母が打つうどんを日常的に食べていた
生まれは八幡(観音寺市八幡町)。家はサラリーマンです。そこから天神(観音寺市天神町)に嫁に来ました。八幡にはうどん屋はなかった。街と違うわな。ほだけんアタシやは、子供の時は食べに行たこともない。近所に製麺所もなかったな。
自分き(家)では、おうどんは手打ちうどん作んりょった。打つんは母。打ついうたって、練って延ばして、ほんで切って食べよったくらいやなー。お汁のダシはイリコで、よー効いて美味しかった。
うどん打つ粉は精米所でもろてきよった。八幡にあった「藤原」さんいう精米所です。麦を挽いてくれよったんやな。挽くだけで、うどんは作んりょらんかった。私、見たことない。あそこはまだ米屋しよると思う。もうあれからいうたら、三代になるわな。親の代からやなあ。
うどんはどういう時でなしにいっぱい食べよったけど、半夏には必ず食べよったわな。かけで、それこそおアゲと赤板やスマキ(どちらもカマボコ)や、あんなん混ざったんが乗っとった。
冬は打ち込みもしよった。炊き込みしてな。食べたら美味しいし温もるし。夏は素麺食べるけん、うどんは食べんかった。素麺はどこかからくれるけん、よー食べよったな。
うどんは法事にもしよったな。前の晩に行た時すぐによばれて(いただいて)、ほんで「おかんき」して。ほんで次の日の帰る前にもよばれよった。メニューは湯だめやったな。法事のうどんは、もう打ってないけどな。今は買うて来るやん。
今でもおうどんは、やっぱり1週間に一遍や二遍は食べる。全然食べんのはな、寂しい。