- 小さい頃(昭和一桁時代)にうどんを食べていましたか?
- 父がうどんを打ってよく食べさせてくれました。母は私が3歳のときに亡くなったのですが、それまで父は母と一緒にうどん屋をしていたそうです。だからうどんを作るのは上手でした。
- ご両親がうどん屋を?
- 多肥(高松市)の古い商店街の一角に店を構えて営業していたそうです。私に物心がつく前の出来事で、また父からもそのうどん屋の話をあまり聞かされなかったこともあり、詳しいことは分かりませんが…。
- 3歳までといいますと…
- 昭和の2、3年頃まで営業していたことになりますね。店をやり始めたのは多分、大正時代だと思います。
- 元うどん屋のご主人だったお父さんが作る、うどんの特徴は?
- とにかく、うどんの麺を作るのが恐ろしいほど早かったです(笑)。いつも小麦粉から作っていたのですが、うどんを茹でるための水を沸かし始めてから作っていたにも関わらず、沸き上がる前にはとっくに生麺が出来上がっていました。生麺が出来上がった後はいつもタバコをふかし、大鍋の水が沸き上がるのを余裕しゃくしゃくで待っていましたね。
少ししか麺を作らないときは、足踏みの作業を手で!?
- どのように作っていましたか?
- うどん屋をしていた時の道具だと思いますが、自宅には一見しただけで家庭用とは趣きが違う麺を打つ板や棒、大きな包丁があり、それらを使ってうどんを作っていました。 中でも一番よく憶えているのは、麺棒を使って生地を伸ばしていた作業です。何度も何度も生地をひっくり返して押し広げたり、あらゆる角度から麺棒を押し込んだり、麺棒に生地を巻き付けてクルクルと回しながら板に押しつけたり…。父がその作業にこだわっていたことが、子どもながらにも分かりました。
- 生地を足踏みする作業は?
- 生地にゴザを敷いて足踏みすることもありましたが、それは麺を大量に作るときだけ。10玉未満の少量しか作らないことがほとんどだったので、足踏みはしていませんでした。多分、足踏みの作業を麺棒も駆使しながら手で行っていたんだろうと思います。
近所の家の結婚式で、うどんを作った!?
- どんな時にうどんを作っていましたか?
- 食事の献立の一つとして日常的に作っていました。昼御飯や晩御飯としてはもちろん、ちょっと小腹が空いたときの「おやつ」としても。 また、親戚や知り合いが自宅を訪れた際や、地区の寄り合い、共同掃除なんかがあったときも集まった人を自宅に招き、父がうどんを振る舞っていました。
余談ですが、父はうどんだけではなく、料理が全般的に得意だったようで、近所の家で結婚式が行われるときは、宴席の料理人としてよく駆り出されていました、もちろん、その際もうどんを作ったはずです。
- 家でうどんをどのようにして食べていましたか?
- 御飯として食べるときは、しっぽくうどんや打ち込みうどんが多かったですね。うどんと同じ生地を使った団子のお汁もよく食卓に並びました。知人などに振る舞うときや、おやつの代わりにするときは、かけや生醤油が主でした。
- さすが元本職だけあって、うどんのレパートリーは幅広かったんですね。
- うどん屋をしていた頃の写真が一枚でも残っていれば、もっと具体的なお話ができたのですが…。でも、その頃(大正~昭和にかけて)は写真なんて一般には普及していませんしね。だから私は母の顔も知らずじまいなんです。どちらも見てみたかったですね。