さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.47 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る平成の讃岐うどん<平成元年(1989)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 47
  • 2022.02.17

時はまさに「バブル絶頂期」です

 1月7日に昭和天皇が崩御され、いよいよ平成の時代が始まりました。国内では4月に消費税(3%)が初めて導入され、世界では6月に中国で天安門事件が起き、11月にベルリンの壁が崩壊するなど、内外で社会システムが大きく動き始める中、日本はまさにバブル絶頂期。香川県でも瀬戸大橋開通ブームの余韻の中、前年から始まった「ふるさと創生“1億円バラマキ”事業」で全市町村が“降って湧いた1億円”を前に右往左往し(笑)、10月には「四国ニュージーランド村」がオープンし、12月には新高松空港がオープンするなど、好景気で楽天的なムードが漂っていたようです。

 ではまず、概況として瀬戸大橋ブームに関連する記事をいくつか見てみましょう。

瀬戸大橋ブームの1年後

 瀬戸大橋開通から1年経った4月に、ブーム下の「讃岐うどん」に物申す読者投稿が1本ありました。

(4月10日)

「読者の声」 本当に”うどんの本場”?

 香川と言えば「うどん処」。全国的にも「讃岐うどん」として評価が高い。3月22日、瀬戸大橋を見物するため、讃岐路へ出向いた。絶好の日和とは言い難いが、熱くも寒くもなく、うってつけの天気だった。坂出のインタチェンジを降りて、昼飯でも食べようと思い、名物のうどんを探すとすぐ「手打ちうどん」の旗が目に入った。建物の外観、内装、従業員の態度、手洗いなど非常に感じが良く、これなら味もと、期待に胸を膨らませた。注文したのは「釜あげ天ぷらうどん」700円。価格も普通。しばらく時間を覚悟したら、3分も待たなかった。ちょうどタイミングが合ったのだろうと喜んだのはつかの間。一口食べてガッカリした。これは釜あげではなく「湯だめ」。しかも讃岐うどん特有のコシがない。

 そう言えば、当地方では「釜あげ」を注文すると「15分お待ちいただけますか?」と言われることがある。閉店間際だと「できません」と断られることもある。本来、釜あげとは「生うどん」がゆで上がった時のことと考えます。夕方、もう一店、国道筋で「釜あげ」を注文しましたが、同じような感じでした。どうか、本場の名に恥じない「讃岐うどん」を売ってください。(松山市・会社員)

 「釜あげを頼んだら湯だめが出てきた」という、県外人のほとんどはわからないけど讃岐の“うどん食い”には看過できない大問題(笑)を、松山の方が指摘していました。何も知らない県外人を見下した「瀬戸大橋ブーム」の悪しき副産物ですが、同じように県外人が殺到した「平成の讃岐うどん巡りブーム」の時には、こんな話はあまり聞きませんでした。理由はおそらく、あのブームが「釜あげうどん」というメニューを出していない「“怪しい”製麺所型うどん店」を中心に起こったため、「釜あげ」を出す一般店の多くに県外客があまり殺到しなかったことと、その後、ネットとSNSが普及して“あこぎ”なことをやったらすぐにブーイングが広がるようになったからではないかと。その代わり、「釜玉」がブームになったら、「釜あげ麺」を使ってないのに「釜玉」と称するメニューがチラホラあるようです。まあ、讃岐うどんに限らず“観光地あるある”みたいな話ですが(笑)。

 続いて、「瀬戸大橋ブーム」と「観光」に関する記事が2本出てきました。

(5月19日)

観光地に魅力欠く 四国バス協会が全国調査 早急な受け入れ基盤整備を
料理もいま一つ 大橋効果一過性の恐れ

 四国バス協会(70社加盟)は18日、四国運輸局などと共同で昨年9月に行った全国の主要貸切バス会社、旅行代理店に対する四国の魅力アンケート調査の結果を発表した。結果は「四国には魅力ある観光地が少なく、宿泊施設の整備の遅れが目立つ」など厳しい答え。四国4県では今年10月から官民一体で観光客誘致の「四国大型キャンペーン」を予定しており、宣伝以前に、肝心の受け入れ基盤の整備を急ぐ必要がありそうだ。

 アンケート調査は四国観光への需要を調べるため、全国137の貸し切りバス会社、4大手旅行代理店を対象にした。その結果、高速道路網、宿泊施設の整備の遅れが指摘された。さらに肝心の観光資源についても「グルメブームなのにこれといった料理がない」「本格的な温泉は道後温泉だけ」「中部、関東から四国観光へ行く金と時間があれば、海外に行ける」という答えが返ってきた。

 瀬戸大橋という第一級観光資源の登場で四国の観光客は急増、昭和63年の四国への貸し切りバス輸送実績は前年比3倍を超えたが、全国の旅行業者が四国そのものの観光地としての価値に疑問を抱いていることが分かったわけで、同バス協会は「これではせっかくの瀬戸大橋効果が一過性で終わってしまう」として、各県や関係機関に総合的な受け入れ態勢の整備を訴えていく。

 「四国バス協会」が全国の137の貸し切りバス会社と大手旅行代理店4社に対して「四国の魅力アンケート調査」を行ったところ、

●四国には魅力ある観光地が少ない。
●宿泊施設の整備が遅れている。
●グルメブームなのにこれといった料理がない。
●本格的な温泉は道後温泉だけ。
●中部、関東から四国観光へ行く金と時間があれば、海外に行ける。

という散々な答えが返ってきたそうですが、その中で「グルメブームなのにこれといった料理がない」と言われています。これまで新聞には「讃岐うどんは全国に名を馳せている」という記事や識者等の意見が数多く載っていましたが、全国の大手旅行業者からは当時、「讃岐うどんではツアーが組めない(ツアー客が集まらない)」と見られていたようです。

 続いて、「観光客入込数の推移」から見た概況。

(8月19日)

瀬戸大橋ブームに陰り 昨年に比べ軒並み減 回復へ大型キャンペーン

 四国運輸局は18日、今年第1四半期(4~6月)の四国4県主要観光地への入り込み客動向をまとめた。瀬戸大橋ブームに沸いた前年同期に対し、ほとんどの観光地が10%前後落ち込み、大橋ブームの陰りが見られるものの、一昨年に比べると2倍近い観光客でにぎわっている所もあり、「香川を中心に大橋観光ブームはまだまだ続いている」と分析している。

 県別の動向を見ると、香川の場合、栗林公園が20.9%減、寒霞渓が3.4%減。栗林公園が大きく落ち込んだのは島外客の減少もあるが、4県民が大橋の方に目を向け高松まで足を延ばさなかったことも大きく響いている。ただ、一昨年同期に比べると、93%増の琴平を筆頭に、栗林公園71%増、寒霞渓11.8%増と、いずれも増えている。…(中略)…

 今年度に入って大橋ブームの陰りが見られる四国観光だが、10月から12月まで四国を売り込む大型キャンペーンが全国で展開され、さらに、運輸省が4月からスタートさせた「90年代の観光振興行動計画」の来年度事業に香川、愛媛両県が立候補しており、四国運輸局は「この2つのイベントがうまくかみ合えば、再来年ぐらいまで大橋観光ブームが続く」と見ている。

 四国運輸局はこの頃からすでに「四国4県の主要観光地の観光客入込数」を概算集計していたようですが、それによると、「瀬戸大橋架橋で観光客入込数がドカンと増え、1年経って減り始めたけど、まだ架橋前の倍ぐらいある」という報告。ちなみに、香川県観光協会が発表している「香川県の観光客入込数」データによると、下表のような推移になっています。

【表1】観光客入込数(抜粋)

 これを見ると、「香川県の観光客入込数」も概ね四国運輸局の「四国4県主要観光地への入り込み客動向」と同じように推移していますが、小豆島だけは瀬戸大橋効果をあまり受けていないことがわかります。また、新型コロナ禍以前の「令和元年」の数字と比べると、香川県全体の観光客入込数は瀬戸大橋架橋年のピークに迫る勢いですが、香川の4大観光地(栗林公園、屋島、琴平、小豆島)は架橋前の数字も割り込んでいる。つまり「4大観光地以外の要素で観光客が増えて来ている」ということがわかります。そのあたりの推移は、「讃岐うどんの謎を追え(vol.18)」をご参照ください。

