さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.44 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和61年(1986)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 44
  • 2021.12.09

大きな動きはないが、小さなチャレンジがいくつか

 昭和61年の讃岐うどん界は、特に大きな事件や話題は見られませんでしたが、民間レベルで新商品の開発や新システムへの挑戦などがあり、飯山町が「どじょう汁日本一大賞」を開催したり「うどんで瀬戸大橋を作る」というパフォーマンスがあったりと、小さなチャレンジがいくつか見受けられました。しかし一方で「さぬきうどんラリー」の参加店が減り、うどん関連広告の本数も2年連続減少するなど、経済面では少し陰りも窺えます。では、いつものように新聞からうどん関連記事を拾っていきましょう。

県産小麦で作ったうどんの試食検討会を開催

 行政と学識経験者とうどん業界関係者の“官・学・産”27人による、県産小麦を使ったうどんの試食検討会が開催されました。試食「検討会」となっていますが、冒頭から「県産小麦の使用割合を増やす」という方向性が掲げられていますので、実質は県産小麦の「推進検討会」です。

(2月18日)

風味豊かな讃岐うどん 県内産小麦の割合増やす ”通”の27人が試食(高松)

 県内産小麦の使用割合を増やして名実ともに「讃岐うどん」の普及を、と17日、高松市のさぬき荘で「さぬきうどん試食検討会」が開かれ、”うどん通”の27人が味くらべを行った。

 県産の小麦は現在、年産約1万1000トン。しかし、このうちうどんに回されるのは約1400トンで、県農林部の推計では地粉(他県産も含む)の割合は20%程度。ほとんどはオーストラリア産が使われているが、これは県産の小麦は皮が軟らかく、出来上がったうどんが黒っぽくなり、独特の香りも出るためとみられる。一方で、各製造店は製粉会社から送られる小麦の産地別割合を知らず、メーカーまかせとなっている現状もある。

 同日の試食検討会には県農林部、学識経験者、製粉製麺組合、生麺事業組合などから27人が出席。県産の地粉を30、50、100%の割合で作った「できたて」、「製造後2時間」の二通りの区分で比較を行った。比較は外観、光沢、食感、風味、総合の5項目でチェックされた。集計結果は後日、集計のうえ参考資料として関係者に提供される予定だが、委員の一人、北川保夫・北川料理学校長は「大きな違いはないが、地粉100%が、ややうどん臭が強い。30~50%が一般的で、100%の場合は客に出すタイミングが重要になると思う」と話していた。また真部正敏香大農学部教授(さぬきうどん研究会会長)は「外観や光沢にさほどの違いはないと思うが、風味だけは大きな差がある。今のうどんに欠けているのが、この風味の問題だと思う」と印象を話していた。

 まず、記事の前半で、いくつかデータが出てきました。まず、「県産小麦は年産約1万1000トン」とあります。香川県の小麦の収穫量の推移(県の統計資料より)はこれまで何度かグラフで紹介した通り、

(1)「最盛期」(昭和33年~43年)…年産2~3万トン以上を記録(ピークは昭和36年の5万トン超)。
(2)「壊滅期」(昭和45年~55年)…年産1000~2000トン程度にまで落ち込む。
(3)「回復期」(昭和59年~平成2年)…年産1万1000~1万4000トン程度に回復。
(4)「停滞期」(平成3年~)…年産1万トン未満で推移。

という4つの局面があり、この年(昭和61年)は第三局面の「回復期」にあります。ただし、この新聞には昭和61年の県産小麦収穫量が「約1万1000トン」と書かれていますが、県の統計資料には「1万4400トン」とありました。県が発表後に数字を修正したのか、あるいは新聞の情報源が違うのか、あるいは何かのミスなのか、まあ統計数字と言っても「どうやって集計したのか?」を考えると“完璧な正解”ではないことがわかりますので、大勢に影響がなければ少々の誤差は大きく包んでおきましょう(笑)。

 次に、「そのうち(1万1000トン、あるいは1万4400トンのうち)、うどんに回されるのは約1400トン」ということは、香川県で使われている小麦粉の約1割がうどん用、約9割がうどん以外用ということになります。また、地粉(他県産も含む国産小麦)の割合が20%程度とありますから、香川県で使われている小麦粉の約8割が外国産、約2割が国内産ということですが、国内産のうちの「香川県産」がどれくらいなのかは、記事からはわかりません。このあたり、「うどん県」のデータとして「県産小麦の収穫量の推移」ではなく、「うどんに使われている県産小麦の量の推移」が一番に出てきて欲しいところです。

 ちなみに、外国産小麦は昭和61年時点では「ほとんどがオーストラリア産」とあります。今日の讃岐うどん用小麦の主流を占めるオーストラリア産のASWについては、「県内の小麦関係者がオーストラリアで讃岐うどん用小麦の開発に尽力した」とか「オーストラリアの小麦生産者が香川に来てうどん用小麦の研究に力を入れた」等の話を耳にするのですが、その“開発秘話”のような話がここまで新聞に一切出てきていないのはどういうことなのでしょうか。メディアの取材が行き届いていなかったのか、それともそんな話はそもそもなかったのか、ちょっと謎が残ります。

 続いて記事の後半では、地粉の配合比率を30%、50%、100%と変えて作った3種類のうどんの、それぞれ「できたて」「作り置き2時間」の6種類の食べ比べが行われました。なかなかシビアな設定の試食ですが、その感想として、まず北川料理学校の北川先生は「大きな違いはない。地粉100%はうどん臭がやや強い」というコメント。一方、讃岐うどん研究会の真部先生は「風味に大きな違いがある。今のうどんには風味が欠けている」というコメント。地粉のうどんの香りについて、北川先生は「うどん臭」という少々ネガティブなニュアンスの表現をし、真部先生は「風味」というポジティブな表現をされています。

 筆者は北川先生と仕事やテレビ出演で長年おつきあいさせていただきましたが、まあとにかく“歯に衣着せぬ”発言をされる先生で(笑)、しかし決して攻撃的にならない温和な方で、何事にも説得力のあるコメントをされていたのを覚えています。というわけで、地粉推進イベントで地粉推進派の代表である真部先生には「うどん臭」という表現がお気に召さなかったかもしれませんが、新聞は「両論併記」を決断したようです(笑)。

綾南町はまだ「うどんの里」ではなかった?!

 「地方の時代」という特集企画の「綾南町」編で、綾南町が滝宮天満宮に祀られている菅原道真公ゆかりの「梅」を使って「梅の里構想」を提唱していることが紹介されていました。それに対し、地元の方々の「地域おこし」へのご意見がいくつか載っていたのですが、その中にこんなコメントが。

(3月6日)

道真ゆかりの梅をPR(綾南町)

…(本文略)…

(まちおこし・私の進め方)うどんの里にも一考…杉村重信(75)(農業=滝宮)
 菅公にちなんで「梅の里構想」もわかるが、技術的な裏付けがないので不安が残る。梅は交配が必要で、反収も多くない。梅の実の加工まで考えねばならないし、地理的にも有利とはいえない。かつて35軒あったうどん屋から「うどんの里」がいいのでは。(以下略)

 のちに「讃岐うどん発祥の地」を宣言し、「うどん会館」もオープンさせた綾南町(現綾川町)ですが、ここに「『梅の里』より『うどんの里』がいいのでは」という町民のご意見が出るということは、昭和61年時点ではまだ綾南町は「うどんの里」を大々的に打ち出していなかったことがわかります。また、「かつて35軒あったうどん屋から…」というコメントから、この頃はかつてよりうどん屋の数が減っていることも推測されます。果たして「讃岐うどん発祥の地・綾南町」のプロモーションはいつ始まるのか、続報を待ちましょう。

