あの菊池寛も「四五銭亭」に食べに来たらしい
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昔(昭和20〜30年代)の高松の中心街は、「うどん専門のお店」は少なかったよ。食堂のメニューにうどんがあるというのが多かった気がする。うちも祖父の代(年代不明)から「四五銭亭」(しごせんてい)という和風レストランを営業してて。「四~五銭ぐらいでおなかいっぱい食べられるように」というのが名前の由来で、お寿司とか丼もの、松花堂弁当、めん類…洋食もあったかなぁ。お昼はうどんとお寿司のセットを食べる人が多かった。出前もやってたし、お寿司を折り(詰め)に入れて持ち帰る人もいたかな。
場所は県庁の前、今ファミリーマートがあるあたり。場所柄、お客さんは県庁職員とか学校の先生が多かったみたい。なんか、馬車が走ってたって。そうそう!「菊池寛も食べに来たことある」って祖父が話してたけど、本当かなあ。確かに生家には近いけどね。
- うどんは何種類かあったんですか。
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確か、かけうどんのほかに、カレーうどん、卵とじ、きつね、エビの天ぷらがのった天ぷらうどん、冬は鍋焼き…。記憶は怪しいけど、200~300円ぐらいだったと思うから、ほかのメニューの値段からしても、今の値段と比べても、そんなに安くなかったと思うよ。
だしは、イリコとかつおぶし。かけの具は、かまぼこにネギ、甘く煮た小さめの油揚げが入ってたかな。きつねうどんは、大きなおあげ。麺は製麺所(記憶によると久保製麺所。今はない)から、毎日せいろに何段も届いてた。大きな釜にいつもお湯が沸いていて、大きなとっくりに入っただしが冷めないよう湯せんされてて。いつでもすぐに出せる状態にしていたけど…。
でもねぇ(ため息)。子どもの頃は日常にいつもうどんがあったから、あんまり食べたいと思わんかったのよねえ。そもそも、子どもは職場(=お店)に来たらいかん言われてたし、うどんは商品やという意識もあったんかな。
- 近すぎてその魅力に気づけない、みたいな。
- うん。もう好きじゃないといってもいいぐらい(苦笑)。
昭和40年頃、高松高校の学食に金時豆の天ぷらがあった
- もう少し「うどんと私」で思い出を絞り出してみましょうか(笑)。
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「アズマヤ」(喫茶「アズマヤ」紺屋町にあった老舗喫茶)のうどんはおいしかった。実家(四五銭亭)のよりおいしいと思ったんはなんでやろ。アズマヤのうどんとホットドッグとローゼ。これはもう三大メニューだったね。
あと、高校(高松高校)の学食うどんに、甘く煮た金時豆の天ぷらがのってたんはちょっと衝撃だった(昭和40年頃)。あの甘い金時豆を天ぷらにするって、香川独特らしいよ。金時豆が入ったパンもあるよね。
塩江の橋本さんの打ち込みうどん
- あと覚えているのは、うちのお店は住み込みの従業員がいたんよ。それで夜はみんなでご飯を食べてたけど、橋本さんいう人が賄いで「打ち込みうどん」をよく作ってくれて。それはものすごくおいしかった!
- 何か特別な作り方で?
- 打ち込みうどんを作る時は、橋本さんが粉から練って麺を打ってた。煮込むからかなあ。麺は太めで不ぞろいだったけど、それがお汁にからんでおいしかった。季節の野菜がたっぷり入った具だくさんで。
- 橋本さん、すごいですね。
- 橋本さんはね、確か塩江の安原出身やった。慣れ親しんだ味にしたくて、張り切って作ってたなあ。郷土料理・打ち込みうどんも、地域や家庭によって微妙に具や味付けが違うんやろな…。これだけでも、調べたらようけ出てきそう。調べた方がえんかな…。