満濃池の畔に「かりん亭」がオープン

 続いて、この年はうどんのオープン記事が3本も載っていました。まずは4月、満濃池の畔に「かりん亭」がオープンしました。

(4月5日)

ふる里創生の拠点に 満濃「かりん亭」オープン

 弘法大師ゆかりのため池・満濃池と緑に包まれた大自然のど真ん中に「ふる里創生の拠点をつくろう」と、満濃町の観光客らを対象にした特産品売り場や休憩場を備えた日本庭園付きいこいの場「かりん亭」が完成、4日午前、開園式が行われた。5日から一般客に利用してもらう。

 「かりん亭」は、満濃池堤防東詰めの神野神社東隣、満濃池を一望できる高台に総工費約1億5000万円で完成した。63年度補正の国のふる里創生資金2000万円もさっそく工費に宛てた。木造平屋建て広さ168平方メートルの和風建物(特産品売り場、休憩室、うどんなど食品加工室)は、植え込みに松竹梅をあしらった広い庭園を備えている。開園式には森町長、福家町議会議長ら75人が出席、神事のあと、テープカットをしてオープンを祝った。

 同町は、かりん亭の周辺1ヘクタールを造成してかりん広場づくりを目指しており、4000平方メートルの小鳥のさえずりの森(疎林広場)や2500平方メートルのイベント広場、駐車場(54台駐車可能)などがすでにほぼ完成している。完成したかりん亭は、町職員1人とパートの女性ら4人を常駐して手打ちうどんを打って売るほか、地元の農協、菓子屋さんと契約して特産のお茶や一刀彫、土産用うどんなどにコーヒー、ジュースなどを即売する。

 「かりん亭」は、讃岐うどんファンの間では名物女将の馬場さんや南米特産の健康野菜「ヤーコン」を使った「ヤーコンうどん」などで親しまれているうどん店ですが、このオープン記事では「特産品売り場や休憩場を備えた日本庭園付きいこいの場」と紹介されています。オープン当初は「うどん店」ではなく「観光施設」として売り出されたようです。

H元年広告・かりん亭オープン

県外資本のうどんFC店「得得」が高松に進出

 続いてこの年、全国でFC展開をしているうどんレストランの「得得」が、高松市郊外にオープンすることになりました。

(7月11日)

県外資本のうどん店・FCの「得得」、高松に来月オープン

 うどんどころ讃岐で店舗開設。全国的なFC(フランチャイズ・チェーン)で知られるうどんレストランが、高松市内に8月オープンする。瀬戸大橋観光を期待した県外資本の進出は観光・サービス面で相次いだが、うどん店は初めて。「お手並み拝見」「いい刺激になる」など、地元業界の受けとめ方もさまざまだ。

 8月にオープンするのは、東京、大阪を中心に全国的なFC展開を図るうどんレストラン「得得」。四国地区本部の栗田商店(本社・高知市)が、四国では3番目のチェーン店として高松市勅使町の国道11号沿いで建設を進めている。敷地面積1350平方メートル、店舗は和風づくりで延べ床面積180平方メートル、66席を収容する。

 「得得」は若者向けのメニュー開発で実績のあるうどんレストラン。FC店は全国に約160あり、クリームシチューうどん、豚こつスープのうどんの他、冷やしきつねうどんなど話題性のあるメニューをそろえている。また、大盛りも普通も値段が同じなど、県下うどん店の常識とはかけ離れた営業で人気を集めている。高松店の顧客対象もズバリ若者。栗田商店取締役部長は「若い人たちにアピールするうどん店が狙い。讃岐うどんに真っ向から勝負しようとは思っていません」としている。

 一方、受けて立つ地元業界は、その動向をかなり気にしている。一部には「うどんの味を知り尽くしている県民の舌を満足させることはできない」と楽観視する業者もいるが、ある若手経営者は「これまで、我々は讃岐うどんにあぐらをかいてきた。得得の出店はいい刺激剤」と県外資本の進出を好意的に受けとめている。

 県外資本のうどんチェーン店の、香川進出第1号は「得得」です。記事にもあるように、「クリームシチューうどん」「豚こつスープうどん」など、当時の讃岐うどん界にはほとんど見られないようなメニューが並んだ、まさに“得得のうどん”が進出して来たわけですが、残念ながら香川で2店、3店と店舗展開するには至りませんでした。ちなみに、「得得」のオープン時には特に記事は見当たらず、広告もオープン前の求人広告しか見つかりませんでした。

H元年広告・得得・求人

高松駅に3店目のうどん店がオープン

 続いて、JR高松駅に3つ目のうどん店がオープンしました。

(9月2日)

構内でホットなうどん戦争 JR直営店オープンで3店しのぎ(高松駅)

 JR四国直営のうどん店が1日、高松駅にオープンした。構内に3店のうどん店がひしめくことになり、先行の2業者は「爆発的な瀬戸大橋ブームが去って売上が落ちているのに、JRの進出は死活問題」と渋い顔。方やJR四国は「駅の乗降客は3万人を超え、需要は拡大できる」と意気盛んだ。直営うどん店は、坂出、琴平、松山駅などに続く6店目。高松店はマリンライナーの発着する5、6番ホーム中央に店開きし、讃岐の民家をモチーフにした白壁と焼杉の羽目板を取り入れた純和風造り。JR社員2人がうどんと箱ずしなどを販売し、1日5万円の売り上げを見込んでいる。

 高松駅には、JR四国の関連会社の四国キヨスクと四国観光弘業の2社がうどん店を構え、合わせて1日1500玉前後のうどんを販売している。JRの進出で客を奪われることは確実で、四国キヨスクは「いくら身内でも商売は食うか食われるかです」と神経をとがらせ、味の見直しなどを図って防戦に大わらわ。オープン初日は駅構内でうどん店開店の放送が再々流れ、法被姿の社員が呼び込みに懸命。ホットなうどん戦争を横目に利用客は「味を競ってうどんがおいしくなることは歓迎」。

 高松駅の中でJR四国の関連会社2社がうどん店をやっているところへ、JR四国が直営店を出すという、“仁義なき戦い”(笑)みたいなことになってきました。それまで2店舗で「1日1500玉」ということは、1店舗あたり750玉。駅の中ですから乗降客以外が外から食べに来ることはほとんどないとすれば、乗降客が増えない限り、3店舗になると1店舗あたり500玉になって、既存店は売上が3分の2になるという非常事態です。果たして「味を競ってうどんがおいしくなる」のか、それとも経費節減でサービスが落ちるのか。そのあたりの続報はおそらくないと思いますが、“マーケティング屋”としては決算の推移を見たいところです。

 ちなみに、日本経済新聞にも同様の記事がありましたが、日経には「かけはし」という店名と写真が載っていましたのでご覧ください。

H元年記事・「かけはし」オープン

「かな泉」が紺屋町の本社兼製造工場の改築に着手

 続いて、“王者”「かな泉」も動き出しました。

(7月5日)

うどんの「かな泉」、本社機能を勅使に移転へ 

 うどん専門店のかな泉(本社・高松市、泉川隆亮社長)は、高松市紺屋町の本社兼製造工場を全面改築、11月下旬をメドに「うどんどころ讃岐」を代表する高級店とする。

 同社の本社兼製造工場は高松市美術館に隣接し、大手企業の出先が集中する一等地にある。1階部分はセルフだが、土地の有効利用などから2、3階を高級うどん店とすることを検討。製造部門の移転先などについて昨年2月から物色していた。その結果、高松市勅使町で建て物付き用地(約4600平方メートル)を取得。市内藤塚町にあった同社土産物セットセンターを移すとともに、今年6月には本社製造部門を藤塚町の旧セットセンターに移設した。

