香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市宮脇町・昭和14年生まれの男性の証言

宮脇町の丸山、如月、高橋と、高松駅のうどん屋

(取材・文:

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  • vol: 151
  • 2016.10.25

昭和30年代、うどんの一玉は今より大きかった

 私は子どもの頃、王越に住んどったんよ。高校2年生(昭和31年頃)の頃、坂出に「びっくりうどん」という店があって、30分以内に5杯食べたら無料というので売り出していた。場所は坂出の市役所と商店街の繋がった辺り。私の友人が挑戦して、28分で食べきり、2回目は15分以内で食べきり、もう一回行ったら「もう、お前、来るな!」と出禁をくらった。当時のうどん玉は、今よりだいぶん大きかったんで。1.5倍くらいはあったかな。自分もチャレンジしたけれど、1杯半でギブアップやったから。今より大きかったはずや。

宮脇町界隈のうどん屋の話

 亀阜小学校の西にあった「丸山うどん」は、私が46歳で宮脇町で店を始めた時には既にあったから、昭和60年にはあったと思う。丸山で覚えとんは、木工員の青年が木くずを肩に留めたままかけこんできて「ダブルをダブルで」言うて、注文していた。要するに4玉やね。さらに手には天ぷらとじゃがいもの串を指に挟んでもって、もう一本を食べながらよ。その食べっぷりが今も印象に残っとるね。

 あと、この近所(宮脇町)には「如月(きさらぎ)」といううどん屋もあった。道の東側な。

私もそこ、よく行きました。覚えています。セルフではない店でしたね。10年くらい前までやってたように思います。店の中に池があって、金魚がいました。客がエサとしてやるのか、うどんの破片がよく池に沈んでいましたね。
 おお。店内に池、あったのぅ(笑)。如月は肉うどんがおいしかったね。
店の奥に製麺の部屋があって、おじさんがそこで、扉締めて打つんです。音だけして。なんか「鶴の恩返し」みたいだったんですよね(笑)。いなり寿司もありました。おばちゃんが一見怖そうそうなんですが、子ども好きで、うちの娘は必ずきつねうどんを注文して、おまけに必ず当時宮脇町にあった「エリート」のシュークリームを一個もらっていました。
 こっちのマルナカ宮脇店の筋にあったんが「高橋うどん」な。漢方薬局の宮脇薬局の隣にあったね。シンプルなメニューで、かけうどんとラーメンもあった。値段は80円前後だったかな。製麺もしよったと思うで。ラーメンもおいしかったわ。
…なんかまた、近々うどん屋するらしい…という「うわさ」を聞いたけどな。ほんまかな。

高松のさぬきうどん

 35年くらい前はサラリーマンだったので、出張で東京に行きよったんよ。当時、東京の人には「讃岐うどんは固くていかん」って言われよった。いわゆる「コシ」がわかってなかったんやろうな。理解されてなかったね、讃岐うどん。

 4年くらい前、玉造温泉に行って大浴場で湯船に一緒につかっとった人に「高松から来た」いうたら、「高松な。さぬきうどんはおいしいやろぉ」いうて言われたよ。有名になったんやな。でもなぁ、100円のうどんがどんだけ売れて、誰がどんだけ儲けよんな(笑)? そう思わんかい?

 それと、連絡船の上のうどんはおいしかったなぁ。出張の時は必ず食べたで。月2回は県外に行っとったからな。80円か、100円か。そんなもんやったな。

高松駅のうどん

 高松駅では「かな泉」が売り出したんな。最高の昆布、にぼしと粉で売り出した。「そこからやで、高松でのさぬきうどんが有名になったんわ」と僕の8歳上の兄が言いよったな。高松のさぬきうどんの発祥はそれやって。

 高松駅のうどん屋、いつだったか、1週間で3つくらい交替したことがあったと思う。かな泉の他に3軒くらい入ったんよね。その頃からやな、「高松駅のうどん」がおいしくなくなったんよねー。

ちょっといいたいこと

 それと、言うてええかい? あんたに言うても仕方のないことやけどな。セルフの店で、注文を聞くところやお金やりとりするところに、ねぎやしょうが置いとるとこあるやろ。あれ、やめてほしいんやなぁ。絶対、ようけがしゃべるところやけん、なーんか…だればれのツバとかが飛んどって、ちょっと汚い感じがしてなぁ…。
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