伊吹島に製麺屋はなかった
昭和30年代の伊吹島は賑やかだったで。普通、こんな小さな島は海縁に家が固まっとるもんやけど、伊吹はイリコで栄えとったこともあって、島の真ん中がほとんど家で埋まってたぐらいやからね。今はほとんどが空き家になっとるけど、あれ全部人が住んでたわけやから。
その中心部には食堂もたくさんあって、うどんのメニューもちゃんとあったのは覚えとる。ただ、島内に製麺所なんか一軒もなかったと思うし、粉からうどん玉を作ってる食堂もなかったから、うどん玉はたぶん船で観音寺から買うて来よったんだと思う。そやから、どこの食堂も相当時間の経ったうどんを出してたんやろな。
うどんのダシは、イリコの本場やからピカイチやと思うやろ? ところがそうじゃないんよな。食堂でうどんを出してたおばあさんに聞いた話やけど、どの店もうどんのダシをとるイリコは、売り物にならないデキの悪いイリコしか使わんかったらしい。おばあさんが「質のええ大羽のイリコは全部出荷するから、私らが使うのは肥料になる寸前のイリコばっかりじゃ」言うとったわ(笑)。
けど、質の悪いイリコでダシをとる時は、イリコを入れて沸騰させた湯に焼け火箸を入れて、悪い油分をジュッと飛ばしたらスッキリしたダシになるとか言いよったから、まあそれなりに工夫はしとったみたいやね。
うどんを打つ家も、そんなにはなかったように思う。法事にうどんとか、祭りにうどんとか、何かの節目にうどんを食べる習慣もあまりなかったなあ。「イリコの島やのに、うどん文化はほとんど育ってなかった」という話やね。
けど小麦粉は手に入るから、たまに家で粉からうどんを作ることもあったのはあった。作るのはどこも全部女手や。男衆は漁に出とるから、うどんを打つことはなかったように思う。そんなとこかな。まあみんなに聞いてみ、あんまりうどんの話は出てこんと思うで。