 現在の本社兼製造工場は、4階建て、延べ床面積660平方メートル。計画では1階のセルフ店は残すとともに、2、3階部分は高級うどん店に全面改築し、50人程度の団体客も受け入れられるようにする。また、勅使のセットセンター内には総合管理本部を設置、本社機能も移す。用地取得、改築を含めた総事業費は約10億円。

 紺屋町の「かな泉」は、それまで1階がセルフの店で2階から上が本社と製造工場だったのですが、本社と製造工場が勅使に新築移転し、紺屋町の2階と3階を団体客も受け入れられる高級志向のフルサービス店に一新するという大計画です。讃岐うどんのハイエンドユーザーを受け入れる数少ない店として、店としても讃岐うどん業界としても大きな期待の集まる展開でした。

マルヨシセンターも「うどん生産ライン」を引っ提げて業界参入

 次は、マルヨシセンターが宇多津町に「宇多津カミサリー」という食品製造施設を完成させ、そこに手打ちうどんの生産ラインもできたというニュース。

(11月25日)

自慢は”うどんマシン” マルヨシセンター、食品製造施設を宇多津に完成 約300品目OK

 スーパーやレストランをチェーン展開するマルヨシセンター(本社・国分寺町、佐竹文彰社長)が宇多津町の新宇多津都市に建設していた食品製造施設「宇多津カミサリー」が、このほど完成した。同施設は、県内外32店舗に供給する惣菜食品の加工基地で、鉄筋2階建て延べ床面積約3550平方メートル。2年前に用地を購入し、今春から施設の建設を進めていた。用地費を含めた総事業費は約13億円。

 同社の惣菜は従来、国分寺町のフレッシュセンターで約100品目を製造していたが、今後は調理パン、麺類の他、コロッケなどのデリカ食品を加えた約300品目を同カミサリーで製造。フレッシュセンターは肉、魚の加工を専門に扱う。同施設の従業員はパートを主体に約170人、本格稼働は12月から。24日は約250の取引業者を招いて施設見学会を催し、1日に最大1万パックを製造するコンピューター制御の手打ちうどん生産ラインなどが公開された。

 うどん処香川にあって「マルヨシのうどん」というのはあまり強いイメージがないのですが、「1日に最大1万パックを製造するコンピューター制御の手打ちうどん生産ライン」を備えて、うどん業界に本格参入です。

クレーンメーカーの「タダノ」が「讃岐うどんチェーン」を考えていた

 日本経済新聞にクレーンメーカーの「タダノ」の新社長就任記事が載っていましたが、その中にこんな記述がありました。

(9月19日)日本経済新聞

電子からホテルまで多角化宣言…タダノ社長・多田野久氏

 …(前略)…徳島大学工学部在学中に父から呼び戻され、28年間営業を叩き込まれた。その後は開発部門に携わり、クレーンで簡単に組み立てができる折りたたみ式店舗「ちょうちんハウス」を考案、讃岐うどんのチェーン展開をもくろんだこともある。…(以下略)

 平成元年の記事ですから、多田野社長が就任以前に「讃岐うどんのチェーン展開をもくろんだ」のは昭和の時代。県内企業で讃岐うどんチェーンの老舗といえる「はすい亭」や「まるいち」や「はなまる」が積極的に店舗展開を開始したのは平成10年代に入ってからなので、相当早い段階にビジネスモデルを考えていたことになります。「折りたたみ式店舗」と合わせると、簡易店舗で全国展開するようなプランだったのかもしれません。

高瀬茶を練り込んだ「茶茶うどん」が登場

 この年は、いろんなものを練り込んだうどんが4つも紹介されていました。まずは、高瀬の茶業組合がお茶を練り込んだ「茶茶うどん」を開発し、「茶茶うどん店」までオープンしました。

(5月20日)

コラム「自由港」

 テレビドラマ「春日局」に登場する豊臣秀吉の側室・茶々にあやかって、高瀬町の高瀬茶業組合・高瀬銘茶販売会社は「茶茶うどん」の製造商標登録を済ませ、このほど高瀬町下勝間六ツ松の国道11号沿いに「茶茶うどん店」をオープン、人気を呼んでいる。「茶茶うどん」は、うどん粉に高瀬茶で製造した抹茶を混ぜて練り上げたもの。色は緑色で、まろやかな味が特徴。風味を生かすため、ざるうどんだけで、お値段は大450円、中350円、小250円。持ち帰り用は、だし付き150円、玉70円で販売している。店の広さは21平方メートルの純日本風で35席。毎日午前11時から午後6時半まで営業。同店の店長は「うどん粉1キロにどれだけの抹茶を入れるかが味の決め手。讃岐うどんと高瀬茶の両方のPRにつながれば」と張り切っている。

 これで、新聞に出てきた“緑色の麺”が「大島家」の「わかめうどん」と高瀬の「茶茶うどん」の2つになりました(笑)。

杜仲葉を練り込んだうどんが登場

 続いて、「杜仲茶」でおなじみの「杜仲」の葉を練り込んだうどんが登場。

(6月6日)

杜仲葉入りうどん開発 篠原商事、全国販売へ

 石油販売の篠原商事(本社・高松市錦町)はこのほど、中国原産の薬木・杜仲(とちゅう)の葉の粉末の入ったさぬきうどんを開発、商品化した。従来のうどんに比べて含塩量が極端に少ないばかりか、強壮効果などもあることから同社では健康食品として全国展開を目指している。…(中略)…開発したうどんは、乾燥した杜仲の葉を粉末にして小麦粉と調合したもの。粉末葉が入っているため色はソバのようだが、含有成分によってコシが強くなっている他、麺の味もまろやか。岡山の百貨店で実施した試食販売会でも好評を得た。現在、商品化されているのは乾燥麺だけで、価格は6束入り(1.5キロ)2000円、10束入り3500円(だし付き)。

 石油販売会社まで讃岐うどん業界に参入です。こちらは同じ“葉っぱ”を使っても「ソバのような色」だそうです。

「乳清ミネラル塩」を使ったうどんが登場

 続いて、「藤井製麺」が食塩を「乳清ミネラル塩」なるものに代えた“減塩うどん”を開発しました。

(12月3日)

好評な減塩うどん 藤井製麺(三木町下高岡)

 うどんの藤麺(ふじめん)の商標で全国的に有名な藤井製麺は、常に商品開発に力を入れている。同社は健康食品ブームに注目。健康のために、今までの食塩に代えてバイオテクノロジーを駆使した「乳清ミネラル塩」を使用、塩分(塩化ナトリウム)を43%カットし、おいしく食べられる新しい生うどん「生粋」をこのほど開発。10月から全国で販売している。こしの強さ、粘りのあるうまい生うどん、として好評を得ている。同社は「生粋」のほかにも手づくり仕込みの乾麺、そうめん、地そば、冷やむぎなどを1500~5000円まで数段階の豊富なラインナップで販売している。…(以下略)

 「健康食品ブーム」に「バイオテクノロジー」と、時代の変化が窺える用語が出てきました。

モロヘイヤを練り込んだうどんが登場

 次は「モロヘイヤ」を練り込んだうどんの登場です。

(12月5日)

未来野菜の試作に成功 モロヘイヤうどん好評 ふれあい市で試食販売(岡田農協婦人部)

 綾歌町岡田農協婦人部は、究極の未来野菜といわれるエジプト原産のモロヘイヤの試作に成功。モロヘイヤの粉末を使用したうどん、豆腐、もち、おこしを製品化、1日の岡田農協「ふれあい市」で試食販売しました。モロヘイヤ(「とろろ菜」ともいい、ねばねばしている)はホウレンソウの成分に比べカルシウムが1000倍、ビタミンAが4倍、ビタミンB2が20倍という野菜の王様です。同農協のふれあい市は毎週金曜日に開かれています。地域の人々の健康を守るため、農薬を使わない自家菜園の野菜やくだもの、花、手づくり加工品などを持ち寄って開いています。…(以下略)

