初めて食べた美味しいうどんは、東急インの裏側にあった「ふる里うどん」
- 昔は、うどんは他所で食べるもんじゃなくて、家で「なんぞごと」の時に親父が打ってみんなで食べるか、法事で呼ばれて行った時に食べるもんやった。夏の暑い時には街へ出かけて行った時に食堂で冷やしうどんを食べたことはあったけど、特別美味しかった記憶はないな。 うちは太田やたったから、近所の「大島うどん」へ小麦を持って行って、粉にしてもらって帰ってた。手間賃いうか、交換率というのか、確か3割やったと思う。つまり、持っていった小麦の7割を粉で持って帰ってくるわけ。その当時、大島うどんでうどんを食べた記憶はないから、まだ製粉専門だったか、うどん玉を作ってても製麺所だけだったんやないかな。
初めてうどんが美味しいと思ったのは、就職して市内に通うようになった昭和40年代からや。今の東急インの裏に酒造会館いうのがあって、そこに、「ふる里うどん」といううどん屋があったんや。酒造会館は結婚式場もやってて、実家の跡取りの結婚式もそこでしたんや。
うどん屋いうても今で言う製麺所みたいなもんで、釜があって椅子や机は一つ二つぐらいだったと思う。わしは、釜から揚がったばかりのうどんに醤油かけて食べるのが好きやった。おいしかったで。味の素をちょっと振ってな。値段はよく覚えてないけど、40円ぐらいか、もうちょっと安かったかも知れん。なんでかというと、当時わしが勤めていた会社が食券を買って社員に配ってくれてたんや。自分ではお金を払ってなかったから、記憶がないんやろな。
安月給じゃ、ろくにうどん屋も行けなかった
- 会社の近くには、「アズマヤ」とか「天勝」とか出汁が美味しいと評判のお店もあったけど、一杯が200円も300円もして、安月給じゃ、とても食べに行けんかった。わしの初任給は1万5千円やったんや。 ぼちぼち給料が上がってからは「源芳」とか「初瀬」へ時々行った。そのうち、市民会館の地下に「五番丁」という大きなうどん屋ができて、そこもよく行った。勤めだしてから10年ぐらいしてからやから、昭和50年代かの。あちこちにうどん専門の店ができて、釜あげやザルうどんを普通に食べるようになったんや。「わら家」と「郷屋敷」ができてからは、県外からお客さんが来たらこの2軒へ連れて行くのが常やった。
それでも、今みたいになんでもないのにわざわざ遠いところのうどん屋へうどんを食べに行くことはしよらんかったで。あれはうどんブーム言うのかの。あれが始まってからや。