土器川べりでキツネに化かされたおじさん
私は18歳(昭和28年)まで今のまんのう町、昔の長炭村におりました。お祭りやお正月、お盆、半夏、お客、何やいうてはおうどん。父が打って、踏むのは子どもたちの役目。何の布かわからんけど白いキレをかぶせて、父が編んだワラぞうりの新しいのをはいてね。昔は軒並み、みんな家でうどん打ちよったよ。洗いたてのおうどんをどんぶりにいれて、きじょうゆで食べるのが一番おいしい! あとは湯だめやね。
目の前に土器川が流れとって、当時は水道やないから、おうどんは「ゆかき」に上げて川に洗いに行くんやけど、宴会の時なんかにうどん洗いに行ったおじさんが「なんや知らん、キツネかタヌキに化かされて、気がついたらうどん全部食べられてしもた…」言うて帰ってきてねえ。ほんまは酔うて川に全部流してしもとるんやけど、まことしやかに語られるから子ども心に「そうなんかな」と思ったわ。
うどんが物語る四季
普段のおうどんはきじょうゆか湯だめやけど、田植えの後の「さのぼり」(田の神を送る祭り)のおうどんは、破竹とお揚げさんが入ったかけうどんやった。
半夏の頃は、私らは食べんかったけど「どじょううどん」を食べるところがあるね。どじょう汁の打ち込みうどんみたいな。栗熊のおばさんなんかは、どじょううどん言いよったわ。生活排水を川に流さんと畑にまいてた頃やから、水も今よりきれいやし、どじょうは水路にもうほんといっぱい泳いでたけど、あれを見るとどうもねえ…。
「半夏のはげだんご」いうて、半夏におはぎやおだんごを食べる習慣があるけど、この「はげだんご」はうどんのことや、言う人もおった。地域や家によっても違うでしょうね。
法事土産は「山越」のうどん
東の方は「細く長く続く」いうて法事のおうどんを嫌うけど、西の法事にはおうどんがつきもの。綾上の方では必ずお土産にうどん持たされよった。坂出の義母は高松の出だったんかな、「法事にうどんや、とんでもない!」言うて、「持ってお帰り」ってこっちに渡されて。「山越」のうどんを5玉ずつ袋に入れてあるんやけど、打ちたてやから帰ったらほとんどひとつになっとって、分けるんが大変。わらじみたいに平たい玉をひとつひとつはがして…。
あと、浄土真宗は法事で三部経を読むでしょ。9時に始まって12時くらいまでかかって、間で2回休む。最初の休憩で「うどんどうぞ」って出てきて、2回目はぶ厚いカステラみたいなんで、さすがによう食べなんだのに、終わったらすぐお膳が出てきて、びっくりしたことがあるわ。最近は1時間半くらいやし、そんな文化も減ったでしょうね。
思い出の母の技
母は85歳くらいまでうどんを打ってくれよった。娘を連れて遊びに行ったら、「1枚打とかな!」いうて。半間くらいの、真ん中で接いだ打ち板がいっつも台所の隅に立てかけてあって、裏に脚があってそこに細い麺棒が乗せてあってね。私やは打とう思うたら計量カップ使うけど、母は適当にパッパッと…。それできれいにのびる。夏と冬で塩加減が違うんよ。自分でも何回か打ったけど、なかなかあんな風にはいかんかったな。昭和33年頃、九州に住んだ時、ないと思ったら無性にうどんが食べたくなって、お菓子用の麺棒で打ったことがあるんよ。何がいかんのか、15センチくらいでぷつぷつ切れるうどんになったけど、主人と二人で喜んで食べたなあ。打ちたてに生醤油でね。