 以上、“練り込み系”の特殊麺が4本も記事になっていましたが、加えて前出の「かりん亭」も「ヤーコンうどん」を始め、広告には「とうふうどん」の名前も見えました(後述)。この頃、この手の取り組みが流行ってたのかもしれません。

恒例イベントも引き続き開催される

 毎年のように開催されているうどん関連のイベントは、この年も予定通り開催されました。記事の内容は例年と同じなので、開催項目だけを列挙しておきます。

●5月12日…「第11回さぬきうどん品評会」開催。農林水産大臣賞は豊中町の「上杉食品」。
●5月21日…「第5回さぬきうどん早ぐい競争日本一決定戦(丸亀お城まつり)」開催。
●6月10日~7月10日…「第10回さぬきうどんラリー」開催。
●7月2日…「第9回さぬきうどんまつり・献麺式」開催。
●8月7日…「第4回輝け!!どぜう汁日本一大賞(飯山おじょもまつり)」開催。
●8月14日…「第2回さぬきうどん早食い選手権大会(高松まつり)」開催。

 飯山のドジョウ汁大会が「どぜう汁」と表記を変えています(笑)。あと、「献麺式」の案内記事には「打ちたてのうどんを祭神・菅原道真公にささげて業界の発展を祈願」と書かれていました。前年までの「かつて讃岐うどんのPRに貢献した祭神、菅原道真公」という表記がなくなっていたのは、やっぱり「菅原道真が讃岐うどんをPRした」という話の裏付けがなかったのでしょうか。

H元年広告・さぬきうどんラリー1

H元年広告・さぬきうどんラリー2

H元年広告・さぬきうどんラリー3

「素人手打ちうどん名人大会」があった

 あともう一つ、コラムの中から「素人手打ちうどん名人大会」なる企画を見つけました。

(3月27日)

コラム「一日一言」

 (前略)…花よりダンゴと言うように、花はついでで、目標は志度町で催されていた第1回志度源内まつりの見物にあった。25、26の両日とはいうものの、本番は26日の日曜日にあったようで、JR志度駅前から真っすぐ北へ 「働く婦人の家」の前まで、テント張りの出店と露店が人を呼んで大にぎわい。ラジコンカーレース、腕ずもう大会、素人手打ちうどん名人大会など催しも盛りだくさんだったが、あらかじめ期待したのが「第1回志度、ゲタ跳ばし大会」。ご存じの向きも多かろうが、志度町は全国屈指の桐下駄の産地。あって当然ともいうべきコンペティショ ン (?)ではあった。…(以下略)

 志度町で「源内まつり」が始まりましたが、うどんの「大食い」や「早食い」があちこちで行われる中、「手打ち」の大会が初めて出てきました。文中ではサラッと流されていますが、ちょっと内容が気になるところです。やりようによっては、今でも目先の変わったイベントにできそうな気もしますが、どうでしょう。

「讃岐うどん」といろんな人の話題

 続いて、「讃岐うどん」に絡んだいろんな「人」の話題が数本、記事になっていました。まずはおなじみ、讃岐うどん研究会の真部先生を紹介した記事から。

(1月27日)

コラム「時の人」
讃岐うどんを世界へ、と英文パンフを作製した真部正敏さん
原料にも注文をつける香大教授

 「うどん文化の伝統を守り、技術を発展させ、海外にも讃岐うどんの味を伝えたい」。そんな思いからうどんの作り方や歴史を紹介する英文パンフレットを作製した。東南アジアなどから来ている留学生を対象に手打ちうどん作り講習会も計画している。「留学生が讃岐うどんの味を故郷に持ち帰ってくれれば…」と「世界に広がる讃岐うどん」の夢を膨らませる。

 香川大学農学部の教授として食品貯蔵加工学を教える傍ら、「さぬきうどん研究会」の会長も務める。香川県民約5000人を対象に実施したうどんに関するアンケート調査では、約9割が「うどんが好き」と回答する。一方で「もっとこしの強いうどんを食べたい」「国内産小麦で作ってほしい」など、うどん好きの県民の間にさまざまな不満のあることも分かった。

 研究はうどん原料の小麦、塩、水、薬味、作り方、さらにうどんのルーツを探ることまでに及ぶ。庶民に根付いたうどん文化を、英文パンフにして5000部を作製。企業の海外支店や留学生に配布した。研究会の会員は主婦、サラリーマンなどにすそ野が広がり、約220人が参加している。「研究の幅は広がったが、まだ課題は無限にある」と言う。

 例えばうどんの原料。現在、小麦粉の9割はオーストラリア産。「これでは讃岐うどん特有の香り、のどごしのよさが出ない。何より香川県産小麦が少しも入っていないうどんを讃岐うどんと言えるのか」と手厳しい。オーストラリア産に負けない小麦づくりの研究にも打ち込んでいる。趣味は特になく、研究一筋。その半分以上はうどんに関することで「うどん店を訪れてはダシや麺の作り方をアドバイスしてしまう。研究を始めてからうどんの味を楽しめなくなった」と苦笑する。

 記事中にある「香川県民約5000人を対象に実施したうどんに関するアンケート調査」は真部先生が昭和58年に行ったものですが(「昭和58年」参照)、そこから話は「県産小麦の奨励」に発展し、ついに「オーストラリア産小麦は讃岐うどん特有の香りやのどごしが出ない」「香川県産小麦が入っていないうどんは“讃岐うどん”と言えるのか」という、少々先鋭的な(?!)論調に進んでいきました。そして、真部先生は県行政やうどんの組合等にもかなり関わりをお持ちでしたので、おそらくこの流れの延長線上で、2000年に香川県産小麦の「さぬきの夢2000」が世に出たと言えます。

 ただし、その時に「さぬきの夢2000で作ったうどんこそが本物の讃岐うどんだ」という紹介文が一部で見られたため、オーストラリア産小麦のうどんで「讃岐うどん巡りブーム」を牽引した人たちから「我々のうどんはニセモノか?」という声も聞きました。幸い、そうした声は「本物だ、ニセモノだ」の大きな論争にならずに“大人の対応”で収まったようですが(笑)、まあ、どっちがどうだというより「選択肢が増えた」ということで、後はユーザーのニーズに任せる方が健全なマーケットだとしておきましょう。

 続いて、高校生による「未来の香川を考える」と題した座談会の中に、讃岐うどんに対する意見が載っていました。

(4月10日)

紙上座談会・高校生サミット「未来の香川を考える」
香川を代表する文化は”さぬきうどん 技と共に文化を愛する心が肝心

ーーみなさん香川を代表する文化って何だと思いますか。…(中略)…食の文化という捉え方で、さぬきうどんというのはどうでしょう。
J 賛成。文句なし。
K 僕も。瀬戸大橋開通後、高すぎるうどん店が出てきたりしましたが、従来の安さとうまさがある限り、うどんは不滅の文化です。
L そうですね。何より県内のうどん店の多さが、それを証明してますよ。
M もっと世界的にアピールしたら、イタリアのスパゲティみたいに愛されるようになるかもしれないですよ。
N うどんに賛成しつつ、丸亀のうちわもプラスしたい。でも、こうして考えてみると香川の文化って少ないですね。伝統を守り育てることも大事だけど、それ以上に独自文化を創り出すことを心がけていきたいと思います。
…(以下略)…

 見出しに「香川を代表する文化は”さぬきうどん」と出ていましたが、讃岐うどんに関する発言はこれだけでした。ほとんど中味はありませんが、ま、高校生ですからこんなものでしょうか(笑)。

 続いて、高松国税局長さんの随想寄稿の中に「讃岐うどん」についての記述がありました。

(4月17日)

コラム「月曜随想」/人生雑感 さぬきつれづれ(高松国税局長)

 四国といえば八十八か所。さぬきといえばうどんとなるが、そこはやはり香川県では、金毘羅さんに栗林公園、そして屋島というのが名所旧跡としての全国区。今はこれに加えて瀬戸大橋である。昨年、瀬戸大橋開通に湧く香川県高松市に任地を得て、東京から新幹線を乗り継ぎJRで瀬戸大橋線を渡り着任した。…(中略)…

