- 小さい頃にうどんを食べたご記憶は?
- 母がよく鍋焼きうどんを作ってくれました。アルマイトのような素材でできた一人用の鍋を使って。
- 香川で鍋焼きうどんって珍しいですね。
- 両親が愛媛の松山出身で私自身も松山で生まれ、京都や奈良でも住んだ後、小学4年生の時(昭和31年)に高松にやって来ました。
- なるほど。それで鍋焼きうどんなんですね。
- 牛肉のしょうが煮や春菊、卵、ネギ、カマボコなど、割と贅沢な具を入れていましたよ。
- では香川のうどんを最初に知ったのは?
- 通っていた四番丁小学校(高松市立・2010年3月に閉校)の給食で食べたのが初めてです。
- 当時(昭和31年頃)、小学校の給食でうどんですか!?
- 私は転校生だったので最初は本当に驚きましたけど、慣れている友達は平然としていましたね。当たり前ですが(笑)。
- うどんは給食でどのように登場するのですか?
- せいろが教室ごとに配膳され、中に入っている麺を箸で持ち上げて器の中に一玉ずつ入れていました。それから、ネギやカマボコをのせて熱いダシを掛けていたと記憶しています。その時の器も、アルマイトのような素材でした。
- 味はいかがでしたか?
- ダシは熱いのですが、麺はとっくに冷めていましたので、なんだか中途半端だなと思いました。鍋焼きのアツアツに慣れていましたから。
- 結果的にうどんは麺が冷たくてダシが熱い「ひやあつ」だったんですね(笑)。
- でも、今のうどん屋さんの「ひやあつ」とはほど遠い味でしたが(笑)。
- うどんはどれくらいのペースで給食に出ましたか?
- 月に一回は必ず登場しましたよ。
- 給食を経て、香川のうどんとの次なる出会いは?
- 高校の時に学食で食べたうどんです。当時(昭和30年代後半)、高松第一高校に通っていたのですが、学食でうどんとパンが販売されていました。
- どのようなうどんだったのですか?
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素朴なかけうどんでした。トッピングはネギと花鰹で、花鰹をうどんの上にのせると熱さで〝フワッ〟としていたのをよく憶えています。
その後、しばらくしてからサイドメニューに金時豆の天ぷらが加わりました。「成長期の高校生にとってかけうどんだけでは栄養が足りないので、追加メニューを」という生徒からの要望を受けて増やしたんです。
- うどんと天ぷらの値段を憶えていますか?
- 確か、うどんが一杯15円。天ぷらが5円でした。
- 学食はセルフ形式だったのですか?
- スタッフの方が用意してくれて、メニューの受け渡しだけがセルフでした。11時頃から夕方頃まで営業していて、お昼はもちろん、部活の前も男子学生を中心に賑わっていました。
- 店へうどんを食べに行ったご記憶はありますか?
- 両親とよく行ったのが当時、紺屋町(高松市)にあった「アズマヤ」です。休日、三越や商店街で買い物をした時は必ずと言っていいほど訪れる、我が家では定番の店でした。そこでうどんと冷たいデザートを食べるのが何よりの楽しみでした。
- アズマヤのうどんはどんなうどんでしたか?
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優しい感じのホッとする一杯です。具は椎茸やのり、かまぼこ、薄焼き卵なんかが入っていました。具の色も黄色、ピンク、黒と印象的でしたね。
先日、久しぶりに栗林公園の前に移転した今のアズマヤでうどんを食べました。当時と基本的に内容は変わっていませんが、含め煮の椎茸は小さくなっていましたね。昔は3〜4センチほどの大きな椎茸がまるまる一つ、入っていました。
- その他で印象に残っている店は?
- 高校生くらいになってからは、高松の片原町商店街にある「丸ふく」で焼きうどんをよく食べました。
- 鍋焼きうどんではなくて、焼きうどんですね(笑)。
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丸ふくの焼きうどんは、普通の焼きうどんとは少し違っていましたよね。ソースタイプではなくて、長崎ちゃんぽんのような餡かけタイプでした。キャベツや豚肉、ニラ、ネギに加えて、キクラゲなんかも具に入っていたのを憶えています。昔はトキワ街(高松常磐町商店街)にも店があって、そこでもよく食べました。今はもう、鍋焼きうどんがメニューにないんですよね。とても残念です。
こうやって小さい頃に食べたうどんを振り返ってみますと、釜揚げのような讃岐らしいうどんを経験していませんね。個性的なうどんばかり。スタートが鍋焼きうどんだったからでしょうか? もちろん、今は本格的なものをしっかりと食べています(笑)。