第三話
宮武うどん・後編
聞き手:田尾和俊、長谷川知広 文・田尾和俊
お話・宮武うどんの大将・宮武一郎さんと奥さん
<平成元年〜閉店まで>
1990年代、讃岐うどん巡りブーム到来!
ーー さて、そこへ讃岐うどん巡りブームが来ました。
- 大将
- とにかくお客さんが急に増え始めたのが、あの本や。『恐るべきさぬきうどん』(1993年第一巻発刊)。けどその前に、タウン誌で連載しよったやろ?
ーー 『タウン情報かがわ』に連載が始まった「ゲリラうどん通ごっこ」(1989年1月号連載開始)です。
- 大将
- あれとテレビの、山陽放送の『VOICE21』(1994年「恐るべきさぬきうどん」第1回放送)かな。あれで1990年代に1回目の大きな山が来た。それから「讃岐うどん巡礼88ヵ所」(2000年に第1回開催)でまた次の山が来て、それから映画『UDON』(2006年)、そのあと高速の1000円(2009年)と、4回山が来たなあ。
- 奥さん
- あれはものすごかったねえ。
- 大将
- とにかく休む暇がないんですよ。平日でも毎日県外からバスが来るし。
- 奥さん
- 仕事してて、外にバスが見えたら「いやあ、営業時間が終わりかけやのにまた来た!」
- 大将
- 「伊予鉄が来た!」(笑)
- 奥さん
- 来たらまた1時間以上、余分に仕事せないかんからね。
- 大将
- まあうれしい悲鳴やな。閑古鳥が鳴くよりずっとええ。けど正直、あの頃は「これは死ぬ」と思った(笑)。
- 奥さん
- 毎朝2時に起きて、15分から30分ぐらい按摩して、それから仕事にかかるんよ。お父さんが練って仕込んで、私がダシを炊いて。毎日毎日。それが土日になったらもっと何倍も大変になって。
- 大将
- こっちは一人でしよるからな。「これはいかん、限界や」と思っても、「今日は高知から団体さんが来る」いうたらまた頑張ってな。わしはずっと手抜きができん性分やったから、しんどいから一回踏む回数を減らすとかいうのだけはせななんだから。
- 長谷川
- お勘定も大将が全部暗算でね(笑)。6人までは暗算で、7人からそろばんが出てましたっけ。
- 大将
- そやったかの。まあ暗算ぐらい誰でもできるわ。ヘイちゃんでもできよった。
ーー 誰ですか、ヘイちゃんって。
- 長谷川
- 名物パートさんです。大将がその方だけに厳しかった(笑)。
- 大将
- 愛のムチいうやつやな。
2009年、宮武うどん閉店
ーー そして2009年に、惜しまれつつ宮武うどん閉店。
- 大将
- ちょっと病気したこともあってな、これは潮時かなと思って。けどまあ、振り返ってみたら、最初の頃もブームが来てからも結構おもしろかったな。特にブームの時のあんな体験は、やろうと思ってもなかなかできるもんではない。田尾さんには足向けて寝られんわ。
- 長谷川
- 「尻向けて寝よる」言うてましたやん(笑)。
- 大将
- 田尾さん、どこにおるかわからんから、どっちに尻向けて寝たらええんかわからんがな。けど、あのブームは本当に衰え知らずにずーっと来たなあ。今もまだ続いとるんやから、20年以上も続いとるんですなあ。これからは若いもんがどんどん頑張ってくれたらええ。わしはもうセミの抜け殻やから。
- 長谷川
- 抜け殻が結構動き回ってますけど(笑)。
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仲多度郡琴平町
純手打うどん 宮武うどん店
みやたけうどんてん
〒766-0006
仲多度郡琴平町上櫛梨1050-3
開業日 昭和27年頃
閉店
現在の形態 セルフ
(2015年7月現在)