うどんは一年に一度、口にできるかどうかの恐れ多い食べ物だった
なに? 小さい頃(昭和20年代)によくうどんを食べてたかって? そんなん、あるわけないやろ! ワシは漁師やけど、うどんは大人になってからようやく食べることができたご馳走の中のご馳走や! 古い漁師仲間はみな、ワシと一緒のことを言うで。聞いてみ?
昭和20年代のこの辺(庵治町)は、うどんは一年にいっぺん食べられるかどうかの恐れ多い食べ物やった。母親の里が東讃やったんやけど、確かそこで玉をもらって、やっとありつけることができたように思う。ほいで、その貴重な麺にヒガシマルの醤油をかけて、〝じっくりじっくり〟と食べていた。
庵治の古い商店街に存在した、特大のきつねうどんが人気の一軒
うどん屋は庵治に昔、「おかはな(岡端?)」言う店があったんを憶えとる。庵治郵便局やAコープがある東側の通りが古い商店街になるんやけど、そこにあってな。バカでかい揚げがのったきつねうどんが看板やった。麺もよっけ(たくさん)入っとって、普通のきつねうどんの倍ぐらいの量があったんとちゃうか。それ一つ食べただけで十分、腹一杯になった。
「岡端」はガキの頃からあったんは知っとるけど、いつまであったんかは分からん。そやけど、くどいようやけど「岡端」でうどんを食べたんは大人になってから(昭和40年代)やで! よっしゃ、以上!!