香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

仲多度郡まんのう町・昭和21年生まれの女性の証言

家では打ち込みうどんとドジョウうどんをしょっちゅう食べていた

(取材・文:

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  • vol: 110
  • 2015.10.19

打ち込みうどんもドジョウうどんもおダシは醤油系

 子どもの頃から、明治生まれの祖父が自宅でよくうどんを打ってくれていました。私が生まれる前の話ですが、昔(戦前)はうどん屋をしていたそうなんです。でも、やるのが少し早すぎたんでしょうね。儲からなかったようです。

 家では打ち込みうどんやドジョウうどんなんかを、しょっちゅう作ってくれましたね。打ち込みうどんもドジョウうどんもおダシはお醤油でした。お野菜とお肉はカシワ。親戚の人が裁いて持ってきてくれていたと思います。私が子どもの頃は、どこのお宅でも食べるための鶏を飼っていて、それを絞めて食べていたと思いますよ。確かうちでも鶏を飼っていたはずですけど…、絞めるのを見た記憶はないから、どうだったのかしら。だけど、子どもの頃に食べるお肉は決まってカシワでしたね。

 私が高校生くらいまでは、祖父がうどんを打ってたと思います。うどんづくりを祖母が手伝っているのは見たことありません。祖母は京都の人でしたから。私の両親は家でうどんを作ることはありませんでした。父はお勤めに出てましたし、母は祖父のお手伝いをすることくらいはあったと思いますけど、自分でうどんを打つということはなかったですね。

 家族でうどんを外食した記憶はありませんね。製麺所で買うこともありませんでした。祖父が作ってくれるわけですから、その必要はなかったんだと思います。

食堂のうどんは他のメニューよりも安かった

 高校を卒業してから、高松で少し働いていたのですが(昭和40年頃)、その頃は片原町の辺りでうどんを食べていました。お店の名前は覚えていませんけど、いくつかありました。その頃はどこの飲食店でもうどんがメニューにあったと思いますよ。ラーメンもありました。私はうどんは子どもの頃に十分食べましたから、どちらかというとラーメンの方が好きなんですけど、外で食べると他のメニューに比べてうどんはちょっとお安いんですね。だからお店ではラーメンよりうどんを選んで食べることがあったんです。

 23歳くらいの時に善通寺に働きに出てからは、善通寺の駅前にあったお店の鍋焼きうどんをよく食べていました。それが本当に美味しかったんです。お店の名前も値段も思い出せませんけど、仕事が終わってよく食べていました。一人でです。お腹が空いていましたから。うどんの専門店でなくて食堂だったと思うんですけど、うどんのメニューが多かったんじゃないかしら。

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