郵便局の「ふるさと小包」の取り扱い数は、香川の「うどん」が四国一

 続いて、うどんのビジネス関連の話題を3本。

 まずは、昭和58年度に始まった郵便局のご当地物産の通信販売「ふるさと小包」で、讃岐うどんが四国一の取り扱い数だったというニュースです。

(4月18日)

人気トップは「讃岐うどん」 取り扱いも急増 四国の「ふるさと小包」、60年度は2.7倍 郵便局ニンマリ

 四国郵政局は17日、「ふるさと小包」の60年度の利用状況をまとめた。四国での1年間の取扱数は17万4000個で、前年度に比べて2.7倍と大幅な伸びを示した。人気ナンバーワンは香川の「うどん」が占めた。

 ふるさと小包は、各地の生産団体と郵便局がタイアップして58年9月から取り扱いを始めた。ふるさと志向ブームにマッチして、取り扱いが増加しているもので、郵便小包の増加に大きく寄与している。60年度の各県別取扱状況は、

香川…3万5600個(前年度比102%増)
愛媛…8万3000個(同242%増)
徳島…3万7800個(同235%増)
高知…1万7600個(同52%増)

人気上位の5品目は

①うどん(香川)
②ハウスミカン(愛媛)
③イヨカン(愛媛)
④スダチ(徳島)
⑤クリ(愛媛)

となっており、各県の代表的な特産品が上位を占めている。香川では、うどんのほか、茶、エビ、ノリ、そうめん、いりこなどが人気を集めている。

 県別取り扱い数は、香川は前年の2倍、愛媛と徳島は前年の3倍以上に伸びていますが、昭和60年の人口比(香川102万人、愛媛153万人、徳島83万人、高知84万人)で見ると愛媛が断然取り扱い数が多いのに、商品別では香川の「うどん」が1位ということは、香川の取り扱いがいかに「うどん」に集中しているかが窺えます。ま、愛媛も柑橘類に集中していますが。

「郷屋敷」が斬新な切り口のお土産うどん商品を発売

 ご当地物産のイメージを刷新するような、斬新なネーミングとパッケージの「お土産うどん商品」が発売されました。

(6月14日)

けいざいロータリー

▼名物本生うどん…讃岐の手打ちうどんを新感覚の高級ギフト商品にと、牟礼町の精粋讃岐料理「郷屋敷」(三野克久社長)が折り箱詰めセットを考案、このほどから店頭で直売をはじめた。淡い緑色の高級和紙の包装に「聴風看月」と、うどんの伝統、由来、特徴を面白く記入。内部には円筒型プラスチック容器2本に計6人分の生うどんと、根のついた特産の細ネギ、土ショウガ、特製の「つゆ」がセットされ1箱2000円。すべて手作りで「食べごろは✕月◯日ごろ」の説明書付き。包装紙の裏面は簡易郵便に利用できるよう工夫され、購入者からは礼状や結婚式の引出物、ギフト用品にと追加注文が届くなど好評。

 商品名が「聴風看月」、容器が「円筒形プラスチック」で「根の付いた特産細ねぎと土ショウガ」が添えられているという、当時の讃岐うどんのお土産商品の常識を打ち破った発想の商品が発売されました。さすが「郷屋敷」です。

 讃岐うどんのお土産商品は“讃岐うどん巡りブーム”以降だんだん改革が進み、今日では色も形もデザインもネーミングもバラエティに富んでいますが、ブームが最初のピークを迎えた2000年(平成12年)頃、筆者が香川県内のお土産うどんを網羅的に情報収集した際には、まだ「民芸調、筆文字」のデザインに、普通の「箱形、袋型」のパッケージ、そして商品名には普通に「うどん、さぬきうどん」の文字が並んでいるというお土産うどんがほぼ全てでした。ということは、郷屋敷が打ち出したこの手の斬新なスタイルはその後、2000年代まで県下のお土産うどん業界に全く広がっていなかったということになります。新しい発想に時代が追いついていなかったのかもしれません。

「さぬきうどん」がキャプテンシステムでうどんの情報発信を開始

 本稿の「うどん関連広告」の項でよく出てくる「さぬきうどん株式会社」が、昭和50年代終盤から鳴り物入りで始まった「キャプテンシステム」を使って讃岐うどん等の情報発信を開始したようです。

(11月8日)

讃岐の味、キャプテンでPR 香川町のうどん会社 10日から一斉に 一部画面は有料で開放

 県内外で店舗展開を図っている「さぬきうどん」(本社・香川町川東上、土井武範社長)は7日、脚光を浴びているキャプテン・システム(ビデオテックス=文字図形情報システム)への情報提供を10日から開始すると発表した。県下でキャプテンへの情報提供を行うのは県、高松市などに次いで4番目。同社では、システムを使い、郷土料理の代表であるうどんを全国にPRするとともに、画面の一部を有料で個人や企業に開放することにしている。

 キャプテンは、家庭やオフィスの電話とテレビを使い、利用者のリクエストで東京のセンターからの情報を画面に映し出すという双方向メディア。ニューメディア時代の花形として注目されている。同社が提供する画面は100画面。このうち40画面を使って打ち込みうどんやしょうゆ豆の作り方、材料などを紹介する。残る60画面については団体、企業、個人向けに”切り売り”をして、香川のローカル情報提供の場として開放する。こうした画面の”切り売り”による共同利用型情報提供は四国では初めての試み。NTT四国支社では、キャプテンの普及にはずみがつくものと成果を注目している。

 こちらは残念ながら、パソコンとインターネットの急速な普及によって、キャプテンシステム自体が2002年にサービス終了になってしまいました。しかし、こうしたチャレンジャーたちの試行錯誤によって、時代は進んでいくのです。

飯山町が「どじょう汁日本一大賞」を開催

 続いて新規イベントの話題が2つ。まず、飯山町が飯野山に伝わる「おじょも伝説」にちなんで「第1回おじょもまつり」を開催し、最終日のメインイベントで「どじょう汁日本一大賞」を行いました。

(8月11日)

どじょう汁で接待 味の”日本一”も決める(おじょもまつり)

 飯山町が町制施行30周年を記念、土地の昔の伝説と特産のモモをイベントに盛り込んだ「第1回おじょもまつり」の最終日を飾る”どじょう汁日本一大賞”の行事が10日午前9時から同町土器川河川敷グラウンドで行われた。大会には町外2チームを含む20チームが参加。広い会場にテントを張り、大釜で火をたいてどじょうやゴボウ、サトイモなどにうどんを入れて仕上げ、会場を訪れた1000人余りの人たちに無料でふるまわれた。お年寄りや子供たちは猛暑の中でのたきたてのどじょう汁とあって、玉のような汗をふきふきどんぶりで2杯も3杯もおかわりをもらうなど、おいしそうに舌つづみを打っていた。これらのどじょう汁を高松・四国調理師専門学校の北川保夫校長や新土町長らが審査、優勝チームの同町三の池青年部には四国新聞社賞などが贈られた。8日から3日間同町をあげて催された第1回おじょもまつりは期間中、2万人(同実行委調べ)の人出でにぎわった。

 記事によると、「どじょう汁日本一大賞」はチーム別にオリジナルの「どじょう汁(どじょううどん)」を作ってお客さんに振る舞い、それを審査して優勝チームを決めるという形式のようですが、これは、今、さぬき市の長尾で行われている「どじょ輪(りん)ピック」とほぼ同じスタイルのイベントですね。ちなみに、長尾の「どじょ輪ピック」はこの8年後の1994年に第1回が始まったのですが、一体何があって飯山から長尾に移ったのか、続報を待ちましょう。

盛岡の「ニッポンめんサミット」に讃岐うどんもちょっと参加

 盛岡で「ニッポンめんサミット」なる麺イベントが開催されました。

(10月12日)

