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- 篠原 楠雄
篠原 楠雄の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
お客が来たら近所の店でうどんを買ってきていた 家の近所にあった「たいしょうまる」 生まれは観音寺の元町(観音寺市旧元町・旧港町の東隣・現在は港町と西本町に分割統合)です。うちは、最初お父さん勤めに行っきょったんやけどな、やめて豆腐屋しよった。 おうどんは、冬にお婆さんが打ち込みうど …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
戦時中は畑で作った小麦でうどんを作っていた 打ち込みうどんにたまに入るエビジャコが美味しかった 生まれは観音寺。観音寺町のなー、昔は中央(旧観音寺市中央町・観音寺町に統合)言よった。家はなあ、柳町の出口にフードセンター(現ベビーフェイスプラネッツ茶屋)あるやろ。食堂があるとこ。そこ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:225 観音寺市大野原町五郷・昭和2年生まれの女性の証言 2017.08.21
疎開先でお婆さんが打ち込みうどんを作ってくれた 打ち込みうどんにはエビジャコが入っていた 生まれは神戸です。お母さんのお里がね、五郷(旧三豊郡大野原町五郷・現在は観音寺市に合併)やったから、神戸の大空襲の前、昭和20年かな、それに帰って来た。弟たち家族は先に疎開して、私だけ挺身隊で神戸 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:225 観音寺市大野原町五郷・昭和2年生まれの女性の証言 2017.08.21
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:224 観音寺市八幡町・昭和10年生まれの女性の証言 2017.08.14
精米所で買った小麦粉で母がうどんを打ってくれた 母が打つうどんを日常的に食べていた 生まれは八幡(観音寺市八幡町)。家はサラリーマンです。そこから天神(観音寺市天神町)に嫁に来ました。八幡にはうどん屋はなかった。街と違うわな。ほだけんアタシやは、子供の時は食べに行たこともない。近所に製 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:224 観音寺市八幡町・昭和10年生まれの女性の証言 2017.08.14
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:223 仲多度郡多度津町青木・昭和17年生まれの女性の証言 2017.08.10
実家でうどんと言えば打ち込みうどんだった 年中打ち込みうどんを食べていた 生まれは多度津。多度津のな、元の「しかむら」で青木(おおき)いうとこやけどな。今はもうよーけ住宅が入ったけど、昔は30~40軒ぐらいしかない田んぼの中やった。青木には北山と本村いうんがあるんやけど、その本村 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:223 仲多度郡多度津町青木・昭和17年生まれの女性の証言 2017.08.10
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
半夏には小麦粉七貫目分うどんを打っていた 半夏にはうどんをすることになっていた 生まれは柞田町の下出。家は農家でな。田植えが終わった半夏には、うどんせないかんことにしとった。うちではうどん粉七貫目(約26kg)ぐらい打っちょった。あの頃の家族は9人もおったけんな。半夏のうどんはな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:220 観音寺港町・昭和9年生まれの女性の証言 2017.07.31
エビジャコだけでダシをとった漁師のうどん 漁師は忙しいのでうどん玉を買ってきていた 私の家は漁師。観音寺の港でな。うちの方はあんまりうどんは打ってくれんかった。皆漁師やけん、忙しから。けど港にうどん屋よーけあったけん、そこで玉を分けてもろて来てな。ほんでダシを自分とこでしよった。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:220 観音寺港町・昭和9年生まれの女性の証言 2017.07.31
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
伊吹島からイワシを仕入れて作ったイリコを、小麦と物々交換していた 実家は港町のイリコ屋だった 私の出どこは港町。うちのとこはイリコ屋しよったんや。イワシは伊吹(島)に船で買いに行くんや。網で上げたぶんをそのまま買うて来て、ほんで釜で湯がく。湯がいたら、家の裏が広かったけん、そこへみんなでムシロをばーっと …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:214 観音寺市港町・昭和7年生まれの女性の証言 2017.07.06
風邪を引いたらうどん屋でとんぷくとかけうどんを買ってくれた 八百屋でうどん玉を買っていた 私ね、観音寺の港町(観音寺市旧港町)の生まれです。今の港町でなくて昔の港町。あの辺、町名変わったんでしょ。旧市内は一回、全部観音寺町の甲になっとった。今は元のに近い町名に戻ったからちょっとは分かりやすくなった …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:214 観音寺市港町・昭和7年生まれの女性の証言 2017.07.06
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:213 高松市牟礼町牟礼・昭和13年生まれの男性の証言 2017.07.03
人力で動かすうどん製造機があった うどんは行事があるときしか食べられなかった 生まれは牟礼町の牟礼。牟礼には大字が「牟礼」と「大町」と「原」の3つあるんですよ。昭和37年に町政改革で牟礼町になって今は高松市と合併してますけど、当時はまだ牟禮村で、木田郡の中では一番大きな人 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:213 高松市牟礼町牟礼・昭和13年生まれの男性の証言 2017.07.03