香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

仲多度郡まんのう町・昭和6年生まれの女性の証言

満濃のうどんの思い出(本格派手打ちうどん「山鹿」の女将・河田輝子さんのお話)

(取材・文: 、聞き手:メタボ柿原・篠原楠雄)

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  • vol: 162
  • 2016.12.08

今考えると昔のうどんは贅沢だった

 家は満濃(現まんのう町)真野(まの)の農家。農家ですから小麦作ってて、それをお爺さんとか母親が「ニブイシャ」っていう水車のところへ持って行って、交換するか粉にしてもらってました。水車は家から自転車で20分ぐらいのところにあったそうやけど、私は行ったことがない。小麦粉は色が今みたいに白くなくて黒っぽい粉。それを持って帰って家でおうどん作ってたんです。

 おうどんを作るのは母親。父親は戦争行ってましたから。私の母親は明治44年生まれ、大正になる境目ですね。母親の時代は、おうどんとちらし寿司と醤油豆。この3つが一人前にできんかったら、お嫁にもらってもくれないし、行くこともしなかったんやそうです。

 当時のおうどんは美味しかったですよ。メニューは醤油かけか、いわゆる普通のかけうどん。醤油は家で作ってました。作り方は全然知らないんですけど。大豆も作ってましたし、お味噌も作ってました。今考えたら、非常に贅沢な話ですよ。みんな無農薬でねえ。お野菜も無農薬やし、昔の人のほうが贅沢してましたよ。かけうどんのおダシはニボシ。今みたいに昆布やカツオは入れない。ニボシだけだけど、美味しかったですよ。

正月からお祭りまで出てきたうどん

 うどんはいろんな時に食べてましたけど、1年の初めから言うと、まずお正月。12月の31日に作っといて、1日に食べるわけ。朝はお雑煮を食べますけど、昼とか夜とかはおうどんを作ってありました。必ずっていうんではなかったかも知れないんだけど、大抵作ってましたよ。お正月三が日の間は、女の人でもあんまりお料理作らないから、おせち料理みたいな。お煮しめとかと一緒におうどんも31日に作っといて、1日に食べたんが美味しかった。でも年越しはおソバやったん。おソバも家で作ってました。

 お正月以外の寒い時は、打ち込みうどんを週一~週二ぐらいでしょっ中していました。具は家で採れた野菜で、味付けは醤油。お爺さんが「お味噌がいる」って、お味噌でする時もありました。

 それと「市(いち)」。満濃池で市があったんです。その市や部落のお祭り…祭りは春もあるんですけど、その時には、絶対おうどんは作って出します。メニューは普通のかけうどんでした。

法事はお坊さんも湯だめうどん

 法事の時も作ります。法事って、香川県て日本で一番狭い県ですけど、西と東で全然違うでしょ? 私が生まれたところの方は子供の頃は2日してたん。今は1日ですけど。1日目はみんな晩のご飯は家で食べないで、法事しよる家でおうどんを食べる。メニューは、湯だめって言って今の釜揚げとはちょっと違う、ざるの温かいみたいな感じ。一回湯がいておうどんをお湯でつけて。釜揚げの好きな方と、湯だめの好きな方いうんは違うんですよ。釜揚げはコクがある食べ方で、湯だめはコシがある食べ方。その法事には湯だめを出すんですけど。他のものはなんにも出さないんですよ。そのおうどんだけを出すんです。そしたらみんな、大抵7杯か8杯、食べる人は10杯ぐらい食べよりましたわ。玉も大きいんです。昔の方はいっぱい食べてましたよ。子供はお給仕させられるんですけど、運んで行っても行ってもキリがない。湯だめのつけダシは、煮干は使わず椎茸でしょったと思います。昆布は使ったかどうか。

 満濃は今も法事は2日するんか妹に聞いたら、今は1日(いちんち)で終わらすようになったそうです。それでもうどんは出すそうですよ。例えばお寺さんを10時に案内しとくと、みんな朝の8時過ぎから来るんですよ。朝のご飯は食べてこないで。それでそこの家で、湯だめのおうどんを食べる。私も主人が亡くなった時に、どうするんやろいうて、実家の弟の嫁に聞いたら「姉さん、お寺さんも食べんと来るけん、おうどんいるで」言うて。そうなら早よ来て手伝うてって。そしたらほんまにお寺さんもね、朝ごはん食べんで8時半に来て、おうどんを食べました。10時からお経が始まるっていうのに(笑)。お経は浄土真宗なんで、長い長い長い、半日ぐらいかかる三部経。三回お経をする間で、一回目がお茶菓子で、二回目がフルーツを出すんですが、おうどんがいるっていう方もいらっしゃいましたね。