そば、うどんの将来性探る ニッポンめんサミット(盛岡)

 わんこそばで知られる盛岡市で17日、「ニッポンめんサミット」が開催される。東の生そば、西のうどんに代表される日本の麺類をはじめ、ラーメンやスパゲティなど、東西の麺類の将来性についてユーモアたっぷりに、しかもまじめに議論する。最後には格調高い「盛岡宣言」を出す予定だが、全国から集まるのは麺に一家言持つうるさい面々ばかり。果たしてうまくまとまるかどうか。

 主催するのは盛岡市など同サミット実行委員会で、場所は岩手県民会館。俳優の小沢昭一さんの基調講演で開幕するが、その演題も「二十一世紀における世界経済と日本のめんの将来展望について」と、いかにもサミット風の装いだ。このあとマルチタレントの永六輔さんを議長にして本格的討議を開始。ごはん、パンと並んで日本人の”三大”主食となった麺の魅力や食文化を多角的に話し合う。このほかの参加者は、随筆家の江国滋さん、作家の神吉拓郎さん、落語家の柳家小三治さんら、いずれ劣らぬ食通ばかり。また、さぬきうどん、信州そば、出雲そばなどの本場から関係者が出席、メンツをかけてPR合戦も繰り広げる。

 盛岡の「麺サミット」はこの10年後の1996年に第2回、さらに20年後の2016年に第3回が開催されるという、なかなかのんびりしたインターバルのイベントです(笑)。さぬきうどんもちょっとだけ入れてくれてたみたいですが、残念ながらどこの誰が出ていって何をしたのかが載っていませんでした。ちなみに、盛岡の麺サミットの第1回は小沢昭一さんと永六輔さんを据えた壮大なユーモア路線で開催されましたが、2016年の第3回は「盛岡三大麺(わんこそば、じゃじゃ麺、盛岡冷麺)」イベントの様相に変わっていました。

讃岐うどん研究会と県農林部が「讃岐うどんの英文パンフレット」を作成

 続いて、うどん業界で何かを作ったという話題が2本。

 まず、讃岐うどん研究会と県農林部が「讃岐うどんの英文パンフレット」を作成しました。

(9月5日)

英文冊子を作製 讃岐うどんの国際化へ(県、研究会)

 讃岐うどんを香川を代表する文化としてとらえ、独自の研究を続けているさぬきうどん研究会(会長・真部正敏香大教授)がこのほど、県農林部と共同で讃岐うどんの国際化を目指した英文パンフレットを作製した。うどんの歴史から作り方、うまさの秘密までを網羅したもので、海外向けうどん専用パンフの作製は”本場”を自認する県下でも初めて。出来栄えも上々で、同会では「外国に香川を理解してもらう手助けになれば」と話している。

 このパンフは、縦30センチ、横42センチ。三つ折りのカラー刷りで、表題は「INVITATION TO SANUKI UDON(讃岐うどんへのいざない)」。英文、和文の両方で、1200年に及ぶうどんの歴史から作り方、うまさの秘密、食べ方を詳しく解説している。会員の洋画家、辻一摩氏のイラストをメーンに、四季折々の香川の風光とうどんのカラー写真を組み合わせた凝ったつくり。英文も海外在住の長かったうどん愛好家に依頼、何度も推敲を重ねた力作で、「美しく分かりやすい」と評判は上々のよう。

 このパンフ作製は、瀬戸大橋の完成に伴い、増加が予想される外国からの観光客に讃岐うどんを正しく理解してもらうことで、香川を知ってもらおうというのが狙い。同会では、とりあえず5000部を印刷、現在、県下に滞在中の留学生や技術研修生らを中心に配布、それぞれの本国に香川の文化を伝えてもらう資料にしたい、としている。真部会長は、「会員が手分けして5ヶ月がかりで仕上げたパンフ。消費拡大も含めた讃岐うどんの国際化に役立てばうれしい」と話しており、将来は中国語やスペイン語のパンフ作りにも夢を広げている。

 官学連携のパンフレットですから、内容はやはり讃岐うどんの「歴史、文化、技術」の紹介が中心のようで、讃岐うどんを「グルメ」や「レジャー」の視点から情報発信するという発想はまだまだ先のことです。

県の観光キャンペーンに「うどんで作った瀬戸大橋」が登場

 こちらは、東京で行われた県の観光キャンペーンに「うどんで作った瀬戸大橋」が登場したというニュース。

(11月25日)

世界一の橋を渡って博覧会へどうぞ ミス高松も一役 特産うどんで瀬戸大橋

 東京・銀座の目抜き通りに出現した”讃岐うどん製の瀬戸大橋”。大橋観光と特産品PRの一石二鳥をねらって23、24の両日、都内2カ所で展開された観光イベント「青い国四国、高松とさぬき路観光キャンペーン」が人気を呼んだ。この観光キャラバンは、瀬戸大橋観光キャンペーン実行委(委員長・大西潤甫高松観光協会長)の主催11団体関係者と、益田章子さん(22)西本有輝子さん(20)のミス高松2人を含む総勢約30人。初日の23日は、昨年に続いて国鉄東京駅八重洲口と銀座五丁目の数寄屋橋交差点でPRパンフ約5000枚を配布、「世界一の橋を渡って、博覧会へどうぞ」と呼びかけた。

 24日には数寄屋橋交差点横のソニービル前に、造形作家吉田稔郎氏が讃岐うどんを使って製作したミニ瀬戸大橋が完成した。この珍しい作品は、連休のショッピングや”銀ブラ”を楽しむ人らの目にとまり、たちまち人垣が出来た。同キャンペーンは「瀬戸大橋完成まで500±Xdays」をキャッチフレーズに、橋への関心が未知数の首都圏で昨年に引き続いて「橋」を核にした観光PRをするもので、今回は連休の人出を予想して銀座でのキャンペーンに主力を置いた。会場内には県内の観光地をポスターやパネルで紹介する「おいでまあせ さぬき路へ」のミニ観光展を併設、瀬戸大橋と県内観光地に関するクイズも実施され、参加者には”ミス高松”らから讃岐うどんが手渡された。

 新聞記事にはキャンペーンの様子を写した写真が2枚載っていましたが、肝心の「うどんで作った瀬戸大橋」の写真は載っていませんでした。そういえば2010年頃だったか、高松市の商店街に「うどんで作ったウェディングドレス」が飾られてローカルニュースになったことがありましたが、まあうどんは“細長い粘土”みたいなものですから、何でも造形できると言えばできるんですが(笑)。

第3回「さぬきうどん早ぐい競争日本一決定戦」開催。

 次は、恒例のうどん関連のニュースをいくつか。

 まずは、丸亀お城まつりの「さぬきうどん早ぐい競争日本一決定戦」が第3回を迎えました。

(5月19日)

初夏の城下に”踊り絵巻” 丸亀お城まつり閉幕 5000人が総おどり 多彩なイベント 過去最高の人出記録

 新緑の丸亀城を彩る第37回丸亀お城まつり最終日の18日は、フィナーレの丸亀おどり総おどり大会が夜の丸亀城下を舞台に繰り広げられ、「踊ってごんな見てごんな」の軽快なリズムに乗って43団体、約5000人の踊り子が乱舞。沿道を埋めた大観衆から拍手と歓声が沸き、3日間にわたった初夏のカーニバルの幕を閉じた。…(中略)…一方、市民ひろばでは「さわやかコンサート」「ふるさとの太鼓まつり」に続き、午後3時から恒例の「第3回さぬきうどん早ぐい競争日本一決定戦」も催され、計43人が挑戦、子供の部は土器町の○○君(11)が3分間に6杯、大人の部は高松市松島町の○○さん(28)が14杯の新記録を樹立して優勝した。…(以下略)

