香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

丸亀市・昭和7年生まれの女性の証言

イベント時の定番は「かしわ南蛮」

(取材・文:

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  • vol: 2
  • 2015.07.08

イベント時の定番は「かしわ南蛮」

私は戦中派で、食べるものがのうて困った時代を経験しましたけど、幸い生まれが農家で小麦をつくってました。精米所で粉にしてもろて、父は軍人で家におりませんでしたから、おじいさんがうどんをこねて踏んで…。小麦も今みたいな真っ白と違うて、黄色っぽい、きなり色でね。でも世間は小麦も配給制やった頃で、あんまりめったには粉にもできんかったようです。

当時はどこの家にもニワトリが4、5羽はおって、ニワトリやウサギを売買するような商いの人が家庭を回ってくるんです。卵を産まんようになった鳥なんかを回収して、頼んだらちょっとかしわを持ってきてくれる。そんなんや家のニワトリをつぶして、お祭りや大晦日、お正月のおうどんは、だいたいかしわ南蛮でしたな。

小学生の時分は父について満州にいまして、小学校6年生で帰ってきて、中学1年で終戦を迎えました。戦中よりは戦後の方が食糧難で大変で、私も女学校の頃は運動場を耕してサツマイモを植えたりしてました。小麦もおうどんにするより、すいとんで食べる方が多かった気がします。

うどんを踏むのは男の仕事だった

昭和一ケタの頃は今みたいにうどん玉を売るような店もないし、うどん屋さんも少ない。だいたい町はずれ言うんか、町の入り口にうどん屋さんがあって、まちに買い物に行くと「おうどん食べて帰ろう」言うてね。出征兵士を送って善通寺や琴平まで行った帰り、おじいさんに手を引かれておうどん屋さんに入ったのを覚えてます。陸軍病院、今の善通寺病院の入り口にあったお店でした。

私が結婚した頃、40年くらい前までもそんな感じでしたね。丸亀の町の端にうどん屋さんがあって、農繁期が終わったら「おうどん行こう!」いうて。「多恵寿」いうお店で、代替わりして場所も味も変わりましたが、まだあります。当時斜め向かいにももう一軒あって、素朴な味わいでした。

その頃はまだ、祝いや法事いうたら家でおうどんこねてましたよ。足で踏んでこねて切るところまでは、男の人がやってました。その先が女の仕事。その家なりの塩加減や水加減があるんでしょうね、こしが強くておいしかった。最近は足で踏むおうどんも減ったんやないかな。琴平の「宮武」のおじさんは踏んでましたね。

今も法事で「おうどん出るんな?」の声が

昔は法事が2日間あったんです。法事の前日に、前夜祭言うたらおかしいけど、おうどんの法事がある。夜のおつとめ前におうどんが出るんです。あくる日もだいたいみんなごはん食べんと行くから、まずおうどんをいただいて、おつとめがあって、それから本膳が出ます。お土産もおうどん。法事のおうどんはだいたい湯だめで、これがまたおいしいの!

最近はそんなんも減りましたけど、西へ行くほど昔の名残があって、30年くらい前までは宵の法事やってましたな。今の丸亀でも法事があると「おうどん出るんな?」いうて聞く人もいますよ。おうどん出るならごはん食べんと行くからね。やっぱり身についた習慣として残っとるんやね。

思うに、昔は食べるものもそんなになくて、人が大勢集まる時に手軽に食べられるんがうどんだったんやないでしょうか。

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