第一話
上杉食品・前編
聞き手・文:羽野茂雄
お話:四代目 上杉律子様(昭和25年7月13日生まれ)
五代目 上杉公彦様(昭和49年1月25日生まれ)
三豊市豊中町の静かな街道に面して、上杉食品がある。表は、昔よく見かけた田舎の商店のような造りで、店内で日用品や野菜の種を扱っているのが見える。特にうどん店の看板は見当たらないが、「上杉食品」と手書きした貼り紙と、「こだわりうどん」と書いた小さい布がボールに付けられ、ブロックに無造作に差してある。店の中にテーブルがあり、その奥が製麺所になっている。
ここが讃岐うどん業界の西讃の雄として君臨する「上杉」である。午後に訪れると、ふくよかな三豊弁を駆使するおかみさんと、誠実な人柄がにじむ息子さんが迎えてくれた。営業がほぼ終わった時間で、店内にはまったりした空気が漂っていた。ところが、毎朝の6時半ごろともなると、何事があったのかと思うほど風景は一変する。
「午前6時半に上杉でうどんを食う」。
西讃地域の一つの食文化が展開するのである。
<明治〜大正時代>
ーー 明治40年(1907年)の創業で、すでに108年が経過している超老舗ですね。創業当時の様子は聞いていますか?
- 律子
-
明治32年創業との説もあります。昔のことやから、はっきりせんのですわ。初代は上杉喜三郎さん(明治7年生まれ)で、連れ合いのハルさん(明治11年生まれ)と一緒に日用雑貨を売る商店を創業したみたいです。喜三郎さんは昭和16年に67歳で亡くなりました。ハルさんは昭和34年に81歳で亡くなりました。
その商店を創業するまでは、喜三郎さんが懐中時計や柱時計を扱う時計屋をやっていました。今なら100歳くらいになる人たちがうちの店をずっと「とけや」「とけや」と呼んでいたのを覚えていますから、それが屋号にもなっていたようです。そこでハルさんがうどんや法事のまんじゅうを作って売ったりもしていたようです。でも、明治から大正にかけての話やから、うどんがなんぼでも売れる時代ではなかっただろうと思います。
ーー 店は最初から今の場所ですか?
- 律子
- 場所はずっとここだったようです。今も日用品を扱っていますが、昔はうちみたいな商店が自治会ごとにありました。いわゆる「小店」って言いますけど、近所の人が食品や日用雑貨を買い求める店ですね。今はスーパーに押されて軒並み姿を消してしまいました。スーパー相手ではやっていけませんからね。
三豊市
上杉食品
うえすぎしょくひん
〒769-1504
三豊市豊中町上高野2791
開業日 明治40年
営業中
現在の形態 製麺所
(2015年7月現在)