 とりあえず「大人の部で新記録が出た」ということです。これまでの記録が10杯でしたから、大幅な記録更新。計算すると「12~13秒に1杯」のペースで14杯ですから、なかなかの豪傑です。

第6回「さぬきうどんラリー」は、参加店がやや減少

 「さぬきうどんラリー」が6回目を迎えました。

(6月21日)

消費拡大をPR 「さぬきうどんラリー」スタート 無料接待など多彩な催し

 うどん好きの県民にすっかり定着した「さぬきうどんラリー」(四国新聞社、県生麺事業組合主催)が、今年も20日からスタート。7月10日までの21日間、県下各地のうどん店で豪華景品の当たる食べ歩き投票やうどんの無料接待などがにぎやかに行われる。このラリーは、半夏生の7月2日を「さぬきうどんの日」と定め、うどんのおいしさを全国にPRする”さぬきうどんまつり”の協賛行事の一つで、今年ですでに6回目を迎える恒例の味覚イベント。期間中、のぼりのかかったラリー参加店でうどんを食べ、備えつけの応募券を各店設置の投票箱に入れると、特賞として全自動カメラ、白黒液晶ポケットテレビ、安楽イスが計60本、ラッキー賞として調味料セットが計900本それぞれ当たる。…(以下略)

 前年まで毎年50店くらいのうどん店が参加していたのですが、この年は40店に減っていました。以前にも触れましたが、このラリーは広告企画だと思われますので、「広告を出してラリーに参加する」といううどん店が減ったということでしょう。もしや、うどん業界の景気に陰りが見えるのか…今後の推移に注目です。ちなみに、「さぬきうどんの日」の中野天満宮(高松市)の献麺式や県下各地の「うどん接待」も引き続き実施されました。

S61年広告・さぬきうどんラリー1

S61年広告・さぬきうどんラリー2

S61年広告・さぬきうどんラリー3

S61年広告・さぬきうどんラリー4

菅原道真は讃岐うどんのPRに貢献した人物なのか?

(7月3日)

1000食たちまちペロリ 高松の繁華街 「うどんの日」PR(県製麺連)

 2日は半夏生。この日を「うどんの日」と定め、讃岐うどんの発展を期している県製麺組合連合会(鳥塚晴見会長)は、高松市内の繁華街で1000食分のうどんを通行人らに大盤振る舞い。「半夏にはうどんが一番」という讃岐の食習慣の復活を訴えた。

 この日は、夏至から11日目。讃岐路では昔から田植えも一段落、各農家が農作業の手を休め、うどんを打って豊作を祈った日。四国新聞社などが4年前からこの日を「うどんの日」にと提唱、讃岐の風習の継承を狙ってさまざまの行事を行っている。この日は、午前11時から県製麺組合連合会の鳥塚会長ら6人の役員が羽織はかまに威儀を正し、高松市番町五丁目の中野天満宮に参拝。業界一の名人が打ったうどんをかつてうどんのPRに貢献した祭神、菅原道真公に献上して業界の発展を祈った。この後、午前11時半から三越高松店前で冷やしうどんの無料接待。ちょうど昼飯時とあって街頭に出たサラリーマンやOLらは思わぬプレゼントに大喜び。たちまち列ができる人気ぶりで、用意した1000食は1時間余りでさばけた。

 以前にも触れましたが、今日では「うどんの日」は「製麺組合が制定した」としか言われていないのに、この年も「うどんの日は四国新聞社と製麺組合が制定した」と繰り返し書かれています。どこかの時点で四国新聞の名前が消されたのでしょうか。あと、何の背景の説明もなく、唐突に「菅原道真公はかつてうどんのPRに貢献した祭神だ」という表記が出てきました。「うどん県」まで宣言するほどになった今日、県のHPにもどこにもそんな話は全く紹介されていないようなのですが、一体どういう貢献をされたのでしょうか。あるいは、記者が話の裏も取らずに勢いで書いちゃったのか? もしそうだとしても、ネットもSNSもない時代なので誰もツッコミを入れられませんが(笑)。

東京と京都開催の四国物産展に新橋の「玉藻」と京都の「めん坊」が出店

 この年も物産展の記事がいくつか載っていましたが、そこに県外のうどん店の名前が出てきました。

(2月15日)

四国の観光と物産展開く(東京)

 「四国路はもう春、青い国の味覚をどうぞ」。首都圏にひと足早い春を呼ぶ催しとしてすっかり定着した「四国の観光と物産展」が四国ブロック物産斡旋協議会、(財)地域活性化センターの共催で、14日に東京・新宿の小田急百貨店でオープンした。今回で7回目を数えるこの催しには、香川など四国四県から約1500品目の特産品が持ち込まれた。また昨年10月に発足したばかりの地域活性化センターも、発足初企画としてコーナーを設け、首都圏にはなじみの薄い坂出の金時にんじんなど60品目を別個にPRした。香川のコーナーには恒例のうどんをはじめ地酒や盆栽、民芸品などが並べられ、ミニ王国小豆島のオリーブ王国が初参加。コーナーを設けて王国のパスポートやオリーブの苗木などの即売を行った。また、新橋の讃岐うどん店「玉藻」が開いたうどん茶屋も人気を呼び、讃岐うどんとアジの姿ずしで瀬戸の味覚を満喫していた。(以下略)

(9月7日)

讃岐うどんに人気 88カ所霊場・物産展(京都)

 四国八十八カ所霊場展と四国物産展が5日から京都市下京区の京都近鉄百貨店7階特設会場で開かれ、人気を呼んでいる。この展覧会は四国巡礼が1日で出来る”お砂踏み”が呼びもの。八十八カ所の本尊御影と札所風景画を会場内に飾り付けて雰囲気を出し、会場順路に各札所の”お砂”を置き、参加者が手軽に四国巡礼を味わえる仕組みだ。開展に先立って吉田裕信仁和寺宗務総長を導師に、開眼法要。オープンと同時に入場を待ち兼ねた善男善女の列が大きく膨れ上がった。会場入り口には弘法大師ゆかりの寺院の寺宝などが展示され、ミニ霊場にふさわしいムード。

 また、会場では四国物産展が同時開催され、四国4県の民芸品、物産の展示、即売を行っている。香川県コーナーでは、讃岐うどんやてんぷらなどに人気が集まっている。実演販売の讃岐茶屋(京都・めん坊)では源平ざるうどんに長い列ができ、販売コーナーでは”釜あげ一丁”(坂出・サンヨーフーズ)が初日だけで商品の一部が売り切れとなるなど盛況。そのほか、高瀬茶、つくだに、みそ、オリーブ、民芸品では奉公さん、張り子のトラ、きりげたなどもよく売れている。

 まず、東京の新宿で開催された「四国の観光と物産展」の会場に設けられた「うどん茶屋」は、新橋の讃岐うどん店「玉藻」が運営していたとのこと。東京の「玉藻」といううどん店は、昭和32年に高松市出身の喜田博さんが早稲田大学のそばに「うどん食堂玉藻」として開業し、その5~6年後に近藤さんという方に営業譲渡したとありましたが(「開業ヒストリー」の「玉藻」参照)、昭和49年から四国新聞の年賀広告に登場し始めた新橋の「玉藻」はここまでずっと社長が「林誠二」さんとなっていますので、ここに出てくる新橋の「玉藻」のルーツが喜田さんの「うどん食堂玉藻」なのかどうかはわかりません。

