うどんの作り方は今と同じ
うどんは子どものころから家で食べよったな。外食はほとんどなしや。農家の普通の家ではめったに出汁は作らんかった。うどんにネギとしょうゆかけて食べよった。各家庭に麺棒と打ち板があったな。家で作るときはまず、「すしはんぼ」っていう、おすし混ぜる大きな木の桶で、粉混ぜて生地作って玉にするやろ。そんで、ござの間にそれを挟んで踏まされよった。嫌で逃げよったわ。遊びたいけんな。それで、麺棒で延ばして、おくどさん言う、まきで火を沸かすやつな。それで茹でて食べよった。作り方は今とおんなじや。塩入れて作りよったで。生地も寝かしよった。でも半日くらいやな。昼に作って、半日くらい寝かせて夕方ゆでたりしよった。家でうどん打ちよったんは中学生ぐらいまでやから、昭和の44、45年くらいまでかな。小麦を自分とこで作らんようになって、家でうどん作らんようになったな。
「松本水車」へうどんを買いに行っていた
新名の本津川沿いにある「松本水車」に小麦を持って行って預けて、メリケン粉とか、ゆでる前の生麺のうどんとかを持って帰りよった。いつごろやめたかは分からんけど、今はもうないな。川の横にあったけど、自分が行ってたころは、水車はなかったな。そこは自分とこで冷や麦も作りよったな。今より束が太くて、冷や麦は直径5センチくらいの束にしとった。精米してもらうんも、ここへ行きよった。ここにうどんを食べるとこはなくて、生麺の状態までをやりよった。
病気のときにうどん屋のうどんを買ってもらった
うどん屋のうどんを最初に食べたのは中学生より前やな。小学生のころ、病気の時にうどんを買ってもらいよったわ。どんぶりに入れたうどんで、出汁入って、かまぼこも載っとった。取っ手の付いた箱、岡持ちみたいのに入れて、どんぶりごと持って帰ってきて食べて、どんぶり返しに行きよった。店のうどんは色が白くてつるりとしとった。いろんな小麦をブレンドしてたからな。家で小麦を作らんようになったころから、うどんを食べられるお店が増えてきたな。
田んぼのドジョウでドジョウうどんをしていた
ドジョウうどんも作りよったよ。田んぼにおるドジョウを取って帰って、バケツに入れてごみをふかして。田んぼで汚いもんようけ吸いこんどるけんの、それを出させるんや。それでドジョウを生きたままどんぶりに入れて、酒入れてふたをする。そしたらドジョウが酒吸い込むけん、仮死状態みたいになるんやな。それで野菜、サトイモ、大根、ニンジン、ネギとかと、生のうどん入れて煮るんやけど、ここにドジョウ入れてふたする。生きとるけんドジョウが暴れるけんの。それでみそ入れて味付けとった。家ではドジョウうどんにしたり、打ち込みうどんにしたり、しょうゆで食べたりしよった。打ち込みうどんはドジョウうどんのドジョウを抜いただけのや。家でドジョウうどんは12、13歳くらい(昭和40年頃)までしよったかな。田んぼに農薬まきだして、ドジョウがおらんくなったから、ドジョウうどんしなくなった。田んぼの水路もコンクリになって、ドジョウが産卵する場所なくなってきて、おらんくなった。
獅子舞の練習後は、たいてい打ち込みうどん
法事、正月、祭りには、うどんは必ず出よった。たいてい、祭りのときはかけうどんで、獅子舞の練習の後は打ち込みで、みそ味だった。自治会の集会所、公民館みたいなとこで、獅子の練習しよる横で作っとった。
小学校の給食にうどん
小学生のころに、給食にうどん出たような気がする。メーンじゃないで。おかずの一端で。お汁の代わりで、みそ味のやつや。