年2月までに乾麺57箱を同町某製造業者から一箱500~600円で買い受け、大阪方面へ一箱1200円ぐらいで流していたことが発覚。このほど土庄署で検挙取り調べ中」
この期間、香川県内で「経済取締り」がかなり行われたようで、立て続けにヤミ取引者が検挙されていますが、おそらく検挙されたのは氷山の一角、報道されたのは氷山の氷の一粒でしょう。ちなみに、伏せ字の名前や店名の中には現在も営業する有名店(!)や、後にそれなりの地位になられた方もおられますが、もう70年以上も前のことですからお目こぼしを(笑)。
続いて、8月に大捕物が実施されたようですので、臨場感あふれる記事をご覧ください。
ヤミ行く悪の船 女王丸の乱脈明るみへ
食糧不足にあえぐ大衆に食い入るヤミブローカーの跳梁を巡って、四国の玄関高松港は相も変らずヤミ船、密輸船が出入りしていわゆる「四国の海上ヤミ船の巣窟」と目されていたが、その一連として関西汽船内海航路多度津-大阪間就航の「女王丸(401トン)」にまつわるヤミ取引のウワサは6月上旬から高く、船員がブローカーと結託して物資の輸送、船内トバク、女ブローカーと船員との風紀問題、ヤミ屋同士のセリ合いなど、波へすべる白い船姿は現代悪の縮図のように見られていた。
これに対し、県警察部では7月上旬から同船の内偵を進め、極秘裏に捜索準備を整えていたが、万端なった12日、女王丸が高松桟橋到着と同時に県下初の立体的検察網を張りめぐらした大捕物陣を展開し、ヤミ屋の手先として数々の罪を乗せた“悪の女王丸”の所業が白日の下にさらけ出された。
この日、女王丸は警察部刑事課員が多度津港から乗客を装って乗船、積み込まれてゆくヤミ物資に鋭い目を光らせているのも知らず予定より遅れること1時間半、四国より阪神にまたがる悪質ブローカーならびに一般乗客250名を乗せて午後8時10分高松港に入港すると、暗夜に待機する警察船「屋島丸」は機を逸せず女王丸の右舷側に尾行するとともに、萩野検事総指揮のもと、宮地警察部長、香西高松署長以下70余名が四個小隊に分かれ、一斉に船内臨検を開始した。
250名の乗客、船員は一旦下船を命じ、一般乗客と認められる者は待機中の那智丸に乗り換えさせて出航。○○○○船長、○○○○事務長(45)の取調べと並行して空になった船室をしらみつぶしに捜査したが、船室、機関室、調理室、倉庫、はては救命ボートの中から米、麦、メリケンコ、卵などが続々現れ、わずか15人の二等船室の荷物として室付ボーイ○○○○(40)のあずかり荷物は75コリという大量であった。
また、室内には特別料理が調理されており、水槽には西瓜が浮き、花札が散乱し、船員の中には泥酔して訊問にも答えられない者もあるという乱脈ぶり。停船と同時に早くも手入れと知った船員、ブローカーの中には、ヤミ物資を海中に投げ捨て、また舷側から水中に逃げようとしたが、動員された警察船に乗り組んだ海上警戒小隊の手で逮捕。かくして13日午後1時まで検索は続けられ、米麦約15石、卵2000個、うどん3000貫など、トラック2台に余る押収品と悪質船員8名、常習ヤミブローカー100余名を連行、捜査本部高松署に引揚げた。なお、一航海2000~3000円に上る船員、ボーイの報酬、委託物資の流出先など、事件はなお拡大の見込みである。
ブローカーの上行くボーイ、調理手
ヤミ船女王丸を検索押収した米麦その他のヤミ物資をトラック2台に満載して引揚げた高松署では、取り調べの結果検挙された一般乗客104名に超過食料を買上げただけで13日午前1時出港の女王丸を帰船せしめ、○○○○事務長(45)は逮捕令状で、他の船員7名は現行犯処分でいずれも留置、引続き取り調べ中であるが、彼等の悪徳ぶりの一、二を挙げると、
△二等船客ボーイ○○○○(40)は、船客、ブローカーから主食入り荷物70個を1個30円から50円の手数料で預かり、二等室船員用押入れに隠していた。
▽調理手○○○○(37)は3名の客から米1俵、小麦粉6袋(20キロ入り)、乾麺76キロを預かり、床下、ふとんの中などにしのばせていた。
(萩野検事談)
今までは時間の制限と操作が任意捜査であったため、船員とヤミブローカーが共謀で主食を横流しするといった最も悪質な面が割合取締り面から抜けていたという感があった。これを皮切りに、今後こういった面に対してはどんどん取締り、厳罰とする考えである。また、この取締りで各警察署の主食持出し数量の許可の点で相当差があることもわかったが、今後はこの差をなくしたい。
ということです。昭和22年の高松港は「四国のヤミ船の巣窟」だったそうです。そのヤミ船の親玉格であった“悪の女王丸”(400トンだからたぶん全長50~60mの船)がお縄になったという事件ですが、大捕物に興奮したのか、記者の力の入り方が違います(笑)。ちなみに、ヤミ物資の中の「うどん3000貫」は、1貫が3.75kgだから……1トン以上! うどんの形態は他の記事から推測すると「乾麺」だと思われます。「昭和の証言」でもたくさん出てくるように、戦後から昭和30年くらいまでの讃岐うどんは乾麺が相当出回っていたようです。