 一方、京都で開催された「四国八十八カ所霊場展と四国物産展」の会場に設けられた「讃岐茶屋」は、京都の讃岐うどん店「めん坊」が運営していたようですが、「めん坊」の歴史や詳細はここまでの新聞記事には載っていません。ちなみに、昭和38年の四国新聞に「高松市の鈴木力男さんが始めた『讃岐茶屋』が日本橋三越で開催された四国の観光と物産展に参加」という記事が載っていましたが、このあたり、うどん店の「讃岐茶屋」と物産展会場の「讃岐茶屋」の関係もよくわかりません。しかしいずれにしろ、東京の讃岐うどんの黎明期には「玉藻」と「讃岐茶屋」の2店が、京都の讃岐うどんの黎明期には「めん坊」が名を馳せていたことは間違いないと思います。

昭和49年の四国新聞に載った「玉藻」と「讃岐茶屋」の年賀広告。

S49年広告・玉藻

S49年広告・讃岐茶屋

昭和58年四国新聞に載った「めん坊」の年賀広告。

S58年広告・めん坊

「明日の四国を考える高松会議’86」の特別プログラム「讃岐の食文化を探る」で識者がうどんを語る

 「明日の四国を考える高松会議’86」という催しが開催されました。この会議は香川県、高松市、四国経済連合会、香川県商工会議所連合会、日本青年会議所香川ブロック協議会、香川県婦人団体連絡協議会、西日本放送、四国新聞社の共催で1981年(昭和56年)から毎年開催されているというなかなか大きなイベントですが、その特別プログラムとして「讃岐の食文化を探る」というシンポジウムが行われ、食文化の識者の皆さんが「讃岐うどん」をはじめ郷土料理を語っていました。まずは、この年の同会議の概要を紹介した記事から。

(10月8日)

讃岐の味を再発見(高松会場)

 「明日の四国を考える高松会議’86」特別プログラム「讃岐の食文化を探る」は同日午後6時から高松市西宝町3丁目の喜代美山荘で開かれた。瀬戸内の味覚をふんだんに使った讃岐の郷土料理が紹介され、約100人の出席者がコーディネーターやパネラーとともに明日の郷土料理について考えた。

 この日の特別プログラムは、瀬戸大橋観光時代を控えて「さぬきうどん」だけでなく、人を呼べる付加価値の高い郷土料理を追求するのが大きな狙い。会場では「サワラの味噌漬け」「からすみ」「さぬき押し抜き寿司」など四方(よほう)盆盛り合わせが披露され、出席者は喜代美山荘の三矢昌洋社長に献立紹介されながら、バラエティーに富んだ讃岐の味に舌鼓。コーディネーターの加藤秀俊放送大学教授やパネリストの石毛直道国立民族学博物館教授らが「さぬきうどんのコミュニケーションセンター論」や「郷土料理のミニコミ論」などユーモアたっぷりに讃岐の郷土料理を評価した。…(中略)…

 飲食・観光業者や主婦らおよそ100人が詰めかけた特別プログラム「讃岐の食文化を探る」では、会場となった喜代美山荘がこの日のために「一合まいた」と名付けた特別の郷土料理を用意。朱塗りの盆に鰆(さわら)のみそ漬け、てっぱい、アナゴの照り焼き、ママカリの酢漬け、押し抜きずしなど、讃岐ならではのメニュー合わせて18品が並べられ、参加者も思わず「ほおー」とため息。献立表と照らし合わせながら満足そうに舌つづみを打っていた。「讃岐の食文化」というテーマとあってか、婦人層の参加が目立ち、高松市内で料亭を経営する古市としこさん(57)は「料理を提供する側は、どうしてもごくごく定型的なものにとらわれがち。もっと郷土料理の良さを見直して、県外から来る人たちに紹介しなければ」と専門家らしい感想。

 このあと、会食しながらシンポジウムに移ったが、土地柄、講師の発言はもっぱら讃岐うどんに集中。「うどんを一緒に食べることが讃岐人のコミュニケーション。これほど郷土食が熱情的に受け入れられているところはない」(石毛氏)「うどんの種類をもっと増やし、味付けに工夫すれば、世界に通じる料理になる」(伊本氏)などの礼賛が相次ぎ、参加者を喜ばせたが、一方で「うどんだけに寄りかからず、恵まれた海や野の幸を生かした郷土料理があるのだから、もっとPRしなくては。気候、風土に恵まれ過ぎてハングリー精神が足りない」(楠本氏)など厳しい注文も。最後にコーディネーターの加藤氏が「食生活というのは、それぞれの地域社会の独自性を示す指標。地方の時代に地域文化を研究するに当たって食生活は格好の素材である」と締めくくった。

 当日のプログラムは「郷土料理の会食」と「讃岐の食文化を探るシンポジウム」の2本立て。シンポジウムは加藤秀俊氏(放送大学教授)をコーディネーターに、真部正敏氏(香川大学教授)、石毛直道氏(国立民族学博物館教授)、楠本憲吉氏(俳人)、伊本俊二氏(旅行評論家)の4人のパネリストで行われました。シンポジウムの発言内容が新聞に特集で掲載されていましたが、長くなるので「うどん」に関する発言部分を抜粋します。まず、口火を切った真部先生の発言。

真部 香川のうどん消費量は県の試算によると、昭和56年度は年間1人当たり125玉で、全国平均の4倍以上と際立って高い水準にある。讃岐うどんに対する県民の意識について、高校生以上約4000人を対象としたアンケート調査によると「うどんが好き」が93%に達し、年代別で見ても大きな変化は見られなかった。うどんを主食に位置づける人の割合は64%と、非常に高い。また、讃岐うどんは心が満たされる食べ物と受け止める人が非常に多いことも明らかになった。このように、麺の消費量、麺に対する意識のいずれを見ても、讃岐はこれらの伝統食が今日も一般に広く継承され、食生活の中に活発に取り入れられている土地柄と言える。

 これら文化遺産としての讃岐うどん、そうめんを継承し、さらに発展させていくためには、まず、讃岐の麺の文化を県民に正しく理解してもらうことが大切であり、讃岐うどんの場合、作り方を家庭に広め、庶民の文化として定着を図る必要がある。他方、地場の産業として麺の製造や消費の活力を高めるためには、長年にわたり培ってきた麺作りの経験と技術を生かしつつ、近代の科学的知見を導入し、特徴ある讃岐の麺作りを目指すことだ。それらを可能に導くための方策として、子供たちが讃岐の麺文化を学習できるように、学校教育の中に取り入れてほしい。

 一方、麺用小麦の優良品種の選抜や栽培技術、特徴ある麺作りのための技術の向上、麺の材料や栄養などの工夫と改善など、検討課題が少なくない。これらについては、各種試験研究機関や高等教育機関の専門家の間で協力しながら究明していく必要がある。

 新聞記事が発言内容を正しく伝えているという前提で(発言者の真意と違うニュアンスに編集されていることはよくありますが、真部先生と四国新聞ですから原稿には事前チェックが入っていると思います)、讃岐うどんの文化を継承、発展させていくためには「家庭でうどん作りをもっと広める必要がある」「学校教育にもうどん作りを取り入れて欲しい」「産業としては、特徴ある讃岐の麺作りを目指す必要がある」というのが真部先生の主張です。

 続いて、国立民族学博物館の石毛先生の発言。

石毛 日本を代表する麺類というと、うどんとそばということになるが、うどんの方が大変豊かな土地で発達するものだ。関西にうどんが発達したのも、讃岐とか大阪平野だとか水田の裏作として麦作が盛んになされたからだ。そういった豊かな場所に育った食文化というのは、その豊かさゆえあまり特徴がないということがいえると思う。

 ところが、讃岐にはうどんという食べ物を通じてのコミニュケーションがあった。観音寺でも昔、喫茶店がなかったときはみんなうどん屋でたむろして、いろんなおしゃべりをしていた。デートをするのもうどん屋でやっていたという話を聞いた。つまり、うどん屋さんというのは今度はコミュニケーションセンターになる。香川県人会では必ず讃岐うどんを食べる。あるいは讃岐うどんの店が今、全国にたくさんできているが、そこを核として讃岐出身の人が集まったりする。そういう意味で、讃岐うどんというのはコミニュケーション・メディアとしても大変なものだと考える。