 これは高松にはないんです。高松は朝おうどんは出さない。これはどこからかしらんが境になっとんでしょうね。主人が亡くなった時にね、仏さんの前に吊る大きな灯籠を仏喜堂かどっかしゃん(どこか)で買うて、わざわざタクシーで持って帰ったん。ほんで二年目の時に、地元の婦人会の方が「婦人会がこれやんりょるきに、婦人会で取って」って。そしたらその時にね、その人が「お墓の灯籠、あれはなんぼいるん?」って言うんです。高松はお盆にお墓に灯籠を立てるけど、主人のお墓は満濃にあるから「あっちはしない」って言ったら「奥さん若いけん知らんので、お盆にお墓さんに灯籠立てんとどうするん」って言われて。今より大分若かったから(笑)。「あれ地域によって違うんです。あっちはないんです」って断るのに一苦労したんですよ。婦人会の人みんなに「そんなはずがない、若いけん知らんのや」って言われて。持っていってうちだけこんなん立てたらおかしいやん。それで一回ね、どこが一体境になっとるんやろ思て、電車に乗って、中見んとずーっと外見てね、そしたらね、円座辺りが境目でした。ここお墓さんに灯籠はないな、思て。ちょっと行っきょったらまたあるんです。そっから向こうはなかった。この辺がおうどんも境になっとんかもね。

 法事のお土産にも必ずうどんを持って帰ってました。満濃の実家の法事へ行くと、必ずうどん玉をお土産に持たされるんです。「要らん」てなんぼ断っても「これは持って帰ってもらうもんやけん」いうて必ず2玉ぐらい入れてあるんですよ。私のところやうどん屋やのに(笑)。

うどん打ち名人だった義理の父

 法事がある時には、近所の人がおうどんを作ってくれてました。うちの主人の父親もその一人で、みんなが「うどん名人、うどん名人」って言ってました。主人は父親にうどん打ちを教えてもらったんです。ゴザに麺棒と、それから何かしゃん打ち板みたいなんと、うどん打ちの七つ道具をちゃんと束ねとって、ひょいと肩にかけたらすぐ出れるようにしてました。出身は、まんのう町の長田のうどん屋のもう少し奥の村。その部落の家は40軒ぐらいで、そのどこかの家に法事があったら「おうどん作りに来てほしい」って、お声が掛かるんですよ。それを本人も楽しみにしとって、朝5時ぐらいから行くんです。

 主人の父親は、練って踏んでちょっと置いて、それを延ばして切ってまでをするわけ。湯がいたりお玉取ったりするんは女の人たちで、こんな大きなもろ蓋に湯がいたおうどんを入れていく。昔は土間でかまどを薪で炊いてたでしょ。大変でしたわ。

 友達にも頼まれるし、親戚にも頼まれるし、部落があってもいっぱいうどん打ちを頼まれる。頼まれたらね、いそいそと行くんよ。ほいでお金はね、ひとつももらわんの。ほだきん、お酒がすごい好きな人やから、帰りに一升瓶を、それと一緒に二本ぐらい下げて帰る(笑)。それが主人の父親のね、生きがいにしとったんかと思う。ほんまに、どこからでも頼まれたら行くんですよ。友人、その友人とかが、が住所聞いて言うて来るんです。

田植えの後のアシアライ

 田植えの時もおうどんを食べてました。6月の満濃池のゆる抜きのごろ(頃)や。満濃池のゆる抜きしたら田植えが始まって、近所みんなお互い共同作業みたいにやって、大体3日かそれぐらいで済んみょったん違うんかな。終わったら一緒に作業した人がおうどん食べるん。どっかの家に寄って、大人も子供も一緒にそこで。アシアライとか言って、「足を洗う」とか書くんかな? 共同で田植えした中の誰かがおうどん作って、アシアライいうんしよったん。おうどん作るんは、それこそ主人の父親みたいな人。で、アレは何で食べよったんかな? これは私が生まれたとこだけかも知れませんよ。

 ちょうど田植えの時はドジョウがおる時期やから、ドジョウ捕まえて、ドジョウうどんにもしよりましたね。なんかザルみたいなん仕掛けて、川で捕まえてきてね。私は大嫌いなんで食べんかったけど(笑)。ドジョウもウナギも食べない。アナゴも食べない。巻きずしでもアナゴが入ってない方。

 それから半夏、7月の2日。これもおうどん作るん。いつからかうどんの日になったんやけど、半夏におうどん作んりょったんがずっと先や。

終戦前後に満濃~琴平にはうどん屋はほとんどなかった

 主人と結婚するまでは、ずーっと満濃にいました。終戦の時は女学校。女学校行っきょった頃は、おうどん屋さんみたいなところへは食べには行かなかったし、あんまりお店自体がなかった。学校では、運動場を生徒が開墾してサツマイモ植えたり、琴平の学校の近所の農家へ農繁期が来たら手伝いに行かされるんですよ、午後は。稲刈りとかなんとか行きましたよ。で、サツマイモとかをふかしたオヤツくれるから、それが楽しみだった。高校は琴平行っきょったんですが、とにかく終戦後しばらくはうどんどころでなかったし、お店もなかったですね。

 私は白いうどんより昔のちょっと黒いうどんが好きやから、県の担当の人に「昔のような色のうどん粉を作ったらええのに」言うたら、「今は若い子がうどんを食べに来るから、白いうどんでないといかんと」言われたんです。でも私は「よその県で食べまあせ白いうどん、香川で食べませ本物の色のうどん」いうて宣伝したらええのに思とります。

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