前山で小麦をうどんの粉に替えてもらっていた
- うどんはどんな時に食べていましたか?
- 田植えが休みの日に食べよったなあ。うどんとお寿司は昔のご馳走や。「今日は田植えがお休みやけん、うどんでもするか、お寿司もするか」と言うて作りよった。おくどさんに大きなアルミニウムの釜を置いて、松葉を焚きつけて薪を焚いて、火ができたら、釜でうどんをゆがっきょった。親がうどんをこねて、塊になったら上から布をかける。踏むんは子供の仕事や。子供の頃に「勉強せえ」と言われたことはないけど、うどんの手伝いはさせられよったな。
- うどん屋さんは近所になかった?
- この辺(志度)には、ほとんどなかったんちがうか? うどん屋に食べに行った記憶がないし…そもそも「外食」という言葉は子供の頃はなかった。その頃はみんな家で自給自足やった。
- うどんを作る粉はどこで調達してた?
- 粉は粉屋で買うてもいいし、交換してもよかった。前山ダムの下の方に水車のある粉屋があって、そこで粉を挽きよったから、親から「学校帰りに前山で粉替えてこい」って言われて、学校から自転車で寄って粉をもろうて帰りよったなあ。小麦を持って行ったら、それに相当した粉をくれよった。小麦は作りよる人から分けてもらいよったな。
- うどんはどうやって食べてた?
- 釜あげ、かけ、両方ともあったな。ダシは家で作った煮干しのダシ。この辺はカツオは使わんから、いりこに醤油入れたダシやったなあ。