 讃岐うどんの店は今、日本中を制覇していますが、次は海外に出るのではないかと思う。あるいは、世界の麺類のメッカとしては、ここで世界麺類会議でもやったり、あるいは世界の麺の研究所でもつくったらいいのではないかというぐらい、日本の食べ物としては、大変面白い性質を備えたものになってきている。

 「讃岐うどんは、うどん屋がコミュニケーションの場になっている」という視点からの発言ですが、残念ながら今日ではカフェや居酒屋等々、コミュニケーションを伴う飲食店がどんどん進化して、うどん屋の「コミュニケーションセンター」的な機能はすっかり影が薄くなってしまいました。

 続いて、旅行評論家の伊本さんから「讃岐うどんは世界に通用する」という発言が。

伊本 最近、欧米も含めて日本をはじめとするオリエントに対する食生活に非常に関心が持たれている。そういう世界的な食糧事情の中で、讃岐うどんのような淡白で、しかもそれほどカロリーも多くなく、太る要素を持たないものはますます見直されるのではないかと思うわけだ。料理方法をもっと演出して欧米人の口に合うような味にすれば、世界的にまだまだ伸びるのではないか。アンカレジではうどん屋が大変はやっており、乗り継ぎに日本人は立ち食いのうどんを食べているわけだ。もちろんパリにもうどん屋ができている。

 讃岐うどんの海外進出は、2000年代にピークを迎えた讃岐うどん巡りブーム以降、ますます盛んになっていますね。そして最後に真部先生からもう一言、発言がありました。

真部 私は、讃岐うどんは今少し安住しているところがあるような気がするわけだ。その一つにダシの問題があると思う。香川県の人は大体「かま揚げうどん」が好きなんだが、そのかま揚げのダシが甘い。みりんを入れて甘みを出している。それは、ある人が東京へ行って、そばのダシを勉強してきた。そばのダシというのは甘いわけだね。それがいいということでみりんを入れているわけだ。われわれはどうも、うどんに合わないと考えているんだが、皆さんに理解してもらうには、客観的なデータが必要だから、いずれテストをやって、「こういう甘いのは皆さんあまり歓迎しませんよ」というデータを出して、少し協力をしてもらいたいと思っている。また、讃岐うどんの場合、ただ形とか白いとかいうだけではなしに、やはり微妙なところがあって、粘りとか風味とかが少し最近欠けてきているのではなかろうか。いろんな面で研究をして、よりよいうどんを、業界も消費者も力を合わせてつくっていただきたいと思う。

 「かま揚げのダシが甘い」という、ちょっと先生の好みの問題かもしれない主張がありましたが、「テストをやって“こういう甘いのは皆さんあまり歓迎しませんよ”というデータを出して…」という「答えありき」のテストはいかがなものかと(笑)。ま、味の好みは誰かが誘導するものではなくて、客が決めて、客の好みで淘汰されていくものですから、最後にあるように「いろいろ研究して業界も消費者もよりよいうどんを作っていく」ということでまとめましょう。

岡山駅に7店舗目のうどん店がオープン

 国鉄岡山駅に国鉄直営のうどん店がオープンしました。

(12月26日)

屋号はズバリ「えき」 国鉄岡山駅に直営うどん店がオープン

 国鉄岡山駅の裏口にあたる同駅西口(岡山市駅元町)に25日、国鉄直営のうどん店がオープンした。同駅構内には、すでに6店のうどん店があるが、国鉄直営は初めて。

 うどん店の屋号は「手打ちうどん えき」。西口待合室の一角、改札口近くにあり、広さは約24平方メートル。岡山鉄道管理局管内の20人の応募者から選ばれた4人が、朝9時から夕方7時まで交代で営業している。メニューは、うどん、そばのほかに、いなり、おにぎりもあり、バラエティーに富んでいる。売り上げは年間2000万円を見込んでいる。同局では「西口の利用者は通勤、通学者がほとんど。学割うどんなど目玉メニューも取りそろえてサービスに努め、先発店に負けないようにがんばり、目標額を達成したい」と意欲十分。オープン初日の25日は全品半額とあってなかなかのにぎわい。同局管内の直営店は喫茶店も含めて現在19店あり、43人が営業にあたっている。

 岡山の新幹線は昭和47年に開通していますが、「すでに6店のうどん店」があったということは、やっぱり岡山駅は大きいということですか(笑)。店に「讃岐うどん」と掲げていたのかどうかはわかりませんが、特に記事に書かれていないということは、普通の「うどん店」だったのかもしれません。ちなみに、国鉄が民営化されて「JR」になるのは翌昭和62年4月のことですから、この年は民営化の準備も大詰めに入った頃。37兆円の巨額負債を抱えて分割民営化を間近に控えた時に直営のうどん店を出すというのは、いかなる意図があったのでしょうか。

開拓時代から受け継がれる“北海道の讃岐うどん”

 では、ここからうどんに関するコラムをいくつか。

 まず、「ニッポンの中の香川」という連載特集に、北海道の開拓に携わった香川県人の話が載っていました。

(10月12日)

連載「日本の中の香川」 開拓の先ぽう讃岐人 北国に息づく故郷の香り うどんにも伝統の味…小西農場(北海道・栗沢町)

(前略)…開拓一世の高橋さんは「昭和の初期に比べれば天国」という。辛酸をなめた一世の不屈の精神が窺える。高橋さん一家では、今でも讃岐特産の手打ちうどんが食卓にのぼる。うどん作りは、高橋さんから嫁のヨシ子さんに引き継がれている。ヨシ子さんの先祖は富山県の出身。「嫁いできて見よう見まねで覚えました」と鮮やかな手さばきを披露してくれた。「粉はすべて香川から取り寄せています。北海道の小麦粉で打ったうどんは、味が今ひとつ物足らない」と高橋さん。賞味させてもらったが、ダシも讃岐風のさっぱりしたものだった。

 高橋さん一家だけではない。地区内には、讃岐の食文化であるうどんを大切に守っていこうとする家庭が多い。そして、58年には「讃岐うどん保存会」が発足。ふるさとの文化を次の世代へ継承しようと、町内外で講習会を開いたりしている。同会の江郷登会長(59)は香南町西庄の出身。明治27年、小西和によって列車から降ろされ入植した新伍郎の孫にあたる。「開拓一世の時代から、故郷をしのぶ催しとして春秋の祭りにはうどんを打って食べていたようだ。年に数回のうどん作りで故郷の味を楽しんでいた先人たち。その心を後世に残すことが私たちの務めです」と江郷さんは言い切った。…(以下略)

 明治初期に始まった過酷な北海道開拓の歴史には香川県民も少なからず関わっていたようですが、そこに持ち込まれた讃岐うどんの文化がここまで脈々と受け継がれていたことがわかります。昭和58年に発足した「讃岐うどん保存会」は、今も活動を続けているとのことです。

支店長の「讃岐うどん食べ歩き」

 国民金融公庫高松支店の支店長が、「讃岐うどん巡り」のコラムを寄せていました。

(3月25日)

さぬき最前線さぬきうどん食べ歩きに精(国民金融公庫高松支店長・坂口恒夫)

 高松に赴任して9カ月目。讃岐うどんはすっかり私の生活に密着した食べ物となっている。うどん好きの方々に紹介していただいたうどん屋の屋号は、私のメモ帳にぎっしり。食べ歩いた店は、もう両手の指では足らないほどになった。高松市内はもちろん、琴平、志度、財田など県内各地に足を運んでいる。うどんがないとおさまらない人たちにまじって、ゆで立てのかまあげうどんを食べる楽しみはまた格別である。讃岐では昔から人のいるところには、いつでもうどんがあり、うどんが客をもてなし、また家庭だんらんを作ってきたと聞く。旅先で故郷を思い、うどんを無性に食べたくなる讃岐びとが、連絡船に乗るとすぐ甲板に駆け上がり、まず懐かしい讃岐うどんに対面するという気持ちがわかる気がする。

