香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言

母親のうどんは、山梨と香川のハイブリッドだった

(取材・文:

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  • vol: 263
  • 2018.01.08

家のうどんは“ほうとう”だった

 生まれは観音寺の植田町。家は瓦屋やったん。おうどんは母親がしよった。踏んでたよ、アタシも。でもね、アタシんとこは母が山梨なん。だから、おうどんは“ほうとう”ばっかりやった。「今日はあのおうどんしよう」言うたら、ほうとう。

 ほうとうは味付けがお味噌で、カボチャとか野菜がいっぱい入っとっるんやわ。打ち込みに似とるけどちょっと違うな。山梨のほうとうはコシがない平たい麺やそうやけど、母親のほうとうのおうどんはすごい弾力があったから、おうどんは讃岐風だった。ダシも、大っきいイリコが入ってたんは覚えとる。山梨と香川が混ざっとったんやろうな。

 イリコは昔、これ位(手で一抱え位)の袋あるやん。あんなんで買うて来よったよ。イリコいうたら、アタシの先輩がイリコ屋さんなんや。大石さんいうてね。イリコを作るんでなしに、仕入れて売んりょったな。小麦粉は、家は農家やないけん、どっかで買うて来よったんやろな。

法事で叔父さんがうどんをひとセイロ食べた

 家でおうどんしよったんはそれぐらいやな。他に覚えない。年越しうどんも覚えがないし、お祭りもあんまり覚えがないよな。私んとこの家は、みんなおうどんあんまり好きじゃなかった。母親は今も、ほうとうは食べても、おうどんは食べない。こっち遊びに来て「おうどん食べる」言うたら「私おうどんいらん」って(笑)。

 お祭りに天ぷらとかもしよらんかった。小学校の時はうちは商売してたから、ほとんど年中無休じゃない。だから、お祭りとかお正月とか海水浴とかいったら、親でなくて近所の人がアタシを連れてってくれよった。海水浴はオニギリ持って行っきょったな。それと、貝掘りに行って貝のお汁はしたけど、おうどんは覚えがない。

 法事もあまり出たことないから、全然覚えてない。アタシんとこは“新家(しんや)”やから。法事は“主(おも・本家)”でするから、子供は付いて行かんよなあ。でも主の親戚の叔父さんが、1人でひとセイロ食べたいうのは聞いたことがあるわ。「あの叔父さんおうどん好きで、ひとセイロ食べるよ」いうて。まー、そこではお寿司とおうどんはしよったと思うなあ。

 そうそう、親戚に電気工事しよる叔父さんがおったんやけど、その人がどうにもならんほど派手なことが好きだったん。あの時代に電気屋さんてなかったやろ? よーけ儲けてな。芸者あげて騒いだり、自分とこの庭に土俵作って相撲取り全部呼んだり。中部中学に土俵があるやろ。あれ、その叔父さんが寄付したんよ。

観商の近くの店でうどんを食べていた

 小学校は常盤で、中学校は中部。両方とも給食はあったけど、おうどんは出なかった。高校は観商(旧観音寺商業高校)。アタシが行っきょった頃は校舎がまだ半建ちで、食堂もなかった。体育館もまだで、完成した時はもううれしかったー。バスケットしよったんやけど、体育館ができるまで外で走ったりあんなんしよったけん。もう酷かったよ、ケガして。試合で観一も行ってたよ。観一は弱いけん、当たったらうれしかった(笑)。

 観商に食堂はなかったけど、校門出たらすぐに横におうどん屋さんがあったけん、うどんは食べてた。「石部」さんとかな。メニューは普通のおうどん。チクワとくずしとネギが乗っとるような。それと市役所でも食べてた。地下に食堂があって、合宿してもそこで食べよった。そこは何でもあったけど、寄るいうたらおうどんやわなあ。おうどんはかけしかなかったように思うん。

 高校生の時は朝練で、八幡さん(琴弾八幡宮)の石段をずーっと山を上がって下りて浜を走って、その後授業。だからお弁当は3つぐらいなかったらいかんかったよ。よー食べる食べる。それでうどんも食べよったんやけん(笑)。

トキ新にツケで食べられる食堂があった

 高校出てから就職して、神戸に行きました。神戸には1年位しかおらんかったんやけど、帰省の時は連絡船で、行きも帰りもおうどん食べてた。あっこで食べるもんと思いよったけん。今思ったら、どんなんかなーと思うけど、そん時は美味しかったなあ。

 ほんで高松に帰って来た。こっちに友達がおったけん。高松は瓦町に住んどったんやけど、その辺りにもおうどん屋さんはあったねえ。覚えてるのは、トキワ新町に入ったとこのお店。通り沿いだったと思うな。名前は覚えてない。ご飯もおかずもイナリもあった。まあおうどん屋さんいうんではなくて、ちっちゃい食堂やな。おうどんは食べた覚えがないけど。

 そこにツケでご飯を食べに行ってたん。給料出たら払うん。ほんである時、食べた覚えがないツケがよーけあって。「アタシ何でこんなよっけあるん?」言うたら、お店の人が「食べに来よったで」言うて。聞いたら、当時付き合いよった主人が、黙ってアタシのツケで食べよった。悪い人やろー(笑)。まー、それからすぐ結婚したんやけどな(笑)。

●観音寺に昭和の放蕩息子じゃなくて「ほうとう家族」が発見されました(笑)。文化の融合です。あと、「彼女のツケ」で飯を食ってたご主人のキャラが気になります(笑)。

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