 瀬戸大橋の建設に従事した技術労働者が、さぬきうどんの本場の味が忘れられず、県外に去ってからも「うどん送れ」の注文が多いという。全国各地を回ってみたが、うどんはやはりさぬきのうどんが一番である。食い倒れの大阪にもさぬきうどん店はある。味にうるさい街ではあるが、やはり本場のものとは違う。うどんの作り方が違うのだ。春夏秋冬の時節に合わせ、天気予報にも耳を傾けながら、塩加減を変え、粉の練り加減にも足踏みなどの工夫を凝らし、ゆで方もそれぞれの店で、長年の経験からの秘伝があると聞いている。うどんは「香り」「粘り」「こし」が生命だと食通が教えてくれたが、「釜揚げ」は素朴でその微妙な味わいがすばらしい。少し太り気味の下腹を気にしながら、毎日、本場さぬきうどんに舌鼓をうっている。…(以下略)

 「県外から香川に赴任してこられた偉い方に香川県のいろんなことを伺う」という、四国新聞の定番企画です。県外から香川に来られた偉い方は大体どなたもよく似た話をされますが、「瀬戸大橋の建設に従事した技術労働者がさぬきうどんの味を忘れられない」といった小ネタが入っていました。

 そしてもう一つ、仏生山の法然寺と「うどん」の話が載っていました。

(6月7日)

コラム「一日一言」

 高松市の南約5キロのところに法然寺はある。高松藩祖・松平頼重入封以来、十一代、228年続いた松平家の菩提寺である。同寺境内には植物好きの細井俊明住職が植えたメタセコイア(あけぼの杉)が100本あまり、大きく高く天に向かって伸びている。そのメタセコイアの並木に抱かれるように、竜雲あけぼの学園はある。細井住職は同学園の園長さんだ。同園の主な実習科目は花卉(き)園芸で、栽培から販売まで園生自身の手で行われる。その行為の中から社会とのかかわりを深め経済の勉強まで体験しようというわけだ。

 実習の中にふるさと名物の手打ちうどんの科目が取り入れられ、園生たちは張り切っている。それは将来、自立へのはっきりした目標と希望があるからである。 近くに住むうどん作りのベテラン・松野サチ子さんの指導に積極的な意欲で取り組んでいる。「ふるさとの味で社会の仕事場に出ていくのだ」という明るい展望に包まれている。…(以下略)

 法然寺の境内にある「竜雲うどん」は、この翌年の平成2年のオープンですから、このあたりの活動が店舗につながっているのかもしれません。

当時の「讃岐うどん」の概況をまとめた記事が2本

 年度初めと年末に、讃岐うどんの概況が特集記事でまとめられていました。まずは4月、瀬戸大橋開通1年後の讃岐うどんに関する評論。

(4月10日)

特集「Heart愛Land四国」/讃岐っ子は無類のうどん好き そのうまさは全国へ浸透

 「喫茶店でうどんが出た」。香川を訪れた観光客のこんな驚きの言葉が、讃岐うどんの浸透ぶりを語る格好のエピソードとして長く使われている。それもそのはず、うどん店は高松市内だけでおよそ700店。統計を調べてないので比較できないが、印象だけなら喫茶店よりその数は多そうだ。「1日一度はうどんを食べないと調子がおかしい」というファンも少なくない。近年、県外にも「讃岐手打うどん」の看板を掲げる店が増えた。まさに、うどんは香川が誇る食文化に成長したといっていいのだろう。

<讃岐うどんが世界を制す!?>

 この讃岐うどん、昨年の瀬戸大橋開通で新たな脚光を浴びつつある。郊外にはしゃれたレストランスタイルのうどん店が次々に建ち並び、土産物の売れ行きも急上昇という。一方で、観光客目当てに一杯600円という法外な値段の素うどんが登場してひんしゅくを買ったのも記憶に新しい。「評判ほどおいしくない」といった県外客の不満も聞こえてくる。

 「残念なことですね。一過性の観光ブームに浮かれて、今まで築いてきた基盤を見失ったということでしょうか。同じ業者として反省の必要ありです」。県内外に幾つかの店を持つ高松市内のうどん店経営者はこう嘆いた。この社長さん、マカロニやスパゲティが世界を制したように、ゆくゆくは讃岐うどんを世界に広めようという壮大な夢の持ち主。ブームに浮わついている業界の現状が歯がゆくて仕方がないらしい。「いわゆる”うどん屋”は讃岐の人々にとって長い間、ふれあいと情報交換の場だった。こうした伝統の土壌を現代的なスタイルのうどん店によみがえらせると同時に、時代が求める味を敏感にキャッチしていかないと」

 時あたかもグルメ全盛時代。底の浅いブームに無理に乗っかかることはないが、もっとトレンディーな讃岐うどんもあっていい。この社長さんの指摘を待つまでもなく、たしかにしゃれたうどん店は増えたけれど、どうもメニューに新味が足りないのではないか。私たち若い世代にラーメン党が多く、うどんがどちらかといえば年輩向きのイメージから脱しきれないのも気にかかる。生意気を承知で言わせてもらえば、「うどん屋さん、メニューや店づくりにもっと工夫をこらして」。

 冒頭から「うどん店は高松市内だけでおよそ700店」という、これまで何度か掲載された県の商業統計(そば・うどん店は県内で599店)を無視した数字が出ていますが、実はこの記事が出たわずか3日前の同じ四国新聞に、その商業統計の数字がまた掲載されたばかりです。

H元年記事・レジャー人口とうどん店数

H元年記事・レジャー人口とうどん店数(部分)

 さらに「年の統計を調べてないので比較できないが、印象だけなら喫茶店よりその数は多そうだ」とまで書かれていますが、3日前に喫茶店の数がそば・うどん店の3倍もあることがちゃんと載っています。どうしたことでしょう(笑)。ま、それはさておき、この評論の要旨は、

・瀬戸大橋ブームに乗っかって法外な値段の素うどんが出たり、味も落ちたりして、観光客に評判が悪い。
・そんな状況に対して大手うどん店の社長が苦言を呈している。
・香川のうどん店は、トレンディーなメニューや店作りにもっと工夫を凝らすべきだ。

という内容ですが、残念ながらこの10年後に「トレンディーでない店のシンプルなうどん」が空前の「讃岐うどん巡りブーム」を起こすという、皮肉なことになってしまいました。

 続いて、「特産品探訪」という連載企画に「さぬきうどん」の回がありました。

(12月25日)

連載「特産品探訪」/さぬきうどん
気候風土が育てる 機械化で手打ち姿消す

 特産品の雄は、何といっても「さぬきうどん」だろう。63年度生麺の生産量は全国の19.1%、ゆで麺は5.0%。札幌ラーメン、信州そば、名古屋のきしめん、長崎チャンポンメンに優るとも劣らない。郷土の伝統食品を文化としてとらえ、いろいろな視点から見据え、考えていこうと昭和59年1月に発足した「さぬきうどん研究会」の会長、真部正敏香川大教授の調査によると、県民の92.8%が「うどん好き」。「嫌い」は5.1%、食べる回数は「毎日」が11.7%、「週に数回」が42.3%。半数が「うどんなしでは日が暮れぬ」だ。

<一人年120玉>

 同研究会の会報によると、県民1人当たりの年間消費量は120玉、2位群馬(41玉)の3倍、最も少ない千葉(8玉)の15倍。数字が”うどん王国”ぶりを裏付けている。生麺、ゆで麺製造業者は、今年3月末現在293。ところが、喫茶店のメニューにうどんがあり、年越しそばの代わりにうどんを食べるお国柄か、うどん屋さんとなると2000とも3000とも4000ともいわれ、確たる数字はない。

