高松高校の学食のうどん
- 子どもの頃に食べられた印象に残っているうどんといいますと?
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高松高校に通っている時(昭和45〜48年)に学食で食べたうどんです。かけうどんと天ぷらうどんの2種類があって、天ぷらの具は入学した当初は小エビでしたが、しばらくすると金時豆に変わったことを今もよく憶えています。
食べ盛りの頃なのに学食で販売していたうどんにはなぜか大や2玉のサイズがなく、そのため、かけうどんと天ぷらうどんの両方を注文していました。そして天ぷらは半分に割って、そのうちの一つをかけうどんへのせるんです(笑)。そうすると、どちらも天ぷらうどんになりますよね。ちょっと得した気分になるのがウケて、友達もみんなそのようにしていました。
値段はかけうどんが18円でしたが、入学後すぐに20円に。天ぷらうどんは25円か30円だったはずです。学食のメニューはうどんだけで、他には何もありませんでした。麺や天ぷらはどこかの店で仕入れていたもので、ダシだけ学食で作っていたのではないでしょうか。
- 学食以外のうどんのご記憶は?
- 当時、高松市民会館の地下にセルフのうどん屋がありましたが、高校からの帰りにそこもよく利用しましたね。あとは大学生の時、帰省する際に食べた連絡船のうどんくらいです。連絡船のうどんは、高松港から麺を積み込むので上りの便で食べる方が美味しいはずですが、気分的に帰省する時の下りの便じゃないと食べたくなりませんでした。不思議ですね。
家でうどんを食べたのは夏場だけ
- 子どもの頃、ご自宅ではあまりうどんを食べませんでしたか?
- 小学生の頃(昭和35〜40年頃)冷やしうどんを時々食べたくらいですね。暑い時期のお昼に。素麺と同じ感覚です。うどんが入っている器もガラスでしたから。冬に家でうどん食べたことはありません。何かの節目などに合わせて口にすることもありませんでした。バラ寿司は法事や祭りなどによく出ましたが。
- 麺はどこで買っていましたか?
- 家の近所に製麺所があり、そこから買っていました。お遣いにも行きましたが、麺を水で捌いたり、お椀に入れたり、せいろに並べたりしている光景を憶えています。ただ、不思議と麺をビニール袋に入れてもらった記憶がなくて…。一体どのようにして家に持ち帰っていたのでしょうか。
「さぬきの夢」の品種開発に携わっていた
- 小さい頃のうどんの思い出は、それくらいしかありません。大人になってからは、うどん用の香川県産小麦を作ったエピソードがありますが(笑)。
- えっ!? 県産小麦って「さぬきの夢」のことですか?
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はい、そうです。それまで県内で栽培されていた「チクゴイズミ」に変わる品種を目指して、農業試験場で「さぬきの夢2000〜2009」の品種開発に携わっていました。何の土台もなくゼロから立ち上げて、年間に30種ほどの交配を行い、「さぬきの夢2000」の品種に持って行くまで9年かかりました。たったの3人で開発を行っていたんですよ(笑)。
「食味感応試験」といって、毎年交配した品種の小麦をうどんにして、さまざまなスタッフが10数人集まって食べ比べました。麺は製粉や製麺、湯がき方などの条件をすべて同じにして、それぞれの麺には番号が付けられ、食べる人はどの品種か特定できないようにして。味の評価は、基準になる品種、例えば当時なら「チクゴイズミ」との差異で行いました。もちろん味だけではなく、生育の手軽さや病気への耐性なども評価の対象になりましたが。
私は食味感応試験や品種の開発といった屋内の作業だけではなく、実際に畑に出向いて小麦の栽培や収穫も行いました(笑)。フィールドワークの方が圧倒的に多い大変な仕事でしたね。
- ご苦労様でした。以後、肝に銘じて味わいます(笑)。貴重なお話をどうもありがとうございました。