続いて9月には、三本松でもヤミ船が検挙されています。9月30日の記事によると、「阪神地方とヤミ取引の盛んな香川県大川郡三本松港寄港のヤミ船を絶滅するため、三本松署では28日夜、寄港中の福宮丸を臨検し、船底に隠していた米10俵、たまご1800個、乾麺12貫その他を押収した。これらの物資は同郡白鳥村農業○○○○(57)他4名が委託輸送せんとしたもので、関係者を取り調べ中」とのこと。
さらに丸亀港でも検挙。「丸亀署では去る22日以来、丸亀港出帆大阪行きの八千代丸、あおい丸、甲山丸、ときわ丸の各船を全部臨検し、主食持ち込み違反者を検挙したが、26日までの押収量数は米2624キロ、麦1519キロ、メリケン粉590キロ、乾麺139キロ、サツマ芋18貫600匁に達したが、今後も引続き取締りを厳重にする方針である」。
ちなみに、ヤミ物資は船だけでなく汽車でも運ばれていたようで、「持ち主のいないヤミ物資」と見出しの付いた8月24日の記事にはこんな記述が。「香川県多度津警察署では、7月21日から8月20日まで1カ月間にわたり、汽車、汽船の乗降客その他につきヤミ取締りを行ったところ、荷物を置き去りにして行方をくらました主なヤミ物資が次のような大きい数字を示している。玄米1斗、白米12斗8升5合、モチ米5升、玄麦2石4斗8升、丸麦1石6斗8升、押麦4石4斗、小麦粉52貫500匁、乾麺32貫600匁、鶏卵3207個、イリコ12俵、鮮魚8貫、塩70キロ、ブドウ52貫、モモ20貫、キウリ7貫」。
とにかく、昭和22年の香川ではやたらとヤミ物資の検挙が多かったことと、検挙されたヤミ物資の中に必ずと言っていいほど「乾麺」が入っていたことが印象に残ります。
昭和22年までに香川の新聞に「製麺機の広告」を出した会社一覧
さて、この年のうどん関連の新聞広告は、ほぼ全てが「製麺機」の販促広告でした。そこで、昭和20年から22年までに四国新聞(香川日日新聞)に載っていた「製麺機」の製造販売会社を一覧にまとめてみました。
(高松市桜町) 鎌田鉄工所
(高松市藤塚町)宮地鉄工………………ミヤヂ式製麺機
(木田郡十河村)溝淵製作所
(坂出市駒止町)石田鉄工所……………石田式製麺機
(坂出市西幸町)金剛産業
(綾歌郡川西村)讃岐農機工業
*販売のみ
(香川郡円座村)三久電気商会…………金子式製麺機の販売
(高松市南新町)日産工業高松営業所…家庭用製麺機の販売
<県外企業>
(大阪市北区) 田中鉄工所……………田中式製麺機
(大阪市北区) 田中麺機工作所
(大阪市) 藤本鉄工
(大阪市西区) 扶桑商事………………タナカ式製麺機
(大阪市東区) 尾久葉機械製作所……大隈式製麺機
(大阪市東区) 三共製作所……………三共式製麺機
(大阪市南区) 大日本工機→太平興業…家庭用製麺器
(大阪市大正区)日本精鋼
(大阪府布施市)三宅機械工作所
(東京都北区) 日本麺機工場
(京都府京都市)マルナカ食糧機械百貨店
(岡山県岡山市)島屋産業商会…………島屋号の製麺機
(山口県下関市)久寿美工機商会
香川県内で新聞広告を出していた製麺機メーカーは6社(加えて販売会社が2社)。そして、県外のメーカーは13社から広告が出ていました。ちなみに、大阪の「田中式製麺機」を製造販売している田中鉄工所の広告には「最近、カタカナの『タナカ式製麺機』なるものが出回っているが、あれはニセモノなので間違わないように」という、名指しのお怒りコピーが書かれていました(笑)。製麺機業界、結構競争が激しかったようですが、それだけ製麺機のニーズがあったのだろうと思います。
香川のうどん店の新聞広告第一号は「源芳」?!
讃岐うどんに関連した広告を、あと2つ発見しました。1つは、「坂出港貿易再開」を祝った協賛広告と四国新聞の発展を祈念した協賛広告に、それぞれ「日清製粉坂出工場」が登場していたこと。そしてもう1つは、「築港新世界」のオープン広告。実は高松築港周辺の「国際マーケット」がこの年の正月に「築港新世界」という名称に変更し、それまでの露店の集合エリアから飲食店街(?)に生まれ変わって新たなスタートを切ったのですが、その「築港新世界」に入っている店が以下のように列挙されていました。
・次郎長
・むさし乃
・まんぷくや
・みなと食堂
・横田屋
・公楽
・キャバレー「タマモ」
・鶴徳
・ベビー食堂
・七福
・源蔵
・愛ちゃん
・おでん権兵
・西洋料理「ノーブル食堂」
・凸凹
・あざみ
・源芳
この最後にある「源芳」という店が、広告に載っていた社長さんのお名前から察すると、昭和40年に高松市番町に開店した讃岐うどんの名店「源芳」(閉店)の前身ではないかと思われるのですが。残念ながら、広告からは食堂だったのかうどん店だったのかがわかりませんが、もしうどんを中心に出している店だったら、香川のうどん店の新聞広告第一号かもしれません。