 これほどまでに普及したうどん、そのルーツは中国で、今から1200~1300年前に日本へ伝えられたといわれる。最初は小麦粉を丸めて煮た団子のようなもので「混沌(こんとん)」と名付けられたが、その後「温飩(おんとん)」「饂(うん)とん」を経て「うどん」に。現在のような麺になったのは江戸時代といわれ、元禄時代にはこんぴらさんにうどんがあった記録がある。

 うどんが、なぜ県下に根づいたのか。真部教授は「気候風土が育てた」という。すなわち温暖寡雨の瀬戸内式気候が、原料の小麦、塩を生産。伊吹島のイリコがだしの素に。半面、水不足による凶作で米に頼る暮らしが成り立たず、主食に代わる食べ物になったという背景もある。それが農村の生活行動と結びつき、半夏生、虫送り、冬至や寺の報恩講、法事などに欠かせない料理となった。「”うどん”というネーミングもよかった」。

<生命は塩かげん>

 うどんの生命は”土三寒六”といわれる塩かげん。塩一に対し、水は夏三、冬六の塩水で小麦粉を練り、生地(団子)に対して1、2時間熟成。足踏みでよくこね、打って切断、ゆで上げると、手打ちうどんの出来上がり。しかし、最近は機械化が進み、手打ちはほとんど姿を消した。43年1月、生地の足踏みが「衛生的でない」との理由から食品衛生法施行細則で禁止されて以後、ますます拍車。鳥塚晴見県生麺事業協同組合理事長は「今”手打ちうどん”と銘打っているうどんも、厳密にいえば”手打ち式””手打ち風”だ」という。

 43年6月、NHKの宮田輝アナウンサーが「のど自慢」で紹介して以来、一躍全国ブランドにのし上がったさぬきうどんだが、「若い人のうどん離れに、いかに歯止めをかけるか。全国的に競争激化となった今、いかに讃岐独特の味を守っていくか」(鳥塚理事長)がこれからの課題といえそうだ。

 ここでも導入に真部先生の5年前のアンケート調査が使われていますが、本編は特に新しい視点はなく、これまでよく言われてきたことをなぞっているだけの解説です。ただし、うどん店の数については「2000とも3000とも4000ともいわれ、確たる数字はない」という、この期に及んでは少々ひどい(笑)記事が載っていました。また、後段に「生地の足踏みが食品衛生法施行細則で禁止されて」とありますが、こちらもうどん関係者等の間では「禁止令が出たわけではない」という方もたくさんおられ、ここで「禁止された」と断定されていいものかどうか、ちょっとよくわかりません。

 ちなみに、中段あたりに「伊吹島のイリコがだしの素に」とあります。これまで香川のイリコは東讃と小豆島が盛んに新聞で取り上げられていて「伊吹のイリコ」はほとんど出てこなかったのですが、ここで何の注釈もなく出てきたということは、平成元年時点では「うどんダシのイリコと言えば伊吹」という認識が定着していたようです。ここまで本稿で東讃や小豆島のイリコの記事が出るたびに「伊吹のイリコはまだ新聞で大きく紹介されてこない。続報を待て」と書いてきましたが、続報もなく「伊吹イリコの時代」になっちゃったみたいです(笑)。

 あと、最後に出てきた「43年6月、NHKの宮田輝アナウンサーが『のど自慢』で紹介して以来…」というのは、当時絶大な人気を誇っていたNHKの「ふるさとの歌まつり」という全国各地を巡る歌番組が香川に来た時、司会の宮田輝アナウンサーが満濃の「長田うどん」を紹介して大きな話題になったという話。ただし、あれがここに書かれているように讃岐うどんを全国ブランドに押し上げたのかどうかについては、当時筆者は社会に関しては全く浅はかな12歳だったので、何とも言えません(笑)。

「ドジョウ汁(うどん)」が大活躍

 「ドジョウ汁(うどん)」による慰問や激励の記事が5本も見つかりましたので、一挙にどうぞ。

(7月11日)

スタミナつけ1勝を 高松高専、ドジョウ汁で野球部激励

 夏の高校野球香川大会を目指して猛練習する高松高専野球部のナインに9日、有志が手作りのドジョウ汁を振るまい激励した。この有志は鎌田監督の知人で国分寺町の○○○○さん(42)、○○○さん(41)、○○○○さん(41)の3人。朝早くから材料の買い出しに出かけ、ナインが練習している横でせっせと調理。沸騰したなべに体長15センチほどの生きたドジョウ約500匹を入れ、うどんを加えて煮込んだ。○○さんらによるドジョウ汁の激励は、春の県大会前に続いて2度目で、手順もなかなか手慣れたもの。2時間ほどでおよそ40人分のドジョウ汁が出来上がり、昼食代わりにナインに振るまった。…(以下略)

(7月14日)

選手に郷土料理を ドジョウ汁作りに挑戦 国体に向け仲南で講習会

 花づくりと郷土料理研究に取り組んでいる仲南町中央婦人学級・総合講座生の主婦ら40人が12日、スタミナ料理のドジョウ汁作りに挑戦した。同総合講座では、国体県内開催に備えて家庭の主婦たちが家庭園芸や郷土料理の作り方をマスターして選手たちを歓迎するよう準備しておこうと、同町中央公民館で毎月講座を開いて腕を磨いている。同日は、県仲多度郡農業改良普及所の森川技師を招いてドジョウ1キロ、うどん粉2キロに油揚げ、ゴボウ、サトイモ、ナスなどを材料にして直径が1メートルもある鉄鍋でドジョウ汁作りに汗を流した。…(以下略)

(7月28日)

スタミナ源にはドジョウ汁 ボランティア協、綾南署を慰問

 「スタミナつけて、がんばって」と綾南ボランティア協議会が26日、綾南署へ「ドジョウ汁慰問」を行った。同協議会の夏のスタミナ慰問は16回目、すっかり年中行事化して署員も楽しみにしている。同会のメンバー18人は午前9時から同署中庭に大釜2基を据え、ドジョウ4キロと季節の野菜を持ち込み、綾南町うどん研究会の応援でうどん10キロを打った。集まった全署員37人が中庭で炊きたてのドジョウ汁に舌鼓を打っていた。

(9月11日)

ドジョウ汁で交流 外国の研修生大喜び(綾上) 

 今年6月に来日、県海外技術研修生として県内の民間事業所などで研さんを積んでいる海外の若者13人が9日夜、綾上町内で讃岐名物のドジョウ汁に舌鼓を打った。招いたのは仲西秀信県議。「ドジョウ汁も日本の文化の一つ。ぜひご賞味を」と昨年に続いて催した民間交流で、研修生は「讃岐うどん、おいしい」と遠来の客をもてなす地元民とともに2杯、3杯とお代わりしながらお国自慢に花を咲かせた。

 訪れたのは県農業試験場やJR四国、民間企業などで研修している梁正偉さん(27・中国)らフィリピン、スリランカ、ペルーなど10カ国、13人の若者。昨年、仲西県議が昭和63年度の研修生をドジョウ汁で接待したところ、帰国時に「一番忘れられないのがアットホームなドジョウ汁」とまんざら社交辞令でもない謝辞を受け、「それなら今年も」と日程を調整。週末を利用してにぎやかな”友好の会食”が実現した。

 一行は午後4時過ぎに同町山田上の同県議宅を訪れ、うどんを打つ下準備から参加。「日本のスタミナ源、なかなか手間かかる」と周囲を笑わせながらも、自ら野菜を切り、慣れない麺棒を器用に使うなど旺盛な好奇心を発揮した。1時間半後には2つの大釜にミソ、野菜がたっぷり入った60人分のドジョウ汁が炊きあがり、地元民20人も加わってにぎやかに会食。中でもブラジルの日系三世長尾セリアさん(26)の祖父藤太郎さん(86)は綾上町出身で、長尾さんは地元民から祖父の若かりし頃の写真を見せられ感激。しっかりと古里の味を胸に刻み込んでいる様子だった。

(12月22日)

