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- 和田 雅幸
和田 雅幸の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:269 高松市東植田町・昭和15年生まれの女性の証言 2018.01.29
祭りや法事の際に親戚へ渡すお土産は、お重に入れたうどん玉 うどん玉の入ったお重が、親戚の間で行ったり来たり うどんといえば、嫁入りする時に持たされた「お重」を想い出します。お祭りや法事がある時には必ずうどんを作り、集まった親戚にご馳走しましたが、お土産としてもうどん玉を用意しました。その際、嫁入 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:269 高松市東植田町・昭和15年生まれの女性の証言 2018.01.29
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:268 高松市東植田町・昭和17年生まれの女性の証言 2018.01.25
豊作を祈願する「地鎮さん」の時に、集落のみんなでうどんを食べた 御当屋の家で、うどんを食べながら集落の話し合い 家は農家。周りもみんな農家で、集落の色んなことを話し合って決める集まりがしょっちゅうあってな。「御当屋(おとや)」と呼ばれる世話人の家でするんやけど、そんな時は必ず、うどんを作って食べた。し …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:268 高松市東植田町・昭和17年生まれの女性の証言 2018.01.25
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
祭りの日に祖母の家で、色粉の天ぷらと一緒にうどんを食べた 昭和20~30年代の田町商店街にうどん屋はなかった!? 田町の商店街にほど近い場所に住んでいました。物心が付いた頃、商店街にはすでにアーケードが掛けられていましたが、うどん屋の記憶はありません。金物屋は何軒もありましたが…。以後、昭和30 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:253 高松市三谷町・昭和18年生まれの男性の証言 2017.12.04
うどんやパンはもちろん、酒やタバコまで小麦と交換できた お金がなくても小麦があれば生活できた時代 昔の三谷(高松市)には、うどん屋なんてなかったなぁ。でも、製麺所はあった。小麦を持って行ったら、うどん玉に換えてくれた。店には醤油が置いてあって、それを掛けて店で食べることもできとったよ。今の店の …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:253 高松市三谷町・昭和18年生まれの男性の証言 2017.12.04
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:251 高松市三谷町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.11.27
近所の連中が集まってうどんを作るのは、当時の最大の娯楽 小麦は売っても安いため、うどんにして食べた 打ち込みうどんは昔、よう食べた。自分とこだけじゃのうて、三谷(高松市)の人間ならみんな食べとったやろ。 当時、三谷に住んどった人間は農家ばっかり。山の斜面にも田んぼや畑があったほど、農業が盛ん …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:251 高松市三谷町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.11.27
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:249 高松市三谷町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.11.20
昭和20年代にあった農協の「全自動うどん製造機」 農協に小麦を預けて麺にしてもらっていた 小学生の頃(昭和20年代後半)、お昼ご飯の前になると、母親からよく「うどんを作ってこい」と言われた。おつかいで行かされた場所は、農協。農協には、家で作った小麦を大量に預けていていた。その小麦で農協は …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:249 高松市三谷町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.11.20
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:247 高松市三谷町・昭和19年生まれの男性の証言 2017.11.13
農協のうどんを作るところは町の溜まり場 こんまい頃(昭和30年前後)は、農協で作ってもろたうどんを食べとった。農家をしよったんやけど、田んぼで小麦も作っとって、収穫したらいっつも農家に60kg預けとった。やけど、農協で粉にしてもろたら半分くらいにしかならん。その小麦粉で、うどん …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:247 高松市三谷町・昭和19年生まれの男性の証言 2017.11.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:245 高松市三谷町・昭和23年生まれの女性の証言 2017.11.06
30kg分の小麦を製麺所へ預けていた 法事のお膳で出ていたうどん鉢は高さが低く、それ専用の器だった 打ち込みうどんは小さい頃によく食べました。作ってくれたのは祖父です。「釜屋」と呼んでいた台所の床は漆黒色をした木の板の間でしたが、作る時はその上に茶色の台を置き、そこでうどんを …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:245 高松市三谷町・昭和23年生まれの女性の証言 2017.11.06
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24
県外の法事に馬渕のうどんを持っていって喜ばれた 生地の切れ端を、きりたんぽのようにして食べた 生まれは岡山ですが、空襲で焼き出されたために生後すぐ、母の里の伏石(高松市)に家族で移り住みました。 昔の伏石は現在の住宅地のイメージとはほど遠く、田んぼや畑ばかり。隣の林町も一面の原っぱで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:218 丸亀市綾歌町・昭和14年生まれの男性の証言 2017.07.20
機械で製粉した小麦粉よりも、水車小屋で挽いた小麦粉の方が美味しかった 当時の製麺所は水車小屋から小麦粉を調達していた 昔の綾歌に、うどんが食べられる店はありましたか? 旧の綾上町に住んどったけど、うどんを食べられる飲食店なんて全くなかった。あったんは、うどんの玉を販売していた製麺所。うどんだけやのうて、そば …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:218 丸亀市綾歌町・昭和14年生まれの男性の証言 2017.07.20