トキワ街と庵治町の映画館のそばにうどん店が
- これまでに出会った印象に残っているうどんは?
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高松で住み込みで働き始めた18歳の頃(昭和31年)、高松のトキワ街にあったレストランで食べた一杯です。とても美味しくて、仕事上がりや休みの日によく店を訪れてうどんを食べました。トキワ街には昔、映画館の松竹がありましたが、その正面にありました。店の名前は、トキワ何とか…だったかと。映画館と同じ経営者で、店先にはチンドン屋の格好をした人形が立っていました。ちょうど大阪の「くいだおれ」人形のような感じです。レストランにはうどんだけではなく、オムライスといった当時としてはハイカラなメニューもありました。
でも、子どもの頃はあまりうどんは口にできませんでしたね。ありつけるのは大晦日と正月、それに母とお遣いへ出掛けた時、親戚の店でたまに…。親戚の松岡さんというご主人が庵治の旧商店街の北側にあった映画館のそばでうどん店を切り盛りしていました。
- 庵治でも映画館のそばのうどん店なんですね(笑)。
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今では考えられないかも知れませんが、昭和20~30年代には庵治にも映画館がありました。それも二つも! 「金龍館」と、芝居小屋も兼ねていた「盛栄座」です。夜遅くまで賑わっていました。特に、天候不順で庵治の漁師が出漁できなかった日は、立ち見客が出るほどの盛況ぶりでした。
その庵治の「松岡うどん」はセルフではなく一般的な店で、メニューはかけうどんのみ。薬味はネギと花鰹だけでした。麺は店では作っていなくて、農協から仕入れていたのかも知れません。席数は10人ほどで、こぢんまりとした雰囲気でした。
庵治では農協のうどんで年越し!?
- 当時、農協でうどんの玉を販売していたのですか?
- 普段から販売していましたが、年末は特に大量に作って注文に応えていました。小さい頃、大晦日とお正月に食べていたうどんは農協のうどんです。庵治では年越しそばではなく、「農協の年越しうどん」が一般的ではなかったでしょうか。
- 年越しうどんと松岡うどん、どちらが美味しかったですか?
- それは松岡うどんですよ(笑)。母と一緒に買い物に行くのは、松岡うどんが目当てでしたから。「ちょっとうどん屋に寄ろう」という母の一声は、めったに掛かりませんでしたが(笑)。