ドジョウ汁で鋭気養って 高松南署員へ 交通安全母の会

 年末年始の特別警戒に当たっているお巡りさんに鋭気を養ってもらおうと21日、高松南署管内の高松市交通安全母の会の代表者が同署に大釜を持ち込み、署員150人に手打ちうどんのドジョウ汁を振る舞った。このもてなしは、同母の会会長13人が毎年この時期に催している恒例慰問。多肥校区会長の喜多和子さんらは、午前9時ごろから同署新館1階の車庫に陣取り、1メートルもある大釜2基を据え付け、下準備。ドジョウ5キロの他、うどん350玉とニンジン、サトイモなどを用意、じっくりと煮込んだ。正午には、署員らが車庫内に漂うおいしそうなにおいに誘われ、待ち兼ねたように集合し、早速、ドジョウ汁に舌鼓。温かい心尽くしに署員は「元気が出ます」と大喜び、深夜まで及ぶ特別警戒に鋭気を養っていた。

 高校野球部に、国体選手に、おまわりさんに、外国人研修生に、「ドジョウ汁」慰問が相次いでいます。ちなみに、入れるドジョウの量の単位が「匹」と「キロ」になっていて比べにくいので、大体全部中サイズ(約13センチ)だとして換算してみると以下のようになりました。

●高松高専野球部へ…約500匹
●仲南の講習会で……約150匹(1キロ)
●綾南署員へ…………約600匹(4キロ)
●高松南署員へ………約750匹(5キロ)

 高松高専野球部への記事中に「体長約15センチに成長したドジョウ」とありますから「匹数」はこれより少し少なくなるかもしれませんが、仲南の講習会を除くと、ドジョウ汁の慰問にはそれぞれ大体500匹ぐらいのドジョウを持って行っていると思われます。なんかこれ、全国的にもすごい文化みたいです。

*****

 その他の「うどんによる慰問」の記事は、以下の2本が載っていました。

●(2月10日)…多度津中学校の1、2年生有志44人が特別養護老人ホーム「桃陵苑」を訪れ、180玉のうどんを作ってお年寄りを慰問。
●(11月23日)…豊中中学校の2年生41人が養護老人ホーム「七宝荘」を訪れ、300玉のうどんを作ってお年寄りを慰問。

 また、子供たちのうどん作り行事の記事も4本ありました。

(2月9日)

ゆとりの時間にうどん打ち修業 お年寄りが伝授(善通寺中央小)

 地域のお年寄りたちとの交流を深めながら昔から受け継がれているふる里の味や遊具づくりを学ぼうという催しが7日、善通寺市立中央小学校で行われた。同校では、中央地区が市の青少年健全育成モデル地区に指定された数年前から、ゆとりの時間などを利用して行っている。同日は中央長寿会(入江幸三会長)のお年寄り12人が指導者となり、6年生103人が3クラスに分かれて指導を受けた。児童たちは、うどん粉を練って、麺棒で打ち延ばして懸命にうどんづくり。出来上がった約300個のうどん玉は、お年寄りや先生を囲んで舌つづみを打った。

(7月8日)

わぁ!! おいしそう 観音寺中部中、「ゆとりの時間」に手打ちうどん作る

 観音寺市柞田町の観音寺中部中学校(隈川滝男校長、生徒830人)2年生263人が6日、「ゆとりの時間」で手打ちうどん作りの体験学習をした。生徒たちは運動場で一班6人編成、42班に分かれ、一班が2.5キロのうどん粉を使って、教室から持ち出した机の上で手打ちうどん作りに挑戦。麺棒で練り玉を伸ばし、包丁で頃合いの太さに切った後、鍋でゆで、おいしそうな手打ちうどんを次から次へと作り上げていた。手打ちうどんに挑戦した2年生は、この日が2回目の体験。うちリーダー42人はこれまで市内の手打ちうどん業者から指導を受けているとあって、鮮やかな手つきで各班の指導的役割を果たしていた。出来上がったうどんは全員で試食、残りは家庭に持ち帰った。

(10月23日)

「学園だより」…育てた小麦でうどんを作る(栗熊小)

 綾歌町栗熊小学校の6年生はこのほど、自分たちで収穫した小麦を使ってうどん作りに挑戦しました。0.5アールのふれあい農園から13キロの小麦を収穫、石臼で作った5.5キロの小麦粉を手打ちうどんにしました。うどん作りは、ボランティアグループ「碧空会」の指導を受け、農園の粉と買った小麦粉の両方を使って打ちました。「手作りの粉は色黒だったが、しっかりした腰があっておいしい」と6年生たちは自慢していました。この日、うどん作りを見学した1年生もいっしょに試食しました。…(以下略)

(12月14日)

うどんづくりに”汗” 白鳥・高齢者学級 親睦深める

 白鳥町の白鳥公民館で活動する白鳥高齢者学級のお年寄りたちが15、16の両日、手づくり料理教室を開催。エプロン姿のおじいちゃん、おばあちゃんたちが、手打ちうどんづくりに挑戦した。昔の生活を懐かしみながらお年寄り同士の親睦を深めようと、定期的に開いている料理教室。学級生60人が腕を振るった。県大川農業改良普及所の佐々木ミヨ子主席普及員の指導で、小麦粉を足で踏んだあと、麺棒で丹念に延ばして生地づくり。”こし”の強いうどんを作ろうと、お年寄りたちはみんな汗だく。細く切りそろえたあと、上手にゆで上げ、2日がかりの自信作をつくり上げた。ほとんどの参加者は手打ちうどん作りは初めてとあって、予想以上に体力のいる作業に驚いた様子。コンブでだしをとったあと、試食会で舌つづみを打ちながら昔話に花を咲かせた。

 キーワードは、「子供とお年寄りの交流」と「ゆとりの時間」の2つ。1980年度から小、中、高校で随時始まったいわゆる「ゆとり教育」ですが、その評価はともかく、子供たちにはいい思い出になったことと思います。

バブル絶頂期を迎え、広告本数もさらに増加!

 冒頭で触れたように、この年(1989年)はバブル景気の絶頂期ですが、翌1990年3月に大蔵省銀行局(現金融庁)から「土地関連融資の抑制について」という、いわゆる「総量規制」が出されて、そこから一気にバブル崩壊が始まろうとは誰も思っていませんでした。いや、みんな薄々「こんな状態がいつまでも続くわけがない」とは思っていたはずですが、特に“土地バブル”に踊った方々の多くはもう「買っちゃったら売り抜けるまで止まれない」状態になっていたので、「“崖に向かって突っ走る”しかない、ギリギリまで突っ込んで落ちる前に止まるぞ」という“チキンレース”の様相を呈していたのでした。そんな中、四国新聞に載ったうどん関連広告の本数は前年(237本)をさらに上回る252本を記録しました(ただし、当欄が数えた数字ですので厳密な数字ではありませんが)。

<県内うどん店>
【高松市・中心部】

「かな泉」(高松市大工町他)……… 33本 12月16日空港店オープン
「川福」(高松市ライオン通)…………9本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他)…9本 6月22日三木店オープン
「久保製麺」(高松市番町)……………3本
「源芳」(高松市番町)…………………3本
「井筒製麺所」(高松市西の丸町)……2本
「松下製麺所」(高松市中野町)………2本
「番丁」(高松市番町他)………………2本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………2本
「すゑひろ」(高松市中野町)…………2本
「こんぴらうどん」(高松市古馬場町)2本 7月26日オープン
「秀」(高松市八坂町)…………………2本
「上原製麺所」(高松市栗林町)………1本
「さか枝」(高松市番町)………………1本
「あわじ屋」(高松市丸の内)…………1本
「三福」(高松市兵庫町)………………1本
「こんぴらうどん」(高松市番町)……1本
「めん」(高松市中央町)………………1本
「誠」(高松市亀岡町)…………………1本
「丸山製麺」(高松市宮脇町)…………1本
「やまよし」(高松市扇町)……………1本
「多喜家」(高松市鍛冶屋町)…………1本

