香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市扇町出身・昭和24年生まれの男性の証言

夕食は焼き穴子をおかずに週6日うどん、祭りにはカラフルな天ぷら

(取材・文:

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  • vol: 124
  • 2016.02.01

一週間に6日、晩ご飯にうどんを食べていた

子どもの頃(昭和30年頃)、うどんを食べていましたか?
そりゃぁもう、しょっちゅう。一週間のうち6日は、晩御飯がうどんでしたよ(笑)。うどんは近くの八百屋で買っていました。両親と兄弟4人の6人家族でしたが、いつも10玉買っていたのを記憶しています。 僕もよくお遣いに行きました。で、家に帰る途中でうどんを一玉、頬張るんですよ(笑)。家族からは「あんたがうどんを買いに行くと、必ず一玉なくなる!」と責められましたが(笑)。塩味がほんのりする生のうどんをそのまま食べるのが楽しみで、喜んでお遣いに行きました。買い食いの気分も手伝って、とても美味しかったです。

うどん玉は八百屋さんで買ってきた

いつも買いに行っていた八百屋の店先には、せいろが5枚ほど並んでいました。どこかの製麺所で作った麺を仕入れて売っていたのだと思います。 買いたい玉数を告げると、店の人が箸でせいろから麺を取り上げ、茶色い紙袋に入れてくれました。屋台で販売する鯛焼きの包みと同じような材質の紙袋です。

紙袋の束は端に穴が一つ空けられていて、そこにリングを通し、天井から糸で吊されていました。紙袋が必要になると、店の人が手で〝ピシッ〟と一枚、リングから引きちぎるんです。

紙袋に入れられた麺は、さらにその上から新聞紙をくるんで渡されました。当時はビニール袋がありませんでしたので、食べ物を紙で包むのが一般的でしたね。家から丼やボウルを持参して麺を買う人もいましたよ。

買った麺をどのようにして食べていましたか?
かけうどんで食べることがほとんどでした。具は紅白のカマボコとネギだけ。ダシも煮干し以外は何も使いませんでしたね。 夏の暑い時期には時々、冷やしうどんにして食べました。冷やしうどんは、表面にギザギザの切れ込みが入ったボウル型のガラスの器に、麺と氷、それにサクランボを入れたものです。付けダシの容れ物は、背が余り高くない麦茶を入れるコップでした(笑)。

でも夏は、うどんよりもそうめんを食べることが多かったですね。ちなみに、カマボコや煮干し、ネギなども八百屋で買っていました。

いただきさんから買った穴子がうどんのおかず

うどんと一緒によく何を食べていましたか?
甘辛い醤油の煮詰めダレを付けた焼き穴子を、うどんと一緒にいつも食べましたね。穴子は当時、扇町(高松市)にたくさんいた「いただきさん(自転車や徒歩で魚を売り歩く行商人)」から買っていました。それと、ダシをとった後の煮干しも食べましたよ。まったく味がしないので、これは美味しくなかったなぁ(笑)。
特別な日などに、うどんと合わせて食卓に並ぶ料理はありましたか?
八幡さん(石清尾八幡宮)のお祭りがあるときは、レンコンやサツマイモなどの野菜の天ぷらが並びました。天ぷらは色粉が入ったもので、赤・黄・緑の3色がありましたね。とても綺麗で、食欲が駆り立てられたのを憶えています。それに、鰆がのった押し抜き寿司が加わることもありました。
その頃、うどんを外で食べることはありましたか?
ありません。うどんを外で初めて食べたのは社会人になってからです。勤めていた会社の食堂で口にしたのが初めてでした。 あとは、通っていた二番丁小学校(高松市/2010年に閉校)には給食がありましたが、当時の献立にうどんはなかったですね。

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