 あるうどん作りの専門家にうかがった話だが、うどん好きの人が多い香川県では、消費者の口が肥えているから、原料を吟味しなければ売れないらしい。製粉業者は粘り、甘み、こしを追求して粉をひき、製めん業者は日夜工夫して、消費者に満足してもらえるうどん作りに挑戦しているという。讃岐うどんは、地元の賢い消費者から、ある時は厳しく批判され、また温かく支持されながら、今後ますますおいしさを増していくことであろうと楽しみにしている。私のお節介のせいだが、最近県外の知人で讃岐うどんのファンが一人、二人と増えてきておりうれしい。これからもこんなにおいしいものを、食べなきゃそんそんと、せっせと食べ歩きに精を出していくつもりである。

 昭和から平成前半あたりまでの高松市は大手企業の四国支店が集まった“支店経済都市”と呼ばれていて、「支店長会」のような交流の場もあり、筆者もそこで「讃岐うどん巡りをしている」という支店長や支社長に結構たくさん出会いました。その後、バブル崩壊やリーマンショックで高松の支店や支社はかなり減ったようですが、当時の高松のビジネス界を知る人は、讃岐うどんにハマった支店長が何人もいたことを覚えていると思います。

扇千景さんもうどん好きだった?!

 「一日一言」で、うどん好きの政治家の話題が出ていました。

(4月29日)

コラム「一日一言」

 自民党中曽根派会長の桜内義雄元幹事長は、参院議員の扇千景さんらとともにこのほど来県、高松と丸亀で開かれた国政を語る会に出席、元気のよいところを見せた。朝来て夕刻に帰京するという超過密スケジュールにもかかわらず、顔のつやもよく、さすが外相など経験したベテラン政治家である。演壇では政局の話に交え、故大平首相とうどんを味わった話なども出し、聴衆をひきつけた。桜内氏の弁によると、大平さんと高松に来たとき、大平さんは「うどんを食おう」と誘い、讃岐うどんを食べたそうだ。このとき大平さんは二杯平らげたという。大平さんのうどん好きはよく知られている。首相になって一度お国入りしたが、そのときも昼食のさい、讃岐うどんを平らげている。東京にもうどん店はあるが、讃岐うどんのほんとうの味は、やはり本場香川でつくられたものだろう。政治家でうどん好きは多い。一つには、簡単だし急ぎの間に合うから、忙しい政治家に向いているのかもしれない。

 扇千景さんも、うどん好き。来高のさい、関係者が幕の内を出したが「いや、わたしは讃岐うどんの方がいい」と弁当を断り、うどんを所望したとか。出されたザルうどんをおいしそうに食べ、「うん、やっぱり本場の味はいいね」と食後の感想を述べたという。高松宮さまも先年、ご夫妻でご来高の折、うどんに舌つづみを打ち、とくに細ネギを喜ばれたそうだ。天皇さまが、県下においでの時、うどんを食べられたかどうかは調べていないが、ぜひ本格的な讃岐うどんを召し上がってもらいたいものである。天皇さまが、しょうゆ豆をお代わりしたという伝説があるが、食事には十分注意されているという。それが85歳というご長寿を保つ大きい要因のようである。うどんで食当たりしたという話は聞かない。安全食の代表だ。そこで「陛下にうどんを召し上がっていただく会」というのが出来てもよさそうである。

 うどん好きの政治家と言えばやはり一番に故大平首相が出てきますが、扇千景さんもうどん好きだったそうです(「所望したとか」「述べたという」とありますから、いずれも伝聞情報だと思われますが)。ただ、「天皇さま」という表現とともに、「陛下にうどんを召し上がっていただく会」はどうなんでしょう。昔、郷土史家の故草薙金四郎さんが「讃岐うどんは足で踏むので皇室に献上できなかった」とおっしゃっていたのを思い出しましたが、もうそんな固いことは言わなくなったのでしょうか。

「うどん打ち体験」と「うどん慰問」もあちこちで

 「うどん打ち体験」や「うどん慰問」は、引き続きあちこちで行われていました。

(1月17日)

お年寄りをうどん慰問(高瀬・生活改善クラブ連絡協)

 高瀬町生活改善クラブ連絡協議会(入江朝子会長、24クラブ・320人)は14日、豊中町の養護老人ホーム「七宝荘」(詫間忠所長、130人)を手打ちうどんで慰問した。入江会長ら会員25人は午前9時、小麦粉50キロと用具一式を持って同ホームを訪れ、お年寄りと一緒に練り上げたダンゴ麺を麺棒で延ばしたりして、手打ちうどんの作り方を実演、2時間余りで約500玉を作り上げた。出来たてのうどんに舌つづみを打つお年寄りたちは「うどんのノド越しは格別。コシがあり、おいしい」と大喜びで、お代わりをする人がほとんどだった。この後、クラブ員と歌や踊りの交歓会が開かれ、楽しいひと時を過ごしていた。

(3月25日)

うどん打ち初体験 長尾で講習会 チビっ子ら80人参加

 長尾町で子どもたちに讃岐うどんの打ち方を教える講習会が23日、同町農業者トレーニングセンターで開かれた。うどんの本場であっても、子どもたちがうどんを打つのは珍しく、参加者は手づくりの味を満喫した。うどん講習会は、長尾町子ども会育成連絡協議会が催したもの。うどんを打ちながら子ども同士、大人とのふれあいを図るのが狙いで、同町内の小学生80人が参加した。講習会では、まず長尾中学校放送部が制作した「讃岐うどんのできるまで」をテーマにしたVTR研修。続いて、同町学校給食センター所長の穴吹憲明さんら町教委事務局職員らが講師となり、うどん打ちに挑戦した。町教委の準備した10組の道具を使い、12キロのうどんづくりに取り組んだ。子どもたちはかまあげで賞味しながら「うどんは大好物だが打ったのは初めて。家庭でもためしたい」と手作りを楽しんでいた。

(6月26日)

オイスカ研修生も挑戦 農経高で手打ちうどん大会

 県立農業経営高校拓心寮で24日、恒例の手打ちうどん大会が開かれ、寮生161人と招待のオイスカ研修生8人がうどん作りに挑戦した。この日、うどん作りに使われた粉は同校の実習田で収穫した小麦を製粉したもので、名実ともに”讃岐うどん”の実演だった。うどん作りは「さぬきうどん研究会」会員香川政明さんら3人が指導に当たり、「塩水と練り加減など最初の取り組みがポイント」とうどん作りのコツを伝授していた。寮生は5人1組の班を編成して1キロの小麦粉を使って挑戦。寮生に混じってオイスカ研修生が初めてうどん作りに挑戦、熱心に取り組んでいた。

(7月25日)

綾南署員舌つづみ 綾南町ボランティア協、恒例ドジョウ汁慰問

 ”スタミナつけて夏を乗り切ってもらおう”と綾南町ボランティア協議会(平田耕造会長)が23日、綾南暑を訪れ、13回目のドジョウ汁慰問を行った。この日は綾南署の裏庭にテントを張って大鍋2基を据え、ドジョウ4キロ、うどん10キロを煮込んだ。油揚げ、豆腐、ゴボウなど道具、材料一式を同協議会11人が持ち込んで調理した。綾南署員38人はこの日が招集日で全員集合、熱いドジョウ汁にそろって挑戦した。若さで出すおかわりがあるかと思うと”猛者”にもドジョウ苦手組があり特別料理を注文する姿も見られたが、恒例のスタミナドジョウ汁は署員の大半が好物になっており、会員と盛んにドジョウ汁談義に花を咲かせていた。