【高松市・郊外】

「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 20本 4月26日こんぴら丸店オープン 12月16日空港店オープン
「大島製麺」(高松市太田上町)………4本
「川島ジャンボうどん」(三谷町)……3本
「屋島麵業」(高松市高松町)…………2本
「得得」(高松市勅使町)………………2本 8月1日オープン
「馬渕うどん店」(高松市太田下町)…1本
「中西製麺所」(高松市松並町)………1本
「花ざかり」(高松市十川東町)………1本
「あづま」(高松市林町)………………1本
「善や」(高松市新田町)………………1本
「ばら本陣」(高松市川島本町)………1本
「古川食品」(高松市川島東町)………1本
「元」(高松市一宮町)…………………1本
「なかにし」(高松市鹿角町)…………1本
「桃太郎館」(高松市鬼無町)…………1本
「ヨコクラうどん」(高松市鬼無町)…1本
「華やぎ」(高松市西町)………………1本
「ひょうげ」(高松市仏生山町)………1本

【東讃】

「寒川」(三木町)………………………3本
「八十八庵」(長尾町)…………………2本
「六車」(白鳥町)………………………1本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「吉本食品」(大内町)…………………1本
「亀城庵」(志度町)……………………1本
「池田家」(長尾町)……………………1本 7月22日オープン
「おかだ」(長尾町)……………………1本
「入谷製麺」(長尾町)…………………1本
「野田屋」(長尾町)……………………1本
「いわせ」(長尾町)……………………1本
「郷屋敷」(牟礼町)……………………1本
「牟礼製麺」(牟礼町)…………………1本
「つゞみ屋」(牟礼町)…………………1本
「味呂」(庵治町)………………………1本
「かみなりうどん」(三木町)…………1本
「十河製麺」(三木町)…………………1本
「山進」(香川町)………………………1本
「まつした」(香川町)…………………1本

【中讃】

「小縣家」(満濃町)……………………4本 10月20日新築オープン
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………3本
「こんぴらうどん」(琴平町)…………2本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………2本
「金山奉行」(坂出市)…………………1本
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……1本
「上原製麺所」(坂出市室町)…………1本
「てっちゃん」(坂出市)………………1本
「町川」(坂出市青海町)………………1本
「田家」(宇多津町)……………………1本
「虎屋」(丸亀市原田町)………………1本
「亀山」(丸亀市原田町)………………1本
「かたや」(多度津町)…………………1本
「畑田」(綾南町)………………………1本
「讃岐うどん舎」(善通寺市吉原町)…1本 10月6日オープン
「カガワ食品」(善通寺市文京町)……1本
「宮武うどん」(琴平町)………………1本
「こんぴら丸」(満濃町)………………1本
「かりん亭」(満濃町)…………………1本 4月5日オープン

【西讃】

「将八」(観音寺市)……………………8本
「六ツ松亭」(高瀬町)…………………1本
「上杉食品」(豊中町)…………………1本
「うどん太郎)(観音寺市植田町)……1本

<県外うどん店>

「大阪川福」(大阪市南区)……………2本
「玉藻」(東京都新橋)…………………1本
「めん坊フーズ」(京都市上京区)……1本

<県内製麺会社>

「藤井製麺」(三木町)……………… 11本
「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)… 6本
「石丸製麺」(香南町)…………………5本
「日糧」(詫間町)………………………3本
「金毘羅醤油」(琴平町)………………2本
「国方製麺所」(高松市多肥上町)……1本
「北山製麺所」(高松市鬼無町)………1本
「三野製麺所」(香川町)………………1本

<県内製粉会社>

「日讃製粉」(多度津町)………………2本
「吉原食糧」(坂出市青葉町)…………1本
「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本
「大喜多製粉所」(宇多津町)…………1本
「豊国製粉所」(観音寺市粟井町)……1本
「安田製粉」(内海町)…………………1本

<その他うどん業界>

「加ト吉」(観音寺市観音寺町)…… 20本
「さぬき麺機」(高瀬町)………………3本
「ピギー食品」(詫間町)………………2本
「香川県生麺事業協同組合」……………2本

 それぞれのエリアや分類の中の一番上にいる(広告本数が一番多い)店や企業が、何となくそのカテゴリーの中で一番活発な店(企業)だと捉えれば、この年は過去最多の広告本数を記録した「かな泉」と「加ト吉」が一番目立った年。次いで、「さぬき麺業」「将八」「藤井製麺」がかなり積極的に広告を展開していました。

 では、この年に掲載されたオープン広告などをまとめておきます。

●「さぬき麺業(こんぴら丸内)」(満濃町)… 4月26日オープン

 広告は、「こんぴら丸」の求人広告と1階うどん店を経営する「さぬき麺業」のオープン広告の2本。ただし、広告文には「さぬき・こんぴらうどんの店」と載っていて、「さぬき麺業こんぴら丸店」という名前はありません。「こんぴら丸」の1階うどん店は後に「八十八」(「はとば」と読む)という名前で営業していましたが、いろいろ経緯があったのかもしれません。

H元年広告・さぬき麵業こんぴら丸オープン

H元年広告・こんぴら丸求人

●「さぬきうどん・三木店」(三木町)…6月22日オープン

H元年広告・さぬきうどん三木店オープン

●「池田家」(長尾町)…7月22日オープン

H元年広告・池田家オープン

●「こんぴらうどん」(高松市古馬場町)…7月26日オープン

 「細切りざるうどん」でおなじみの高松ライオン通「こんぴらうどん」がオープンしましたが、広告のコピーが「すでにウドンと一体化している“森の石松”氏(イラスト付き)」とか「こんぴら400年の技 逆さうどん喰い!(フィクション)」とか、ずいぶんハジケてるというか、あんな上品なお店なのにこんな“変キャラ”のオープン広告を出していました(笑)。コピーの末尾に「店主敬白」とありますが、筆者は担当のコピーライターが悪ふざけしたのではないかとにらんでいます(笑)。

H元年広告・こんぴらうどんオープン

●「讃岐うどん舎」(善通寺市吉原町)…10月6日オープン

「自然食上水本場・讃岐手打ち生西洋うどん」という珍しいキャッチが付いています。「生うどんの実演試食即売会」とあるので、うどん店ではなく「お土産うどん」の新発売かもしれません。

H元年広告・讃岐うどん舎オープン

●「小縣家」(満濃町)…10月20日新築オープン

H元年広告・小縣家オープン

●「高松空港ビル」さぬき麺業・空港店」(高松市香南町)…12月16日オープン

 空港ビルのオープン広告の中に、「うどん店グループ」として「かな泉」と「さぬき麺業」と「高松商運」の名前がありました。ビル内にうどん店が3店同時オープンしたようです。

H元年広告・空港ビルオープン

●「かな泉・空港店」(高松市香南町)…12月16日オープン

 「かな泉・空港店」は単独でもオープン広告を出していました。

H元年広告・かな泉空港店オープン

●豆冨料理「玉川」の「とうふうどん」。

 高松市瓦町にあった豆冨料理の「玉川」が、広告の中に「とうふうどん」を打ち出していました。豆腐を練り込んだうどんというより、「豆腐で作ったうどん」と言うべきユニークなヘルシーうどんでした。

H元年広告・とうふうどん

●香川県生協の「冷凍讃岐うどん」。

 香川県生協の冷凍うどんの広告なのに、登場しているのは「かな泉冷凍うどん工場」の工場長さん。これにはわけがありまして、実は当時の「コープの冷凍うどん」も「かな泉の冷凍うどん」も、通の間で「香川の冷凍うどんの中で断トツにうまい」と評判だったあの「ピギー食品」の流れを汲む「日清冷凍食品」(後に「四国日清冷凍」から現「四国日清食品」)のOEMグループだったからです。ただし、この広告では「何で生協の冷凍うどんの広告にかな泉?」という疑問しか残りませんが(笑)。ちなみに、この広告商品は新工場の生産ですが、さすがに抜群のうまさでした。

H元年広告・コープ冷凍うどん

(平成2年に続く)

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