香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

綾歌郡綾上町・昭和43年生まれの女性の証言

普段はドロドロの打ち込みうどん、法事は食事もお土産もうどん三昧

(取材・文:

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  • vol: 134
  • 2016.05.30

家で汁がドロドロの打ち込みうどんを食べていた

何かうどんでトラウマがあるとか聞きましたが(笑)。
 小さい頃(昭和50年前後)に家で食べていたうどんは、大きな鍋で作っていた“お汁がドロドロ”のやつばっかり。鍋の中に入っている具が煮込まれて角が崩れてドロドロになるんやけど、うどん自体にもそこそこ粘りがあって、それがもう嫌で嫌で。どんなに街のうどんに憧れたことか(笑)。
街のうどんって?
 汁がサラッとしていて、具もシンプルなやつ。きつねとか、ざるで出てくるやつとか。だから、たんま(たま)に高松の商店街へ家族で買い物に行ったときは、必ず店に立ち寄って汁がサラッとしているうどんを食べた。三越の大食堂や兵庫町商店街にあった「さぬき一番」とかで。美味しかった~っ!
家で食べていたドロドロのうどんというのは、いわゆる打ち込みですか?
 「打ち込みうどん」と「しっぷく(しっぽく)うどん」と「どじょううどん」の3つ。一回つくると2~3日、続けて食べたよ。日を追う毎にドロドロ具合が増していったし(笑)。 打ち込みとしっぷくは冬に、どじょうは夏によくに食べた。サトイモが冬にできて、どじょうは夏に獲れたからやろなぁ。どの鍋にもいろんな野菜がゴロゴロ入っとったけど、家は農家やったから全部、自分とこでまかなえた。

 どじょうは、綾上と塩江(高松市)の間に今も養殖しよるところがあるけど、昔はその辺りからどじょうを売りに来る人がおった。それと、近所の商店でもどじょうがたらいに入れられてよく売られとった。近くの川にもおったはずやけど。

子どもが食べる物としては、どじょうはキツいですよね(笑)。
 嫌いやったーっ! 骨っぽくて、ガリガリするから。それと、煮えている鍋の中に生きたままのどじょうを放り込むんやけど、どじょうがピチャピチャ跳ねたりして、気持ちのええもんじゃなかったし。豆腐の中に逃げ込むどじょうもおった。豆腐の中は熱さが少しマシやったんやろか(笑)。年寄りは、どじょうが豆腐の中に逃げ込むことを何とかって言ってたけど忘れたわ。

 しっぷくや打ち込みに入っていた鶏肉も嫌いやった。当時は鶏肉って言わずに「かしわ」って呼んでて、まぁこれが堅くて堅くて。子どもではよう噛み切れん。ドロドロに加えて苦痛の種やった。

麺はどうしてたんですか?
 近所の商店やスーパーで麺を買って、それを使っていた。その麺は「山越」が卸していたやつやったよ。みんなよっけ買っとった。

綾上はしっぽくではなく「しっぷく」?

先ほどから「しっぷく」という言葉が出ていますが、「しっぽく」のことですか?
 そうそう、しっぽく。綾上の年寄りはしっぽくのことをしっぷくって言う。「ぷく」を福の字にかけて縁起を担いでいるんやって。小学校(昭和50年代)の給食でしっぷくが出て、そのときに「しっぽく」ってなってたから自分も気がついた。でも、今だに「しっぷく」って言ってしまう。
小学校の給食でしっぽくうどんが出てたんですか?
 出た、出た! 味噌仕立てのしっぷくが。通っていた山田小学校でも綾上中学校でも。うどんはビニール袋に入ったソフト麺で、袋を破って麺を取り出して汁が入った器の中に入れた。麺は水でさばくこともなかったから、もちろんごわごわで。箸の通りも悪かった。

 「また~っ!?」と思うくらい、給食でもしょっちゅううどんが出たなぁ。ただでさえ、しっぷくは家で飽き飽きしとったのに。小学校のキャンプで蔦島に行ったときもうどんが出たのを憶えてる。それはたらいうどんやったけど、子どもながらさすがに驚いた。「キャンプで島にまで来てうどんかい」と(笑)。

法事は食事もお土産もうどん三昧

普段の食事以外でうどんを食べることはありましたか?
 法事の日は絶対にうどんを食べたし、今でも食べる。そのときはドロドロのうどんじゃなくて、かけうどんとつけうどんやったけど。

 昼からの法事の場合は、家に行くとお接待としてまずうどんが出て、おつとめが終わると次はお膳を食べるんやけど、その中にもうどんが必ずある。いろんな料理のお皿に混じって、バラ寿司なんかを入れる柄の入った平べったいお皿にうどんの麺がのっているんよ。せいろに置かれているのと同じような状態の麺が。で、食べるときに皿にお湯を注いでもらう。集まっている人が口々に「麺を温めていた~(温めてくれ)」とかって言ってたな~。今でいう湯だめの食べ方になるんやろか。温めないでそのままで食べる人もおったけど。

 法事のお土産にもうどんが出た。饅頭や果物と一緒にお供えにしていたうどんをみんなで分けるんやけど、法事に来た人だけではなく、近所の人にも3玉か5玉渡しよった。うちの家も、近所からもらったら「○月○日、○○さんからうどんを何玉」ってノートに控えとった。それで、今度は自分のとこで法事があった場合、それまでにうどんをもらった人に同じ玉数だけ渡して返してた。近所ではどこの家もそんな風に対応していたよ。

法事のたびに相当量のうどん玉が必要ですね。
 そりゃもう! どこの家も店に頼んで、せいろ三枚くらいは持って来てもらってた。一苦労やよね。嫁いで高松にやって来て、高松にはそんな文化がないのでホッとしたのを憶えてる。「うどんの渡し合いっこがないんだ、よかった~」って。

 うどん配りどころか、葬式や四十九日には「うどんを食べると不幸が長引く」って言って一切、口にしないし。うどんの麺が長いからって気にして。

 綾上では葬式や四十九日にも関係なく、うどんを配ったし、お膳にも出た。なぜか必ず赤飯も一緒に。親戚が家に集まって赤飯を炊いてたよ。出来上がったら重箱に入れて。さすがに今頃は赤飯をせんようになったけど。

結婚式にも農作業の節目にもうどん

同じ香川県でも随分と文化が違いますね。結婚式でうどんは出ましたか?
 結婚式を家でしていた両親の世代は、うどんを食べていたはず。「お客をした(お客を呼んで宴席を設けた)」って言ってたから。1日目が親戚の人たち、2日目が近所の人たちと分けて派手にすることも珍しくなかったって。ただ、近所周りで結婚式を競い合う見栄の部分もあったらしいよ。法事のお膳は同業と呼ばれる近所の人が集まって作ったけど、結婚式のお膳は仕出し屋が来て作ったって。
家が農家ということですが、田んぼの節目にうどんは?
 もちろん、もちろん! 田植えや稲刈り、脱穀が終わった後はしっかりとうどんやった。近所の人と協力して田んぼをしとったけど、それぞれの家で交代でうどんを作って食べとった。まかない飯として。そのときは普通のかけうどんが並ぶこともあった。うちの家では、田んぼの節目もドロドロのやつが多かったけど(笑)。やっぱり、うどんは汁がサラサラしていて、具がシンプルなやつがいいわ~。
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