 綾南町のボランティア協会は、ドジョウ汁(もちろんうどん入り)の慰問が13回目です。ドジョウ汁は県下各地で作られ、食べられていたようですが、「ドジョウ汁(うどん)の本場」としては、これまで新聞に出てきたのは「仏生山」が最初で、次に「綾上町」が「どじょう汁の里」を打ち出し、この年は飯山町が「どじょう汁日本一大賞」を開催して“本場(?)”に名乗りを上げてきました。そして、先にも書きましたが、長尾町(現さぬき市)が「どじょ輪ピック」を開催するのはこの8年後の1994年です。

うどん関連広告の本数は約2割減

 四国新聞に載ったうどん関連広告の本数は、

(昭和59年)331本
(昭和60年)216本
(昭和61年)177本

という推移で、この2年でかなり減ってきています。一覧は以下の通り。

<県内うどん店>
【高松市・中心部】

「かな泉」(高松市大工町他)……… 20本 
「川福」(高松市ライオン通)…………6本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他) 4本
「源芳」(高松市番町)…………………3本
「すゑひろ」(高松市中野町)…………3本
「さぬき一番」(高松市兵庫町)………2本
「番丁」(高松市番町他)………………2本
「久保製麺」(高松市番町)……………2本
「井筒製麺所」(高松市西の丸町)……2本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………2本
「松下製麺所」(高松市中野町)………2本
「上原製麺所」(高松市栗林町)………2本
「讃平どん」(高松市古馬場町)………2本
「讃岐家」(高松市瓦町)………………2本 4月2日移転オープン
「めん」(高松市中央町)………………2本 4月29日オープン
「でりかはうす」(高松市亀井町)……2本 6月3日オープン
「三福」(高松市兵庫町)………………1本
「あわじ屋」(高松市丸の内)…………1本
「鶴丸」(高松市古馬場町)……………1本 11月12日新装オープン
「空海」(高松市福岡町他)……………1本
「誠」(高松市亀岡町)…………………1本
「丸山製麺」(高松市宮脇町)…………1本
「高橋」(高松市宮脇町)………………1本
「讃洲めんめ」(高松市番町)…………1本
「はやかわ」(高松市瓦町)……………1本
「こんぴらおがわうどん」(高松市番町)1本

【高松市・郊外】

「さぬき麺業」(高松市松並町他)……6本
「天霧」屋島店(高松市高松町)………4本 10月3日オープン
「大島製麺」(高松市太田上町)………3本 
「おしん」(高松市高松町)……………1本
「善や」(高松市新田町)………………1本
「古川食品」(高松市川島東町)………1本
「花車」(高松市元山町)………………1本
「かながしら」(高松市元山町)………1本
「元」(高松市一宮町)…………………1本
「黒田屋」(高松市一宮町)……………1本 1月30日オープン
「馬渕」(高松市太田下町)……………1本
「なかにし」(高松市鹿角町)…………1本
「田中松月堂」(高松市御厩町)………1本
「桃太郎館」(高松市鬼無町)…………1本

【東讃】

「入谷製麺」(長尾町)…………………4本
「八十八庵」(長尾町)…………………3本
「寒川食品」(三木町)…………………3本
「門家」(志度町)………………………2本
「郷屋敷」(牟礼町)……………………2本
「讃岐丸」(引田町)……………………1本 4月29日オープン
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「さぬきうどん」(大内町三本松)……1本
「味呂」(庵治町)………………………1本
「十河製麺」(三木町)…………………1本
「いろり家」(香川町)…………………1本
「山進」(香川町)………………………1本

【中讃】

「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………4本
「上原製麺所」(坂出市室町)…………2本
「たぬき」(丸亀市山北町)……………2本
「小縣家」(満濃町)……………………2本
「二男坊」(国分寺町)…………………1本 11月15日オープン
「彦江製麺所」(坂出市横津町)………1本
「さぬき富士」(坂出市川津町)………1本
「お福」(丸亀市富屋町)………………1本
「やじろべえ」(丸亀市土器町)………1本
「虎屋」(丸亀市)………………………1本
「飯野屋」(丸亀市飯野町)……………1本
「木村」(飯山町)………………………1本
「スタート」(綾南町)…………………1本 12月17日オープン
「さぬき玉屋」(琴平町)………………1本

【西讃】

「将八」(観音寺市)……………………3本
「七宝亭」(観音寺市吉岡町)…………1本

【島嶼部】

「すえ宏」(内海町)……………………1本

<県外うどん店>

「川福」(大阪市南区)…………………2本
「玉藻」(東京都新橋)…………………1本

<県内製麺会社>

「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)…5本
「藤井製麺」(三木町)…………………3本
「民サ麵業」(高松市勅使町)…………2本
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……2本
「香川食品」(善通寺市)………………2本
「日糧」(詫間町)………………………2本
「日根うどん」(大内町他)……………1本
「マルシン」(三木町)…………………1本
「川田商店製麺部」(香南町)…………1本
「屋島麵業」(高松市高松町)…………1本
「国方製麺所」(高松市多肥上町)……1本
「丸亀製麺」(丸亀市城西町)…………1本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………1本
「こんぴらうどん」(琴平町)…………1本

<県内製粉会社>

「日讃製粉」(多度津町)………………4本
「吉原食糧」(坂出市青葉町)…………3本
「豊国製粉所」(観音寺市粟井町)……1本
「安田製粉」(内海町)…………………1本
「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本

<その他うどん業界>

「さぬき麺機」(高瀬町)………………1本
「香川県生麺事業協同組合」……………1本

オープン広告は8本

「黒田屋」(高松市一宮町)…1月30日オープン
▼田町店、築地店に続いて「黒田屋」3店目の一宮店がオープンしました。
S61年広告・黒田屋・オープン
「讃岐家」(高松市瓦町)…4月2日移転オープン
▼「なめこおろしうどん」で一世を風靡した「讃岐家」は、四国貯蓄横からトキ新へ移転オープンです。
S61年広告・讃岐家・オープン
「めん」(高松市中央町)…4月29日オープン
▼「ゴボ天うどん」が人気だった「めん」は高松工芸高の近くにありましたが、こちらは南店のオープンです。
S61年広告・めん・オープン
「讃岐丸」(引田町)…4月29日オープン
S61年広告・讃岐丸・オープン
「でりかはうす」(高松市亀井町)…6月3日オープン
S61年広告・でりかはうす・オープン
「天霧」屋島店(高松市高松町)…10月3日オープン
▼坂出の「天霧」が高松の屋島に進出してきました。
S61年広告・天霧屋島店・オープン
「鶴丸」(高松市古馬場町)…11月12日新装オープン
▼しばらく仮店舗で営業していたフェリー通りの深夜の名店「鶴丸」が新装なってオープンです。
S61年広告・鶴丸・新装オープン
「二男坊」(国分寺町)…11月15日オープン
S61年広告・二男坊・オープン
「スタート」(綾南町)…12月17日オープン
▼本格的なうどんの出る喫茶でおなじみの「スタート」が、「お好み焼き・うどん」でスタートです。
S61年広告・スタート・オープン

第8回「讃岐うどん品評会」の結果発表!

 この年の「讃岐うどん品評会」の結果は新聞記事ではなく、大々的に全ページ広告で発表されました。表彰は店名や会社名ではなく、代表者名の個人表彰の形をとっていますが、下の協賛広告に店名(会社名)と代表者名が一緒に載っていますので、突き合わせてご覧ください。

S61年広告・さぬきうどん品評会

(昭和62年に続く)

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